第84話 見習い料理人と決着の島吞


 ゴゴゴゴゴゴゴ……!

 島吞しまのみの体内に、ふたたび海鳴りのような音が響く。



「──くるぞォ!!」



 突如として、イケメンが怒声をあげる。

 すると、まるで見計らったように、地面・・がせり上がってきた。

 島吞の舌である。

 赤く、ぬらぬらとテカっている、爬虫類独特の舌。

 しかし、それはあまりに大きく、全貌が確認できないほど。

 その舌が、今までぷかぷかと浮いていたガレイトたちをザバァ、と持ち上げた。



「──チャンスは一度きりだ」



 ガレイトが静かに、隣にいるイルザードに声をかける。



「失敗すれば俺たちは舌と上顎に挟まれて、潰れて死ぬ」



 怒号や悲鳴が渦巻く島吞の体内。

 しかし、ガレイトとイルザードだけはじっと上だけを見つめていた。

 グググ……!

 舌は人々を乗せ、ぐんぐんせり上がっていく。



「はい」


「同時だ。同時に強く叩く。いいな」


「上顎が見えた瞬間が勝負、ですね」



 未だ、二人の視界に上顎らしきものは映っていない。



「ああ、今回は斬撃ではなく、殴打だ」


「ガレイトさんの得意分野ですね」


「馬鹿者。おまえの得意分野だ」


「あら? そうでしたっけ?」


「……見えてきました」



 二人の視線の先、魔導灯が照らし出した島吞の上顎──

 それはすこし赤みがかっていた乳白色の、二人の視界一面に広がった巨大な壁だった。



「で、デカ……!? ていうか、広……ガレイトさん、どこを攻撃──」


「……上手く合わせろよ」



 返答になっていない、ガレイトの返答。

 しかし、それを聞いたイルザードは再び前を向き、顎を引く。



「ガレイトさんこそ、私に合わせてくださいよ」


「サン、ニ、イチ──」



 ◆



 時は戻り、場所は海。

 大した波風もなく、ほぼ凪に近い穏やかな海面。

 相変わらず五人は、ただ、ぷかぷかと海の上を漂っていた。



「──それで、島吞を倒してきた……ということでざるか」


「倒したというよりも、撃退した。のほうが表現としては正しいかもしれませんね」


「ああ、実際、私たちの攻撃を食らった蛇は、しばらくのたうち回った後、私たちを吐き出して、深海へと消えていったのだ」


「……で、吐き出された勢いそのまま、拙者らが乗っていたイカダに衝突して、破壊した、と」


「申し開きの言葉もないです……」


「いや、おふたりが無事なら……」



 サキガケがそう言うと、ブリギットとカミールの顔を見た。

 ふたりは、そんなサキガケに対し、うんうんと笑ってうなずき返す。



「拙者たちも安心でござるが……なんというか、相変わらず無茶苦茶でござるな、びるへるむの騎士殿は……」



 感心しているような、呆れているような、どっちつかずな感じで言うサキガケ。



「無茶……ですか?」


「いや、ガレイトさんの作戦は無茶というよりも最善だったろう。実際、こうやって出られているわけだしな」


「いや、拙者が言っているのは、またべつ。蛇の生態について、でござる」


「蛇の……」

「生態……?」



 二人が首を傾げて訊き返す。



「ニン。たしかに我々はものを食べるとき、舌を上顎にくっつけて、モノを飲み込むでござるが……蛇という生き物は基本的に、モノを飲み込むとき、我々のように舌は使わないのでござるよ」


「え」



 ふたりの表情が固まる。



「蛇は獲物を丸呑みにするとき、顎や喉、そして全身の筋肉を上手い具合に使いながら、徐々に胃へと送っていくのでござる」


「そ、そうなんですか?」


「……ま、ただ、それらはあくまでも普通の蛇・・・・の特性でござる」


「では、島吞には当てはまらない……と?」


「ニン。島吞とは異例中の異例。生ける伝説。そんな常識は当てはまらない……やもしれぬでござるな。それか、ただ、舌をチロチロと遊ばせて、たまたま上顎に持っていったら、がれいと殿の攻撃と重なったか……蛇の舌は感覚器官にもなっているでござるし」


