疾黒と赤雷のウェスタ

ヤバ タクロウ

第1部 序章

 リゼル・フォン・オーレンドルフは囲まれていた。


 彼女は宵闇を想起させる漆黒のローブとつば広帽子を身に付けた如何にも魔女らしい出で立ちをしている。

 ローブから伸びるすらっとした手足は絹のように美しく、邪魔にならないよう結ってある蜂蜜色の髪には艶と張りがある。

 それは、彼女が普段過酷な旅とは縁遠い裕福な暮らしを送っていることを物語っていた。


 そんな少女を包囲する男は五人。

 一様に冒険家や行商人が身に付ける平凡な旅装束を着用し、頭巾を目深に被って目元を隠している。

 武器は短剣だ。どの町でも売っているようなオーソドックスなモデルで手入れが行き届いている。 

 その辺の山賊くずれならもっと粗末な服に身を包み、武器も略奪したものを使い捨てるばかりで手入れも録にしないものだ。

 詰まるところ彼等は賊を装ったプロの集団だ。


「あんた達、カーリッヒの差し金ね」


「さぁな、想像に任せるぜ」


「否定はしないってことね……」


 一際剣呑なオーラを纏うリーダー格の台詞に、彼女は理知的な面差しを嫌悪に歪めた。


「まぁあんた達のことはどうでも良いわ。私が一番許せないのは、イレーヌ! あんたが裏切っていたことよ!」


 袖口から取り出した杖から放たれた光弾は、包囲していた男達を無視して宙を駆ける。

 向かった先は廃墟の壁にもたれ掛かかるように佇む龍鱗の軽鎧にマントを羽織った二刀の女剣士だ。

 彼女は僅かに首を傾げて魔法を避けると何事も無かったかのように落ちてきた破片を気だるげに払う。

 そして子どもの起こした癇癪を見るような一瞥をくれる。


「バカにして……」


「落ち着きなさいお嬢様。あなたは勘違いしているわ」


「どういう意味?」


「私は最初からお金の味方。より高い報酬を支払った人間に着くだけよ」


「これだからフリーランスは……」


「ギルド所属の冒険家を雇えなかったあなたがそれを言うの?」


「……」


 言い返すことも出来ず屈辱を噛みしめるリゼルを見て、イレーヌの形の良い唇が弓の形を描く。

 見る者を凍てつかせる氷の笑みだ。


「話は終わったか?」

 

