五 四十九番目
「いい加減にせよ。篠」
「だって」
娘を置いてきた事を
「我らは妖を退治するのだぞ。あの娘を巻き込む気か」
「……篠よ。笙明殿も考えがあっての事じゃ」
「わかってるよ……」
ベソをかく篠を連れて一行は東山道を進んでいた。疫のためか人は無く寂しい桜の道を進んでいた。
……ホーホキェキョ。ケキョ。ケキョ……
「うるさいな」
「ああ、随分と鳴くな」
篠と龍牙が見た枝には鶯が行ったり来たりしていた。のどかな風景であったが笙明は難しい顔をしていた。
「いかがしたのだ」
「笙明様?」
「……静かに。何か聞こえぬか」
鶯の声に他にうめき声が聞こえてきた。それはだんだん大きくなってきた。
「見て!あの木の上だ」
「猿か?何か言ってるぞ」
『四十八は土の中……四十九は穴の中……』
やけに耳元で消えたこの声に心臓がドキリとした彼らは更に耳を凝らした。
『五十は村の外……』
驚きで見ているうちに、この生き物は森へ去って行った。
「猿が喋った?」
「わしも初めてじゃ」
「……憑物か?さては用心だ」
不気味に思いながらも彼らは道を進み集落にやってきた。村の入り口には老人が立っていた。
「俺が話をしてきます。あの、俺達は」
「妖隊だろう?もう聞き飽きたわ」
「え」
初めて来る村なのに男は呆れた顔で話した。
「毎度毎度同じ時間に来おって……」
「あの。俺達、初めて来たんですけど」
「何を言う。これを見よ」
老人は木戸に掛かっていた木札を指した。
「お前さん達が疫病逃れの札を書いてくれたでは無いか」
「これか。どうだ笙明殿」
「なんと私の字だ……これは符行か」
木札に霊符御守護と書かれた美字は間違いなく笙明の直筆であった。心当たりない彼らは驚くだけであったが村人は三人を知っているようで彼らの休み所だと案内をしてくれた。
「本当に俺達。初めてここに来るのにね」
「妖気を感じるか?笙明殿」
「……今はまだわからん」
勧められたお堂に腰を下ろした三人であったが、疲れたといい篠がゴロンと床に寝転んだ。
「あれ?天井に何か貼ってある」
「文か?どれ」
長身の龍牙が取るとそこには文字が書いてあった。
「『逃げろ』……?笙名殿、これは」
この走り書きに三人には思わず太刀を握った。
篠の心臓は高鳴り龍牙の息は荒く、笙明はただ耳をじっと澄ませていた。
「静かすぎると思わぬか。風の音もせぬ」
「油断めさるな……」
「ここは……妖の村なの?」
三人は逃げようと、荷をまとめ来た道を急ぎ引き返した。
「はあ、はあ、はあ」
「ここは……ああ、また木戸だ」
「符行……」
村を西へ東へと走った一行であったが、不可解な事に何度巡っても妖村の入り口に戻ってしまった。これに労力が尽きた三名は日暮と共に観念し、主の無い御堂で休む事にした。
「ああ、やっとわかってきた。ここには妖は居らぬようだ」
「笙明様。どうして今までわからなかったのさ」
「済まぬ。これには事情があってな」
「どうでも良い!わしは腹が減った」
龍牙が懐から娘がくれたおむすびを食べ始めたのを見て、篠と笙明も口にしていた。
「すみませぬ。妖隊の方よ」
「なんだい?」
挨拶して来た老人は村の代表と言った。話しは疫病が落ち着いて来たが、田植えができぬという話であった。
「水が足りぬのでございます。何かお知恵を下さいませんか」
「雪解けの中、なんとした事か」
山から流れる水が減り、未だ田植えの用意ができていないと彼はこぼし、笙明に占って欲しいという事であった。彼は泊めてもらった恩義があるとこれを約束し彼を帰した。
「そうだね。よく見れば水が無いね」
「わしは疫のために人手が足りぬのかと思った」
「……全ては明日じゃ。私は寝る」
そして夜半。床に寝転んだ妖隊に人の声と思えぬ囁きが聞こえてきた。
……起きろ四十九番。起きろ起きろ……
恐ろしさに目を覚ました笙明は飛び起き、声の正体を探した。
……誰だ、お前は。何者だ……
彼が強く念じると想いが伝わってきた。
……岩……室戸……山……
「室戸とは……」
夜の中。彼の一人声も虚しく不気味な思いだけを残し声は消えて行った。闇夜の床間であぐらをかいた笙明はいびきと寝相の悪い二人を無視し、術で妖気を追跡していた。
