第23話 追跡者

「お姉さん、今それ何したの?」


 背後で聞こえた声に、綾那はヒッと喉奥を引きつらせた。

 おずおずと振り返れば、やたらと筋肉質で体格のいい若者――幸成がこちらを見下ろしている。


 彼はいつもの騎士服ではない。ぴったりとした長袖のTシャツの上に半袖のパーカーを羽織って、下は通気性の良さそうなコットンの長ズボンを履いている。ただ、腰元のベルトには普段通り長剣が差さっていて、何やら今の彼の姿はチグハグだ。


 とても勤務中という服装ではないものの、彼の右手にはペン。左手には、今までに綾那のとった行動全てが事細かく書き記された分厚いノート。こんな姿をしていても、幸成はれっきとした職務の最中なのである。


「ええと……カタバミの写真を撮りました」


 以前、和巳に案内してもらった事のある騎士団本部の裏庭。和巳はカタバミについて「雑草と捉えられがち」と言っていたが、やはり「表」で見慣れているものだし、綾那としては小さくて可愛い花だと思う。


 だから、撮影するために花の横にしゃがみ込んで、スマートフォンのカメラを起動させた。

 そのままカシャリと音を立ててシャッターを切れば、背後で綾那の行動を見張って――見守っていた幸成から、冒頭のセリフを投げかけられたという訳だ。


「見てもいい?」

「……ハイ」

「ふぅん、やっぱり不思議だな。魔具とは違うけど、機能は一緒。ハイ、どうも。返すね」

「はい……」


 あの少女漫画大騒動から、早いものでもう二週間が経った。

 幸成は宣言通り、あれから毎日綾那の元を訪れては『綾那観察ノート』なるものに行動履歴を書き綴っている。


 彼は相変わらず、本業の戦術指南で忙しい。しかし聞くところによると、どうやら早朝――それこそ三時とか四時とかいう、深夜に近い時間帯から朝食の時間まで、ずっと若手の訓練をしているらしいのだ。


 そうして朝食後に綾那の元を訪れると、夕食を終えて自室に戻るその瞬間まで、一時も離れない。綾那が自室へ戻った後は、日中やるべきはずだった訓練をずらして開始する。

 本人曰く「日が変わるまでには寝てるから、平気」との事だが、この二週間ほとんど一睡もできていないのでは? と思うほど、目の下のクマは日に日に濃くなっている。


 彼がラフな格好で綾那の観察をしているのは、いつでも昼寝できるようにと考えての事だ。もちろん彼が昼寝する間、綾那は謎の魔法陣の上に立たされる。

 そして「ちょっと俺仮眠するけど、この陣から出たら爆発しちゃうから……俺の見てないところで死んだらヤだよ、お姉さん?」と愛想笑いをぶつけられるのだ。


 何をしようが「それは何? 今の何?」と事細かく調査されて、綾那の気が休まるのは自室で過ごす時間だけ。

 調査されるのが嫌で何もせずに居ると、「何を考えてるの?」と怪しまれるわ、穴が開くほど見つめられるわ――それはそれで耐えられないのだ。


 しかも、そうして二週間観察したからと言って、幸成の気が済む様子はひとつもない。

 そもそも冤罪というか――確かに、密入国やら騎士団長に対する無礼な態度やら、問題行動は多々あったと思うが――綾那にはスパイする気概も、人を洗脳する能力もない。


 ただ、かれこれ出会いから丸三週間ほど颯月の顔を見ていないにも関わらず、彼はいまだに綾那を「一刻も早く広報に」と望んでくれているらしい。

 それが幸成の目にはどうにも映るようで、保護観察が終わるどころか、疑惑は日々深まるばかりだ。


(私自身がしんどいのもあるけど、ここ最近の幸成様って社畜の極みみたいな生活して……あと、幸成様の時間変更に付き合わされている団員の方々が不憫。どうしてこうなったの)


 この二週間、幸成を怒らせた一番の行動は何だろうかと考えた。その結果、恐らく彼のは颯月を除くと桃華なのだ。彼女が洗脳されたらと思うと、心配で仕方がないらしい。


 あの騒動以来、桃華はすっかり綾那に懐いてしまった。

 彼女は約束した通り、何かにつけて綾那の行動範囲まで足を運んでくれた。あとは金木犀の香りが近付く度に、綾那が偶然を装って移動すれば彼女と出会えるという訳だ。


 桃華が大喜びするので、毎日でも会いたい気持ちはあるのだが――何せ今は、ずっと幸成と共に居るので難しい。

 幸成の観察が始まってすぐの頃。桃華の香りが近付いてくるのを察知した綾那は、とりあえず顔を見せておこうと近付いた。

 しかし、彼は正面から桃華が歩いてくるのに気付いた途端、「お姉さんストップ! 出ると死ぬよ、ちょっとそこで待ってて!」と謎の魔法陣を展開したかと思えば、桃華を追い払ってしまったのだ。