 リゼルを包囲している内の一人がドスを効かせた声で割り込む。

 頬に傷のある大男で、周りの男達の反応からして彼がリーダーのようだ。


「ええ」


「じゃあ大人しく俺達に着いてきてもらおうか。なに、てめぇの親が大人しく身代金を払えばすぐに解放してやるよ」


 下卑た笑みを顔に貼り付け、じりじりと男達は少女との距離を詰めていく。

 しかし、イレーヌは壁にもたれたまま動こうとしない。


「言っとくけど私は手伝わないわよ。私が受けた依頼はこのお嬢様のリクトルを降りること、ただそれだけ。捕縛は契約の範囲外よ」


「何だと?」


「どうするお嬢様? 大人しく家に帰るなら送り届けてあげるけど」


「おい待て!? 何勝手なこと言ってる!」


 男達が途端に狼狽えだす。


 それもその筈、イレーヌ・インディゴベルと言えばギルドに所属していればA級は間違いと言われるトップクラスの実力の持ち主だ。

 仮に彼女が敵に回った場合男達には万に一つも勝ち目は無い。それこそ人数を倍に増やしたところで結果は変わらないだろう。

 イレーヌ相手に平気で食ってかかるリゼルの方が異常なのだ。


「お断りよ! ここまで来て引き下がれるわけないでしょ。すぐそこに巫女候補とリクトルが来ているっていうのに……」


「そう、なら一人で頑張りなさい」


「最初からそのつもりよ」


 その呟きは彼女以外の誰にも届かない。


「お前ら絶対に殺すんじゃねえぞ。こいつは大事な金づるなんだからな」


 威勢を取り戻したリーダーの号令で手下達は即座に臨戦態勢をとった。


「箒を取り出す余裕は無いか……」


 魔法使いとしては最も苦手とする近接戦で更には一対五と数的不利。旗色は最悪だがそれでもリゼルはここで逃げるわけにはいかなかった。


 そんな不退転の覚悟に神が応えたのかもしれない。


「そこまでです!」


 凛々しくも幼さを残す声が割って入った。

 振り向いた先にいたのは、奇妙な二人組だ。


 一人は長身の剣士で、全身をスタイリッシュなプレートアーマーで覆っていて顔を見ることが出来ないが、180センチを越える長身から男性だと推測できる。

 手にしているのは刃渡り100センチを越える両刃剣。中ほどで括れるユニークな形状で、フラーと呼ばれる刀身中央に走る溝が無い代わりにルーン文字が彫られている。


「ルーンブレイド……」


 それは名が示す通り、ルーン文字を刻んだ刀剣のことだ。

 ルーン文字は組み合わせにより簡易的な術式になり、使い手が魔力を行使することによって発動させることが可能となる。

 特筆すべきは、敵を切りつけた際に流れ出る血液を簡易術式の触媒に使用する関係上、相手が強力であればあるほど絶大な効果を生む点だ。

 故にキマイラやドラゴンと言った強力な魔物と対峙する冒険者が好んで使うようになり、ルーンブレイドそのものが強者の証として認知されている。


「大人しく憲兵隊まで出頭するならこちらも強引な手段はとりません。武器を納めて速やかにその人から離れてください」


 声の主にして残るもう一人は、若葉色を基調としたエプロンドレスに身を包んだ可憐な少女だ。

 肩まで伸びたプラチナブロンドの髪が月光の如き澄んだ光を蓄え、形の良い薄桃色の唇と長いまつ毛に縁取られたアメジストの瞳が蠱惑的な魅力を秘めている。その一方で、二次性徴を迎える前の肢体は年相応のあどけなさを醸していた。

