第127話

 結局、和平の条件としてはダーロットの所有するマジックバッグのうち、二つを黎明の覇者に譲渡するということで話は纏まった。

 一応、これでもグラストは頑張った方だろう。

 グラストは騎士であり、決して交渉を得意とする役人や政治家ではない。

 それでも何とか交渉し、譲渡するマジックバッグの数は二つにすることに成功したのだ。

 それもダーロットが自慢していた高性能なマジックバッグを渡すのはあくまでも一個だけだ。

 もう一個のマジックバッグは、そこまで性能が高いものではなくてもいいということになったのは、自分の交渉能力がそれなりに高かったからだろうと、グラストは少しだけ自画自賛する。

 ……実際には、最初からこの辺りが狙い目だろうと交渉をしていたローザや、途中で口を挟んだソフィアも予想していたのだが。

 本来なら、マジックバッグを二つというのはかなりの出費となる。

 しかし最初にローザが大きな要望をしたことで、グラストは最終的に相手の要望を多少なりとも減らすことが出来たと認識してしまったのだ。

 交渉においては初歩的な技術なのだが、騎士のグラストにそれが分かるはずもなくあっさりと引っかかってしまった。

 こうして、表向きだけを見ればお互いに満足した結果に終わることになる。


(けど、俺がいる必要ってあったのか?)


 交渉が終わったあとで、イオはそんな風に思う。

 結局交渉の間、イオは特に何か発言をするような真似をしなかった。

 口出しする雰囲気ではなかったというのもあるが、それ以上に何を言うべきなのか分からなかったというのが大きい。

 話しているのを聞く限り、大体の事情は理解出来た。

 もちろん、イオもこの騒動に巻き込まれている以上、それなりに事情を知ってはいたのだが。


「では、和平交渉はこで無事纏まったということで」

「ええ。……イオもそれでいいわよね?」


 ソフィアがイオに向かってそう声をかけてくるものの、イオはどう反応すればいいのか分からない。

 分からないが、自分がここにいても特に何か突っ込んで聞いておきたいということはなかったし……何より、ソフィアの隣にいるローザが意味ありげな目配せをしているのに気が付いたので、その言葉に素直に頷く。


「はい。問題ありません」

「そう。じゃあ、そういうこことで。……それでグラストはすぐにドレミナに戻るのかしら?」

「そうなるだろう。今回の件は私が全面的な権限を貰っているが、それでもマジックバッグが二つとなると上に話を通す必要がある」


 ソフィアとグラストの会話を聞いていたローザは、不意に口を開く。


「言っておくけど、もし取引が結ばれたのに実は駄目でしたなんてことになったら、それこそドレミナが一体どうなるか分からないわよ? 黎明の覇者を敵に回すと、どうなるか。……分かってるでしょう?」

「念を押さなくても、十分に理解はしている。約束したマジックバッグは、間違いなく引き渡すから安心してくれ」

「そう。なら出来るだけ早くお願いね。もし交渉の結果を無視するようなことになったら……」


 それ以上口には出さないローザだったが、だからこそ聞いている者にしてみればローザがその場合に何をするのかと怖くなる。

 隣で話を聞いていたレックスも、そんなローザの様子に微かに震えていたのがイオには理解出来た。

 それはレックスだけではなく、グラストや……他の騎士たちも同様だったのだろう。

 微かに緊張した様子を見せていた。

 だが、グラストはそのような状況の中でも、決してローザに負けずに頷いて見せる。


「交渉の結果は守る」

「そう。ならいいわ」


 その言葉を信じるというつもりで、ローザは納得した様子を見せる。

 グラストはこれでもうここにいるのは意味がないと判断したのだろう。

 他の騎士たちに向かって頷く。

 その頷きに、他の騎士たちも立ち上がる。


「では、これで失礼する」


 そう告げ、最後にグラストはイオを一瞥すると、その場から立ち去る。


「はぁ……ちょっと疲れたわね」


 グラストたちがいなくなると、大きく息を吐きながらローザが言う。

 それはちょっとイオにとっても意外だった。

 交渉のときの様子を見ると、そこまできにはしていなかったのだと、そう思っていたのだ。


「そうなんですか? 見た感じだとかなり堂々と渡り合ってるように見えましたけど」

「そう見えたのなら、よかったわ」


 そう言うローザの後ろでは、ポニーテールにしても背中の中程まである赤い髪が揺れる。

 何となくその赤い髪に目を奪われるイオだったが、改めてローザが口を開いたことでそちらに意識が向けられる。


「それで、今回賠償金代わりに貰ったマジックバッグだけど、二個のうち、高性能な方は黎明の覇者の方で使うけど、性能の低い方……という表現はどうかと思うけど、とにかくそっちのマジックバッグはイオの物にするから」