……猿、穴、岩、発、声、闇、場……
念じていた彼にはある場所が目に見えてきた。山の中腹に見たのは今にも転げ落ちそうな岩であった。妖の想いはここにあると踏んだ笙明は夜明けを待たずに二人を起こし山を登り始めた。
「前から聞きたかったんですけど。どうしていつもこんなに早いの?」
「ふわあ!そうですじゃ。朝の方が明るいのでは」
「……私もそろそろ話さねばならぬと思っていたのだ」
他には誰もいない山道。馬を置き必死に登る笙明は静かに口を開いた。
「私は陰陽師だが、月が出ておらぬと妖力が上手く使えぬのだ」
「……何だって?」
「月という事は。その、昼間はダメなのですか」
「まあ、月は昼も出ておるが」
彼は恥ずかしそうに頭をかいた。
「私は術にて身を守れておるが、妖を滅するには夜では無いと厳しい」
「そうか。今まではどれも夜であったしな」
「妖っていうのは夜に出るからな」
「隠していて済まない。私も何とかしたいのだがどうにもならぬのだ」
溜息の笙明に龍牙は気にするなと背を叩いた。
「わしもな。実は妖をあまり感じぬ……臭いがするだけじゃ」
「臭いがするだけマシだよ。俺なんか気配も感じないし」
誰もいないのを良いことに三人は悩みを吐露していたが、ようやく笙明が術式で捉えた景色に到着した。
「落石跡か」
「岩が洞穴の口を塞いでいるね」
謎の声はこれを撤去を願うものではないかと推測した三人は岩を前に立った。しかし大岩はびくともせず三人では到底無理であったので、ひとまず山を降り村人の助けを借りる事にした。
下山した三人は村の者に、岩を退けたいと話をした。だが誰一人手を貸そうとはせず、山の上の事などどうでも良いと笑った。
三人は今一度、村からの脱出を試みたが、やはり出られず、再度山に登り岩を退ける事にした。御堂で一休みをした一行は昼下がりに再度山を登っていた。
「くそ。今は明るいだから笙明様は力が出ないのか」
「わしは力が有り余っておるので、少し掘りまする」
「私も加勢するか。どれ」
笙明はこの地に魔物が来ぬように清めをしようとした。そこで落ちていた木片を手に取り、指に樹々の葉の上の水を浸し文字を書いた。
「霊符御守護。四方八方を守りたまえ……さて、これをどこかに置けば」
「笙明様!それって」
「む。そうか、これは村の木戸の」
木戸に置かれていた符号をこの時書いた笙明に篠もぞっとしたが、岩の周囲を調べていた龍牙は何やら底を掘り始めていた。昨夜よく寝ていなかった笙明は二度の登山で疲れたため、符号を篠に託し昼寝をしていた。
「笙明様!起きて」
「ん……夕暮れか」
目を擦った笙明は二人が岩を動かすために周囲を掘った跡を見て感動していた。
「これなら私達で動かすことができるまも知れぬ」
「はい!それに日暮れじゃ。笙明様の出番じゃ」
「それにしても……濡れているのか」
まるで月を仰ぐように山に空いた穴にぴったりくっついている岩の隙間からは水が滲み出ていた。彼らは一気に片付けようと支度をしたが、空は雨雲になってきた。
「どうするの」
「やるしかあるまい。そしてこの村から出るのだ」
「良し!さあ。やるぞ……」
岩の底の土を削った龍牙は、岩が揺れるくらいの隙間を作っていた。この隙間に篠と笙明は丸木を入れた。そしてこの丸木をどんどん入れ増やし、岩を転がそうという作戦であった。雨足が強くなってきたが三人は作業を続けた。
「せーの!」
「……今だ。篠……木を入れろ」
「入れた……よ。これで動くんじゃないの」
「はあ、はあ、はあ」
全身汗と雨に濡れた三人はいよいよこの大岩を押し、転がそうとした。
「参るぞ」
「おう!篠も押せ」
「わかっているよ。せーの」
三人が渾身の力で岩を押すとゆっくりと動きとうとう退すことができた。
「うわああ?」
「水が……凄い勢いで」
「高台に登れ!まだ出るぞ」
人が通れるほど隙間から噴き出した水に三人は驚いたが、すぐに出水が少なくなったため安心していた。夜の大雨の中、高台でこれを見ていた彼らであったがここで龍牙が叫んだ。
「泥の匂いだ!崖が崩れるぞ」
「ここが?」
