第59話 元最強騎士、フィッシングをする


 船尾まで移動していたガレイトは、カンカンに照り付ける日差しの下、釣竿を握りしめながら、船が通った後に出来る航跡波を睨みつけていた。



「──あっ! また来た!」



 不意に、ブリギットが声をあげる。

 ガレイトから見て船の横。

 そこで同様に釣り糸を垂らしていたブリギットの竿が、ぶるぶると振動し、魚が食いついたことを知らせる。

 麦わら帽をかぶっていたブリギットは急いで立ち上がると、ゆっくりと、それでいて大胆にリールを回し始めた。

 カリカリカリカリ……。

 魚が水面から飛び上がり、やがて視認できるまで船の近くまでくると、ブリギットは近くに置いてあったタモを手に取り、慣れた手つきで魚を掬い上げた。

 釣れたのは、体長三〇センチほどの、綺麗な桃色の波紋があるサバだった。



「わぁ……やった! アマサバだ!」



 ブリギットは暴れるアマサバの口から丁寧に針を外すと、氷と魚で敷き詰められた箱の中に押し込み、蓋を閉じた。

 しばらく待って、アマサバが仮死状態になっているのを確認すると、ブリギットは包丁とまな板を取り出し、アマサバをそこへ置いた。

 鱗、内臓、血合い、頭の順に下処理を行うと、三枚におろして、腹骨を取り除き、身を等間隔に切り分け、刺身を作った。



「……新鮮なうちにどうぞ、ガレイトさん」



 ブリギットが、まな板にのせたまま、ガレイトに差し出す。



「おお、サシミですか」



 ガレイトは持っていた竿を一旦床に置くと、ブリギットの差し出した刺身をつまんだ。



「いただきます」



 ガレイトは小さく呟くと、そのまま口の中へ放り込んだ。

 ぐにぐに。

 もむもむ。

 ガレイトは目を閉じ、味を確かめるようにゆっくりと咀嚼する。



「ど、どうかな? お醬油はなかったけど、アマサバならお塩だけで……」


「十分美味しいです」


「ほ、本当ですか……?」


「はい。釣れたばかりなので全く臭みもないですし、それに、身の弾力がすごい。脂も適度に乗っているお陰で、アマサバ特有のほんのりとした甘さと相性がいいです。飲み込んだ後も、口の中に嫌な感じが残らない……というか、これ、たぶん塩がなくても十分だと思いますよ」


