第72話 仲間の行方

 初めて出会った時より、一回り――いや、二回り以上膨らんだ光る球を眺めて、綾那は複雑な表情を浮かべた。せっかく大きくなっても、すぐに縮んでしまうのがこのルシフェリアだ。


『ここまで力が充填できたのは、凄く久しぶりかも知れないなあ……とってもいい気分だよ!』

「でも、宵越しのマナはもたない主義なんですよね?」

『……そうだね! 経済は回してナンボさ!』


 神聖なマナをお金に例えるなと言ったのは、他でもないルシフェリアだったような気もするが――これだけご機嫌な所へ、わざわざ水を差す事もないだろう。


「何度見ても不思議だなあ。その――核? が、光って無くなる瞬間は視認できるんだけど……やっぱり、創造神の姿は見えねえや」


 首を傾げる幸成の言葉に、颯月も頷いた。そして、今まで不可視の存在に怯え惑う陽香の話を一切信じていなかったらしい右京も、突然光った『何か』に感心しているようだ。


「散り散りになった他のご家族を探す、との事でしたが――どの辺りに居るのか、既に見当はついているのですか?」

「ルシフェリアさん?」


 和巳の問いかけに、綾那は室内を上機嫌に飛び回るルシフェリアを呼びかけた。以前は東と南に一人ずつ、そして残りの一人は感知できないと言っていた。東に落ちた陽香とは無事合流できたものの、残り二人の情報は今も変わらないのだろうか。


『居場所は変わっていないよ、南に一人。たぶん、セレスティン領だろうね』

「ええと、一人は南のセレスティン領に居るそうです」

「……よりによってセレスティン、ですか」

「よりによって……?」


 意味深な言葉と共に、和巳は思案顔になった。綾那は意味を訊ねようと口を開きかけたが、眼前にルシフェリアが飛んで来たので言葉を飲み込む。


『どうする? また僕が行って連れてこようか? それとも、今度は君達も一緒に行く?』


 綾那は、思わず渋面になった。やむを得ない事情があったとは言え、そもそも陽香は、決してルシフェリアが訳ではない。彼女を守るために何度も祝福してくれた事は素直に感謝すべきだが、しかし陽香と再会できたのは、単なる偶然――奇跡のようなものだ。


 またルシフェリアに任せて、その帰りを待つとして。今度は一体、どれくらいの日数を要するのだろうか?


『おや? もしかして何か、失礼な事を考えていない?』

「……考えていませんよ?」


 せっかく陽香と合流したのだ。できる事ならば彼女と共に、南のセレスティン領へ向かうのが手っ取り早いだろう。しかし、そうなると颯月や桃華の言った通り、このまま二度とアイドクレースに戻らない事態になりかねない。


(広報の仕事だって、始めたばかりの今が一番大事な時期だし――)


 しかも陽香は、これから半月ほどかけて、アデュレリア領とアイドクレース領を往復するのだ。彼女の帰りを待つ間、またルシフェリアの力が消耗しては目も当てられない。

 綾那がどうするべきか悩んでいると、和巳がどこか言いづらそうに口を開いた。


「その、綾那さん。実は現在、セレスティン領は人の往来を禁止されています」

「禁止? ど、どうしてですか? 領間の行き来は自由で、仲も良好だと――」

「二週間ほど前に通達があったのですが、南で流行り病が蔓延したからです。セレスティンとアイドクレースは海に隔てられています。その流行り病を他の領へ持ち込まないため――自領で抑え込むために、セレスティンの領主が渡航禁止令を敷いたのです」

「流行り病!?」

「おいおい、それ……アリスとナギ、どっちが落ちてんのか知らねえけど、あいつら平気なのか?」


 流行り病という言葉に、綾那と陽香は揃って眉根を寄せた。ギフトの反応があるというからには、少なくとも生きてはいるのだろう。しかし、仲間のどちらが落ちているにしろ、心配な事に変わりはない。


「セレスティンって気候のせいなのか、他じゃ発症しないような、変わり種の病気が蔓延しやすいんだよ。だから、慣れてるって言うとアレだけど――やっぱあそこの領主は、判断下すのが早いよな。お陰でこっちは、今のところなんの問題もねえ訳だし」