上の斜面が崩れてくるので下に逃げても万事休すであった。三名は一か八か今開けた水の抜けた穴に飛び込んだ。ここは洞窟になっており奥まで続いていた。この穴に奥に潜んでいた三人にはドドドという恐ろしい音が響いていた。
「終わったの?」
「ああ。だが出口は埋まっておるかもな」
「笙明殿。松明をくれ。よく見えぬ」
確認した龍牙。隙間を埋めた穴の土を内側から退け始めた。このままでは生き埋めの洞窟内。その出口は濡れた土であったが深くは無いと彼は話した。交代しながら押し進めた彼らは外に出た時は朝だった。
「これは」
「酷い」
「村の跡がないぞ……」
晴天の朝。山からの土砂で潰された村は家屋も消えていた。そこには倒木と泥水があるだけであった。山の斜面でこれを一望していた彼らは覚悟を決め転がるように下山した。
「酷いな……生き残りはおらぬのか」
「だめだ。村はずれまで土が来ている」
「笙明殿。もしや我らのせいでありましょうか」
「……」
愛馬は被害を免れた笙明は現れた馬を撫でながら感慨にふけっていた。土砂が見舞った村は水を含んだ土と山に植わっていた大量の樹木が流れて着いていた。
「いや。むしろ逆だろう。あの洞穴の水を早く抜かなかったが為、斜面の土が水を含み緩んでおったのだ」
そこに今夜降った雨にて耐えきれなかった土が流れたのであろうと彼は語った。
謎の猿の予言。村の水不足はどこかで水が堰き止められたいたという事実。早く洞穴の穴の水を抜いていれば、悲劇は免れたと笙明は思った。
何もないこの惨状。彼らは人を捜索をする気を失い、ただ手を合わせるだけだった。
「この村は全滅か。何人の人がいたのかな」
「……おい。この笙明様の符号を見よ」
倒れなかった木戸に掛かっていた札には、四十八戸と書いてあった。
「笙明様!例の猿の言葉」
「……我らは四十九番目の生き残り。これは暗示か。どうやらあれは妖ではないようだな」
災を知らせに来た山神であろうとした一行は泥だらけの体に肩を落としていた。
◇◇◇
雨が上がった青空の下。村を後にした三名は鶯の声がする小川で手足を洗い、まずは今夜の営の場所を求めて先を進んだ。
「あれ?あの家から煙が出てる!俺、行ってきます」
「待て!あれは」
「はあ……」
見覚えのある家に頭を抱えた笙明であったが、突然鶯の声が止まりあの声が耳元に流れた。
……五十は置き去り……
「どういう意味だ?山神よ」
声は空を切るだけで振り向いても誰もいなかった。静かになった古道には鶯の声がまた流れていた。
「……笙明殿?いかがされた?」
自分にしか聞こえない声。その意味の重さに彼は決心した。
「先に参る」
彼は手綱を引き馬を嘶きさせ疾走した。走る篠を追い越し家の前にやってきた。
「まあ?お忘れ物ですか」
「娘……我と供に来い」
馬上の真剣な笙明を娘は首を傾げて見つめていた。彼はすっと降りると娘の手を握った。
「嫌か」
「いいえ……そうではありません」
「ではなぜだ」
「私は鷺の娘……旦那様に迷惑をかけてしまいます」
目に涙を溜め自分を見つめる娘。これを見た彼は、彼女が寂しさを我慢していた事を知り胸を熱くした。思いが募った彼は気がつく娘を抱きしめていた。
「済まぬ……もう泣くな」
「……でも良いのでしょうか。私が一緒に行っても」
「ああ」
彼は彼女の光る涙を拭うと、頭を抱え頬寄せた。そしてため息のように娘に命じた。
「私が来いと申しておるのだ。はいと答えよ」
「……はい」
「良し。お前は私のものだ……娘」
「はい。旦那様」
素直な娘の潤んだ目。笙明は恥ずかしそうに彼女に尋ねた。
「お主の名は」
「澪と申します」
「そうか。澪か」
二人が抱き合う中、ようやく篠がやってきた。
「やっぱり!ここはお姉さんの家……あ、どうして二人が」
「はあ、はあ、走るのは堪える。あ。娘御」
恥ずかしそうに頬染める二人に肩透かしの篠と龍牙に、笙明はすまし顔で向き、彼女の肩を抱いた。
「二人とも。澪も旅に参る事になった」
「はい。よろしくお願いします」
菜の花に集う蝶々が無邪気に飛び交う春の野辺の家。優しい風の中、頬を染めた笙明は心晴れ晴れに西に沈む夕日を遠く望んでいたのだった。
第五完
第六話「疫の村」へ
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