第47話
魔法使いについての話をしていると、すぐに馬車が停まった。
イオが話に夢中になっていたというのもあるが、ルダイナが言っていたように先程休憩した場所からそう離れていない場所で野営をすることになったからだろう。
馬車から降りたイオが見たのは、周囲全体を赤く染めているのかのような圧倒的なまでの夕日。
「うお……凄いなこれ……」
山の中にいたときは、ゴブリンを相手に生き延びるのに必死だったということもあるし、周囲には無数に木々が生えており、夕日はそれらに隠されていたので、ここまで綺麗な夕日を見ることは出来なかった。
昨日ドレミナにいたときは、街中であるということもあって建物のせいであまり夕日は見られなかった。
しかし、今は違う。
視線の先にある山の向こうに沈んでいこうとしている夕日をしっかりと見ることが出来ていた。
「凄いな、これは……」
「え? 何が?」
思わずといった様子でイオの口から出た言葉だったが、それを聞いていたレックスは何故イオがそこまで不思議そうにしているのかが分からないと疑問の表情を浮かべる。
そんなレックスに、イオはこの夕日を見て何も感じないのか? と言おうとしたが、すぐに止める。
日本にいるとき、TV番組で非常に綺麗な自然の光景がある場所であっても、そこで暮らす者にしてみればそのような自然はあって当然といったように思えるというのを見たことがあった。
レックスにとってもこの夕日はそのようなものなのだろうというのは、容易に予想出来る。
「いや、何でもない」
この件でレックスを責めても意味がない以上、イオとしてはそう言うしかない。
そんなイオの様子に疑問の視線を向けたものの、レックスはすぐに自分の仕事に戻っていた。
「イオさん、それより荷物を下ろすのを手伝って下さい。日が沈むよりも前に、テントの用意はしておいた方がいいでしょうし」
「そうだな。仕事はきちんとする必要があるか」
ここで遅くなったら、またドラインやその仲間に何を言われるのか分かったものではない。
そう考え、イオはレックスと共に馬車から荷物を下ろしていく。
当然ながら、馬車から荷物を下ろしているのはイオだけではない。
レックスもそうだし、それ以外にイオと馬車の中で話をした者たちも同様に荷物を下ろす。
「それでテントを建てるって話だったけど、具体的にどこに建てるんだ?」
「こっちだよ。適当な場所にテントを建てる訳にはいかねえからな」
イオの言葉に、一緒の馬車に乗っていた男の一人がそう指示する。
「きちんと建てる場所が決まってるんだな」
「ああ。幸い……ってのはどうかと思うが、俺たちはイオと一緒に行動することになってるから、中央近くになる」
「その言い方だと、中央近くにテントがある方がいいのか?」
「当然だろう。敵……盗賊やモンスター、野生動物なんかが襲ってくる場合、外側から襲ってくるんだ。つまり、外側の方が危険なんだよ」
そのような状況で黎明の覇者の客人のイオのテントは中央近くになるのは当然であり、イオと一緒に行動している者たちもその近くにテントを建てることになる。
イオとしては足手纏い扱いされているようで少し面白くないが、実際にイオの実力を考えるとそれは当然の話だ。
ゴブリンとの戦いでそれなりに鍛えられてはいるが、その実力は結局のところ素人か、素人よりも少し上といった程度でしかない。
戦いのために毎日訓練をしている傭兵たちと比べると、その実力が圧倒的に劣ってしまうのは当然の話だろう。
「分かった。じゃあ……その、テントの建て方を教えてくれないか?」
「あ、じゃあ僕が」
イオの言葉に真っ先に反応したのは、当然のようにレックスだった。
レックスにしてみれば、イオの世話役は自分だという意識があるのだろう。
また、本人としては情けない話だが、以前所属していた傭兵団、黒き蛇で雑用をしていたのもあって、テントを建てるといった作業は得意だった。
「分かった。じゃあ。レックスはイオにテントの建て方を教えてやってくれ。俺は馬の世話をしてくる」
当然だが、馬車を牽く馬も生き物である以上は喉も渇けば腹も減る。そして疲れれば休憩したくなる。
ましてや、ドレミナを出たあとは結構な速さで馬車を走らせたので、馬にも疲労が溜まっているのは当然だった。
「じゃあ、馬の世話はお願いしますね」
実はレックスはテントを建てるだけではなく馬の世話も得意だったりするのだが……今はまず、イオと共にしっかりとテントを建てるのが先決だった。
他の者たちもそれぞれ自分で仕事を見つけ、それを片付けていく。
「イオか。テントは俺の側にしておけ。そうなれば、何かあったときはすぐ対処出来る」
そう声をかけてきたのは、ルダイナ。
ルダイナにしてみれば、イオという存在は正直なところ邪魔でしかないだろう。
魔法使いとは聞いているものの、まだ見習いできちんとした魔法は使えないというのだから。
そのような相手ではあるが、それでも上からイオを今回の一件に連れていけと言われている以上、ルダイナの立場としてはそれに従わない訳にはいかない。
