嘆きの教室


「どうして、そんな嘘をつくの?」

 アリシア・ローズは悲しくなって下を向いた。

 エマ・ジョンソンはギュッと灰色のローブの裾を握る。

「う、嘘ではありません! 本当に私は昨夜、あのナツキという卑しい貧民に背後から襲われたのです! ギリギリの所でフェルデリコ様に救われましたが、もしあのまま誰も私を助けてくださらなかったらと思うと……」

「嘘よ! ナツキはそんな事しない! それに卑しい貧民なんかじゃない! 何で私たちにそんな嫌がらせするの? お願いだから、もう辞めてよ……」

 アリシアは下を向いたまま、泣きそうになるのをぐっと堪えた。

 そ、そうだった、アリシア様は心を病んでおられるのだった。

 エマは慌てた。弁明しようと一歩前に出る。

「い、嫌がらせなど、私はそんな……」

 突然、廊下に悲鳴が響き渡った。

 エマは何事かと言葉を止めた。甲高い悲鳴。複数の足音。それに爆裂音のようなものが扉の向こうから聞こえてくる。

 アリシアははっと顔をあげた。咄嗟に、エマと自分を包むように魔法障壁を張る。

 教室のドアが吹き飛んだ。エマはきゃっと悲鳴を上げる。

 魔法障壁を三重にするアリシア。さらに空間魔法で、教室の入り口に雷撃魔法をセットした。黒雲が雷鳴を立てて渦巻く。

「……誰?」

 まさか、世界同盟の奴らか? 

 アリシアは両手を前に掲げて身構えた。

 世界同盟は、ユートリア大陸の各地で活動する自由主義者たちの総称であった。

 彼らは種族解放と世界平和を訴えていた。現在、キルランカ大陸での森の民の虐殺に対して、激しい抗議活動を繰り広げているらしい。暴動による死人も多数出ていた。

「……へぇ、やっぱり俺の事も殺すつもりなんだな」

「えっ!?」

 アリシアは驚いて手を下ろす。

 爆煙の中から出てきたのは春人だった。

「ナツキ? ……どうして?」

「なぁ、お前さ、これって俺の事を殺すつもりで出したんだろ?」

 春人は目の前に渦巻く黒い雲を指差した。瞳はそれと同じように黒く揺らいでいる。

「……あっ、ち、違うよ! これは違うからね、ナツキ!」

 アリシアは慌てて雷撃魔法を解除した。さらに障壁も解く。

「いけません! アリシア様!」

「貴方は黙ってて!」

 慌てて前に出ようとするエマを、アリシアは怒鳴りつけた。それでもエマは、アリシアの制止を無視して春人の前に立ちはだかる。

 やはりこの男は、危険だった。

 軍人の娘であるエマは、憤怒の魔女が男かも知れないという噂を、何度も聞いていた。あの虐殺の際に戦場で不審な男を見たという証言がいくつもあったからだ。

 エマは、魔女が男だという噂には流石に失笑した。それはありえないと思ったからだ。まだ子供であるナツキ・アスターシナが、その戦場にいた男だとも思ってはいなかった。だが、憤怒の魔女失踪の件に何らかの関わりがあるのではないかと疑っていた。

 魔法学院では編入事態が珍しい。そんな中で、アリシア・ローズと同時期に多言語を操る出生不明の男の子が入学してくるのは、余りにも不自然だった。その為、一部の生徒と教師の大多数は彼を警戒していた。

 フェルデリコ様のイジメが続けば、何らかのボロを出すかも知れないと期待していたが……。

 まさかナツキ・アスターシナがこれほど早く、これほど苛烈な行動に出るとは、エマも予想していなかった。

「ナツキ・アスターシナ。貴様、自分が何をやっているのか、分かっているのか?」

「はあ?」

「貴様、いったい何者だ? 憤怒の魔女がいたというあの戦場で、不審な男の目撃情報が多数存在している。もしや貴様、その男と何らかの繋がりがあるのではないか?」

「はぁ、そうかい」

「答えろ! 貴様は……」

 腹に走る衝撃。何事かと視線を下げたエマは、下腹に突き刺さった長いドアの破片を見た。ショックで停止する彼女の思考。大量の液体が喉元にこみ上げてきたのを感じると、ゴボッと真っ赤な血がエマの口から溢れた。