 苛立った様子で綾那の元まで戻った幸成は、「桃華の事は颯と同じように考えて。俺が許すまで、絶対に近付かないで。分かった?」と凄んだ後に、ようやく魔法陣を解除してくれた。

 桃華には悪いが、やはり命は惜しい。綾那は我が身可愛さに承諾するしかなかった。けれど、肝心の桃華が一切納得していなかったらしいのだ。


 毎日時間や場所を変えて近付いては、綾那が気付くだろうかとしばらく待機して――結局、会えないまま諦めて帰っていく。

 運良く幸成の昼寝時間にかち合った場合は、生け垣の茂みや建物の陰からじっと綾那を覗き見て、目が合えば嬉しそうに手を振り帰っていく。


 例え幸成が寝ていても、彼の魔法陣から出ると爆散するらしい。綾那は、ただ引きつった笑みを浮かべながら手を振り返すしかできないのだ。


 ギフト「追跡者チェイサー」は、半径十キロ圏内の匂いを追える。この私有地内であればどこでも追えるし、それは彼女が街へ降りたとしても同じだ。毎日じっと待ちぼうけしている桃華の気配を感じるのは、正直しんどい。

 じっと待って、それでも綾那が顔を見せない事にしょんぼりと肩を落として――別館までトボトボ歩く彼女の後ろ姿が、目に浮かぶ。


(だからと言って、幸成様に「追跡者」を説明してどうなるのって感じだし)


 なぜ桃華に対してそんな力を使うのかと問われれば、「だって、いい匂いだったから――」としか言いようがない。

 いい匂いだから、なんて理由でストーカー行為を正当化する事はできないし、案件の脅威レベルが上がるばかりである。


 綾那は細く息を吐いた。奈落の底に落ちてから三週間、いまだにキューからの連絡はない。

 ここ最近は幸成の事で手一杯なので、寂しいとか不安とか思う暇はない。それはありがたいのだが――だからと言って、いつまでこんな状況が続くのかと思うと憂鬱になる。


 事態は何一つとして好転していないのだ。


「――あ。幸成様、あの裏門も撮っていいですか? すごく綺麗で、明るい時に近くで見てみたかったんです」

「うん? ああ、まあ、良いよ。だけど、外には出ないでよね」

「勿論です!」


 綾那はふと、金木犀の香りが強くなった事に気付いた。恐らく桃華が裏通りの道に姿を現すのではないだろうか。


(あの門の写真が撮りたいのは本当だし、幸成様も「良いよ」って言ってくれたし……桃ちゃんと出くわすぐらい、別に良いでしょう)


 綾那は、背後をピッタリと歩く幸成と共に裏門へ近付いた。

 ここ二、三日、桃華の顔を見ていない。毎日気配は近付いてくるものの、こちらのタイミングが合わずに全く動けなかったのだ。


 この二週間、綾那は幸成の冷え切った金色の瞳しか見ていない。四六時中彼が監視についていれば、竜禅も和巳も綾那を構う口実がないので、わざわざ顔を見せにこない。

 神である颯月の姿も全く見られないし、綾那だって癒しが欲しい。そろそろ桃華の、あの人懐っこい大きなオレンジ色の瞳に微笑まれたいのだ。


 裏門のすぐ傍まで近付いた綾那は、思わず感嘆の声を上げた。やはり真夜中に見るよりも、明るい時間帯に見た方が豪奢だ。白を基調としているから、光を反射してより幻想的に見えるのだろう。


 綾那は、さも撮影が目的のようにスマートフォンを構えながら、裏通りを桃華が通過するのを待った。しかし、すぐさま違和感を覚える。


(何、このスピード?)


