探偵令嬢の華麗なる事件簿
日本一ソフトウェア
前編『華族探偵』
【探偵令嬢の華麗なる事件簿】作:城花健人
『ピンカートン・ジャパン』という会社を知っているだろうか。
探偵の名門『ピンカートン』の支社として三年前に設立した、業界では新参にあたる会社である。
年間の事件解決件数は数百件にも及び、複数の案件を同時にこなすことも辞さない精力的な姿勢で、同業内からも高い評価を得ている。
なかでも社長である『華族探偵』は、著名な探偵組織『探偵同盟』のメンバーとして活躍しており、業界の外にすら名前が知れ渡っているほどだ。
まさしく探偵業界の将来を担うスター。探偵マドンナ。
今では、かつての名声を失って久しいピンカートンの救世主。
などなど、評判を挙げれば枚挙に暇がない。
しかし、その実態はなかなかに悲惨であった。
「事件が解きたいですわー!」
かしましい声が、段ボールだらけのオフィス内に反響する。
無個性なオフィスには不釣り合いなアンティーク調のウッドテーブルと、豪勢な四足椅子。
その椅子に、シワひとつない純白のスーツ姿の女性が座り、天井を仰いでいた。
スーツにはフリルや装飾が多分に盛り込まれ、サイドにまとめられた髪は巻き貝のようにカールを巻いている。大人びた服装に反して顔立ちには少女らしさが残っており、不機嫌そうな表情でも、不思議と愛嬌を感じさせた。
彼女こそ、
この段ボールだらけのオフィスの
「ツナオ! 来なさい、ツナオ!」
「常雄です、お嬢さま」
華族探偵が呼びかけると、スーツ姿の男性が奥から現れ、深々とお辞儀をした。
その手には
「あなたの名前などどうでもよろしいですわ! というより、主人に呼ばれたというのに、何故スマートフォンを片手にしておりますの!?」
「子役の演技がスゴいと話題の昼ドラ『
「なーにが情報収集ですか! 業務時間中なのですから、しっかりと目の前の仕事に励みなさい!」
ひとしきり叱責し終えたのち、華族探偵はやっと本題を口にする。
「そもそも、ワタクシが在庫の整理などしているのが問題ですわ! 一体いつまで続けなければなりませんの? ワタクシは探偵ですのよ!?」
「ですがお嬢さま、このオフィスは元々、商品在庫の整理をするという条件の元、本社の倉庫をオフィスとして使わせてもらっているものです。在庫の整理も立派な職務かと」
「そ、それは分かっておりますけどねぇ! ここまで量が多いと、気が滅入るじゃありませんの!? 大体、本社は警備会社なのに、何の在庫を用意しているのかさっぱりですわ!」
「ピンカートン印の護身グッズですよ。この国は『明けぬ夜事件』以降、凶悪犯罪が増えましたからね。護身グッズがトレンドで、よく売れるんです」
「フン……如何にも庶民的発想ですわね。グッズを買うくらいなら、ワタクシのように、武道のひとつでも習えばよろしいんですわ」
「そんなことより、休憩がてら一緒に昼ドラを観ましょう。ほら、話題の子役が出てきましたよ」
「あら可愛い……って、業務時間中だと言っているでしょう!? そんなもの、観せないでくださいまし!」
華族探偵はひとしきり怒鳴ると、大きな段ボールをみっつ一気に抱えて、倉庫の奥へと運び始めた。
文句を口にしながらも手は抜かない。
真面目な性分が行動に表れているのだろう。
しかし、不満なのは事実であるようで、荷物を運びつつも、常雄への糾弾は続いていく。
「ツナオ、新たな依頼は来ておりませんの!?」
「迷子の猫探しの相談が1件。浮気調査が2件。家出した老人の捜索依頼が1件です」
「そういう依頼ではございませんわ。もっとワタクシにぴったりな、ゴージャスで、エレガントな依頼のひとつやふたつ、来ていないのかと聞いているのです!」
「捜査依頼の対象となる猫は、ペルシャ猫ですよ。しかも血統書付き。実にゴージャスです」
「猫のゴージャスさではありませんわっ! もう! ワタクシはピンカートン家の末裔ですのよ!? 何が悲しくて、迷子探しや浮気調査などやらなければなりませんの!?」
