第3章 奈落の底を見て回る

第70話 状況整理

「分隊長! お元気そうで本当に――本当に、良かったです!」

「挨拶一つ出来ないまま隊を抜ける事になり、申し訳ありませんでした!」

「我々が不甲斐ないばかりに、分隊長には要らぬ苦労を――」

「ええ、私達の力が及ばず、領主の思い通りに動かされるなど……」


 攻め手を緩めず矢継ぎ早に話しかけてくる元部下に囲まれて、右京は「んああ、もう……一人ずつ喋りなよ! 整列!!」と叱り飛ばした。

 しかし彼らは叱られても尚、どこか嬉しそうな――それでいて照れくさそうな笑みを浮かべながら、威勢よく「申し訳ありません!」と姿勢を正している。


 綾那が陽香と再会した、翌日の朝。約束通り、陽香と右京は再びアイドクレース騎士団の本部を訪ねて来た。もちろん、今後の話をまとめるためだ。

 彼らを応接室まで案内するため、綾那は護衛の旭と共に、騎士団本部の入口で二人が訪れるのを待っていたのだが――。


 旭は右京の姿を見るなり、彼の小さな体を俵のように抱え上げると、訓練場へ駆け出した。訓練場には、元アデュレリア騎士団第四分隊の面々が揃っている。

 もちろん右京は「今すぐ降ろせ」と激しく抗議していたが、対格差というものがあるのだ。


 いきなり連れを誘拐された陽香は、驚きに目を瞬かせつつも、まるで右京の保護者のように「うーたん、腹が締まるのは好きじゃないって言うから、持ち方には気を遣ってやってくれ! たぶんお腹弱いんだと思う!」と、やや素っ頓狂な抗議をしながら彼らの後を追いかけた。

 陽香も右京も現時点ではアイドクレース騎士団の部外者だが、事前に旭が颯月の許可を取り付けているため、なんの問題もない。そもそも旭の手で強制的に拉致されたのだから、右京にはなんの落ち度もないだろう。


 そうして、ひと月以上振りに顔を合わせた元アデュレリア騎士団第四分隊の面々。彼らは右京の姿を見た途端、大喜びで彼を取り囲んだ。

 十歳児相手に謝罪やら喜びやらを熱苦しく伝える騎士の様子を、陽香はぽかんと口を開いて眺めている。


「陽香?」

「いや――うーたん、マジで隊長だったんだなって……あたし、本気で騎士ごっこしてるもんだと思って付き合ってたからさ。どっからどう見てもガキじゃん、やっぱ」


 陽香の事を記憶障害、意識の混濁を起こした精神異常者――と決めつけていた右京も右京だが、しかし魔法で肉体年齢を操作していると説明を受けて尚、彼の事を子ども扱いし続ける陽香も大概である。


「それも結構、慕われてるっぽいし……うーたん、口と態度が悪いだけで面倒見のいい子だって事は分かるんだけど――なんか、意外だわ」

「陽香が右京さんと行動するようになった時にはもう、旭さん達は……?」

「うん、居なかった。だから、第四分隊の分隊長だ~なんて自己紹介されたって、まずその『分隊』が見当たらねえんだもん。子供のごっこ遊びとしか思えねえっつーか――なあ、ところで、どういう状況? そんで、なんであたしはこんな隅に追いやられてんの?」


 陽香がアレと言って指差したのは、訓練場に面した道路を埋め尽くす女性の山である。

 彼女らは、宣伝動画をキッカケに『若手』騎士の追っかけを始めたファンだ。若手が表に出る前から、いち早く目をかけるのだ――と、毎日熱心に見学に訪れている者まで居るらしい。

 その様相は正に、まだ日の目を見ぬ地下アイドルの応援に人生を捧げる、熱いファンである。


 その熱狂的なファンは、突然現れたちびっ子騎士――右京の登場に困惑している。制服の色合いこそ違うが、彼の騎士服はまごう事なき本物だ。コスプレにしては出来すぎているし、だからと言って『騎士』と呼ぶには幼すぎる。

