第76話 見習い料理人とメモ帳


 ティムの削り出した木や、工具が転がっている作業場。



「──あ、ガレイトさん!」



 そこで、ガレイトたちの帰りを待っていたブリギットが声をあげる。



「マジで!?」



 イルザードはそれを聞いた瞬間、一目散にガレイトの所まで走っていった。

 腕を広げ、ガレイトに抱き着こうとするイルザード。

 しかし、途中でガレイトの腕に阻まれる。



「止めろ。少年もいる」


「人がいないところならオーケーと!?」


「そういうことを話しているんじゃない」


「でも、よくぞご無事で……よかった……」



 イルザードが安堵したように、息を吐く。



「ああ。それより、この少年のことだが──」


「ブジじゃないよ。ずっとうんこしてたんだ、このおじさん」



 カミールが楽しそうに、ガレイトを指さしながら言う。

 ガレイトは特に何も言わず、吸った息をそのまま地面へ吐き捨てた。



「おや、これはまた、随分と懐かれたようですね」


「まあな……」


「もう色々と、この少年から話は聴けたのですか?」


「いや、話は……」



 ぽんぽんとカミールが、ガレイトの脚を叩く。



「ああ、そうだったな。……カミールだ」


「はい?」


「この少年の名だ。カミールというのだそうだ」


「へー、そうなんですね」



 イルザードが興味なさそうに相槌をうつ。



「よ、よろしくね、カミールくん」


「お、おう……」



 ブリギットがぎこちなく挨拶をすると、カミールもそれにつられたのか、照れながら挨拶を返した。



「ちなみに、カミールからは、話はあまり聞いていない。昨日の夜はすこしドタバタしていたからな」


「……何かあったのですか?」


「ルビィタイガーに襲われていたんだ。まさか、こんなところにまで生息しているとはな、驚いたよ」


「……驚いた人間は、あんな感じで撃退しないでござる」



 ガレイトの後ろで、サキガケが小さくツッコむ。



「ほう、それはまた難儀な……」


「あ、それなら、まずは腹ごしらえでも……? ガレイトさんたち、昨日から何も食べてないんでしょ? お魚なら──」



 ブリギットの発言を、ガレイトが制す。



「いえ、大丈夫です。俺たちは皆、昨晩狩ったルビィタイガーを食べたので」


「あれ? そうなんですか……?」


「しかし、誰が料理を? 消去法的には、やはりサキガケ殿が……?」


「あー……それはだな……」



 言いよどむガレイトを変に思ったのか、サキガケが代わりに口を開く。



「いやいや、消去法も何も、もちろん、がれいと殿が料理をしていたのでござるよ」


「え?」



 それを聞いたイルザードとブリギットは、二人して訊き返す。



「あ、あの、それじゃあ……サキガケさんとカミールくんは、ガレイトさんの作った料理を食べた……て、事でいいんだよね? それも、ルビィタイガーの……」


「ニン。そうでござるが……何か、問題でもあるのでござるか?」


「とぼけている……わけではないのか?」



 イルザードが顎に手をやり、訝しむようにサキガケを見る。



「……あの、さっきからなんなのでござるか、この空気」


「あ、あの、サキガケさん、その……ガレイトさんの作った料理はどうでしたか?」


「料理……? 特段、変な感じはなかったでござ──」


「まずかった」



 にしし、と楽しそうに笑いながら言うカミール。



「こ、こら、かみぃる殿。そんなことを言うと、がれいと殿がへこんでしまうでござるよ……」


「それだけ?」


「え?」


「まずかっただけだったの……?」


「そ、それだけだけど……」


「体に異変とかはない?」


「イヘン?」


「変なところは……気持ち悪くなったり、お腹が痛くなったり、熱っぽかったり……」


「ぶ、ブリギットさん……」



 ガレイトが顔を手で覆いながら、情けない声をあげる。



「あっ、ご、ごめんなさい、ガレイトさん……」


「……あの、おふたりは一体、さっきから何を言いたいのでござる……?」


「いや、そういえば、サキガケ殿はガレイトさんの料理を知らなかったのか……」


「料理……? がれいと殿の料理が、何か……?」


「あ、あの、じつはね──」



 ブリギットはガレイトに気を遣いつつ、ガレイトが今までどのようなものを作り、どのように失敗してきたかを伝えた。



「──こんなかんじ……かな」


「ま、まじでござる? でも、酸って……じゃあ、あの蛇の毒をかけて食べたのも、拙者たちを元気づけようとか、おちゃめな感じを演出するとか、そういうのじゃなく……本気で?」


「ふざけて毒を食べる人なんていないと思いますが──」


「真剣に毒食うとるほうがおかしいわ!」



 サキガケのツッコミが響き、ガレイトがシュンと肩を落とす。



「……なるほど。だから、あんなに料理を作る前に躊躇っていたのでござるな」


「面目ない……いちおう、それなりに料理人はやっているのですが、知らない食材・・・・・・調理法・・・だとあまり上手くいかなくて……」



 それを聞いたブリギットは「もしかして……」と、誰にも聞こえないくらいの、小さな声で呟く。



「それにしても、今になって冷汗が……」



 そう言って、手の甲で額の汗を拭うサキガケ。



「……まったく。いつになったら、私はガレイトさんの料理を食べられるのでしょうか」


「まあ、あまり期待せずに待ってろ」


「それはあんまりですよ、ガレイトさ──」


「あ、あの、ガレイトさん……?」


「は、はい、なんでしょうか、ブリギットさん」


「いまって、その、手帳、持ってますか?」


「手帳……ですか? はい。持っていますが……」


「あの、すこし、見せてもらってもいいですか?」


「もちろんです。……どうぞ」



 ガレイトはどこからか手帳を取り出すと、それをブリギットに渡した。

 ブリギットはそれを受け取ると、パラパラとページをめくっていく。



「そういえば、虎汁を作るときも、がれいと殿はそれを見ながら作っていたでござるな……。あれは一体なんなのでござる?」


「ああ、あれは、ただのメモ帳ですよ」


「めも……」


「はい。料理人を志してから、これまでに勉強した事、教えてもらった事、経験した事などを記してあります。あとできちんと見返せるように」


「はー……マメでござるな……なぜそんな人が、凶悪な料理を……」


「あっ」



 ブリギットが突然声をあげると、手に持ったそのメモ帳──

〝ルビィタイガー〟と大きく記載されている見開きページを、全員に見えるように広げる。



「えっと、どういうことでしょうか、ブリギットさん……」


「たぶんだけど……あの、ガレイトさん、いままで料理の本や、レシピ集なんかを買ったことはありますか?」


「い、いえ……ですが、読んだことはあります。それがなにか……?」


「……その通りに作ったことは?」


「え?」


「料理本や、レシピ集を片手に料理を作ったことは?」


「あ、ありません。……頭の中に入ってるので……」


「やっぱり」


「やっぱり……?」


「ガレイトさんは、いままで自分の勘だけで、料理をしていたんです!」


「……いや、それはあかんやろ」

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