「ありがとうございます。迷惑をかけてますね」
「気にするな。お前は上から期待されている。それはつまり、俺には分からない何かがあるということなんだろう?」
「どうでしょうね」
若干探るような視線を向けて尋ねてくるルダイナに、イオはそう返す。
流星魔法については、出来るだけ隠すように言われているのだから当然だろう。
イオにしてみれば、ここにいるのは黎明の覇者に所属する傭兵ということで、ソフィアやローザの仲間たちという印象が強い。
そうである以上、自分の秘密を教えてもいいのでは? と思わないでもなかったのだが。
ドラインやその仲間のような例外はいるにしろ。
それでも今の状況を思えば、ソフィアやローザからの言葉に反対を言ったりするような真似が出来るはずもない。
「じゃあ、イオさん。早速テントを建てますよ。僕の指示通りに作業してくれれば、大丈夫ですから」
「ああ、悪い。じゃあ頼むな」
そう言い、イオはレックスの指示に従ってテントの設営をしていく。
テントの設置そのものは、特に複雑なものではない。
そもそもの話、テントの設置で時間がかかるというのは傭兵にとっても無駄に時間を使うことになるのだから。
そうである以上、傭兵たちのテントはかなり簡単に設置出来るようにする必要があった。
もちろん、簡単に設置出来るからといって脆い作りな訳ではない。
簡単に設置できるが、それでも相応に頑丈に出来ているからこそ、黎明の覇者でも使われているのだ。……もっとも、その分だけテントの金額は高額になってしまうのだが。
そういう意味では、実はレックスもこのテントを使うのは初めてだったりする。
それでもレックスはこの手の雑用は黒き蛇の時にやらされていたこともあり、簡単な説明さえ聞けば問題なく出来るようになった。
「これで完成、と。……どうですか、イオさん。そっちの方は問題ありませんか?」
「ああ、レックスの指示した通りに出来たと思う。一応見てくれないか?」
「えーっと……ええ、問題ないですね」
レックスからの合格を貰い、イオはそこでようやく安堵した様子を見せる。
もしテントがしっかりと設置されていなかった場合、それこそドラインやその仲間から何を言われるのか、分かったものではない。
だからこそ、今の状況においてはしっかりとテントを設置出来たというのは、イオにとって悪い話ではなかった。
「じゃあ、僕は食事の準備をしますね。……イオさんは、ちょっと待ってて下さい」
「俺は料理を手伝わなくてもいいのか?」
「……一応聞きますけど、イオさんは料理をしたことがありますか?」
「簡単な奴なら」
この場合の簡単なというのは、カップラーメンやインスタントラーメンといったものや、カレー、シチューといった料理を指す。
イオは高校生で、料理というのは基本的に親に作ってもらっていた。
たまに両親が何らかの理由で夜にいなく一人になったときは、カレーやシチューを作って食べたりもしている。
ただし、この場合のカレーやシチューというのは当然ながら固形ルーを使ってのものだ。
他にはパスタとパスタソースを購入してきて、茹でたパスタにレトルトのパスタソースをかけるだけといったこともある。
当然ながらこの世界にそのような便利な諸々はないので、料理を作るときは一から作る必要があった。
レックスが聞いたのはそういうことなのだから、それに対してのイオの答えは全く見当外れであったと言ってもいい。
「うーん……料理は失敗すると被害が大きいですからね。それにイオさんはあくまでも客人です。それを考えると、今回はやっぱりここで待っていて下さい」
そうきっぱりと言われてしまえば、イオも反論は出来ない。
分かったと頷くと、レックスはイオをその場に残して料理の準備をしている者たちの方に向かう。
そんなレックスの背中を見送ったイオは、さてこれからどうするかと考える。
レックスが言ったように、自分が客人なのは間違いない。
だが、それでも皆が働いている中で、このまま自分だけが黙っているのは何となく居心地が悪い。
「それでも無理に手伝いにいって、それで邪魔になるよりはここにいた方がいいのか。何かやることは……」
そう言って周囲の様子を見ていると、アイゼッハが近付いてくる。
「イオ、今は暇か? まぁ、その辺は聞かなくてもみれば分かるけどな」
「なら、わざわざ聞かなくてもいいと思うんですけど」
アイゼッハの言葉に不満そうに言うと、それを聞いたアイゼッハは気にした様子もなく口を開く。
「暇ならちょっとついてこい。俺も今は暇だったからな。少し訓練をしてやる」
「……え?」
暇なのはいいとして、何故ここで訓練という言葉が出て来るのか。
そう思ったイオだったが、明日には餓狼の牙との戦いになる。
イオはあくまでも客人という立場なので、実際に戦うことはないだろう。
だが、それでも万が一のことを考えれば、アイゼッハからの訓練の誘いに素直に頷くのだった。
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