「どのような内容でも依頼は依頼。好き嫌いをすると大きくなれませんよ?」
「い、いつまでも子ども扱いしないでくださいまし! ワタクシ、もう今年で二十歳ですのよ!? 心外ですわ!」
プリプリと怒る華族探偵に苦笑を返し、ツナオと呼ばれる男性は言葉を続ける。
「さてお嬢さま、どうされますか? 我社の探偵は現在、夏虫探偵はG県の山中で、伝説のアサギオオカブトを捜索中。半罪探偵は、不良少女の更生中。物理探偵は、依頼解決のためにレベル上げの最中です」
「でしたら、その辺の庶民的な探偵におまかせなさい。何でも自社で請け負っていたら、会社が回らなくなりますでしょう?」
「お嬢さまの仰せのままに。つまり、私たちスタッフがオーバーワークとなるのは避けたいため、当社と業務提携している探偵社に捜査を委託せよ、ということですね?」
「相変わらず、ツナオの言うことはよく分かりませんわね……まぁ他の会社におまかせできるなら、そのようになさい。条件はまかせますわ」
「つまり、相手の言い値で委託する……と。目先の利益よりも将来の信頼をとるとは、流石ですお嬢さま。業界内でピンカートン・ジャパンの評判は、また上がることでしょう」
「よく分かりませんけど、ワタクシを褒めておりますのね? いい心がけですわよ、ツナオ! もっと褒め称えなさい! オホホホホ!」
華族探偵が幼少の頃から彼女に仕える執事、一条常雄。
一見すれば不真面目に見えるが、実はピンカートン・ジャパンの業績は、彼の敏腕によって支えられている。
◆
倉庫の整理に一区切りをつけた華族探偵は、昼食を買うために街へと出ることにした。
首都の中心から離れたオフィス街。
高層マンションや学校が立ち並び、自然公園で遊ぶ子どもたちの声が響く穏やかな風景の中を、やや場違いなドレス姿の華族探偵が歩いていく。
エコバッグの中には、お気に入りのツナマヨのおにぎりと、パックの紅茶。
彼女のお気に入りのジャパニーズ・フードだ。
「このツナマヨおにぎり、具の量が20%増したと書かれていましたけど、疑わしいですわねぇ? ワタクシの審美眼には、サイズ自体は以前より小さくなったように見えますわ」
華族探偵はおにぎりをひとつ取り出して、まじまじと見つめた。
幼い頃から“本物”の料理を食べて育ってきた華族探偵にとって、この国へ来た当初、大衆向けの安価な商品は苦痛であった。
しかし、その順応性の高さにより、すぐにコストパフォーマンスを評価するようになって、今では立派なコンビニ愛好家となっている。
こうした頭の柔軟性は、本国では『探偵事業』から手を引いたピンカートン社を、異国の地で発展させられた要因のひとつだと言っていい。
ただ、そんな彼女にも、明確に苦手なものが存在する――。
「あ、あの!」
呼び止められて、華族探偵は振り返った。
するとそこには、小学校低学年くらいの子どもが、ボロボロの紙を一枚手にした状態で立っていた。
前髪は目元まで、後ろ髪は肩まで伸びた長髪に、季節外れの長袖、長ズボン。
エラが小さくて目鼻立ちが美しく、普通のヒトが見たら、女の子と勘違いしても不思議ではない容姿だ。
(……なるほど、ワケありのようですわね)
しかし、華族探偵の優れた“目”は、少年が男の子であることをひと目で見抜いてみせた。
「何か用ですの?」
華族探偵が訝しげに問いかけると、長髪の男の子は緊張した様子で、深々とお辞儀をした。
「お姉さん、た、探偵さん、なんですよね……? ボクのお願いを、聞いてくれませんか……?」
「なぜワタクシが探偵であることを知っていますの? いくらワタクシが優秀かつエレガントな探偵だとは言え、あなたみたいなお子ちゃまが知っているのは不自然ですわ」
「え? だって、そこで遊んでいた子たちに声をかけたら、『あの変な服のオバサンは探偵なんだよ』って教えてくれたから……」
「へ、変な服のオバサンー!? いつもの失礼なお子ちゃまたちですわね! これだから、正しい美的感覚を持たないガキンチョは苦手なのですわ!」
