後編
怪魚は潜ったままでブクブクと泡が池から上がるだけであったが、突然ザザーと顔を出した。
「やったか」
「あ、笙明殿。あれを」
二人の前。少年が池に飛び込み馬と同体のほどの怪魚に向かっていた。そんな水の戦いの中、飲み込まれた篠は見たらなかった。しかし怪魚は苦しそうに暴れておりついに池の水が朱に染まっている事を澪は発見した。
「見て。あそこよ」
「おお?篠か」
龍牙の見た先では月夜に刃が光っており、飲まれた篠が腹の中から切り裂き闘っているのが見て取れた。さらに水の中の少年はどす黒い怪魚の背鰭を掴みしがみついていた。これを見た笙明は仲間に指示した。
「!岸に上げるのだ。早く!」
「無理じゃ?」
「いえ。龍牙。この縄を使うのよ」
この間に澪は用意してあった縄を持ち龍牙に手渡した。
「はい!これをあの子に渡して」
「またわしか」
「つべこべいうな。行け」
そして龍牙は水に入ると勇ましく泳ぎ進み少年に縄を渡した。少年は尖った竹で怪魚に数点突き刺し、そこを起点に縄で縛っていた。
「では引くわよ!龍牙も戻って」
「はあ、はあ」
「行くぞ。それ」
澪はこの縄を一度近くの木の樹に通しせば弱い力でも引ける事を知っていたので、必死に笙明と共に力一杯引いていた。
「私もやります」
人質の姉娘も縄を掴んだ。龍牙の四人になり必死で魚を引いた。
「……まだか、龍牙よ」
「ここは……わしが……」
しかしここで急に引く力は弱まった。よく見ると怪魚から篠が出ており仕留めているところであった。
「はあ、はあ、はあ。やったな。お前」
「はあ、は、は……篠こそ。はあ、はあ」
少年と篠は池の辺まで引き上げられた怪魚のそばで笑っていた。
「篠。妖の塊は何処か」
「ここです。笙明様。腹の中にありました」
篠は大事そうに胸元を押さえて彼の元に歩もうとしたがここで悲鳴が入った。
「きゃあーーーー」
「ね、姉さん?」
「……おい!龍牙、追うのだ」
「また?」
暗闇に現れたそれは人質娘を担ぎ木々の中を去っていった。
◇◇◇
龍牙が追った先には寂れた祠があった。その者はその中に入った事を確認した彼は追いついた仲間にこれを伝えた。
「ここは……池神様を祀った祠だ」
「さて。では挨拶をしてみるか」
ここで笙明は少年を制し横笛を取り出し吹いた。もうすぐ夜明けの池の畔。美しい音が冷たい風と共に響き渡っていた。神秘的な音色は恐ろしいほど透明に空気を切るように通っていた。
「や、やめろ?あああ……」
「長老様?そこにいるのは長老様か?」
一行が近づくと中では長老が悶え苦しんでいた。ここに少年と篠がそばに駆け寄った。
「姉さんは気を失っている」
「これは一体どういう事だよ」
笛を止めた笙明は老人の頭巾を取れと篠に向かった。
「わ?角だ」
「鬼か。篠、下がれ。わしの後ろに。お主……さては魔石を持っておるな」
「う……はあ、はあ、はあ」
この間に少年は姉を抱き澪と一緒に後ろに控えた。
「お主であろう?生贄を喰うていたのは」
「ぐ。うう……」
「池の水止めもお前の仕業だ……そうか?怪魚に魅入られたのか」
この話の間に龍牙は念を唱え彼を封じ始めていた。
「う、うるさい!血だ……血が」
「その目、その牙……もはや人とは呼べぬ姿だ……龍牙、抑えよ」
そして龍牙の念仏で崩れた老鬼を笙明が御祓をした。彼は苦しんだがやて静かになった。
「死んだの?」
「さあな」
「でも息をしてないよ」
「……人にあらず……この姿。すでに鬼となっていたのだ。人としての命は尽きておったのだろう」
いつの間にか出ていた満月。彼らを眩しく照らしていた。
◇◇◇
翌朝。村人が見たのは生贄台で眠っていた人質娘と池に浮かんだ怪魚だった。そして彼らは鬼の姿で死んでいる長老を祠で見つけたが、村人達は娘は何も知らぬというので家に帰しこの件を不問としたのだった。
「それにしても。あの魚の中は臭かったな」
「ああ。今のお前も臭いぞ篠」
「口に出すな。あれは鯉だな」
その日の夕刻。篠が見つけた妖の塊を除霊した笙明はそう呟き揺れる馬上で遠くを見ていた。一行は退治した直後、素早く村を出て今は外れまで来ていた。
「あの爺さん……何で取り憑かれたちゃったのかな」
「もしかして塊を持った魚を食べたんじゃないかな」
「澪の話通りかもしれん。出てきた塊は小さきかけらだ」
「恐ろしや?これからは魚はよく噛んで食わねば」
龍牙の話に一同はハハハと笑った。
「しかし。あの姉弟は大丈夫かな」
「案ずるな篠」
「……笙明様は何かお考えですか?」
気にしている澪に笙明はふうと息を吐いた。彼は憂いを帯びた顔でじっと夕焼けを見ていた。
「……あの弟が申しておっただろう?何でもすると」
「確かにそうだけど」
心配している篠に龍牙はガハハと笑った。
「実はな。笙明殿はあの小僧に池の水を止めている岩の退け方を教えておいたのだ。これをすればあの姉弟もあの村で暮らしていけるだろう」
「珍しい……助けるなんて」
「まあ。篠。笙明様は誰にでも心優しいお方なのよ。ねえ、笙明様」
澪の言葉。笙明は静かに彼女を見つめた。
「お心深く。それは慈悲があって……澪は大好きなのよ」
「澪よ。それくらいで勘弁してやってくれぬか」
「?」
頬を染めた笙明を見た龍牙はそういって彼女に微笑んだ。この時、篠の腹がぐううと鳴ったので仲間は声に出して笑った。
南風が背を押す東への道。一行は妖を求めて今日も旅を続けるのであった。
第七話完
第八話『神坂峠』へ
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