「ええ。ですから禁止令が解かれるまでは、セレスティンへ向かうのは難しいですね」

「そんな――」

「ただ一つ安心して欲しいのが、薬さえ服用すれば簡単に完治するものだそうですよ。あまり心配する事はないと思います」


 そこに仲間が居る事は分かっているのに、会いに行けないのか。何もこんな時に病を流行らせなくてもいいだろうに――本当にタイミングの悪い事だ。

 仮に服薬で完治すると言ったって、薬を買う金がなければ意味がない。綾那や陽香のように運よく協力者を得られなかったら、街へ入る事すらままならないのに。


 眉尻を下げて俯いた綾那を見かねたのか、おもむろに颯月が口を開いた。


「悪い、俺がどうにか密航の手伝いをできれば良いんだが――」

「颯。これ以上無茶やるのはさすがにダメだろ」

「仮に颯様が手伝ってくれたとして――どっちにしろアーニャ、には行けないんだよ」

「行けない? なあに、水色のお姉さん。もしかして潔癖なタチ?」


 可愛らしく小首を傾げる右京に、綾那は曖昧な笑みを返した。『水色のお姉さん』とは、随分と分かりやすい呼称である。


「ケッペキならまだ良いよ。コイツ病気にかかりでもしたら、冗談抜きで死ぬんだから。薬が一切効かねえ体ってのも、考えものよなあ」

「死ぬ……? 薬が効かない体って何?」

『あー。そっか、君「解毒デトックス」をもっているんだっけ』


 己の周囲を飛び回るルシフェリアに、綾那は頷いた。


「解毒」が打ち消すのは毒、アルコールなどの有害物質だけではない。薬には必ず副作用――体にとって有害なものが、大なり小なり含まれている。「解毒」はその、薬の効能まで綺麗に打ち消してしまうのだ。

 体に有害な物質全般を消せるとは言っても、しかし病原菌やウイルスの類は取り除けない。仮にそんなチート能力があったとしたら、「表」の内科医は医師免許の他に「解毒」の所有を義務付けられるだろう。


(そもそも病気しにくい体ではあるけど、昔ただの風邪をこじらせて死にかけた事もあるし……普段は便利なギフトなんだけどなあ)


 とある飲み会に呼ばれた時、酒に酔わせて悪い事をしようと考える人間が居ても。飲み物の中にを混ぜ込まれても。知人が何かしらのアレルギーに悩んでいても。そういった時には大活躍のギフトなのだが、薬効まで打ち消されては敵わない。


「綾が消すのは、悪いモノだけじゃねえのか――じゃあ南はダメだな。もう一人はどこに居る?」

『うぅーん……たぶん、感知できないのが「偶像アイドル」の子だと思うんだよね』

「まだ感知できないんですか?」

『まだって言うか……たぶん、ずっとできない』

「まさか、もう死んでるとか言うなよ?」


 目を眇める陽香に、綾那はサッと青褪めた。何せルシフェリアは、最初から「一人だけ感知できない」と言っていたのだ。もし陽香の言葉通りだとすれば――「奈落の底」へ転移させられた時、アリスは既に亡くなっているという事ではないか。


『正直、感知できない以上はなんとも言えない。「偶像」もちの子は、なんて言うか……説明し辛いんだよね。、カミサマの子にしか与えられないギフトだから』

神子みこは、あたしらも同じだろ」

『神子じゃあなくて、本当の意味でカミサマの子供って事』

「はあ?」

『だから、説明が難しいんだってば――とにかく、カミサマの力をギフトとして分け与えられている君らとは、根本的につくりが違うの。そういう子がこっちに来ると、しんどいだろうなあ……弾かれずに入り込めただけ、マシかなあ』


 一人納得した様子のルシフェリアに、陽香と綾那は「訳が分からない」と顔を見合わせた。

 アリスが神子ではなく『神の子供』とは、一体どういう事なのか。確かに彼女の両親と会った事はないので、そのルーツは分からない。しかし、神子とは生まれてすぐに国の機関へ預けられて、親ではなく国に育てられる事が多いのだ。


 神に特別愛された子、神の子と呼ばれる神子は、ド派手な色彩、容姿端麗な姿で生まれる――その姿は、肉親とは似ても似つかない事がほとんどである。神子の子供だからと言って、必ずしも神子になるとは限らない。これは、決して遺伝ではないのだ。

 似ていないのが原因で、妻が不貞を働いた結果の子供なのではないか――と、夫婦間の仲が悪化する事もしばしば。兄弟が居たとしても似ていない上に、神子が優れた容貌と能力を持っているせいで疎まれる事すら珍しくはない。


 一人の神子が原因で家庭崩壊するくらいならば、早々に手放すべきだろう。我が子が神子と分かった時点で国に任せて、それっきり迎えに行く事なく、縁を切る事例も多い。

 まず、神子はギフト教育のために一度国へ預ける事が、法律で定められている。神子は国の貴重な財産だ。預けている間は、国から毎月多額の謝礼が支払われる。それもまた、なかなか肉親が迎えに行かない原因のひとつである。


 神子がいくらか成長し、ギフトの教育も十分に済んだ所を見計らって、我が子を迎えに来る肉親も居ない事はない。しかし、神子を国の機関から連れ戻した時点で、謝礼の支払いは止まる。そもそも神子の方に、親の元へ帰るか、このまま国の機関で自立するまで生活を続けるか選ぶ権利があるのだ。

