第34話

「じゃあ、この部屋を使ってちょうだい」

「……えっと、本当にいいんですか……?」


 ゴブリンの魔石を始めとした諸々について話が纏まり――実際には先送りでしかないのだが――イオはローザから今日泊まる部屋に案内された。

 本来なら、イオはどこか適当な宿にでも泊まろうと思っていたのだが、ウルフィの信奉者の一件があった以上は安宿に泊まっても身の危険を感じるので、ソフィアの勧めに従って黎明の覇者が借り切っている英雄の宴亭に泊まることになったのだ。

 なったのだが、ローザによって案内された部屋を見たイオの口からは、そのような言葉しか出ない。

 目の前に広がっていたのは、自分が泊まれるような部屋ではないというのが一目で理解出来てしまったからだ。

 そもそも、イオはホテルの類に泊まったことがほとんどない。

 修学旅行で泊まったホテルくらいだろう。

 そのような場所は当然ながらそこまで高級なホテルではなく、現在イオの前に広がっているような部屋はそれこそTVで見たくらしいかない。


「本当の本当に俺がここに泊まってもいいんですか?」


 数秒前と同じような言葉を口にするイオ。

 そんなイオの様子に、ローザは呆れながらも頷く。


「当然でしょう。イオは自覚がないのかもしれないけど、黎明の覇者にとっては恩人なのよ?」

「恩人? 俺がですか?」


 自分にとって黎明の覇者の傭兵たちが恩人であるというのなら、イオにも理解は出来る。

 ゴブリンの軍勢を倒したのはいいものの、黎明の覇者が来なければ多少の魔石と数本の杖くらいしか手にすることが出来なかったのだから。

 黎明の覇者が来たおかげで、多くの魔石や素材、武器といった物を入手出来たのだ。

 その上、それらを商人たちよりも高額で買い取ってくれて、山の中で転移してきたイオをドレミナまで連れて来てくれた。

 イオにしてみれば、黎明の覇者の傭兵たちが恩人であると認識するのは当然だった。

 しかし、それはあくまでもイオから見た一面でしかない。

 ローザの立場からしてみれば、倒すには多少なりとも被害が出ただろうゴブリンの軍勢を倒してくれて、そこで得た諸々は杖以外の大半を自分たちに売ってくれた相手だ。

 補給を任されている者にしてみれば、そのようなイオを恩人と認識するのは当然だろう。

 特にゴブリンの軍勢と直接戦わなくてもよかったというのは、ローザにとって非常にありがたい。

 ローザも黎明の覇者に所属する傭兵がゴブリンに負けるとは思わない。

 だが、戦いの中では何があってもおかしくはなかった。

 ましてや、ゴブリンの軍勢を構成するのは大半が普通のゴブリンだが、上位種もそれなりに存在している。

 それこそイオが持っている杖や、それ以外にもイオが見つけた大剣を持っていたような存在がいたのを見れば明らかだろう。

 そのような上位種は、元の種族がゴブリンであっても決して侮っていい相手ではない。

 腕の立つ傭兵であっても、一瞬の隙を突かれればあっさり殺されてしまってもおかしくはないのだから。

 だからこそ、そのようなことがないままにゴブリンの軍勢の討伐を終えたことがローザには嬉しかった。

 ……もっとも、ローザがいくらイオが恩人であると言っても、イオの方こそ黎明の覇者を恩人だと思っているので話が通じなかったが。


「恩人云々はいいとして、イオのおかげでゴブリンの魔石や素材でかなりの儲けが出るのよ。それを考えれば、こんな部屋に泊まる程度ではとても恩返しが出来ないと思っているわ」


 ローザが本気で言ってるのは間違いない。

 それはイオにも分かったが、だからといってそれを素直に受け入れてもいいのかどうかと迷う。


(いや、迷う必要はないか。英雄の宴亭に泊まらない場合、自分で宿を探すしかないんだし。そうなれば、ウルフィの信奉者がやってくる可能性が否定出来ない)


 イオは自分がこの宿に泊まるしかないというのを知っている。

 だが同時に、本当に自分のような者がこのような豪華な部屋に泊まってもいいのかという思いがあるのも事実だった。

 いわゆる小市民のイオだけに、このような豪華な部屋で眠ろうとしてもゆっくりと出来ないのでは? と思うのは当然ではある。


「その……ありがとうございます」


 もう少し小さい部屋にして欲しいと頼みたいイオだったが、ローザの様子を見れば厚意でこのようにしてくれたのは理解出来た。

 そうである以上、これ以上無理を言うのも悪いと思い、感謝の言葉を口にする。


(それに……もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、これから俺は頻繁にこういう宿に泊まることになるかもしれないんだ。なら、こういう部屋には慣れておいた方がいいのは間違いないし)


