二 悲しき水鏡

都を出立した八田笙明の妖退治の一行。近江を抜けて美濃へと東山道を進んでいた。春の道は菜の花が咲き南の風が心地よく身になびいていた。  


「あのさ。ところで二人はどっちが偉いの?」

「お前?!」


 怒ろうとした龍牙に笙明は待ったを掛けた。


「良いのだ……なあ、坊主、私はお前が一番偉いと思うがな」

「俺ですか?」


 笙明の軽口を鵜呑みにした少年は嬉しそうに持ってた枝を振った。これを見た修験僧の龍牙は二人に話し出した。


「お前は気ままで良いの。私は故郷に妻と娘がおるのだ」


 彼は自分の身の上話をした。それは酒好きが元で暴れて失敗した話や、修験僧ながら妻と子供がいるという話であった。


「隠しても仕方がない話。どうかお二人には聞いていただきたい」

「そうだね。龍牙が死んだ時、俺たちは家族に話をしないとならないもの」

「ほう?……やはり篠が一番強い」

「ああ、笙明殿の言う通りじゃ」


 龍牙はこの退治をする事で妻子の暮らしを保証してもらっていると話した。篠は石を蹴り雲雀がさえずる空を見上げながら呟いた。


「俺は幼い頃に親に捨てられて……天狗の長に育てられたんですよ」

「やはりな?わしはお前は天狗じゃないのでおかしいと思っておったんだ」

「え。俺と天狗だと思っていたの?」

「ふふふ。龍牙は面白いの」


 笙明の笑顔。篠は育ての親に恩返のためにこの旅にやってきたと話した。


「それに俺には他にできる事ないし」

「そんな事ないぞ?これからはお前を餌にして妖をおびき寄せる事もできるからな」

「それだけかよ」


 自信のなさそうな篠。笙明にも身の上話を求めたが馬上の彼は何も話さなかった。


「ねえ。笙明様は」

「……そうだな。私の家は此度の結界の長を任されておる。八田家として誰か一人行かねば参らぬわけだ」

「そうか?じゃ、俺達と一緒だね」


事情が少々異なる笙明ではあるが、無邪気な篠に目を細めた。龍牙は構わず想いに耽っていた。


「だがなわしは必ず帰ってみせる。妖をたくさん退治し、家族と暮らすのじゃ」


 訳あり妖隊の異端児三人達。朗らかに足を進め大きな川までやってきた。



「これが、長良川か。何という雄大な流れよ」

「広いね」

「馬もいるのに。さてどうしますかな」


見ると小道が脇に沿ってあり、船着場まで続いていた。そこには日焼けした老船頭がいた。



「旦那さん。渡し船ですじゃ。お馬も一緒にどうぞ……」

「これに乗るしかないよ!早く」

「ああ。篠よ手綱を引け」


 船に乗り込む篠と笙明であったが、龍牙はここで小用し、遅れて船にやってきた。


「……もし、旦那様。もし」

「いかがした娘御」


背丈ほどの草陰。美しい娘は水に浸かる草陰で着物を膝までたくし上げひっそりと泣いていたので龍牙は優しく話しかけた。



「足が泥に浸かり、ここから出られぬのでございます」

「それはいかん」

「誰も助けてくれないのです。うう、うう……」


 涙を流す気の毒な娘を見た龍牙は笙明にしばし待てと声を張り、娘を助けることにした。龍牙は草茂る湿地に入り娘を背におぶった。


「しっかり。わしの背に乗れ。それ」

「はい……」


 着物姿で啜り泣く娘を背を負った龍牙に対し、娘はこっち、こっちと方向を指した。龍牙は言われるまま泥の道を進んだ。


「どこじゃ?草で見えぬわ」

「こっち。こっち」


 娘の指示で進む彼の足はどんどん深みに入って行った。それに比例するように背の重さが増してきた気がしたが、疲れであろうと龍牙は思った。


「娘御、真にここか」

「こっち、こっち……こっち」


 いつの間にか風の音も消え、彼は娘の声しか聞こえなくなっていた。彼の視界は霧が出てきたように真っ白になっていた。


「こっち、こっちよ……」

「わかっておる」


 娘の顔を直接見ることができない龍牙はふと川に映える水鏡を見た。二人の顔が映っていたがそこにいるのは恐ろしい鬼であった。


「……娘よ。こっちか」

「こっち、こっち」


 背には硬い岩のようなものが載っているような感触がした龍牙はこの地で背の者を下ろそうとした。


「……く?」

「死ね……死ね……愚かな男よ」

「ううう」


 鬼に首を締められた龍牙は苦しさに悶えていた。その時、一面に光が走り背の者は悲鳴を上げた。


「ぎゃあああああ!」

「……隠、滅、光、刺、退、粛、奪、命……」

「このー!とりゃ!龍牙から降りろ」


 笙明が呪文を唱えている間に、篠が鬼を引き摺り出し短剣を刺した。


「はあ、はあ。死ぬかと思ったわい」

「……封、滅、戒、防。これで良いか」

「あ、見て。姿が変わった」


 美しい面の娘であったが、頭に角を生やし口元から牙をのぞかせ血を流していた。三人が見ているうちに娘の肉は消え骸骨になった。



「おい、何か吐くぞ」

「妖の塊だ。龍牙、早く。水に落とすな」

「わしか?」


 そして口から出てきた朱石を受け取った龍牙であったがこれは彼自身が浄めた。妖娘を滅した三人はようやく船に乗り込んだ。



「ええと、旦那様。ここで伝わる話をします。昔ある娘がおりまして……」


 櫂をゆったり漕ぐ船頭。彼らに娘の悲恋を話し聞かせた。



「娘は大変美しい娘でしてな。対岸に住む男逢いたさに通りかかった男の背に乗り川を越えようとしましたが、その男は盗賊でしたのでそのまま拐われ帰らぬ人になったということです」

「先に聞きたかったね。この話」

「いやいや。聞いていたとしても龍牙は助けたであろうよ」

「うるさい。おかげで魔石が取れたではないか」


大きな川はゆったりと流れていた。岸辺には菜の花が咲き乱れていた。頭上の雲雀はうるさくおしゃべりをしていた。


「哀れよの」

「龍牙?」

「良いのだ。そっとしておけ……」


 船に揺れる笙明は懐から横笛を取り出した。


水辺に清く流れる笛の調べ。切なく悲しく暖かく。優雅な川と供に春の美濃の国を漂っていた。






第二話完

第三話「鬼門の決壊」へ


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