「ちょ、ちょっと!?」

 アリシアは何が起こっているのか理解出来なかった。とにかくエマを助けなければと駆け寄る。

「だ、大丈夫だからね? すぐ治すから……」

 血を吐いてうめくエマを支えるアリシア。ドアの破片を転移魔法で抜くと共に、治癒魔法を唱え始める。

「おい」

 春人は、治療のためにしゃがみ込んだアリシアの胸ぐらをグッと掴むと、そのまま彼女の身体を持ち上げた。

「ナ、ナツキ……? ちょっと、冗談はやめて……」

「冗談? 冗談はお前だろ? この偽善者が」

「その子が、し、死んじゃう……」

「いいんだよ、こんな奴ら何人死のうと、そうだろ?」

「よ、よくないよ! 何で? どうしちゃったの、ナツキ……?」

 エマは床にぐったりと横たわったまま、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返していた。床には血溜まりが出来ている。

「あああ!? だめっ、死んじゃう! ああ、死んじゃう! いやああああああああああ」

 アリシアは発作を起こした。戦争の惨劇が脳裏にフラッシュバックする。

 目の前で次々と肉塊に変わる兵士たち……。頭が破裂していく魔術師たち……。焼け焦げる肉……。首を落とされる〈ドワーフ〉……。踏み潰される〈ホビット〉……。

 早く早く早く早く、早く皆んなを助けないと!

 アリシアは必死に暴れた。頬を流れる涙。金切り声に変わる悲鳴。春人は驚いて手を離した。

 地面に転がったアリシアは、エマの元に駆け寄った。虫の息のエマ。アリシアは嗚咽を抑えようと呼吸に集中しながら、エマに治癒魔法を唱える。

「何でだよ……」

 春人は拳を握りしめた。

「何で……ヒ、〈ヒト〉以外なら、殺してもいいのかよ! おい!」

「……ど、どうしちゃったの、ナツキ?」

「ナツキじゃねぇ! 春人だ!」

「……ハ、ハルトって?」

「なぁ、お、お前は森の民を殺したんだろ?」

「……えっ?」

「俺を殺すために、アイツらも殺したんだよな?」

「……あ、あいつらって? ……も、森の民って?」

「お前が殺したんだろ! なあ! 答えろよ!」

「……そ……。ご、ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 春人は泣いていた。悔しかったのだ。

 泣きじゃくるアリシアの弱々しい姿を見て、哀れだと思ってしまった。

 殺そうと思ってたのに、これじゃあ殺せねーじゃねーか、ちくしょう……。

 バンっと春人の右腕が吹き飛んだ。次に両足がへし曲がり、腹に風穴が空く。

 鬼の形相をしたアステカ・トナティウスが教室の入り口に立っていた。

 既にローブは脱ぎ捨てており、引き締まった身体に刻まれた無数の古代文字が露わになっている。

「あっ、がっ」

 春人は床に転がった。

 アリシアは甲高い悲鳴をあげると、春人を助けようと床を這った。

「……どうなっている? 其奴は本当に憤怒の魔女か?」

 アステカは最後の一撃を躊躇った。それは、春人がどう見ても子供だったからだ。

 もしも違ったのなら、関係ない子供を殺してしまうことになる。

 アステカは慌てて春人に駆け寄った。

「離れなさい」

 少女の声がした。

 振り返ったアステカは、雪のように白い少女を見た。

 〈エルフ〉!?

 アステカは身構える。しかし、少女は無表情なまま動かない。

「しまった!」

 幻影魔法だった。アステカが気づいた時には既に〈エルフ〉も少年も消えていた。

 まただ、クソッ、私はいったい何をやっているんだ。

 アステカは凄まじい自分への怒りに震えた。

 

 サマルディア王国は混乱に包まれていた。

 キルランカ大陸の各地で、何者かによる無差別の大虐殺が起こなわれているという報告があったのだ。特に、ド・ゴルド帝国の勇猛な〈ドワーフ〉軍が一夜にして壊滅したという話は、王国を震撼させた。

 流石に信憑性に欠けると考えたエヴァンゲレスは、部下のアニエル・ゲインを急ぎ、西方のド・ゴルド帝国まで偵察に向かわせていた。

 〈ドワーフ〉軍に通常の剣や魔法攻撃は無意味だ。あやつらが一晩で壊滅するなど、絶対にありえん。

 エヴァンゲレスは城壁の上から荒野を見下ろした。延々と続く荒涼とした岩肌は、いつもと変わらず乾いた砂風が舞っていた。

 いったい、何が起こっているのだ。

 

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