第5話

球体の丸い瓶を両手で持ってじっと見つめる。

くりくりと灰褐色の目が熱心に見つめるのは赤いキラキラと輝く飴だった。

セルフィルトが昨日くれた飴は、まるで彼のつけていた宝石のようでリッカはいつまでも眺めていられた。

客を取り終わった部屋で、ベッドの下に隠しておいたそれを取り出して眺める。

今日は一日そんなことを繰り返している。

「ありがとって言われた」 

初めての言葉にへへっと笑みが浮かぶ。

蓋を開けて食べたい気持ちもあるが、勿体ないと思いなかなか食べられないでいた。

「飴って、腐るのかな?」

じっと穴が空くほど見つめていていてふと思った。

食べ物は放っておけばカビが生える。

リッカはいつも残飯やカビの生えかけたものを食べているけれど、こんな宝石のようなものにカビが生えるのは見たくないなと思った。

うむうむと眉根を寄せて考えたあと、意を決して蓋をクルクルと回しておそるおそる開ける。

甘い香りが途端に鼻孔をくすぐって、じゅわりと口の中に唾液が生まれた。

「いい匂い」

すんすんと鼻を鳴らして、もう一度飴をじーっと見つめる。

おそるおそる瓶を傾けると、小さな飴がころりと手の平に転がり落ちた。

蓋をくるくると閉めて、手の平に乗せた飴をじっと見つめたあとそうっと口に入れてみた。

リッカは食べた事のない苺の味が口内に広がっていく。

「おいしい……」

じんわりと頬が緩んでいく。

ころころと飴を転がせば舌先に幸せが広がった。

「リッカ!客が帰ったのに何してる!」

「ひえっ」

扉がバンと無遠慮に開けられた瞬間、リッカは肩を跳ねさせた。

入ってきたのは店主だった。

「ご、ごんなさい」

ぎゅっと両手で瓶を握りしめたリッカを見下ろして店主は片眉を上げた。

「なんだそれは」

ギロリと見下ろされて、おそるおそる口を開く。

「き、きのうもらい、ました」

「昨日?セルフィルト様にか」

こくこくと頷くと、ふんと鼻を鳴らされる。

「テメーが礼なんていらないなんて言ったから、そんな子供騙しであっさり帰っちまったんだ。大金が入るチャンスだったのに!」

バチンと頬を打たれた瞬間にリッカはドタンと床に倒れ込み、口から飴を吐き出してしまった。

それを店主が無情にも踏みつぶす。

「あ……」

「それもテメーには必要ない」

 言うなりバッと小さなリッカの手から飴の瓶が奪われた。

「か、かえして」

慌ててリッカは店主の腰元の服を掴んで追いすがった。

それは初めてリッカが人から貰った好意だ。

いつもみたいに諦めきれなくて声を上げたが、うるさいと髪を掴まれて床へ放られた。

ろくに食べていなくて骨と皮だけのリッカの体重は軽い。

簡単に吹っ飛び、そのままベッドの足に顔をぶつけた。

痛くて涙が滲んでくるのをこらえていると、ぽたりと床についた手の甲に赤い雫が落ちた。

鼻の奥が切れて血が出てきたのだ。

「汚ねえな、ったく」

 さげずむような目つきで顔を歪めると、鼻血を出しているリッカの腕を取り部屋を大股で出行く。

 歩幅の違うリッカは引きずられ、そのまま裏口まで連れて行かれた。

「とっとと客引きしてこい。客取れるまで返ってくるな」

 雨の降っている薄暗い空の下、どしゃりと水のたまった地面に放り投げられた。

 泥水にばちゃりと転げ、ただでさえ灰色に汚れている服が茶色に染まっていく。

 バタンと閉められた扉の音を背後に聞き、リッカはのろのろと起き上がった。

 ごしごしと鼻の下を手の甲でぬぐえば泥水に赤が混じっている。

 血の出かたからしてすぐに止まるだろうと服の裾でごしごしと顔を拭いた。

 どしゃぶりのなか、茶色の長い髪が水を吸って重くなっていく。

 垂れてくる鼻血をすすって、リッカはよろよろと通りの方へ歩き出した。

 路地裏と通りのさかいまで来て、そっと表通りを見やる。

 通りは人の姿がなく、閑散としていた。

 もう夕方に差し掛かり薄暗くなっているのだから当然だ。

 雨だけれどゴミ捨て場で寝るしかないなと俯いたときだ。

「おい?」

 聞き覚えのある声に顔を上げれば黒い外套に黒い傘を持ったセルフィルトが驚きで藍色の瞳を丸くしていた。

「あ……きのうの」

 ぽかんと見上げれば、セルフィルトが通りからこちらへ歩いてきてリッカを傘の下に入れてくれた。

