新聞部員の章――Ⅱ




 廿日市の自宅は、新聞部の御用達となっている。秘密裏に会議をするにはもってこいのアジトだ。

 文京区にしては安いアパートの二階。呼び鈴を押すと、金髪ロン毛の顔が飛び出る。

「うす。入れ」

「お邪魔しまーす」

 一歩踏み入れると、モワンと独特のにおいが漂ってきた。そして埃っぽい。掃除をこまめにしたほうがいい、とか姑みたいなことはいいたくないけど、気になってしまう。

 居間からは、テレビの音が漏れ出してくる。何の番組だろう。この時間帯だから教育テレビかな。いや、録画の可能性だってある。

「弟クン、勉強頑張ってる?」

「あとで見てやってくれよ。お前が顔見せれば、弟も妹も喜ぶだろうからさ」

「そのつもりだよ」

 脱いだ靴を置こうと三和土たたきに目を落とすと、廿日市のとはまた別に、磨かれた小ぶりのローファーが並べてある。律さんのだ。男心の本能を発揮した僕は、律さんのからなるべく離れたところに置く。これでよし。

 玄関から向かって脇にある、四畳半ほどの室内。僕は不思議と緊張した面持ちで入った。

「や、宮島ちゃん……」

 控えめに顔を上げた律さんは、「こんにちは」とだけいう。昨日、廿日市の電話口で言い放った「いい」が頭をスパークする。まさかとは思っていたが、怒っていなさそうで、まあ、まずは安堵した。いい加減慣れろよな、怯えすぎなんだよ、と自己省察する。

 廿日市が扉を閉ざして、会議が始まった。決して型がつくられたお堅い議論反駁があるわけではない。たけれども、中身はちゃんと濃いものを話してるつもりだ。

「青沼森吾。15歳。私立華月高校一年H組在籍」僕が読み上げていく。「『NGC』創設メンバー兼吾の弟。他に兄弟はいない。政治活動自体は、『NGC』の前身団体からメンバーとして参加。幹部経験なし。過去にこれといって目立った表彰なし。学力は平均よりやや下。運動経験は、小学校の時、二年間地元のサッカークラブにいた――こんなもんかな」

 僕の持ってきた資料では、ここまでが限界。ふむ、と廿日市が腕を組む。

「リーダーの弟とはいえ一般人に近い人間だな。情報が少ないのはしょうがないか。律はどう思う?」

「前で目立ってないから、彼がどんな思想を抱いていたのかがわからないわね」

 律さんは、僕のほうを向く。「お兄さんは主に何を主義主張してたんだっけ」

「ああ。兼吾にしては、基本『NGC』の団体理念と変わらないよ。憲法改正、教育無償化運動、親米、反体制……。兄弟で通じ合ってるかどうかは微妙なところだね」

「そうだぞ、律。兄弟姉妹だって赤の他人だ。考えもベクトルも大きく違うってことが多いんだ」

「そうなんだ……」

 確か一人っ子だったはずの律さんは、曖昧に頷く。実際にいる者にしかわからない感情や感覚はやはりあるだろう。

「『NGC』と対立している部活は、あまりないね。強いていえば、保守寄りの右翼系かな。でも数自体は小規模だし、保守の中でも伝統右翼は個人主義的な色が濃い」

「『左閣』の連中は?」廿日市が訊く。

「いいや。二つは、元々対立してたわけじゃない」

「意外だな」

「確かに右翼と左翼という壁はあるけど、革新的という点では理念は共通している。だから積極的に喧嘩をするほどでもない」

 僕は書類の束を丸いテーブルに置く。

「ただ、今回の件で互いに血を見るのは鮮明かな。互いに干渉せず、といった今までの関わり合い方はもうできない」

「問題は、左のほうじゃないのか」

「そう。敵をいたるところで作っているのは『左閣』だ」

「まさか、街に繰り出して暴れてるメンバーが『左閣』の理念を知るわけもないだろうな」

「反共と現状破壊、だっけか」

「破壊はしてるな」皮肉めいた笑いを、廿日市はする。「最近もあったなあ、『日本プロテクト会』との騒動」

 ああ、と反応したのは律さんだった。「今年の初めぐらいだっけ」

「もうそんな経つのか。どうだっけ江田」

「うん。『左閣』のデモ行進と『日プロ』のいわゆる『オフ会』がちょうど被ってしまった時だね。意図的な工作があるかないかは別として――とにかく相見した2つの団体は、警察まで出動される事態を引き起こした」