 謎のちびっ子として注目を浴びているのだろう――将来有望な美少女顔だから、尚更。


「私が騎士団の『広報』を任されたって話はしたよね?」

「ああ。んで、騎士って意外と楽しいよ~って動画が跳ねたんだろ? ……まさか、その結果がアレなのか? たった一本で? この世界の視聴者、チョロ過ぎなのでは――?」

「そもそも、動画配信って概念がないからねえ。テレビモニターも一般に普及してないから、ただでさえ娯楽が少ないみたいだし」

「ははあ、なるほどなあ」

「それで、陽香をファンの目に映らないようにしている理由だけど――」


 綾那の言葉を制して、陽香は「いや、だいたい分かった。そりゃあは邪魔だわ」と頷いた。さすがは四重奏のリーダー。結成から一貫して、異性のスタチューバーとのコラボ動画を禁じていただけはある。視聴者の感情の機微、動きには誰よりも敏感だ。

 ただでさえ男所帯の騎士団。そして、動画をキッカケにまるで男性アイドルのような扱いになった騎士だ。彼らの傍に女性の影がチラつけば、熱いファンは波が引くようにサーッと離れていくだろう。もしくは烈火のように怒り狂って、邪魔な陽香を害そうとするか。


 陽香は、アイドクレース領民憧れの正妃に似た最高の女性なのだ。良い方へ転ぶか悪い方へ転ぶか、現時点では全く予想がつかない。


(ゆくゆくは陽香にも、動画の演者をしてもらいたいとは思っているけど――お披露目するタイミングは、絶対に今じゃないよね。折角女性ファンを多く掴んだんだから、ここで手放すのは惜しい)


 やや戦略的というか、せこい考え方ではある。しかし、これは遊びや趣味ではなく『広報』としての仕事なのだ。ただ綾那が楽しいだけで終わらせてはならないし、騎士の人気が一過性のもので終わってもいけない。


(ああ、早く陽香と広報動画について話したい――けど、まずは目先の問題から)


 綾那はちらりと空を見上げた。今日も元気いっぱいに、小さな光る球体――ルシフェリアが飛び回っている。昨日は頑なに下へ降りてこなかったが、今日はあの自称慈愛の天使とも話ができるといいのだが。


 いまだ右京との再会に盛り上がる旭達。訓練場の騒ぎは、既に応接室で待っていた幸成が痺れを切らして、綾那達を呼びに来るまで続いたのであった。



 ◆



「――つまり、何? 君達、本気で僕を入団させる気なの?」


 ぽかんと呆けたように呟く右京に、和巳が頷いた。


「アイドクレース側は異論ありませんよ、旭達から評判は伺っていますし……悪魔憑きの戦力の高さについては、颯月様が実証済みです。我が騎士団はあなたを歓迎します」


 和巳はそのまま、「ただ、後々言いがかりを付けられては困りますので、アデュレリアとはきちんとケリをつけて来てくださいね」と続けて、柔和な笑みを浮かべた。

 ただでさえ人手不足に喘ぐ騎士。他所の騎士団が「要らない」と言って捨てるならば、アイドクレースが拾っても文句は言われないはずだ。だからこそ、右京にはしっかりとクビを言い渡されてもらわねば困る。


「能天気というか、懐が深いというか……そんな簡単に決めても良いの? いくら旭達から話を聞いたとは言え、僕の素性をよく調べもせずに――」

「まあ、あたしの年齢をまともに調べずに放置した、うーたんが言えた事じゃあねえけどな。もしあたしが婚約者がどうたらこうたらって法律違反で捕まってたら、どう責任とるつもりだったんだよ」

「いや、オネーサンは……誰の目から見ても十四歳ぐらいにしか映らないから、きっと平気だったと思うよ」

「可愛くねえガキ!」

「だから、僕の方が年上だし」


 美少女と見紛う愛らしい容貌で、「別に、可愛くなくて良いよ」と続ける右京。陽香は腹が収まらなかったのか、彼のサラサラの髪を両手でかき回してぐしゃぐしゃにした。


「とりあえず、うーたんは一度アデュレリアに戻って――向こうの団長さんと話をつけてこなきゃならんのだな」

「ええ。間違っても、アイドクレースが右京殿を引き抜いた、なんて噂されては困りますから」

「じゃあやっぱ、あたしもついてくよ。話すだけならすぐだろうし、子供の一人旅は危ないだろ。うーたん中身はともかく、見た目のスペックだけは引くほど高いからな。人攫いに遭うに決まってる」


