第30話 変装

「――という訳で、髪も瞳も黒くできるんです。桃華様は私の代わりにマスクを付けて、とりあえず移動中は布を被ったまま――竜禅さんと合流した後に、「水鏡ミラージュ」でしたっけ? アレを掛けてもらえれば、彼女の髪色が水色に見えないかなって」


 ウィッグやコンタクトの使用方法を説明すれば、颯月は「ほう」と興味深そうに呟いた。

 変装道具を常備しているなど、またしても綾那自らスパイ疑惑を深めたようなものだ。しかし、この派手な髪色を考えれば別段おかしくもないだろう。


 綾那は桃華を見やると、申し訳なく思いながら口を開いた。


「その……大事なものだとは思いますが、攫われた被害者が黄色い服を着ていないとおかしいので。私の服と交換して頂いてもよろしいですか?」

「え、あ――あの、お姉さま。私のために、本気なのですか?」

「うん? 本気ですよ」


 綾那の言葉に、桃華はグッと眉根を寄せて唇を戦慄わななかせた。


「そこまでよくして頂いても、うまく行かなかったら――お姉さまが……いえ、もしかすると、颯月様まで詐欺罪に問われてしまうのでは?」

「そっ、颯月様が!? 私はともかく、それはまずいね……!」

「アンタ、本当に俺の事好きだよな」


 どこか感心するように呟く颯月に、綾那は「唯一絶対神に傷をつけて堪るものですか!」と吠えて唇を噛んだ。

 奈落の世界で犯した罪が「表」にまで影響するならば話は別だが、恐らくその心配はない。ゆえに綾那一人が犯罪者扱いされる分には問題ないが、しかしリベリアスに住む颯月にまで罪を着せるのはまずい。


 何がなんでもこちらに非はないと――悪いのは絨毯屋だと知らしめなければならない。

 スマートフォンの動画だけでも犯罪の証拠として使えそうだが、しかし「攫われたのは桃華ではない、別の女性だ」とうそぶく部分は厳しい。


 まだ幼い少女が相手であれば、綾那の強引な謎理論のゴリ押しでも言いくるめられた。ただ、成人――それも交渉に長けた商人相手に同じ手が通用するとは思えない。

 渚がこの場に居れば結果は違ったかも知れないが、今は居ないのだから仕方ない。


 綾那は腕を組んで「うーん」と考え込んだが、ふいに師の言葉を思い出すと、ポンと手を打った。


「分かりました。いざとなったらオーナーさんを泣き落としましょう」

「泣き――いや、ガキの喧嘩じゃないんだが」

「あら颯月様。私のを甘く見ないでください」

「まさか、それも綾の『魔法』か?」


 まるで面白い玩具を前にした子供のような、期待の籠る眼差し。綾那は意味深長な笑みを返して明言を避けた。


(いや――泣き落としなんてギフト、ないんですけどね)


 泣けば全てを許される、泣けば相手を思うがまま操れる――なんて、そんな都合のいいギフトは存在しない。しかし綾那は昔、師に指摘された事があるのだ。


 ――「綾那って、本当に得な顔をしてる。本気で泣かれると罪悪感にさいなまれて、とにかく、今すぐに泣きやませなきゃって気持ちにさせられるんだもん……ここまで来ると、『隠れギフト』かも知れないよ?」と。


 実際、そんなギフトは存在しないのだ。

 ただ師の言う通り、学生時代に陽香が無茶苦茶をして退学になりかけた時も、「偶像アイドル」のせいでアリスに敵意剥き出しの女性がしつこく――それこそ、犯罪すれすれのレベルで絡んできた時も。

 渚がとあるギフトを使って、危うく警察のお世話になりかけた時も。綾那が涙ながらに謝罪すれば、不思議といつも許されたのである。


 普段鬼のように厳しい師でさえ、過酷な鍛錬に耐えかねた綾那が音を上げて泣き出した時には、即座に手を止めて「ごめんね? 今日はもう終わりにするから――ね?」と慰めにかかる。

 それこそ綾那自身、本当に隠れギフトなのではないかと疑う程だった。


 ――ただし、これはあくまでも綾那が泣いた時の話である。


 本気も嘘も同じ泣き顔じゃないかと思うのだが、師が甘くなる事に味を占めた綾那が「もしや、嘘泣きでも鍛錬を切り上げられるのでは?」とくわだてた際には、かなり手酷い制裁を受けた。