「お塩なしで……?」


「はい。ブリギットさんが丁寧に切ってくれたおかげで、筋肉と脂肪の比率もいいですし、これはこれで、ひとつの料理ですね」


「ちょっと失礼……」



 サングラスをかけ、いつの間にかビキニ姿・・・・・・・・・・になって・・・・小麦色に日焼けした・・・・・・・・・水着姿のイルザードが、刺身をつまんで食べる。



「うん、うまいですな」


「……イルザード、おまえはもう少しまじめにやってくれ」



 ガレイトが呆れたような、責めるような視線でイルザードを見る。

 イルザードはサングラスを上に少しずらすと、ガレイトを目を見ながら口を開いた。



「……あの、他になんか、感想とかないんですか?」



 イルザードはそう言って、うっすらと汗ばんでいる小麦色の胸を、強調するようにガレイトに近づけるが──



「感想? サバの事か?」


「……う~ん、褐色が好きなわけでもないのか~……」



 イルザードは再びサングラスをかけると、腕組みをしてうんうんと唸り始めた。



「……真面目にやれ、と申されましても、釣れないものはしょうがないですよ」


「だからと言って、本気で日焼けしようとするな」


「他にやることもないですし」


「俺たち、今、釣りをしているんだよな……?」


「何時間もじっと待つだけとか、ただの拷問じゃないですか。そもそも、ガレイトさんは何も釣れてませんし」


「おまえだって一匹だけだろう」


「一匹とゼロ匹とでは全然違うと思いますよ」


「やかましい。俺の餌はセブンスカジキ用の特大ルアーだ。一匹でも釣れれば、それで目標が達成されるのだ」


「でも、釣れる気配はないですよね。けっこうな時間、こうしていますが……」


「まあ、そもそもイケメンさんも言っていただろう。釣るのも難しいが、かかるのはもっと難しいと。つまりそういうことだ」


「……どういうことですか?」



 ガレイトはため息をつくと、ひらひらと手を動かした。



「わかったから、もう適当にそこらへんで日焼けでもしてスルメにでもなっておけ。おまえの助けは借りん」



 イルザードは「は~い」と返事をして踵を返すが、何か思い出したように、もう一度ガレイトの所までやって来た。



「あの……提案なのですが、一度ブリギット殿にその竿を渡したらどうでしょう?」


「なんだと?」


「ああ、いえ、竿と言ってもガレイトさんの立派な竿ではなく──」


「わかっとるわ! 本当におまえの頭の中はそんなのばっかりだな!」


「いやあ、申し訳ない」


「……というか、なんで、ブリギットさんに持たせるんだ。意図を言え」


「だって、さっきからブリギット殿、ひっきりなしに魚を釣り上げているでしょう?」


「それは……そうだが……」


「ここまで釣れるのって、おそらく何か持ってるんですよ、ブリギット殿はもしかして、料理の天才でもあり、釣りの天才でもあるのかもしれません」


「釣りの天才……か」


「はい。現在、この船に釣り人がいっぱいいるのに、ブリギット殿ばかり釣れるというのも、妙な話でしょう?」


「それは……そうだな」


「でしょう? だったら一度、ブリギット殿の、その運に便乗させてもらえばいいのでは、と言っているのです」


「まあ、言い方はわるいが、たしかにおまえの言う事も一理ある。同じポイントで釣っているのに、片方にだけ魚が集中する……という話もよく聞く。──だが、なぜだろうな……」



 ガレイトはそう言うと、イルザードから空へと視線を移した。



「なにがですか?」


「おまえに意見を通されると、そこはかとなく癪に障る」


「ふふ、それが恋というやつですよ」



 イルザードはそう言うと、ウインクをしながら、指先でガレイトの鼻先に触れた。



「なるほど……これが恋なのか。なんというか、胃がむかむかするな」



 そう言って真顔で流すガレイト。



「……ブリギットさん」



 もぐもぐもぐ。

 ガレイトが振り返ると、そこにはハムスターのように口を膨らませている、ブリギットの姿があった。

 手元のまな板の上には、すでに何もない。



「は、はい。聞いてました。えと、私が、ガレイトさんの竿を持てばいいんですよね……?」


「……言い得て妙だな」



 イルザードが深刻そうな顔で、誰にも聞こえない声量で呟く。

 ガレイトはガレイトで、少し困惑したように、ブリギットの手元と口元を見比べている。



「ど、どうかしました? ガレイトさん?」


「いえ、全部食べてしまったのですね」


「あ、ごめんなさい。美味しくって……つい。食べたかったですよね……?」


「いえ、そういうわけでは……まあ、そうですが……とりあえず、こちらをお願いします」



 スッと自身の釣り竿を差し出すガレイト。



「迷信と言うか、オカルトじみてはいますが、このまま何もしないよりも、ブリギットさんに頼んだほうが良い気がしますので。もしかかったら、俺が代わりますので、それまでは、どうか……」


「はい、任せてください!」



 ガレイトに頼られて嬉しかったのか、ブリギットは意気揚々と、差し出された竿を握ると──

 そのまま海中へと引きずり込まれてしまった。



「ええええええええええええええええええええええええッ!?」



 あまりに突撃の出来事に、ガレイトとイルザードが大声を上げる。



「が、ガレイトさん……これはなんとも……!」


「ま、まさか、ブリギットさんの運がこれほどまでとは──て、言っている場合ではない!」



 ガレイトは急いで着ていた服を脱ぎ捨てると、すばやくパンツだけになった。

 鋼のような肉体を白日の下に晒すガレイト。

 それを見て、小さくガッツポーズをとるイルザード。

 しかし、ガレイトはそんなことは意に介さず、続けた。



「俺はいまからブリギットさんを助けに行く。イルザード、おまえはすぐに船を止めるようイケメンさんに言ってくれ」


「了解しまし──」



 バチャアアン!!

 ガレイトはイルザードの返事を待たず、そのまま海へ飛び込んだ。

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