憤慨して声を荒げる華族探偵。
目の前に子どもがいることを思い出すと、コホンと咳払いをひとつして、話を続けた。
「それで、“上品なお姉さん”に何をお願いしたいんですの? サインくらいでしたら、頼まれてあげてもよろしいですわよ?」
「こ、この写真の場所に、連れていって欲しいんです」
男の子がその手の紙を華族探偵へと差し出した。
受け取ってみると、それは今どき珍しいアナログの写真で、赤い
暖簾に『千客万来』と書かれていることは分かるものの、店名が書かれていると思しき看板は見切れていて、よく分からない。
「その歳でお酒を飲みに行く……というワケでもありませんわよね? 何の目的がありますの?」
「
つまりは、迷子ということか。
華族探偵は、先ほど常雄から聞いた依頼を思い出し、深い溜め息をついた。
自分はピンカートン家の跡取り。
このような庶民的な仕事は、断固として拒否するべきだ。
「でしたら、交番に連れていけば満足ですわね? 探偵は別に、困っているヒトを理由抜きに助ける正義の味方ではございませんのよ?」
「――交番はダメ!」
男の子は強く拒絶したあと、ハッとしたように華族探偵から目をそらし、震えた声で語る。
「せっかく一人でここまで来れたのに、交番に行ったら家に帰ることになっちゃう……ボク、どうしてもジイジに会いたいんです」
「そ、そんなこと言われましてもねぇ」
子どもらしい他人の事情など無視した感情論。
これだからお子ちゃまは苦手ですわ、と華族探偵は思った。
自分は有志で探偵稼業に身を置いているワケではない。
明確な目標と、叶えるべき夢があって、今この国にいる。
感情は大事だと思うが、一時の気持ちに惑わされて大事な仕事を放り出すのは、会社の代表としてナンセンス。
金にも実績にもならない仕事など、引き受ける意味がないのだ。
「なぜ……そこまでしてお祖父さまに会いたいんですの?」
華族探偵の問いかけに、男の子は逡巡した様子で両手の指を絡ませつつ答える。
「ジイジは今、重たい病気なんです。本当は、会っちゃダメって言われているんだけど……ボクは、ジイジが大好きだから。どうしても、会いたいんです」
そう語る男の子の唇は、ピクピクと震えていた。
「なるほど」と事情を察する華族探偵。厄介な相談事だ。普段の彼女なら即座に断るところだが、「祖父」という単語が判断を迷わせる。
彼女が尊敬する人物は、ピンカートン社を設立した大祖父。
祖父に会いたいと願う子どもを無碍にできるほど、華族探偵は冷淡にはなりきれない。
深い溜め息と共にスマホを取り出すと、常雄に発信した。
「ツナオ、ワタクシですわ。少々込み入った事情ができましたので、午後の仕事はあなたに一任します。よきに計らいなさい」
「……お嬢さまの仰せのままに。ですが。何かお困りでしたら、私たち部下をどうかお使いください」
「こ、困ってなどおりませんわ! 余計な詮索はおやめなさい!」
がなり立てながら通話を切ると、華族探偵は改めて、依頼主である男の子と向かい合う。
「迷子のお子ちゃまを無視するなどエレガントではありませんから、特別にお手伝いして差し上げますわ。そのおジイジとやらのお店の写真を、もう一度お貸しなさい」
男の子から写真を受け取って、ジッと凝視する。
普段の落ち着きのない表情が怜悧な雰囲気へと一変し、そばで見守っていた男の子も息を呑んだ。
「探偵のお姉さん、分かりそうですか……?」
「ワタクシを誰だと思っておりますの? いずれは探偵同盟の頂点に立つリーダーの器、華族探偵ですのよ?」
華族探偵の最も特筆すべき能力は、幼少の頃から“本物”を観て育ってきたことで作り上げられた、その『審美眼』である。
彼女の目にかかれば、物事の真贋を見抜くことなど造作もない。
「この華族探偵の華麗なる推理ショーを、すぐそばでごらんあそばせ」
――前編、完
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