欲望の魔女


 幾万もの星々。窓枠の向こうに広がる澄んだ夜の空。

 壁にかかる蝋燭の灯火は消えている。だが、差し込む淡い星の明かりだけでも、ベッドの上の二人は愛し合うことが出来た。

 マーク・ロジャーは薄明かりに揺れる銀色の瞳を見つめた。瞳の奥に、ゆらりゆらりと、輝くルビーが姿を見せる。

「愛してるよ、ミーシャ」

 マークはカタコトの〈エルフ〉語で、そっと呟く。ミーシャ・アスターシナは嬉しそうにマークの逞しい体に抱きつくと、首筋にキスをした。激しく抱き合う二人。〈エルフ〉の純白の肢体がベットの上で乱れる。

「ミーシャ、おやすみ」

 そっとミーシャの頭を撫でるマーク。

 微笑んだ彼は、疲れてスヤスヤと寝息を立てるミーシャの首をへし折った。

 銀色の目を見開くミーシャ。驚愕の表情でマークを見つめると、僅かに口を開く。赤い唇に覗く白い歯。圧縮魔法と空間転移魔法を併用するマーク。ミーシャの脳を潰した彼は、彼女の唇に唇を当てた。

 鼻や耳から血が吹き出すミーシャの死を確認したマークは立ち上がる。

「良かったよ、ありがとう」

 マークは窓の奥に広がる雄大な星空を眺めた。これほど美しい夜空は、地球では見れないだろうなと、マークは目を細めて笑う。

 この世界に来る前の事をマークは思い返した。ニューヨークの一画。ビルのオフィス。移り変わる情勢やチャートと格闘しながら、せっせとお金を動かしていた毎日。あの頃の自分は、何てちっぽけな人間だったのだろう。

 ふと部屋の入り口に気配を感じた。振り返るマーク。白い頬を真っ青に染めた〈エルフ〉の女の子が、震えながら部屋の中を覗いている。

「やあ、トネイル」

 マークが声をかけると、トネイルは金切り声を上げて逃げていった。マークはやれやれとため息をつく。

 巨木のウロに作られた家を出ると〈エルフ〉たちが集まっていた。皆、殺気立って何かを叫んでいる。

「ちょっと待ってください。早口だと、まだ何を言っているのか理解で……」

 マークの言葉を遮るように、無数の光の矢が彼の頭上に降り注いだ。やれやれと肩をすくめるマーク。光の矢はマークの手前で方向を変えると、燃え盛る蛇に形を変えて〈エルフ〉たちを襲い始める。

「話し合いませんか?」

 マークは、自分をこの世界に転移させた大魔導師ミーシャ・アスターシナを除いて、〈エルフ〉たちを殺すつもりは無かった。

「あなた方は〈ヒト〉を滅ぼすのに私が必要なのでしょう?」

 マークは〈エルフ〉たちの攻撃を片手で応戦しながら、微笑んだ。しかし、瞳を真っ赤に染めた〈エルフ〉たちは攻撃を辞めない。

 まだ〈エルフ〉語は完璧では無いからな……。

 マークは寂しく思いながらも、両手を前に掲げる。すると〈エルフ〉たちの身体が、空中に浮かび始めた。

「辞めろ! 強欲!」

 キルランカ大陸東方の入江。森と海が重なったキルグス地方。村の長オットー・ルフルクの必死の願いも虚しく、彼らの身体は潰れた肉塊となる。

 ルーア連邦共和国だったか?

 マークはリンゴに似た果物を齧りながら、死体の転がる村を抜けた。

 海の向こうのルーア連邦共和国は、唯一〈ヒト〉に囚われない色欲の魔女が作った国だという。なんでも、その魔女は、匂いを嗅いだだけでも劣情を覚えるほどの絶世の美女なのだそうだ。

 それほどの美女ならば会ってみたい。

 マークはいやらしい笑みを浮かべた。

 この世界を支配するのは、その後でもいいだろう。

 死ぬ前のマークは、およそ欲望とは無縁の男だった。優秀ではあったが野心は持たず、ただ周囲に流されるままに生きていた。

 死ぬ前を思い返していたマークは、ふと、同じオフィスにいた女を思い出す。マークが密かに好意を抱いていた女だった。テレビの中の女優の唇。紙の上で肌を見せるファッションモデルの美しい肢体。マークが想い焦がれながらも、目を合わせられなかった女たち。

 この世界の支配が終わったら、あちらの世界も支配しよう。

 強欲の魔女マーク・ロジャーの笑い声が闇夜に響き渡った。

 