 金木犀の香りが近づいてくる速度が、やたらと速い。とても人の歩行速度とは思えない。

 裏門の撮影をするどころか、綾那はスマートフォンを下ろした。その動きを不審に思ったのか、幸成が「お姉さん?」と呼び掛けてくる。


 綾那は幸成に何か応える前に、耳を澄ませた。すると、馬の蹄が地面を蹴る音――そして、車輪がガラガラと転がる音が耳に入ったので、「馬車だ」と思う。


 このパターンは初めてだ。もしかすると、『メゾン・ド・クレース』の店舗から新しい衣類を卸してくるのかも知れない。

 さすがの桃華も、仕事を放棄してまで綾那と会おうなんて考えないだろう。


(仕事の邪魔をしたら、悪いよね……よし、写真じゃなくて動画にしよう。裏門と、裏通りを馬車が走る姿も画角に収めて――えると良いなあ)


 綾那は、幸成に「何でもありません」と笑ってから、気を改めてスマートフォンを構え直した。そうして、カメラを回しながらワクワクしていると、金木犀の香りが強くなる。


 やがて、金木犀――もとい桃華を乗せた馬車が、真っ白い裏門に面した道をで通り過ぎた。

 そう広い道ではないにも関わらず、これでもかとスピードを出した馬車の運転は随分と荒々しい。

 一瞬とはいえ馬の形相も鬼気迫る感じに見えて、綾那が想像していた『街中をカッポカッポと走る馬車』の、三分の一以下の優雅さだった。


(なんか、思っていたのと違った。映え的には没、衝撃映像としては――いや、面白味も真新しさも足りないから、やっぱり没。上手く行かないなあ)


 それにしても、あんなに急いでどうしたのだろうか。何か大きな仕事でも入ったのかも知れない。

 綾那はこれ以上撮影しても意味がないと思って、停止ボタンをタッチしかけた。しかし、ふと背後で幸成が呟いた言葉を耳にして、指を止める。


「ったく、絨毯屋のバカが……どんな危険運転してんだよ。今度、それとなく注意しておかないと――」

「絨毯?」


 桃華の家業は絨毯屋でなく、服屋のはずだ。だと言うのに、なぜ幸成が『絨毯屋』と呼ぶ馬車に桃華が乗っているのだろうか。


「今の、絨毯屋さんの馬車なんですか? 『メゾン・ド・クレース』の馬車ではなく?」

「メゾ――、なんでまた、ここで桃華の店が出てくるかなぁ……アレは違う。この辺で使う絨毯を卸している業者の馬車だよ」

「絨毯……」


 言いながら綾那は、金木犀の香りに意識を集中した。段々と離れていく甘い香りは、間違いなく馬車が走り去った方角へと続いている。


(やっぱり、桃ちゃんが乗っていると思うんだけどなあ)


 綾那がうーんと考え込めば、僅かに膝を折って幸成が顔を覗き込んでくる。


「……オイ、なんだよ?」

「え? ああー、えっと……服屋さんと絨毯屋さんが合同でするお仕事って、ありますか?」

「なに言ってんの? ないだろ、普通」

「ですよね。でも、さっきの馬車に、その、桃ちゃ――桃華様が」

「ハ?」


 思い切り怪訝けげんな顔をする幸成に、綾那は「まあ、そうなるよね」と苦笑した。

 少々気になるが、「気のせい」という事にしておこう。もしかすると、和巳から金木犀のポプリをもらった人が他にも居るのかも知れないし――。


(いや、仮にそうだとして、に桃ちゃんの気配が残っていないとおかしいよね。あの馬車に乗っているのが別人の『金木犀ポプリ』だとして、他の場所で金木犀の匂いを感じないのに、じゃあ桃ちゃんはどこに居るの? って話じゃない)


 そもそも、例え全く同じ香水を使ったとしても、その人本来の体臭には個人差があるものだ。香水は体臭と混じって初めて、一つの香りになる。ポプリの香りだって同じだろう。


 綾那が好ましく思ったのは桃華がもつポプリで、他の人間のもつポプリではない。やはり何かが引っかかる。妙な胸騒ぎを覚えて、幸成を見上げた。


「さっきの馬車、桃華様が乗っていたように思――いいえ、乗っていました」

「はあ、あのさ……まず、ほろ付きの荷馬車に乗ってる人間が外から透けて見えるはずないっていうのが大前提で話すけど、絨毯屋の娘は桃華と仲が悪いんだ」

「えっ」

「お姉さんがガゼボで撮った映像、覚えてる? 紫色のスカートを履いてた、あの陰険な女なんだけど。アイツ今までも結構、桃華にムチャクチャしててね」


 幸成の言葉に、綾那は目をみはった。紫色のスカートの少女といえば、桃華を苛める少女らのリーダー格ではないか。胸騒ぎどころか、嫌な予感がする。

 あの日、少女らが本気で反省している様子はなかった。立ち去る間際まで桃華を睨みつけていたし――しかもまだ幼く、恋する乙女というのは得てして盲目だ。


 またしても、少女漫画のような騒動を引き起こすのではないか。ほとんど確信に近い予感に、綾那はごくりと生唾を呑んだ。


「まあ、仲が悪いってか……絨毯屋が一方的に難癖付けてるだけなんだけどさ。だから、あの馬車に桃華が乗るなんて有り得ないよ」

「幸成様――ただいまの時刻は?」

「え、な、なに? 急に……ちょっと、やめてくんない?」


 綾那は、おもむろにカメラのレンズを幸成に向けた。

 彼は思いきり顔を逸らして、大きな手の平をレンズに突き出している。しかし綾那が一向にやめないため観念したのか、ため息交じりで「16:22――これで満足?」と答えた。


