6話 メリーさん④

 ピンク色の花柄の壁紙に、鼻をくすぐる甘い芳香剤の香り。極めつけは、部屋中に埋め尽くされた謎のゆるかわ系ぬいぐるみたち。

 わたくし、灰原かいばられい、御年十八歳にして初めて――異性の聖域へと足を踏み入れる。


「ちょっと、汚い手でうちの“ぬい”たちに触らないでよ」

 そう言って、新野先輩は僕の目の前の丸テーブルにお洒落なティーカップを並べ、紅茶を注ぐ。


 そう、僕はいま――新野先輩の家にいるのだ。


「新野先輩、本当に飲んでいいんですか?」


「なによ、その気持ち悪い反応。嫌なら飲まなくていいわよ」


「いえ、謹んでいただきます!」


 これは新野先輩が普段使っているティーカップ。

 たとえ洗剤や漂白剤に浸けられ、綺麗さっぱり洗浄されていようが、彼女が使ったという事実は変わらない。


 そう、これも立派な間接キッスなのだ。


「はぁー……どうしてあんたなんかを家に入れる羽目に……」

(――まだ泉副代表ですら入ったことないのに)


 新野先輩は大きなため息と共に、聞き取れない声で何かを呟いた。


 もちろん、僕と新野先輩が突然恋に落ちてお家デートをしているわけではない。

 こうなったのには、ちゃんと訳がある。


 まず、僕の自宅だと「としけん」の部室や他のサークルメンバーの家から距離があり、作戦実行に支障が出る可能性がある。

 また、部室には桃さんが結界を張っており、驚くことにメリーさんからの着信が届かないとのこと。一時的に結界を解除する案もあったが、部室地下に眠る呪物が暴走する可能性があるらしく、リスクが大きい。


 結局、サークルメンバーは部室で待機し、僕は部室から最も近い新野先輩の家で待機することになった。


 僕にメリーさんからの着信が来たタイミングで、新野先輩がメンバーに連絡を入れ、部室と彼女の家の中間地点で作戦を決行する――という段取りだ。


 部室から新野先輩宅までは、走って五分ほど。

 部室裏手の木々を抜けると、意外にも彼女の住むアパートがあるのだ。


 アパート前で待機する案もあったが、隣人への迷惑や作戦に必要な仕掛けの準備などを考慮し、部室裏手の森の中が現場に選ばれた。


 僕は泉先輩から通達された作戦内容を脳内で反芻はんすうする。



 ---


 ■《メリーさんに関する共通ルール》


 その一:標的に事前連絡がある(電話や声)

 → 位置情報を教えてくれる。


 その二:標的以外には基本的に危害を加えない

 → 目撃情報でも被害例はほぼ皆無。ただし、そもそも二人以上いるシチュエーションでの実例が少ないから、絶対に安心とは言い切れない。


 その三:活動時間は夜間〜日の出まで

 → 昨夜の果穂さんの証言、およびネットの噂と一致。


 その四:走って逃げられる

 → 僕の実体験より。ただし、永遠には逃げられない。


 その五:決して後ろを振り返るな

 → 伝承では“振り向いた瞬間=話が終わる”パターンが多い。


 ---


 ……問題は、「いつ来るか」だ。


 泉先輩の予想では――夜の0時から3時の間に来る可能性が高いらしい。

 ちょうど“丑三つ時”とも呼ばれる時間帯で、怪異がもっとも活発になると言われる時間だ。

 果穂さんとの睨めっこの件や、過去の伝承、ネットの噂などを総合しての予測とのこと。


 現在、4月2日 午後5時17分。日の入りまで、あと1時間少々。

 夜が来たらいつ連絡が来てもいいように警戒した方がいい。


 作戦内容は頭に入っている――なんとかなるはず。


 ……恐怖と緊張で体が強張る。


「大丈夫。副代表がついてるから、安心なさい」

 新野先輩が優しく微笑む。

 彼女は、そう言い切れるほど泉先輩を信頼している。これまでも今回のように怪異と対峙してきたのだろうか。


「新野先輩もいますしね」


「うむ。先輩に任せとけ」

 そう言って、新野先輩は自分の胸を軽く叩く。


「最後の晩餐ばんさんになにか食べる?」


「そんな縁起の悪い言い方しないでくださいよ。でしたらお言葉に甘えて…新野先輩の手料理が食べたいです」


「……そんな恥ずかしいこと、よく大きな声で言えるわね」


 正直、昨日からまともに食事をしていなかった。恐怖が空腹を覆い隠していたのだ。


 新野先輩は作り置きしていたハンバーグを温め、サラダを並べてくれた。


「ご飯、どれぐらい食べる?」


「特盛りで!」


「あんた、この状況でよくそんなに食べられるわね」

 そう言いながらも、お茶碗に大盛りでご飯をよそってくれた。


 久しぶりのまともな食事に、勢いよく食らいつく。


「うまい! 美味しいですよ! 新野先輩!」


「ちょっと、声が大きいわよ。近所迷惑、考えなさい」

 そう言いつつも、新野先輩はどこか嬉しそうだった。


「なんか、こうしてると……まるで夫婦みたいですね」


「なっ……! バカ、誰があんたなんかと……」

 新野先輩は恥ずかしそうに顔を背ける。



 ---


 それから何事もなく、時刻は午前零時を回った。


 僕は壁付けのベッドの上に座り、背を壁に預ける。

 メリーさんに背後を取られないか、検証も兼ねての配置らしい。

 新野先輩の部屋はぬいぐるみで埋め尽くされており、壁に直接寄りかかれるのはこのベッドの位置しかなかった。


 新野先輩は大きなぬいぐるみに寄りかかり、うとうとしている。

 眼鏡を外しており、素顔を初めて見た。


 ……新野先輩って、眼鏡を外すと可愛い系のアイドルみたいだ。顔も小さいし。

 きっと、普通にしていれば――泉先輩と並んでもお似合いのカップルになると思う。

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