 僕は両方の人差し指をぶつけて、物理的な衝突を表現する。

「ただし今回は、青色の人間だ。紅林の証言でね」

「彼が個人的に恨まれることは、あるのかしら」律さんが目だけこちらに向ける。

「どうだろう。紅林に関しては過去の新聞部でもほとんど取り上げられてない。確かに、『左閣』で龍泉寺毅彦の周りにいる主要幹部っていうことで何度も名前自体は上がってるけど……」

「じゃあ、『左閣』にいる人間ってだけで、いっちゃえば運悪くターゲットにされたってことかな」

「動機が思想的な要素を含んでたらね。私怨しえんだったとしたら」僕はおどけて両手を挙げた。「僕らには、もう打つ手はないさ」

 律さんは、机の資料にじっと目を落としている。すごく難しそうな表情だ。

 個人的な恨みか、敵対する団体として邪魔だから消したのか――動機としては、この二つに絞られる。後者はそれぞれのリーダーが口を開かない以上、真相は闇の中。前者はもっと難しく、それぞれの過去を隈なく探さないかぎりは不可能だ。

 お前らは一介の新聞部だと、押し付けられた気分だ。僕らは警察じゃないし、探偵でもない。他人の生活にづけづけと踏み入れる権限もないのだ。

 でも、僕は知りたい。謎を解きたい。知ってどうする? 解いてどうする? 科学者に対しては愚問となる問いを、僕らに突き付けても、返ってくる答えは科学者と同じだ。

「あ、そういえば」

 律さんが面を上げる。「『ABC』のことは聞いてる?」

 僕は頷いたけど、廿日市は金髪を横に揺らした。「なんだそれ」

 アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』のことも含め、律さんはかいつまんで説明する。廿日市の表情はさして変わらず、「あー確かに。なるほどなるほど」とだけ発した。

「で。次は『C』だと」

「現状最有力候補は、『NGC』の豊浜千夏子」

「トヨ……下の名前か。苗字じゃねえのかよ。適当な法則だなあ」

「そんなの、僕にいわれても知らんよ。第一、『ABC殺人事件』なのに現場が順番通りじゃないんだし。それこそ、Bなら『文麗中学校』があるんだから、そこでサクッとやっちゃって――」

 ピタッと口をつぐむ。そうしたのは、律さんが僕を鋭い眼差しで捉えていたからだ。

「宮島……ちゃん……?」

「事件現場。怪我した二人の事件現場って、お互いに自宅の近くだよね」

「うん、そうだけど……」

「青沼先輩の家はともかく、紅林先輩に関しては、政治系の中でも知られていない人物よ。そんな人の自宅を知ってるってことは……」

 それだ。僕はサングラスをかけ直す。やっぱり、律さんの発想力は素晴らしい。政治系とか名前の法則とか、奇抜なものに囚われすぎてた。

「それぞれの被害者に近い人間――ってことをいいたいんだね」

 いつもより大きく、律さんは首を動かした。  



         〇



 居間のほうから、大きな声が聞こえた。

 なんだなんだと僕は慌てたが、廿日市は「あー、ごめん、ちょっと待ってて」と飛び出していく。

 小さな部屋には、二人が残った。

 律さんは細い腕を組んで、静かに下の資料を睨んでいる。僕はといえば、まったく落ち着かない。まずいなあ、と苦笑することもできない。一人で笑ってる変態だと思われたら大変だからだ。

「江田君」

「はぁ、ああい!」

 律さんは目をぱちぱちする。「え?」

「いや、いや、あ、あの、なんでござりましょうか……?」

「ああ、その」

 目を一旦左に逸らしてから、口を開いた。「今のところ、次の被害者『C』は豊浜さんじゃない。もし万が一他に『C』から始まる生徒がいるかどうかって気にならない?」

「うん。だから、全校生徒の名前を調べるつもりだけど……」

「そうなの。手伝おうか?」

「いや! ここは僕に任せて! 二人は次の『京雀』に全力を尽くしてくれれば……」

 あー、といった先に後悔する。せっかく気遣ってくれた恩義を、ドブにすてる行為じゃないか江田進平。馬鹿だ阿呆だ地球の害だこのまま死んでもいいかもしれない。

「そう。わかった」

 思えば、なんで彼女は新聞部に入ったんだろう。入学早々意気投合した僕と廿日市が作った、あてもない部活。幼馴染だから、という単純な理由で動かない性格ということは、この一年で十分に理解してるつもりだ。非常に不思議である。

 廿日市が、半分だけドアを開けて再登場。

「サングラスのお兄ちゃんと遊びたいのだと」

「よしきた」

「ほら律も」と、廿日市は手招きする。  

「私、弟クンたちに避けられてるんだけど……」

「関係ないよ。ほら」

 嫌そうな顔で、渋々と律さんは立ち上がった。   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る