 そして、制裁後に本気で泣いて反省する綾那を見てようやく、師は態度を軟化させたのだ。


(オーナーさんと話す過程で、もし私が桃ちゃんの身代わりになっているとか、騙そうとしているとか――そういう事を疑われたとしても、本気で泣けば有耶無耶うやむやにできないかな~~なんて、さすがに甘いかな)


 綾那は、マスクの下で眉間に皺を寄せた。

 いくら演じる事に慣れているとはいっても、女優でもなんでもない綾那が、ここぞの場面で嘘泣きするだけでも大変な事だ。しかも嘘泣きどころか、今回は泣かねばならない。

 一体何を想像すれば、本気で泣くほど悲しい気持ちになれるだろうか。


(こうなったら――小学生の頃、学級で飼っていた鶏が死んじゃった時の悲しみを思い出すしかない、か……!)


 胸中でズレた決意をしても、「本当にその題材でいいのか」とツッコみを入れてくれる者はどこにも居ない。そうしてやる気をみなぎらせる綾那を見て、桃華が言い辛そうに口を開いた。


「あの、服を交換するのは構わないのですけれど……お姉さまは、その――お胸が入りきらないと思います」

「ぐッ、――ゴホッ!」


 極めて深刻な表情で言う桃華に、颯月は激しくむせて咳込んだ。

 綾那がじっと見やれば、彼は口元を手で覆って咳払いを繰り返している。そして最後には顔を逸らして、まるで笑いを堪えるような震え声で「お――俺は何も聞いてない」と答えた。

 綾那は「そんな訳があるか」と思ったが、ここで変に突っかかっても藪蛇だ。再び鞄に手を入れると、「ご安心を」と中から胸部コルセット型の簡易防弾チョッキを取り出した。


「桃華様、コルセットを締めるのは得意ですか? これで潰せば、細身の服も入ると思うんですけれど――」

「あっ! ご、ごめんなさい。母から締め方を教わった事はありますが、どうも私、力が弱いみたいで――いつも満足に締められなかったから、難しいかと……」

「えっ」


 彼女は服屋の娘だから、人のコルセットを締めるくらい朝飯前だと思っていたのに――完全にアテが外れてしまった。他に女性が居ないので、桃華にしか頼めないのに。


(いや、まあ、確かに……これだけ華奢なんだもん。力、弱いに決まってるよね――)


 コルセットを装着する際には、それなりの腕力が必要だ。思いきり締めるために装着者の背中を足蹴あしげにする事だってある。

 桃華の言う通り、華奢な彼女が着ている細身のワンピースを、色々と豊満な綾那が素のままで着こなせるはずがない。特に背中のジッパーを閉めるためには、胸を潰すのは必須である。


 綾那は必死で考えて、頭の中で天秤を揺らした。いっそ黄色い服を着用する事は諦めて、オーナーと会うか。しかしそうすると、「桃華の黄色い服を着ていたから、誤って攫われた」という作り話が通用しなくなってしまう。


 であれば、綾那が今とるべき行動は――。


「………………颯月様は、紳士的で誠実な素晴らしい騎士様ですよね?」

「待て綾、正気か?」


 綾那の言わんとする事を察したのか、颯月は口元を押さえたまま固まった。


 別に、裸を見せる訳ではない。後ろからコルセットの紐を締めてもらうだけなら、ほんの少し背中を見られるだけだ。つまり、確実に紐を締められるだけの筋力をもつ颯月に頼むのが、最も手っ取り早く確実な方法であった。


「私は、絶対に黄色い服を着ていないといけません。今から外へ出て新しい服を仕入れる時間はありませんし、時間をかけ過ぎるとアリバイ工作感が拭えません。どうせ着るなら、実際に桃華様が愛用している服の方が確実です」

「……だが、そこまで体を張られると」

「颯月様。締める時は思いきり、全力でお願いしますね?」


 有無を言わせぬ綾那の物言いに、颯月はやがて観念したのかため息を吐き出した。


「本当に良いのか? その――俺が見ても」

「ええ、構いませんよ」


 構わないどころか、むしろ綾那は申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。宇宙一格好いい男の目に素肌を晒して良いのは、同じく宇宙一美しい女性だけである。


 そんな二人のやりとりを見て、桃華は感極まったようにハラハラと涙を零した。


「お姉さま、私のために、そこまで――分かりました、仰る通りにします」

「……ああ、俺も腹を括る」


 ここまで来たらもう、後は野となれ山となれである。綾那は大きく頷くと、颯月と絨毯を目隠しにして、桃華と共に着替え始めた。



 ◆



(もう、やっぱり嫌い! この防弾チョッキ!!)