「……え?」


 ローザの口から出たその言葉に、イオは一瞬何を言われたのか分からなかった。

 それはイオの隣にいるレックスもまた同様だ。

 いや、レックスはこの世界の住人であるだけに、マジックバッグの正確な価値をイオよりも理解しているので、驚きはイオよりも大きい。

 そのおかげで、イオはレックスよりも先に我に返ることが出来た。


「マジックバッグを一個俺が貰ってもいいって……それ、本当ですか?」

「ええ、そうよ。本来なら、今回の交渉を思えば高性能なマジックバッグイオが貰ってもおかしくはないんだけど……こちらも立場上、そういうことをする訳にはいかないのよ。ねぇ?」


 ローザは確認を求める意味で、ソフィアに尋ねる。

 黎明の覇者の団長であるソフィアが、もしイオに高性能なマジックバッグを与えるといったように主張すれば、ローザもその意見を聞かない訳にはいかない。

 そういう意味では、こうしてしっかりと確認をするというのは大きな意味を持っている。

 そして、ソフィアはローザの言葉に素直に頷く。


「ええ。ソフィアの判断で間違ってないわ。本来ならそうした方がいいのは間違いないけど、そうなるとイオ狙われる可能性が増えるもの」

「いや、マジックバッグを持ってる時点で、狙われる可能性は十分にあると思うんだが」


 ソフィアの言葉にギュンターがそう告げる。

 しかし、ソフィアはそんなギュンターを一瞥しただけで、ギュンターに対して何かを言う様子はない。

 ソフィアの視線はイオに向けられており、マジックバッグを受け取るか否かという決断を求めていた。

 そんな視線を受けたイオは、自分に向けられるソフィアの目の美しさに吸い込まれるような感覚を覚え……だが、すぐに首を横に振ってそれを否定し、口を開く。


「分かりました、マジックバッグがあると便利なのは間違いないでしょうし、貰います」

「聞いた私が言うのもなんだけど、マジックバッグは基本的に高価なマジックアイテムよ。ギュンターが言ったように、人によってはそれが理由でイオが狙われるかもしれない。それでも欲しいのね?」

「はい。こういう生活をしている以上、今は少しでもそういうのに慣れる必要があるでしょうし。それに……流星魔法のことを考えると、杖は多い方がいいですから」


 マジックバッグが、具体的にどれくらいの量を収納可能なのか分からない。

 ローザが交渉で譲って貰うことになった――奪い取ったという表現の方が正しそうだが――マジックバッグは高性能な物だが、イオが貰うのは高性能ではないマジックアイテムだ。

 それでも現在黎明の覇者に預けてある杖を収納するくらいなら問題はないだろう。

 黎明の覇者の魔法使いのキダインから、杖はもっとしっかりとしたのを使うようにと言われているので、もし流星魔法……主にメテオに耐えられる杖が入手出来たら、ゴブリンの軍勢から奪った杖も使い道はなくなるかもしれないが。


「そう。なら、話はこれで決まりね。もっとも、実際にマジックバッグを貰うにはドレミナまで行く必要があるけど」

「グラストが戻ってくるのを待っていてもいいんじゃないか?」

「ギュンターの言いたいことも分かるけど、こういうのは決まったらすぐに行動に移した方がいいのよ。今はまだ私たちと敵対すると危険だということを理解してるから、かなりこっちに譲歩してるわ。けど、これである程度時間が経って私たちに対する警戒心がなくなったら……」


 そこまで言って、ローザは首を横に振る。

 その先は直接口にはしなかったものの、イオも十分に理解出来た。

 黎明の覇者に対する恐怖心が多少なりとも薄れれば、マジックバッグを渡してまで和平をすることはないと考える者も出て来るのだろうと。

 もちろん、相応に考える能力がある者であれば、多少時間を置いたからといってそんな風には考えないだろう。

 具体的には、それこそグラストがいい例だ。

 しかし、世の中には自分にとって都合のいいことだけを考えるような者も少なくない。

 そのような存在に限って声だけは大きいので、それによって話が妙な方向に流れないとも限らないのだ。

 そうなったら面倒だからこそ、出来るだけ早くマジックバッグは入手しておきたいというのがローザの主張だったりし、その説明を聞いた者たちは誰もが反対はしない。

 イオも当然のようにその言葉に同意する。


「じゃあ、ソフィア。具体的にはいつくらいにこっちを出発するの? 商人たちとの交渉もあるけど……そっちの方は一時中断?」

「難しいところね。けど、商人との交渉は出来れば続けたいから、ローザには出来るのならこっちに残って欲しいわ。ドレミナとの和平交渉はもう纏まっているんだから、向こうに行ってから交渉をする必要はないでしょうし。ローザがいてくれると助かるのは間違いないんだけどね」


 それはソフィアにとって紛れもない本心だった。

 しかし、商人たちときちんと交渉出来る人材がローザ以外にいないのも事実。

 いや、正確にはローザ以外にもそのような人物はいるのだが、それはあくまでも交渉出来るのであって、交渉に強いという訳ではない。

 これがもっとありふれたモンスターの素材であったら、そうしてもいいのだが……高ランクモンスターのベヒモスの素材とあっては、そういう真似をする訳にもいかず、ローザはソフィアの指示に頷くのだった。

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