一 食べる女
琵琶湖を背にした笙明ら一行は都を目指して進んでいた。東道とは異なり街道にはそれは賑やかであった。秋の街道。行き交う人はどこか旅を楽しそうに進んでいた。
その中、彼らは進んでいた。
「腹が減ったな」
「あそこの茶屋に入ろうよ」
「私も入ってみたい」
こんな三人の話に笙明と弦翠は休憩を許した。そして二人は店先で腰を下ろしていた。
「……気配はないな」
「ここにはなさそうだ。わしは一人先に進むとするか」
弟に京都入りする前に残った妖を滅するように伝えた弦翠は、少し力を持て余していた。
そんな兄に笙明は篠をお供に連れて言って欲しいと茶を飲んだ。
「二手に分かれて動いた方が好都合。それに篠は働くぞ」
「ははは。俺について来れるのか?まあ。良い。連れて行こう」
こうして弦翠と篠は横道に逸れながら二人で先で都に進んでいった。待ち合わせ場所を定めた笙明は慌てずのんびりと澪と龍牙と進んでいた。
「すっかり秋じゃの」
「ええ。落ち葉がこんなに」
「栗が食いたいの。丹波栗を」
龍牙と澪の食べ物は話に笙明は白い歯を見せた。
「ははは。都に帰れば食えるさ。さて、今夜はどこに泊まろうか」
ここは宿場町。宿屋がたくさんあったが、鷺の化身の澪に配慮し、彼らは天領庁の寺にて休むことにした。
ここは尼寺。主人である比丘尼が彼らをもてなしてくれた。
「これはこれは。八田殿といえば妖退治の一番手ではありませぬか」
「お褒めの言葉。痛み要りまする。今夜はお世話になります」
「お連れさまも。どうぞ。どうぞ」
寺の他の弟子は出払っていると言う彼女の案内で、広いお堂に通された。人が多い中で疲れた澪は台所を使うことを許されたので、嬉しそうに夕餉の支度を進めていた。
その間。笙明と龍牙はこの近辺の妖の話を聞いていた。
「妖とはわかりませぬが、人が引きずり込まれる沼や、火の男が出ると言う橋がございます」
「早速。明日行ってみようではないか」
「退治でございますか。火の男は夕方。ちょうどこれからが出る時刻でございます」
この話に先を急ぎたい龍牙はこれから行くと言い出した。これに仕方なく笙明も出かけることにした。
その間。澪はせっせと夕食を作っていた。
「娘よ。何を作っておるのだ」
「比丘尼様。これは旅の途中に見つけた野の草です」
「うまそうじゃな」
歩きながら野草や木の芽。さらには小魚を獲っている澪の食事に比丘尼はうっとりしていた。これをみた澪は、まだ帰らぬ笙明を待たずに、彼女に食事を出すことにした。
「どうぞ」
「どれどれ……おお。美味い?このようなものは初めてじゃ」
仏の道に仕える身。日頃の節制生活があるのか彼女はどんどん食べていた。
碗の飯はあっという間に消えてしまった。
「もうないのか」
「ございますよ。どうぞ」
「おお。湯気がこんなに」
嬉しそうな彼女は熱い熱いと言いながら箸を忙しく動かしていた。
「……もうないのか」
「あと少しなら」
「そこにたくさんあるではないか!」
急に怒り出した比丘尼は笙明と龍牙の分まで鍋ごと食べ出した。
ガツガツ食べるこの異様な雰囲気。怖くなった澪は食べるのに夢中になっている比丘尼に知られぬよう、静かに寺の外に逃げ出した。
夜の暗い道であったが、街道には人が行き交っていた。澪は仲間が帰ってくるのを待っていた。
「娘さん。どうしたんだい」
「何でもない。放っておいて」
見知らぬ男はしつこく話しかけてきた。澪はこれから走って逃げた。
「はあ、はあ」
「娘さん。夜道は危ないよ」
「触らないで。私に構わないで」
人目につかぬところで鳥になりたい澪は、道脇の茂みに入っていった。
「ここにいたのかい」
「比丘尼様?なぜここに」
草陰の中。白い顔の彼女はやんわり笑顔で澪の手を引いた。
「帰ろう。そしてまたおいしいものをこしらえておくれ」
「は、はい」
優しい笑顔に戻った比丘尼に安心した澪は、静かに寺に戻ってきた。
笙明らははまだ戻っておらず、寺にいると言う弟子も不在であった。
「さあ。粥を作りなさい」
「でも。材料が」
「なければ用意をすれば良い」
「は、はい」
普通ではない目つき。まずは笙明が戻るまで時間を稼ごうと澪はゆっくりお湯を沸かした。