 綾那は、なんとか桃華の黄色いワンピースに腕を通す事に成功した。

 もちろん所々窮屈だし、桃華が着用していた時は足首まで隠れる楚々としたロングワンピースだったものが、膝下までの長さになっている。ただ、この程度であれば許容範囲だろう。


 しかし当初の予想通り、背中のジッパーだけは胸がつっかえて上がらなかった。やはり、颯月にコルセットの着用を手伝ってもらうしかない――そう諦めて、しっかりと胸が潰れるようにきつく締めてもらった結果、無事ジッパーを上げる事に成功したのである。


 いや、成功したのだが、あまりに息苦しい。

 姿勢よく立っていないとコルセットの締め付けが増すので、体中に力を入れて姿勢を保たねばならない。胸を締め上げているので、自然と呼吸も浅くなる。そのお陰で一時的にスリムにはなれたが、長時間この状態を続けると酸欠で倒れそうだ。


(だから、陽香と魔獣狩りしていても付けたくなかったんだよね――コレ。「表」に帰ったら、いの一番に新調しよう)


 昔、師に「もしもがあると困るでしょう」と渡されてから、ずっと着用を渋っていた代物。以降すっかり成長してしまった体に、全くサイズが合っていない。だから必要以上に胸が潰れて、その苦痛を避けるためにますます着用しなくなる。悪循環だ。


「綾那お姉さまって、とても――なんというか、お綺麗な方だったんですね……」


 綾那が貸与したマスクで目元を隠した桃華が、うっとりとため息を吐き出した。彼女は、ややサイズの緩い――元々綾那の着ていた服を身に纏っている。

 よくよく考えてみれば、彼女の前で綾那がマスクを外すのは、これが初めてだ。


 神子みことして生まれた以上、容姿を褒められる事には慣れている。しかし、「まあ、『神子』なんだから綺麗で当然だよね?」という「表」特有の含みがない誉め言葉は、少々照れくさい。


 綾那は桃華に向かって微笑んだ後、黒髪のウィッグを被り、瞳には黒いコンタクトをはめた。続けて鞄から手鏡を取り出すと、マスカラで眉と睫毛を黒く染める。

 アイドクレース人にはありえない白肌らしいが、北部ルベライト領の人間はこれぐらい白くて当然との事だ。「北部出身です」とでも言っていれば平気だろう。


 むしろ、逆にこの肌色のおかげで「桃華を守るための身代わりとして、その辺りから連れて来た適当な女」とは思われにくいはずだ。


「これで、少しはリベリアスの人っぽくなったかな?」

「いいえ……あまりに素敵過ぎて、ひとつもリベリアスっぽくありません。お姉さまは女神様だったのですか?」

「ぽくならないと、困るんだけどな――」


「ほうぅ」と熱っぽい息を吐く桃華に、綾那は苦笑した。彼女の場合、綾那を「唯一無二の同性の友人だ」と過度に気に入っているため、その欲目が出ているに違いない。

 まあ、好いてくれる分には構わないだろう。綾那は桃華に「もう少し、ここに隠れていてね」と言い残してから、颯月の元へ向かった。


 彼は少し離れた場所に立ち、綾那と桃華の目隠しの壁になってくれていたのだ。


「颯月様、お待たせしました」


 綾那が呼びかけると、颯月はゆっくりと振り返った。


「なるほど、これなら――しかし、髪色だけで随分雰囲気が変わるんだな」

「はい。私は、颯月様の出した「近いうちに別の男性と結婚する」という条件を満たした上で婚約者になったはずが、あなたと過ごす内に本気になって――幼馴染というアドバンテージをもつ桃華様に嫉妬して、犯行に及んだという設定で行こうと思うのですが……颯月様?」