 綾那は頷くと、ようやくスマートフォンを下げた。


「ご協力ありがとうございます。――ところで、幸成様? 幸成様が私を信用していない事は、重々承知しております。ただ、その上でお願いがありまして」

「……いきなりどうしたの?」

「今すぐ、桃華様を探し出して欲しいんです」

「はあ!? 二週間ずっと大人しかったから、すっかり油断してたけど……一体、何をしろって?」

「お願いします。私の杞憂であれば、それで良いんです。でも、もしかすると彼女、何か危険な事に巻き込まれているかも知れな――」


 言い終わる前に、幸成が両手で綾那の襟首を掴んだ。そうして、いつも以上に鋭い眼光で綾那を見下ろすと、低い声で問いかける。


「お前、桃華に何した?」


 今まで向けられていたものなど、子供のお遊びだったのかと思うほどの殺気。綾那は背筋を震わせた。少しでも回答を誤れば最後、このまま殺されるのではないかと思うほどに恐ろしい。


 しかし、今は呑まれている場合ではない。桃華の身に危険が迫っているかも知れないのに、こうして怯える時間が惜しい。


「何かをしたのは、私ではありません。詳しく説明している暇はありませんが、とにかく私にはを追う力があります。例えば、桃華様がもつポプリの香りも」

「なあ、それは――裏で桃華を追って、何かしでかしたと自供している訳か? いや、そもそもなぜ今まで黙っていた」

「ですから、今はそれどころではありません。彼女の無事を確保するのが先決です」

「お前な……!」


 襟首を掴む手にグッと力が篭って喉が圧迫されたが、綾那は必死に言葉を紡いだ。


「先ほどの絨毯屋の馬車には、間違いなく桃華様が乗っています! 今あの馬車以外に金木犀の香りはありません、それはつまり、この敷地内に桃華様は居ないと言う事! 本当に絨毯屋の娘さんが陰険なら、今すぐにアレを追うべきです!」

「ダメだ。お前の術中に嵌って、みすみす逃がす訳にはいかない」

「逃げる――私が心の底から安全だと思える場所なんて、この国のどこにも存在しないのに、ですか」


 強いて言うなら、家族の居る場所こそがソレだ。家族さえ居れば、奈落どころか地獄の底でも楽しめる。その家族がどこに居るのか分からないのに、随分と酷な事を言うものだ。


 綾那は目元のマスクを外すと、少しでも誠意が伝わりやすいように素顔のまま語り掛けた。


「分かりました。では幸成様、一緒に桃華様のお部屋へ行きましょう?」

「何?」

「お部屋に姿が見当たらなければ、別館を隅々まで探すんです。『メゾン・ド・クレース』の店舗も。そしてどこを探しても見つからなければ、その時は人を集めてあの馬車を追ってください。言ったでしょう? 私の勘違いなら――桃華様がこの敷地内に無事で居るなら、それで良いんです。杞憂だった時には、どんな罰でも受けますから」


 衣食住が保障された宿舎から追い出されても構わないし、幸成が度々口にするように、例え消されても構わない。生きていても気がしているのだ。

 なぜなら、家族はもう――いいや、大丈夫だ、そんな事はあり得ない。やはり消すのだけは勘弁して頂きたい。


 真っ直ぐに幸成を見つめれば、彼の姿がほんの少しだけ歪んだ。彼もまた綾那を真っ直ぐに見返している。

 しばらくの間どちらも無言だったが、やがて幸成はため息を吐くと、綾那の襟首から手を離した。


「先に言っておくけど――虚言だったらマジで覚えときなよ、お姉さん」

「あ……っはい、覚悟します!」

「あと調子狂うから、マスクは付けておいて。この時間は、帳簿の確認をしてるはずだから……桃華の部屋に行くよ。早く来て、お姉さん」


 幸成の言葉に頷いた綾那は、マスクを付け直してから彼の後に続いた。

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