「これって食えるのか?」

 春人は、トカゲに体毛が生えたような生き物を訝しげに持ち上げる。

「食べられる。ここの生き物は基本食べられる」

「六つ足のカエルみたいなのも食えるんだよな?」

「かえる? たぶん食べられる」

 アリスが目を覚ましてから十日ほどが経過した。心も体もボロボロだった春人だったが、アリスの治癒魔法と持ち前の精神力で、思ったよりもずっと早く回復出来た。

「これからどーすんだ?」

 春人は焼いたトカゲのような生き物を噛んだ。芳ばしい匂いが鼻の奥に広がる。

「君には〈ヒト〉の学校に行ってもらう」

「はあ!?」

 相変わらず唐突だった。驚いた春人は、口からトカゲを吐く。

「なんでだよ! 〈ヒト〉は避けんだろ!」

 春人は怒りで荒くなる呼吸をなんとか抑えようとした。それを見たアリスは、春人のそばに寄って頭を撫でる。

「落ち着け」

 春人は、はあはあと深呼吸を繰り返し、徐々に落ち着きを取り戻した。

「〈ヒト〉は危険だが、避けては生きていけない」

「いけるだろ」

「いけない」

「……でもよ、無理だぜ? 俺ってあいつらに顔見られてるし、そもそも学校って年齢じゃねーよ」

 春人は、リーリが殺される瞬間を思い出して、嗚咽しそうになる。だが、その後のことは、いくら思い出そうとしても思い出せなかった。

「大丈夫だ。性別と年齢を変えればいい」

「なんだって?」

 滲み出る涙を拭った春人は、アリスに首を傾げた。感情のない唇。何を考えているのか分からない瞳。

「おい、なんだよ変えるって?」

「君は女の子になるのだ」

「なれるか!」

「なれる」

「なれねーつの! 女装でもしろってのかよ!」

「じょそう? 私が君を女の子にするのだ」

「お前が俺を? ……あ、まさか、魔法で?」

「そうだ」

 合点がいく春人。アリスに殺されて、生き返らされた事を思い出す。

「ぜったい嫌だ!」

「嫌ではない。〈ヒト〉は避けられない。この世界で〈ヒト〉と関わらなければ、君は生きていけない」

「千歩譲ってそうだったとして、何で学校なんだよ! しかも女になって!」

「君はこの世界の知識が無いのだから、むしろ学校へ行くべきだ。その際に女の姿なら君だと気づかれない。それに〈ヒト〉の世に溶け込むのならば、子供が一番安全で溶け込みやすい」

「嫌だって!」

「嫌ではない」

 アリスは一歩も引かなかった。その銀色の瞳は僅かに揺らいでいる。

 なんだコイツ? ちょっと感情的になってないか?

 驚いた春人は冷静になる。

「あー、じゃあさ、仮に俺が生きていく為に〈ヒト〉の学校に行くとしてさ、女になる必要はないよな?」

「ある。君の顔は戦場にいた〈ヒト〉に知られている。魔女が男だったということも伝わっている」

「俺の顔は知られているかもだが、魔女が男だってのはどうだろう?」

「どういう意味だ?」

「魔女が女だってのが、この世界の常識なんだよな? だから俺も一回は見逃されたわけだ」

「そうだ」

「あの時、俺の外見で魔女が男だと驚いた奴がいたかも知れない。でも、確証を持った奴は絶対にいないはずだ。つまり奴らにとって、魔女が男だというのは推測の域を出ていないということになる。男に似た女だと思ってる奴らの方が多いはずだぜ? ということは、魔女の失踪で大騒ぎしてる奴らの中に見知らぬ女の姿で入っていくのは、余計に怪しまれるだけで、却って危険だっていう話だ」

「……」

「見知らぬ男より、見知らぬ女の方が魔女っぽいだろ? なあ?」

 アリスは反論しなかった。だが、明らかに不満そうにムスッと唇を閉じている。

 まさかコイツ、女友達が欲しいからとか言うんじゃないだろうな?

「なあアリス、俺もこの世界で未だに右も左も分からない状態だ。だから子供になって学校行くのもありかもしれない。例え。それが〈ヒト〉の中でもな。最悪バレたら皆殺しにしてやればいい」

「バレたら、逃げろ」

「ああ、ならそん時は助けてくれよ? 女にはならねーけど。それでいいだろ?」

「分かった。ただしバレたら、次は女として行くのだぞ」

「分かった分かった」

 どうせ、右も左も分からない世界なんだ。嫌だろうと危険だろうとやれる事をやるしか無いさ。

まだ、少し不満そうなアリス。春人は苦笑した。

「で、いつ行くんだ?」

「それは君次第だ」

「俺? 俺はいつでも行けるぜ?」

「……本当か? 君はまだ、私がいないと夜泣きするではないか」

「ああ!?」

 首筋を真っ赤に染めた春人は、アリスを睨みつけた。

 

 

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