 綾那をじっと見下ろすだけで、反応の薄い颯月。改めて名を呼べば、彼は目元を甘く緩ませた。


「ああ、悪い。久々に顔を見られたのが嬉しくてな。アンタその色も似合うぞ」

「ぅぐっ――い、いえ、嬉しいですけど……お願いですから、その顔で気軽に誘惑してこないでください。こんな事件を起こされるほど女の子から慕われておいて、ご自分がどれだけ魅力的なのか、まだ分からないのですか?」


 颯月はなぜ、流れるように人を誘惑してしまうのだろうか。やはり悪魔なのか。綾那は胡乱な目つきで颯月を見上げたが、彼はなんとも言えない苦笑を浮かべた。


「この顔が? 気に入ってくれている綾には悪いが、俺に近付く女は顔に引き寄せられている訳じゃあねえ。言っただろう? この容姿を理由に遠巻きにされるって」

「そんなはずがないでしょう、何バカな事を言ってるんです! 美しすぎて、こっちは目が合っただけで心臓爆発しそうなんですよ!? そりゃあ遠巻きにもしたくなりますよ!」

「いや――」

「いやじゃない! どうしてそう自覚が乏しいんですか? 顔はキレイだし身長は高いし――」

「綾」

「スタイル良いわ、ガタイがよくて頼りがいあるわ……声まで低くてセクシーで、あと他に何が欲しいんです? これ以上スペックを高めたら、『人間』の域を越えますよ!?」

「……なあ綾、もしかして俺はまた口説かれてんのか?」


 とろりと緩んだ紫色の瞳に見下ろされて、綾那はぱちぱちと目を瞬かせた。今そんな話はしていない――と考えたのも束の間、ハッと我に返って頭を抱える。


「もう! どうしていつも簡単に口説かれちゃうんですか! ノーガードでボディを打たせてどうするんです、もっと脇をしめてください!」

「違う、ガードの上からアンタがぶん殴ってくるんだ。――ック、誰か助けてくれ、このままじゃあ、俺まで綾にビアデッドタートルされちまう」

「ビアデッドタートルされるとは、一体どういう状況を指すのですか……いいえ、それよりも今は、桃華様の事ですよ」


 何を変な造語を作っているのだと思いつつ、綾那は話題の修正を試みた。正直、誰よりも脱線していたのは綾那だった気もするが。

 颯月は頷くと、「これで俯いていれば、被害者感が増すだろう」と、己が背に纏うフード付きの外套を綾那の肩に掛けた。続いて、壁際で整列している賊へ目配せをする。


「オーナーの元まで行く前に、ヤツらの話を聞く余裕はあるか? さっき相当強く締めただろう、まともに呼吸できているのか心配でな」

「あ――はい、ありがとうございます。平気ですよ」


 颯月の提案に、綾那もまた頷き返した。確かに、オーナーの罪を追及しに行く前に、彼らの話を聞いておいた方が良いだろう。

 彼らは誘拐の実行犯である。

 アデュレリアに居るらしい黒幕の詳細は聞かされていないようだが、少なくともこの屋敷の所有者とは面識があるのではないか。オーナーが悪いとハッキリ証言してくれれば、こちらとしても万々歳である。


 ちらりと屋敷の警備を見れば、彼らはようやくビアデッドタートルを解体し終わったところだった。これから、亀だったものを少しずつ外へ運び出すらしい。

 あの作業が終われば、次は「オーナーに状況の説明を」という話になるだろう。もう、あまり時間は残されていない。


 綾那をその場に残したまま賊へ近付いた颯月は、代表らしき男を一人連れて戻って来た。桃華を守るために強く抵抗していた男だ。彼は初め綾那を見て驚いたように瞠目したが、しかし軽く頭を振って表情を取り繕う。


 颯月は男と向き合うと、自己紹介がてら話し始めるた。


「アイドクレース騎士団、団長の颯月だ。アンタらの事情を聞きたいんだが、協力してくれるか?」

「だ、団長!? あなたを見た時に、まさかとは思いましたが……やはり、――『紫電一閃しでんいっせん』、なのですか」

「……あくまつき?」


 男の口から思いがけない言葉が飛び出したため、綾那はついオウム返しする。しかし、その横で颯月が眉を顰めたのを見て、慌てて口を噤んだ。


「ああ、そうだ――で、協力する気はあるのか」


 常よりも低い声色で問うた颯月に、賊の男と綾那は揃ってごくりと生唾を飲み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る