 大抵の神子は肉親に対する遠慮、または「血が繋がっているだけのに、今更迎えに来られても――」という理由で、拒絶してしまう。


 四重奏もまた、拒絶した側の人間で――綾那に至っては肉親が迎えに来る事すらなかったので、彼らがどのような姿形をしているのかも知らない。しかしそれは決して綾那だけでなく、神子には割とそういうタイプが多いのだ。


 産み落とした子供が神子だった場合、大抵の親はなかったものとして早々に次へ行く。二人続けて神子を生む確率は、かなり低いのだ。「我が子が国にとられた」と嘆く暇があるならば、国から支払われる謝礼を握り締めて、誰にも取り上げられない普通の子供を産む方が良いに決まっている。


(だから、アリスのご両親も見た事ないけど――まさかあの子の母親か父親が、ルシフェリアさんみたいな存在だっていう事?)


 詳しく聞こうにも、ルシフェリアは「説明しづらい、難しいからこの話は終わり。僕には「偶像」もちの子の居場所が分からない。ごめんね」としか言わない。


「ナギは渡航禁止、アリスは行方不明――いや、詰みじゃねえか」


 呆れた様子で独りごちる陽香に、綾那も複雑な表情で頷いた。


「……どうするよ」

「どうしようか」


 生身の人間が行き来できないのであれば、せめてルシフェリアに渚の様子を見に行ってもらうしかない。ここまで連れて来られなくても、ただ彼女が無事かどうかだけ教えてくれれば良い。きっと天使――この世界の神ルシフェリアなら、流行り病など屁でもないはずだ。


「とにかくルシフェリアさんには、南の――渚の所へ行って、彼女が無事かどうか……困っていないか、様子を見て来てもらえたらと思います。私たちが生きている事も伝えてください」

『うん、お安い御用だよ!』

「それで、アリスの事は――ゆっくり、考えようか」


 言いながら綾那は、目を伏せた。後悔しても仕方がないが、あの時自分が手を離さなければ、こんな事にはならなかった――と、思わずにはいられない。


『ようし、じゃあ僕、早速行ってくるよ! おっと、その前に――』


 ルシフェリアは、陽香の周りをぐるりと一周した。すると、彼女の体が柔らかい光に包まれる。


「お? なんだ?」

『お出かけ前の『祝福』だよ。長期間君と離れるのは、あまり気が進まないけれど……まあ、皆と居ればなんとかなるでしょう』

「の、呪いとやらに対抗する祝福ってヤツだな? サンキュー」

『うーん……あんまり、東には行かない方が良いと思うけどなあ。あっちの方って、古戦場跡が多いから――集まりやすいよ?』


 何が――とは、言わずとも察したのだろう。陽香はピャッと姿勢を正して、驚いた猫のように体を硬直させた。


『それに、悪魔も居るって話じゃあないか。単独行動は避けた方が良いんじゃないかな~。その方が、『良い事』がありそうだけどな~』

「悪魔――そうだ、ルシフェリアさん。東に居るっていう悪魔は、ヴェゼルさんの事ですか?」

『いや、あの子はあまり賢くないから――変な魔具作ったり、人に混じって何かしたりっていうのは、無理だと思うけど? 居るとしたら多分、兄の方だよ。心配なら君もついて行ってあげたら? というか、その方が賢明だと思うよ』

「お兄さん、ですか」


 ルシフェリアは「邪魔になった時は、エイ! しても良いよ。じゃあね!」と自分の言いたい事だけを言うと、開いてもいない窓をすり抜けて外へ飛び出していった。


「陽香。お化けが出るから、東には行かない方が良いって言っていたけど――」

「…………アーニャお前、暇? 暇だよな」


 青褪めた顔で引きつった笑みを浮かべる陽香に、綾那よりも先に颯月が反応した。


「綾を俺の目の届かん場所へ連れて行くのはダメだ、許可できん」

「た、ただの友人が、いっちょまえに束縛すんな!?」

「友人の前に上官だ、綾は今ウチの『広報』だぞ。一体アンタになんの権限があって、そんな無茶を?」


 颯月の言葉に、陽香はぐうと喉奥を唸らせた。


「オネーサン。そんなに怖いなら、ここに残れば? 僕一人でも平気だし」

「い、一度行くと決めた事を、覆す訳にはいかんだろうが! 陽香お姉さんを舐めんなよ!」


 威勢よく吠えた陽香は、しばらくの間ぐぬぬと震えていたかと思えば、やがてビシッと颯月を指差した。


「――ああ、分かった! アーニャが目の届く場所に居れば良いんだな!? じゃあ、颯様も一緒に来れば良いだけの話だろ! 解決!!」


 陽香のぶっ飛んだ提案に、颯月だけでなく右京までもが「――は?」と言って、目を瞬かせたのであった。

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