「まだか。まだか」
「まだです。野草を切らないと」
「貸せ!このようにすれば」
みていられない比丘尼は澪から包丁を奪い調理していった。
「他には」
「最後にこの干し魚を」
「入れろ。早く!ああ。何と言う香りじゃ」
そして彼女はまだ未完だと言うのに勝手に食べ始めてしまった。夢中になっている彼女に音を立てぬように澪は静かに夜の庭に出てきた。
誰もいない庭で鷺になった澪は夜の空に羽ばたき、竹林の上に止まっていた。
「どこじゃ!娘。まだ作るのじゃ」
地上からは比丘尼の叫び声がしていた。これ澪は返事をした。
「野の草がない。野の草がない」
「そ、それならあるぞ?ここに」
庭の草をちぎる必死の比丘尼に澪は続けた。
「魚がない。魚がない」
「川に行って取って参れ。早く」
こんな比丘尼に澪は続けた。
「尼の足は、魚と同じ。魚と同じ」
「い、今。何と申した」
この話を間に受けた尼は、自らの足を鍋の中に入れた。
「熱い?しかし、これも美味いものを食うためじゃ」
しかし、熱湯に足を入れた比丘尼は大火傷で悲鳴をあげた。
痛みに狂う中。台所には笙明が黙って佇んでいた。
「お前で良い!早く、鍋を、鍋を」
「出、闇、虐、滅、失、消」
「うわあ?止めろ。苦、苦しい」
笙明の唱える言霊に比丘尼は苦しみ。やがて口から黒煙を吐き出した。
「あれじゃ。龍牙」
「おお!」
その黒煙を龍牙はバッサリと切った。恐ろしい悲鳴と共に比丘尼は倒れ、煙は消えたのだった。
「お目覚めですか」
「娘さん。私はどうしてこんなことに」
朝。布団で起きた比丘尼は隣に座っていた澪に驚いた。
「それよりも。気分はいかがですか」
「……久しぶりに晴れやかですね」
部屋に注ぐ秋の朝日に彼女は目を細めていた。澪は支度ができたらお堂に来て欲しいと言い出て行った。
堂には笙明と龍牙が起きたばかりの様子だった。
ここで比丘尼は昨夜の話を聞いた。
「私が一人でそんなに食べたのですか」
「そうです。でもそれはあなたのせいではありませんでした」
そう言って笙明は妖の塊を見せた。
「これはあなたから出てきました。尼殿は何かの時に、妖を食べてしまったのです」
それは何かわからぬが、その一部が体に残っていたのではないかと説いた。
「恐らく。澪の食事にてその妖が目覚めてしまったのでしょう」
「言われてみれば。ここ最近は怖い夢ばかり見ておりました」
「此度、祓いをしたので今は大丈夫でしょう」
この時。お堂には良い匂いが立ち込めてきた。
「これは澪が作った朝餉です。もう一度これを食べればはっきり致す」
「怖いですよ」
すると黙って聞いていた龍牙が立ち上がった。
「問題ない。何かあれば私が妖を斬るまでよ?」
男どもは笑い飛ばす中、比丘尼は勧められながら澪の腕の汁を食べた。
「美味しいです。薄味で」
「……もっとあるのですよ」
「そうじゃ。遠慮せずに」
「うふふふ。比丘尼様。いかがですか」
仲良く囲む朝の日差しの中。尼からは完全に悪が消えていた。
そして彼は、昨夜の橋の化け物の話をした。
「火の男。あれは狐火であった」
「ああ。古い狐が死んで、炎となって現れたのだ」
簡単に退治をしたと話す二人に笑みに尼は頭を下げた。
そして寺を出る時に、尼は澪に再度詫びた。
「なさけぬ。仏の道を進む私が」
「良いのですよ。もう気にしておりません」
「澪と申したな。これを持って行きなさい」
比丘尼は小さな鏡をくれた。
「これを私に?」
「ああ。これは真実を映す鏡じゃ」
徳を積んだ旅僧侶が病にてこの地で亡くなる際、彼女にくれたものだと話した。掌ほどの大きさの鏡であった。
「お前はこれからも苦難を道を飛んでいくのだろう?だったらこれを使いなさい」
「は、はい」
澪が鏡を覗くと、そこには鷺が映っていた。これを聞いていた笙明は礼を言った。
「ありがとうござりまする」
「いいえ。都まではまだ妖がおります。お気をつけて」
比丘尼が見送る秋の寺。落ち葉の道を修験者と陰陽師。そして鷺の娘は先へと進んでいくのだった。
続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます