第16話 魔石

 竜禅の後について行きながら、綾那は騎士団本部の廊下をキョロキョロと見回した。


 真っ白で汚れひとつない壁は、よく見ると木製らしい。

 足元には毛足の短い真っ赤な絨毯が敷き詰められていて、歩くたびふわふわと浮くような、不思議な感覚がした。


(土足で絨毯の上を歩く事って滅多にないから、そのせいかも)


 靴を履いたまま家屋の中を歩くと言う状況に、ソワソワしながら廊下を進む。

 すると、不意に竜禅が振り向いた。


「綾那殿、ひとつよろしいか」

「はい、何でしょうか?」


 足を止めた竜禅に倣って、綾那もその場に立ち止まる。

 彼は、ピッと背筋を伸ばした綾那の目の前まで歩み寄ると、ぱちんと指を鳴らした。


 もしかすると、魔法を発動するための合図だったのだろうか。

 彼の手には、いつの間にか黒塗りのベネチアンマスクが握られている。


 竜禅が身に着けているものと同じデザインのそれは、やはり目元に穴が開いていない。

 一体どうやって視界を確保しているのか、全くもって謎である。


「私と揃いで悪いが、この街に居る間はこれを着用してもらいたい」

「え? 私もですか?」


 ぱちぱちと目を瞬かせる綾那に、竜禅がマスクを差し出した。

 訳も分からぬままマスクを受け取ったものの、どうしたものか。


 アイドクレースの騎士団員は、顔を隠すのが流儀なのか――と考えた事もあったが、思い返せば顔の一部を何かで覆い隠しているのは颯月と竜禅だけだ。


 つまりこれは、騎士の制服やトレードマークという訳ではないのだろう。 幸成と和巳は何も付けていなかったのだから。

 うーんと考え込む綾那に、竜禅が言葉を紡ぐ。


「綾那殿の笑顔は、この辺りに住む者にとって何かと縁深い者によく似ている。一瞬、帰って来たのかと勘違いしてしまうほど」


 その言葉に、綾那は初めて竜禅と会った時のことを思い出した。

 確か彼は綾那を見て、「我が主」「輝夜かぐや様」と言っていたはずだ。


「ええと……かぐや様と、仰っていましたが――」

「ああ、輝夜様の名は口にしない方がいい。知る者に聞かれると、少々面倒な事になる」

「ご、ごめんなさい」

「いや、責めている訳ではない。ただ、彼女の顔を知る者は随分減ったとは言え、颯月様より――そうだな、上に五つ以上年の差がある年代の者の中には、覚えている者も居るだろう。彼女は決して悪い人間ではないのだが、どうにも……最期さいご彼女は、慕う人間を多く残して逝ったものだから」

「あ……それは」

「貴女が似ているのは、あくまでも笑った時の目元だけなんだが……いまだ彼女を慕う者の目に入れば、厄介な事になるだろう」


 最期。

 その言葉で、輝夜という女性は既に亡くなっているのだと分かる。

 きっと綾那には想像もつかないような、複雑な事情があるのだろう。


 正直似ていると評されたところで、綾那は全くの別人である。

 そんな事を言われても、困るのだが――ただ、揉め事を嫌う綾那としても、「似ているだけで面倒事が起きるかも」と言われれば、素直に従うしかない。


 綾那は一度頷くと、試しにマスクを目元へかざした。


(あれ? 穴がないのに、普通に見える。マジックミラーみたいなもの?)


 視界が確保されている事に安心した綾那は、マスクに付けられた紐を後頭部に回して結ぶと、そのまま装着した。

 内側にはまるでメガネのようにノーズパッドが付いていて、どこかが肌に当たって痛む事もない。


 マスクを付けた綾那の顔を見て、竜禅は小さく息を吐いた。


「こちらの都合で、貴女の愛らしい顔を潰す事になって……大変申し訳なく思う」

「ブッ――!? ちょ、竜禅様までおかしな事を言わないでください!」

「颯月様も不機嫌になってしまわれるだろうな、ただでさえ私と揃いのマスクだから」


 激しくむせる綾那を尻目に、竜禅は「宝の持ち腐れだ、本当に勿体ないと思う」と呟きながら、また廊下を歩き出した。

 しかしすぐ思い出したように「ああ」と声を漏らすと、歩みを止めないまま顔だけで綾那を振り返っる。


「現状、私の事だけは『様』でなくて構わない。私は副長だが――私が許したと言えば周りもそううるさくないから、安心していい」

「副長?」


 竜禅を見失わないようにと、ゴホゴホ咳込みながらも慌てて歩き出した綾那は、聞き捨てならない言葉を復唱した。


「ああ。気付けばアイドクレース騎士団の副長にされていたんだ」

「ええ!? それって、とても偉いという事では……!?」

「いや、団長の颯月様と比べれば何て事はない」

「だ、だんちょー?」


 綾那は、サッと青ざめた。


 騎士の階級についてはよく分からないが、しかし『団長』と言えば、騎士団内の最高権力者なのではないだろうか。

 それは、馴れ馴れしく接しただけで周りが怒るはずである。


(何がただの騎士ですか! そりゃあ、会う人会う人皆、『様』づけで呼びますよ!?)


 漠然と「偉いのだろうな」とは思っていたが、まさか自身とそう年の変わらない颯月が、騎士団のトップだとは思いもしなかった。


 しかも彼は、真夜中に共もつけずに単身街の外へ見回りに出ていたではないか。

 普通トップがそこまで体を張るだろうか? いや、張らない。

 頭を抱えながら歩く綾那に、竜禅は小さく笑った。


「ちなみに、幸成は軍師――団員の戦闘指南役。和巳は頭脳派の作戦参謀だな。幸成は颯月様の従弟いとこで、周囲からも軽口が許されている。しかし普通は皆、颯月様を遠巻きにして敬う」

「わ、私だって初めから団長だと聞かされていれば敬いましたし、こんな所までノコノコついて来ませんでしたよ!」

「異大陸の人間だから、胸章の意味する階級が分からなかったのだな。颯月様もそれに気付き、敢えて何も言わなかったのだろう。騙し討ちされたようで不憫に思うが、綾那殿は余程気に入られたと見える」

「気に入ったからと言って、嘘をついて良いとは――」

「うん? 嘘はついていないだろう? ただ何も話さなかっただけだ」


 結果、同じ事ではないか。

 それに「ただの騎士だ」と言った事だって、嘘か嘘でないかと言えば十分にグレーゾーンである。


 こうして綾那の動きを封じた手法から考えても、颯月はなかなかに腹黒い。

 というか、キューと言い颯月と言い、奈落の底で綾那に手を差し伸べてくれた者は、総じて腹黒いではないか。


(いや、たぶん周りが悪いんじゃない。単に私が迂闊で、考えなしだからいけないだけ……外部交渉と言えば、いつも皆がやってくれていた事だから)


 綾那はあまり人を疑わない。

 例え騙されたとしても、最終的には「まあ、そういう事もあるか」で済ませてしまう。


 これもある意味、「怪力ストレングス」もちとして生まれた事による教育の弊害かも知れない。

 ただ恐らく綾那の場合は、持って生まれた気質によるものが大きいだろう。


「しばらくの間、颯月様とは物理的に引き離されるだろうが……疑いが晴れた暁には、どうかまた颯月様と仲良くして欲しい」

「『団長様』とですか? 仲良くして、また皆さん怒りませんか?」

「颯月様は、ああ見えて寂しがり屋でいらっしゃる。人に囲まれているように見えても、なかなか――あの人は気難しいんだ。この国の常識が通用しない綾那殿だからこそ、ここまで執着するのだろう。「共感覚」をもつ私が言うのだから間違いない」


 綾那は、あの顔で寂しがり屋なんて心から勘弁してほしいと思った。

 数々の男をダメにしてきた、ダメ男製造機の名は伊達ではないのだ。

 そんな事を聞いたら、彼をドロドロに甘やかして、どこまでも尽くしてしまいたくなる。


 いや、しかし相手は婚約者をもつ男である。絶対に流されてなるものか。


 綾那は思考を振り払うように、ブンブンと頭を横に振った。

 そして、ずっと気になっていた「共感覚」の話題が上がったので、これは良い機会だと竜禅に問いかける。


「その「共感覚」と言うのは、魔法か何かですか?」

「ああ、そうか。綾那殿は私が何かも――「共感覚」と言うのは、まあ、魔法みたいなものだな。厳密に言えば主従契約という。私は主である颯月様の感覚、その心中を、丸ごと共有することができる」

「心中を共有?」

「颯月様が怒りを覚えれば、私も苛立つ。喜んだ場合は釣られて気分が良くなる。その身に危険が迫れば、例え離れていてもいち早く気付ける。生きた警報器みたいなものだ」

「それって、ずっと? なかなか辛くないですか?」

「颯月様の意思で入り切りができるから問題ない」

「では、先ほど幸成様が気にされていたのは――」

「ああ。ただでさえ綾那殿を欲しがっている颯月様と繋がっていれば、私も同じだけ欲しくなるに決まっていると思ったのだろう」

「そ、そうですか、なるほど……仕組みは一切分かりませんけど、魔法ってやっぱり凄いんですね」


 やはり自分も魔法が使えれば良かったのに、本当に残念である。

 魔法の使える国など、家族と一緒であれば心の底から楽しめたに違いない。


 綾那は小さくため息を吐いた。


「さて綾那殿、ひとまずこの部屋を使って欲しい」


 話している内に目的地へ着いたのか、竜禅はある一室の扉の前で立ち止まった。

 壁と同じ白色の木製ドアは、シンプルな長方形。銀色のドアノブは曇りひとつなく、綺麗に磨かれている。


 この建物は騎士団本部兼、団員の宿舎であると事前に説明を受けていた。

 ただこの部屋はかなり離れた位置にあるらしく、近くに他の扉は見当たらない。


 騎士団と言うとやはり男性が多いイメージあるので、綾那に気を遣ってわざわざ離れた部屋を与えてくれたのかも知れない。


「部屋に入る前に、これを渡しておこう」

「わあ、なんですかコレ? 天然石みたいで綺麗」


 竜禅が差し出したのは、直径10センチほどの丸く磨かれた石だ。まるでサファイアのような深く暗い青色で、廊下の灯りを鈍く反射している。


 その石を受け取ると、じんわりと温かい熱をもっていた。


「これは『魔石』だ。この大陸でも、ごく稀に魔力ゼロ体質の人間が生まれる事がある。魔力ゼロ体質では普通、生活の全てに魔法が深く関わるリベリアスでは生きていけないが――これは、そういう者を救済するための魔具だ」

「魔石に、魔具ですか」

「ああ。魔石は、魔力を溜めて持ち運ぶ事ができる。魔力ゼロ体質の人間は、体内にある魔力を溜めるための器官が未発達なせいで魔法を使えない。しかし魔力を溜めた魔石さえあれば、石に内包された魔力の続く限り魔法を使う事ができる」

「え! じゃ、じゃあ、これさえあれば、もしかして私も魔法が使えるんですか!?」


 綾那は魔石を両手で包み込むと、灯りに透かすように掲げた。

 仮面をつけた事によって目元は隠れているが、その明るい声色と白い歯を覗かせた口元だけでも、気分が高揚している事はバレバレだろう。


「正直、生活魔法以外は厳しいだろうと思う」

「生活魔法?」

「まず手始めに――そうだな。魔石を手に持ったまま、このドアノブに触れてくれるか?」

「ドアノブですか? 分かりました」


 綾那は言われた通り、左手の平に魔石を載せたまま右手でドアノブに触れた。


 すると、銀色のドアノブが一瞬だけ光った。

 驚いてドアノブから手を放すと、回してもいないのにガチャリと音を立てて、扉が開かれる。


「なんですか、今の?」

「ああ、もし生活魔法も使えない場合はどうしたものかと不安だったが、ひとまず良かった。今の光は、この部屋の使用者として綾那殿が登録された証だ。扉が勝手に開いたのは、魔力によって鍵が開錠されたからだな」

「使用者……」

「私室の扉は、部屋の使用者と――使用者によって登録された者にしか開けない。この扉自体にも魔法が掛けられているため、物理的だろうが魔法の力だろうが壊すのに数時間を要する。防犯、盗難防止の面でも安心していい」

「へー、凄いですね! じゃあ、私はこの魔石がないと部屋の中に入れなくなる、と……これが鍵みたいなものなんだ」

「そういう事になるな。設備の説明のために、今この時だけ中へ入っても?」


 丁寧に確認してくれる竜禅に、綾那は大きく頷いた。


 扉をくぐり中へ入ると、1人では持て余すほど広い室内に、わあと感嘆の声を上げる。

 廊下に敷かれたものより毛足が長く、フカフカのカーペット。白木の壁。

 まだ電気を点けていないため薄暗いが、天井には「表」と似た電灯カバーが見える。


「綾那殿、灯りを点ける時も同じだ。魔石を持ったままここに触れれば良い」

「はい!」


 元気よく返事した綾那は、竜禅が指示した場所――「表」の照明スイッチと似ている、壁に埋め込まれたスイッチに触れた。

 すると、天井の灯りが数度瞬いた。やがてその瞬きが落ち着くと、薄暗かった室内が一気に明るくなる。


 部屋の端に置かれているのは、ダブルベッドだろうか。

 壁には大きな窓が一つ。今はカーテンが閉められている上、開けたところで外はまだ暗い。景観を楽しむためには、まず朝を待たねばならないだろう。


 綾那がキョロキョロと忙しなく室内を見渡していると、竜禅は各場所を指し示しながら説明を続けた。


「あそこは手洗い、向こうはシャワールームだ。手洗いを使うにも、シャワーの湯を使うにも魔石が要る。触れる場所はそれぞれの部屋に、灯りのスイッチと同じものがあるからすぐ分かるだろう。確かドライヤーやアイロンも置いてあったはずだが、そういった魔具を使う時も同じだ」