 一人頷く陽香の言葉に、右京はまた「だから、子供じゃあ――」と言いかけて、しかしこれ以上言っても無駄だと悟ったのか、口を噤んだ。


「電話――例えば、遠く離れた所と連絡する通信手段はないんだろ? 魔法にしろ、魔具にしろ」

「仮にそのように便利なものがあれば、自分は領を追い出されたあと、いの一番に分隊長と連絡を取っていたでしょうね」


 陽香の問いかけに、苦笑いの旭が答えた。


 そう、この「奈落の底」。ほとんど「表」と変わらない文明的な世界なのだが、車やバイクなど駆動型の乗り物が存在しない事や、電話やインターネットが存在しない事など――遠く離れた人物とは、気軽に連絡を取り合えないのだ。

 領間を移動するにも、己の足または馬車を使うしかない。


 今までアイドクレースの大衆食堂『はづき』で流されていた、国の催事や天気予報を伝えるための動画だってそうだ。遠く離れた位置に居る撮影者から、データが送られてくる訳ではない。転送なんてもってのほかだ。

 SDカードの役割をもつ記録媒体の魔具そのものを人が運んできて、ようやく店で流せるのだから。


 幸成が「撮影者はその時々で変わるけど、大抵は役場の人間がやるよ」と言っていた意味がよく分かる。どこか一か所で撮影されたものを全国へ配るのではなく、各市町村の役場がそれぞれ撮影して、最寄りのモニターに映し出されているだけ。同じ内容の紙媒体が各地に掲示されているとの事だし、必ずしも動画配信に頼る必要はない。


「電話やインターネットを新しく普及させるなんて、最高の内政チート感あるけど……そもそも仕組みをよく知らんからな。現実問題、仮に仕組みが分かった所で各地に電波塔を建てて、電話線を引くって――それもう、国の一大事業になっちまうもんなあ。普通に無理そうだ」

「それはさすがに、私達には荷が重いと思う」


 陽香は「あると便利なんだけどなあ」とぼやいたが、しかし無理なものは無理である。瞬時に気持ちを切り替えると、再び口を開く。


「んじゃ、まあ……やっぱ一回、アデュレリアに戻るしかないな」

「旭の時と同じように、問答無用で通行証を取り上げられる可能性は? その上冤罪をかけられるとか」


 颯月が問いかければ、右京は口元に手を当てながら俯いて、考え込んだ。


「五分五分――いや、九割九分取り上げられるんじゃないかな」

「そうなった場合、アイドクレースに戻ってこられなくなりますね――先んじて、こちらで通行証を発行しておいた方が良いでしょうか。仮に一つ取り上げられたとしても、手元に一つ残るように」

「ああ、それが良い。どのくらいかかる?」

「急ぎで……そうですね。滞りなく進めば、早くて三日ほど――」


 颯月と和巳のやりとりに、右京は慌てた様子で「ちょ、ちょっと待って」と口を挟んだ。


「通行証の二重発行は原則禁止だよ? 所持もね」

「ああ、その事でしたらご心配なく。あなた方はただ、我々からお守り代わりの『封筒』を受け取るだけですよ」

「…………『封筒』って。中身は通行証だって分かっているのに、不正の片棒を担げって言うの? アイドクレースの騎士って、とんでもない不良集団なんだね」

「だが、そうでもせんとアンタまで路頭に迷うだろう? 通行証なしで追い出されたら最後、どの街にも入れんし――綾の家族を道連れにするんだから、多少の不正には目を瞑るべきだ」


 頷く事なく無言のまま目を眇める右京に、綾那は「さすが旭さんの上官、真面目」と感心した。

 旭からも度々、「礼儀を重んじる」「他人にも自分にも厳しい厳格者」「常識人」と聞かされていたが――右京はいかにも騎士らしい騎士だ。


(言われてみると確かに、アイドクレースってちょっと緩いのかな……居心地は良いんだけど)