 イオの流星魔法の価値を考えれば、それこそ場合によっては下にも置かない扱いとなってもおかしくはない。


「いいのよ。それで、夕食はどうする? 英雄の宴亭は私たちが借り切ってるから、ある程度融通を利かせることが出来るけど」


 夕食とローザは口にしたものの、窓の外は既に夕焼けはどこにもない。

 夜という言葉が一番相応しいだろう。

 そのような時間だからこそ、すでに英雄の宴亭においては夕食の時間になっているのだろう。


「融通って、どういう風にですか?」

「そうね。イオの食べたい量を頼めば作ってくれると思うわ。あとは……食堂に行くのが嫌ならここに料理を持ってくることも出来ると思うけど、どうする?」


 ローザの言葉に、イオはどうするべきか迷う。

 正直なところ、今日は色々とあって非常に疲れているのは事実だ。

 何しろこの世界に転移してきてから初めて流星魔法を使ってゴブリンの軍勢を倒したり、初めて人に会ったり、初めて街にやって来たり……そして街中を歩けばトラブルに遭遇している。

 今日一日で日本で生きてきた年数が吹き飛ぶくらいの衝撃があったのも、間違いのない事実。

 そうである以上、それこそ許されるのならこのままベッドでぐっすりと眠りたいと思ってしまう。

 ただし、そのような真似をするのは不味いだろうという思いもある。

 黎明の覇者において、イオの存在はちょっとした話題となっているのは英雄の宴亭に入ってきたときの他の傭兵の反応を見れば明らかだ。

 それだけイオの存在に注目が集まっている中で、イオが部屋で食事をするといったように言われた場合黎明の覇者の傭兵たちは面白くないだろう。

 イオとしてはこれから黎明の覇者と行動を共にする可能性がある以上、黎明の覇者の傭兵たちからの印象を悪くしたくはない。


「食堂に行きます。せっかくなので、美味しい料理は出来るだけ早く食べたいですしね」

「そう? なら、私もこれから食事だし一緒に行きましょうか」

「え……あ、はい」


 まさかローザの口からそんな言葉が出て来るのとは思わなかったのか、イオは少し言葉に詰まる。

 そんなイオに、ローザは不思議そうな表情で口を開く。


「どうしたの? 私と一緒に行くのは嫌?」

「いえ、そういうことはないですけど。ただ……嫉妬の視線がちょっと怖いなと」

「あら」


 イオの言葉が面白かったのか、あるいは嬉しかったのかローザの口元に笑みが浮かぶ。


「嫉妬されるのは嫌い?」

「それを嬉しいとは思わないですね。いえまぁ、俺が相応の実力があれば別かもしれませんけど」


 美女を引き連れ、それに対して羨ましそうな嫉妬の視線を向けられる。

 これが日本であれば嫉妬の視線も気持ちいいのかもしれないが、この世界において嫉妬の視線を向けられた場合、最悪嫉妬から攻撃の対象になりかねない。

 イオが口にしたように、もし嫉妬から襲撃されてもそれに対処出来る実力があれば、ローザという美人を引き連れていることに嫉妬の視線を受けても問題ないのだろうが。


「なら、まずは嫉妬して貰うところから始めましょうか」


 そう言い、ローザはイオに向かって手を出す。


「……えっと?」


 しかしイオは何故ローザが手を出してきたのかが分からない。

 日本にいるときに読んだ漫画にこのような状況はそれなりに出て来ていたのだが、いざ自分がその立場になってみると、一体ローザが何を考えて手を出してきたのかが分からなかったのだ。


(握手か? いや、けど今頃?)


 ローザは補給を担当しているものの、黎明の覇者に所属する傭兵の一人なのは間違いない。

 イオは知らなかったが、弓を使わせれば一流の技量を持ち魔弓という異名すら持っている人物だ。

 にもかかわらず、その指は全く傭兵らしくない。

 女の指を褒める言葉に白魚のようなというものがあるが、ローザの指はまさにその表現が相応しかった。


「どうしたの? 私と食堂に行くんでしょう? なら、きちんと男らしくリードしてくれないと」「え……」


 そこまで言われ、イオはようやくローザが何を望んでいるのかを理解した。

 しかし、だからといって田舎の高校生がすぐに女をリードするような真似が出来るはずもない。

 ましてや、ソフィアには及ばずとも非常に魅力的な美女と呼ぶに相応しいローザを相手にして。

 だが、ローザはイオが自分の手を取らないことが不満だったのだろう。


「いつまで私は手を出していればいいのかしら? 女に恥を掻かせるつもり?」


 その言葉は、男であれば是非聞いてみたい台詞の一つだろう。

 少なくてもイオにとってはそうだった。

 そんな台詞を聞いたイオは、変な勘違いをしないように前後の会話からローザが何を求めているのかを改めて理解し、その手を取る。

 そっとローザの手を握ったイオだったが、ローザはそのままイオの手を少し握ったあと手を離し、イオの腕に自分の腕を絡める。

 いわゆる、腕を組むといった状態だ。

 平均を圧倒的に上回る……それこそ日本にいたときに見た外国のグラビア雑誌に出て来るモデルやグラマラスな女優に負けていない圧倒的な迫力を持つ双丘が、微かにイオの腕に当たる。

 その感触は服の上からでも分かるほど柔らかく、そして圧倒的な質感を持っていた。

 ローザも自分の双丘がイオの腕や肘に当たっているのは気が付いていただろうが、このくらいはサービスだろうと判断し……そして、イオとローザは腕を組んだまま食堂に向かうのだった。

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