 そして鼻血の痕と赤く腫れた頬を見て、眉をしかめる。

「その顔」

 言われてもいつもの自分と何も変わったところはないので、リッカはキョトンと小首を傾げた。

「殴られたのか?」

 尋ねられてこくりと頷くと、ますますセルフィルトの眉が寄った。

 なにか機嫌をそこねてしまったかと青くなりながらも、リッカは小さく口を開いた。

 セルフィルトに言いたいことがあるのだ。

「あ、あの、飴、おいしかった、ありが、とう」

「ああ、食べたのか」

 セルフィルトの言葉に、ブンブンと首を縦に振る。

「飴、取られた、けど、いっこはたべれた」

 幸せそうに笑えば、何故かセルフィルトがじっとリッカを見つめてきた。

 店主なんかよりも背の高いセルフィルトに見下ろされると、どうしていいかわからずリッカはおずおずと上目で男を見やる。

 自分は何か間違えたのかと服を両手できゅうと握りしめた。

「はあー」

 何故か盛大に溜息を吐かれ、びくりと体を震わせる。

「普段はこんなことしないんだけどな」

 ガシガシと艶やかな黒髪をかくと、セルフィルトはほらと手の平をリッカに差し出した。

「行くぞ」

 ぽかんとしていると右手を取られ、セルフィルトが店の方へと歩き出す。

「お、お客さん?」

「違うよ」

 手をとったセルフィルトの手の平は体温が低く、でも大きくてリッカはどうしたらいいのかわからない。

 客ではないのに何故店へと行くのだろうと思っている間に、到着してしまった。

 傘を閉じて店に入ると、セルフィルトの姿を見た店主が目を輝かせてもみ手をしながら足早に近づいてきた。

「セ、セルフィルト様!今日はどんな用で?」

「この子を買いたい」

 セルフィルトの言葉にリッカはやっぱり客なのだなと思い、セルフィルトは背も手の平も大きいから殴られたら痛いだろうなと俯いた。

「へい、一時間千ゼニーです」

「違うな、身請けすると言ってる」

「え!?」

 セルフィルトの言葉に店主は大きく声を上げた。

 身請けという言葉にリッカも目を丸くした。

 その言葉は知っている。

 この店でも少ないが、まれに身請けされる女がいるからだ。

 見受けされたらその人と暮らすのだと言っていた。

「こ、こんな使えない奴をですか?うちにはもっといいのが」

「この子供を買う、と言ってるんだ」

 他の女を紹介しようとする店主にセルフィルトはス、と目を細めて硬質な声で繰り返した。

 その冷淡な眼差しと声に、本気なのだというのがわかる。

 ならばと店主が喜々として口を開こうとしたが。

「こんな使えない子供、十万ゼニーもあれば充分だな」

 さっさとセルフィルトは金を店主に押し付けた。

「ま、まってくださいよ!そいつにはもっと高い金を払ってもらわないと」

「ひどい扱いをして、一時間たった千ゼニー。そんな子供に高い身請け代がついているわけがないよなあ?」

 皮肉気に口元を笑わせたセルフィルトに、ぐっと店主は喉をつまらせた。

「そ、それは」

「まあいい。五十万ゼニーだ、明日にでも届けさせる」

 言って、セルフィルトはリッカの手を引いてさっさと店を後にした。

 リッカが手を引かれながら肩越しに振り返ると、店主はどこか悔しそうに歯噛みしている。

「あの、僕に、そんなお金はらわなくて、いいよ。な、なんで身請け?」

「んー?」

 速足でついてくるリッカの顔を見下ろして立ち止まると、セルフィルトは血のにじんでいる鼻先を撫でた。

 ぽうと青い光に包まれると、じんじんと痛かった鼻や頬の痛みが引いた。

 パチリと目を瞬いてぺたぺたと顔を触ると、リッカはセルフィルトを見上げてふにゃりとまなじりを下げた。

「あ、あり、がとう」

「特に理由はないんだけど、一応恩人だしね」

「恩人?」

 肩をすくめてみせたセルフィルトはちょいと右耳を示してみせた。

「ピアス、形見なんだ」

 だからだと言ったセルフィルトだが、リッカはもう飴をもらったのにと思う。

 けれどそれを言えば、セルフィルトはまあいいじゃないかと笑ってみせた。

 自分を買ったセルフィルトがそう言うなら、リッカはそれに従う以外にない。

 ならば役に立つように頑張ろうと、手を引かれながら思った。

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