 地域の差か、それとも団長の違いか――恐らく後者だろう。


「じゃあ、あたしが代わりに預かっとくよ。あくまでも『お守り』だからな、使わずに済むかも知んねえし」

「………………オネーサンの手を汚すぐらいなら、僕が持つよ」

「なんだよ、子供なんだから遠慮すんなって! 陽香お姉さんに任せとけ!」

「いや、遠慮って言うか、オネーサン一人に汚いモノを押し付けて、自分だけ潔白を貫くのは凄く、なんか――耐えられない……矜持の問題だよ」

「その汚いモノに感謝する時が来るかも知れんだろう? ここは大人しく受け取っておけ」


 颯月が畳みかければ、右京はグッと眉間に皺を寄せて、まるで苦虫を噛み潰したような渋面になる。

 不正を行うのは嫌だが、しかし保身の為に他人を使う事の方がもっと我慢ならないらしい。彼はとにかく真っ直ぐで、曲がった事を嫌う気質を持っているのだろう。

 少々強引に承諾させた形にはなるが、ひとまず新たな通行証が発行されるまで、早くて三日――右京と陽香はその間、アイドクレースに留まらなければならない。


 陽香は「また宿取らなきゃな。昨日泊まった所ご飯美味しかったから、あそこにしようぜ?」と朗らかに笑っている。二人にも騎士団宿舎を解放できれば良いのだが、一応まだ部外者だ。最低限の筋は通さねばならないだろう。


「なあ。ところでちょっと、アデュレリアについて聞きたい事があるんだけどさ」


 おもむろに幸成が口を開けば、右京は首を傾げた。


「領主が悪魔と通じてるって、マジ?」

「悪魔?」

「昨日、アデュレリアの領主に雇われてるって言う、犯罪者から聞いた話なんだけどさ……ヤツら、領主の息子に頼まれて人を攫おうとしてるんだよ」

「えっ――領主の息子が?」

「なんでも、初恋を拗らせておかしくなってるらしい。昨日居た女、覚えてるか?」

「それ、ユッキーの彼女のこと言ってんの?」

「ゆ、ユッキー? ……もしかして俺の事? そんな呼ばれ方したの、生まれて初めてなんだけど――」


 陽香に付けられたあだ名に戸惑いながらも、幸成は「そう、桃華の事」と付け足した。綾那の『アーニャ』にしろ右京の『うーたん』にしろ、陽香は人に変わったあだ名を付ける癖があるのだ。

 仮にも王子である幸成に、こんなあだ名を付ける者は他に居ないだろう。


「人攫いが襲ってきたのは、これで二度目だ。結構困ってんだよな」

「確かにここ最近、領主の様子は以前にも増しておかしい……と思う。ただ、悪魔――そうか。もし人に擬態しているとしたら、見ただけじゃあ分からないかもね。領主が最近、見慣れない男とつるんでるっていう噂なら聞いた事があるよ」


 彼らの話を聞いて、陽香が不思議そうに首を傾げる。


「悪魔ってのは人を洗脳したり、精神的に毒したりする訳か? うーたんからは、眷属を作り出す存在だって聞いてるけどさ」

「正直、悪魔については記録も文献もほとんど残されていません。目撃例も極端に少ないですから……彼らがどのような存在なのか、想像がつかないというのが正直なところですね」

「へえ~レアキャラなのか! どんなだろうな、見てみたい!」


 和巳の説明に目を輝かせて屈託なく笑う陽香に、右京は「何を呑気な――」と目を眇めた。『悪魔』なる存在に期待を抱く陽香に水を差したくはないが、綾那は苦笑を浮かべて口を開く。


「陽香、私達がこっちに来た時のこと覚えてる?」

「うん? ああ、そりゃ勿論! 何せイカの魔獣をカメラに収めたのは、初めてだったからな……アレは燃えた。欲を言うなら、アリスが引きずり込まれる瞬間まで完璧に撮り切りたかったよ」


 言いながらうんうんと頷く陽香に、綾那は眉尻を下げた。


「どうも、あれが悪魔だったみたい」

「へえ、あれが――アレが悪魔!? …………イカだったけどな!?!?」


 陽香は瞠目して、「確かに、英語で『デビル』フィッシュ――いや、誰がそんな大喜利しろって言った!?」と、綾那と全く同じ感想を吐き出した。

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