「な、なんたる幸運……ということは、べつにすぐに出ずとも、そのうち出られたということでしょうか?」


「うーん、それは一概には言えないでござる。場所は海。それも海中。ひとたび口を開けてしまえば──ぶるぶる」



 サキガケはそこまで言うと、体を小さく震わせた。



「ど、どうかしましたか?」


「や、その──」


「小便か、サキガケ殿」


「……へ?」



 イルザードに指摘され、顔がゆでだこのように真っ赤になっていくサキガケ。

 ガレイトが責めるような視線でイルザードを睨みつける。



「おまえな……」


「仕方ありませんよ、ガレイトさん。ここは冷えますし、ふとした瞬間、ちょろちょろっと出ても不思議じゃないです。蛇の舌みたいに」


「ちっ、ちがうわ! 漏らしてへんわ!」



 サキガケが顔を真っ赤にしたまま、イルザードに唾を飛ばす。



「なんだ。面白くない」


「漏らすことの何がおもろいねん……」


「……だが、なぜ突然、体を震わせたのだ」


「いや、それは……もう、蛇の話はやめにしないでござる?」



 サキガケがそう言うと、ガレイトはなにかを察したようにうなずいた。



「あー……そうですね。相手はあの伝説ですから、常識なんてあってないようなものですし。そ、それよりも、よく島吞の口から逃げられましたね」


「たしかに。ほぼ奇跡でござるな。近くにいたのに」


「それはね、イカダにのってたからだよ」


「そうなのか、カミール」


「うん、だって、のみこまれるとき、おじさんたちはしずんじゃったけど、ぼくたちはういたままだったもん」


「……なるほどな」


「いまのでわかったのですか? ガレイトさん」


「おそらくイカダの浮力がものをいったのだろう


「浮力……?」


「蛇が口を開いたとき、大きな波がたっただろう、そのときにイカダは外へ追いやられ、俺たちだけは引きずり込まれたんだ」


「な、なるほど……わからん……」


「──あ、あの、ガレイトさん、ティムさんたちは……?」



 ブリギットがガレイトに尋ねる。



「それが……、俺たちと同じく、島吞に吐き出されたあと、バラバラになってしまって……」


「そ、そうですか……」



 ブリギットが悲しそうに俯いた。



「……ですが、俺たちがこうして無事なのですから、ティムさんたちも無事ですよ。あの人はそんなにヤワな人ではないと思います」


「そ、そう……ですよね……! きっと……!」


「ねー、ねー、それよりもどうするのー? これからー?」



 カミールが口を開くと、途端に四人の表情が暗くなる。



「どうするんですか、ガレイトさん」


「どうするんだと言われてもだな……このままゲイル大陸までひと泳ぎするしか……」


「……私たちはともかく、ブリギット殿とカミール少年はキツイですよ」


「いや、買いかぶってもらって悪いでござるが、拙者もそれは無理でござるよ……」


「……もう一度、イカダを作り直す……とか?」


「残念ながら、丸太は方々に散ってしまったでござるな・・」


「なら、いったん島にもどるというのは……?」


「ガレイトさん、島吞・・は海底へ沈んでいきましたよ」


「八方ふさがりじゃないか」



 ガレイトの言葉がトドメとなったのか、全員の表情が一層暗く沈んでいく。



「ああ、すみません……! そんなつもりで言ったわけじゃ──」


『────────ぃ』


「いま、だれか、何かおっしゃいましたか?」



 キョロキョロと辺りを見るガレイト。



「いや、誰も何も言ってませんが……」


「そうか……?」


「いや、たしかに、拙者もかすかに何か聞いた気が──」


『おーい!』



 サキガケの話を遮るようにして、海に、今度はハッキリとした声が響く。

 キョロキョロと辺りを見回すガレイトたち。

 そして、そんなガレイトたちに急接近している船影が一隻。

 その船の帆は赤く、耳長のドクロが描かれていた。

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