「なるほど」


(生活魔法や魔具ってつまり、「表」でいうところの家具家電なんだ。魔石は電力? いや、キューさん曰くこの世界では、雷が得意な魔法使いさんが大陸全土に「電力」を供給しているって話だったから――これは、この場所に蓄えられた電力を魔具へ通すためのコンセントやケーブルみたいな役割? 普通の魔法使いさん達は、自身に魔力があるから魔石なしで全部使えるんだもんね)


 これは凄い。いや、凄いのだが、如何いかんせん地味だ。


 魔法だ何だとはしゃいでいたが、正直これでは「表」で生活家電を使っているのと変わらない。

 むしろ、ずっと魔石を持ち歩かねばならない分、かさ張りやしないかとさえ思ってしまう。


 すっかり冷静になった綾那は、ふむ、と静かに頷いた。

 魔法についてはやや肩透かしを食らった感があるものの――それはそれとして、こんなにも贅沢な部屋を与えてもらえるなど、大変恐縮である。


 風呂トイレ付きで、しかも綾那が登録した者以外は勝手に入れないとなれば、これ以上安心できる宿はない。


 こんな素晴らしい部屋を、絶賛スパイ疑惑をかけられ中で保護観察扱いの――しかも、無職の綾那が使って罰が当たらないだろうか。


「本当にこの部屋、私が使っても良いんですか?」

「もちろん。魔石だが、溜め込んだ魔力が消費されるたびに段々と透明色に近付いていく。からになる前に、必ず私に見せてくれ。魔力を充填すれば繰り返し使えるからな」

「ええっ、なんてエコ、さすが魔法! 承知しました。お手数おかけしますが、よろしくお願いしますね」

「ああ。そうだ、言い忘れていたが――恐らく、これから数日間は幸成か和巳のどちらかが、毎日訪ねてくると思う。面倒だろうが、彼らと会話するついでにこの大陸の事を学ぶと良い。知識があれば、家族を探す時にも役立つだろう」

「竜禅さん……ありがとうございます」


 竜禅の言葉に、綾那は涙腺が緩むのを感じた。

 目元を隠すマスクを付けていて良かった。確実に今、分厚い涙の膜が瞳を覆っている。


 ここまで紆余曲折あった。きっと明日からも、また色々と問題が起きるのだろう。

 それでもやはり、綾那はキューと出会って颯月と騎士団まで来て、正解だったのだと思う。


 あとは早いところ疑いを晴らして、皆を探し出すだけだ。

 綾那は決意を新たに、とりあえず今日のところは休ませてもらおうと、口を開きかけた――その時。


 さすがに年若い女性と密室に二人きりは避けようと考慮したのか、竜禅が開け放したままだった扉が四度ほど叩かれた。

 廊下を見ると、扉のすぐ傍には両手に大きな紙袋を二つ提げた幸成が立っていた。


 げんなりとしたその表情から察するに――まだ付き合いは短いものの――また何か、颯月に無茶ぶりをされたのではないだろうか。


「お姉さん、早速だけど颯から貢物だよ」

「み、貢物?」

「ゴメン、この辺に置いておいて良い? 中は後でゆっくり見てね」

「は、はあ……」


 部屋に入ってすぐの床にどさりと紙袋を置いた幸成は、綾那を一瞥してから竜禅に目を向けた。


「なんでお姉さん、禅と同じマスクしてんの? まさか颯、このお姉さんと揃いの物を持ちたい願望でもあんのかよ?」

「共感覚の事を言っているのか? ――だとすれば、颯月様の願いがそんな可愛らしいモノであるはずがないだろう」

「あぁーもう、いいわ、聞きたくない。それより禅、いい加減帰ってきてくれ……颯のヤツ、段々手が付けられなくなって来た」

「はあ……道理で先ほどから胸ヤケをしている訳だ。では綾那殿、私達は失礼する。ゆっくり休んで欲しい」

「ああ、お休み、お姉さん」

「えっあっ、はい! ……おやすみなさい」


 竜禅はともかく、まさか幸成まで挨拶してくれるとは思わなかった。

 綾那は少々くすぐったい気持ちになりながら、ぺこりと頭を下げて2人を見送ったのであった。

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