 純白の手袋とヘッドドレスから察するに剣士に仕える使用人の立場なのだろうが、あろうことかその主人を差し置いてこの場を仕切っている。


「白銀の鎧にルーンを刻まれた長剣、あなたがルーファスね」


「な、こいつが!」 


「赤雷のルーファスか!?」


 落ち着き払ったイレーヌとは裏腹に、盗賊達は皆一様に色めき立つ。


「赤雷って、確か──」


 名前だけはリゼルも聞いたことがある。冒険者ギルドに登録してから僅か二年でA級に昇り詰めた剣士だ。


「もう一度言います。大人しく憲兵隊に出頭してください。話は詰め所でゆっくりお伺いします」


「バカにしやがって。A級が何だ、数はこっちが上だ。野郎共こいつから黙らせるぞ!」


 リーダー格の男が怒声を放つと。手下達が一斉に鎧騎士に襲いかかった。


 雄叫びを上げながら切り込んできた一人目がルーファスの蹴りをまともに受けて吹っ飛ぶ。

 今の一撃で折れたあばらが肺を傷つけたのだろう。

 地面を一度跳ねて壁に激突した男は咳き込むと同時に血塊を吐き出し、その場で悶絶する。


 横手から現れた二人目は鎧の継ぎ目を狙って刺突を繰り出す。

 狙いは良いが正直すぎる太刀筋だ。

 軽くいなされてつんのめると、無防備になった後頭部に剣の腹が叩きつけられあえなく意識を失う。


 残る二人は同時攻撃のタイミングを伺いながら、じりじりとその間合いを詰めていく。

 しかしそれはルーファスの注意を引く為のフェイクだった。


「あいつがいない……」


 リーダー格の男が姿を消している事にリゼルが気付いた時には、既にルーファスの死角へと移動していた。


「貰ったぞ!」


 姿勢を低く突進する相手は剣士では無い。

 彼の狙いは最初から側仕えの少女を人質にとることだったのだ。

 勝利を確信した男が獰猛な笑みを浮かべた。


「そんなことくらいお見通しです」


 男の双眸を少女の鋭い視線が射抜く。

 刹那、鎧騎士が男の正面に現れた。

 その速さはまさに雷。


「な!?」


 男の表情が凍り付く。

 その目には振り下ろされる斬撃が止まっているかのように映る。命の危機を察知し感覚が限界まで研ぎ澄まされたのだ。


 しかし肝心の肉体が追い付かない。


 少女を捕縛しようと加速した勢いを殺す間もなく、自ら飛び込むように刃を受けた。


 利き腕の肘から先が切断され生々しい音を立てて地面に落ちる。


 リーダー格の男は、想像を絶する激痛に声を上げることも出来ないでいた。  

 それでも膝を突かず脂汗を浮かべながらもルーファスを睨み付けるのだから大した胆力だ。


「そこまでにしておきなさい」


 静観していたイレーヌがナイフのように言葉を突き入れる。


「金貨二十枚で逃げる時間を稼いであげる。どうする?」


「こんなときにも金か……」


 リーダー格の男は忌々しげに口元を歪める。


「払うの? 払わないの?」


 一切の感情を読み取ることのできない冷徹な声だ。


 男は舌打ちして目で合図すると、手下の一人が懐から皮袋を取り出し無造作に投げ捨てる。

 中に詰まった硬貨が重々しい音を立てた。


「契約成立ね……」


 イレーヌが左右の腰に下げたサーベルを引き抜き疾走する。


「ルーファス様!」


 ルーファスもまた少女が叫ぶよりも早く大地を蹴っていた。

 一瞬で間合いを詰めた両者の剣戟がぶつかり合い、圧縮された空気が暴風となって解放された。


 咄嗟に庇った視界の端、リゼルは動けなくなった仲間を抱えて一目散にこの場を離れていく盗賊達を捉える。


 しかし、二人の剣士が織り成す激しい応酬がその視線をすぐに奪い去った。


 まともに受ければ得物を破壊されかねない重さの斬撃を、イレーヌは巧みな剣捌きでいなしながら手数で攻める。

 対するルーファスも負けていない。二刀による攻防一体のコンビネーションを長剣一つで捌いている。

 スピードも去ることながら技量も高い。


「これがA級の戦い……」


 体の位置を入れ換えながら剣を交える二人を、リゼルは目で追うのがやっとだ。

 しかしそれでも杖を握りしめ、隙あらばイレーヌに一矢報いようとするのがリゼル・フォン・オーレンドルフという少女であった。

 そして機会は訪れた。

 勢いよく鋼が噛み合う音がしたかと思った矢先、二人の剣士が弾かれたように後ろに飛んで間合いを離す。


「イレーヌ!」


 翳した杖の先端から、幾筋もの光条が弧を描きながら放たれた。

 イレーヌはそれらを避けるべく着地した地点から更に滑るようにして疾走する。


「逃がすか」


 リゼルが放った魔法の矢は対象を追尾する術式が付加されていたようだ。

 何発かはさっきまでイレーヌがいた地点に刺さるが、残りは進路を変更し彼女を追いかける。


 イレーヌは観念して足を止めると、サーベルで迫り来る矢を次々と切り払っていく。

 その刀身が光を打ち払うごとに徐々に輝きを増していく。

 それは、リゼルの放った魔法から元素を吸収していることを意味していた。


「まさか、あれもルーンブレイド!?」


「おいたが過ぎたようね」


 イレーヌが放った斬撃が無数の風刃となってリゼルを襲う。

 だが風の刃が彼女を蹂躙するより先に雷が走った。

 間一髪リゼルとイレーヌの間に割り込んだルーファスが目にも留まらぬ速さで長剣を振るい、死の風を凪ぎ払ったのだ。


 そして、お返しとばかりにフラーに彫られたルーンが紅く輝く。

 振り下ろされた切っ先より迸るは赤き稲妻。

 二つ名を体現した一撃が瞬く間にイレーヌを打ち据えた。


「噂以上の実力ね……」


 棚引く白煙の帳から姿を現した彼女は傷一つ負っていない。

 しかし、身に付けていたマントが見るも無惨な状態になっていた。

 恐らくマントに対魔法の加護がかけられていたのだろう。

 咄嗟にそれで全身を覆うことで窮地を免れたのだ。


 しかし、もうその手は使えない。


「どうやら、この辺が潮時のようね。見逃してくれるとありがたいわ」


「そちらが引くなら、こちらも剣を納めます」


 サーベルを鞘に納めたイレーヌに呼応して、少女の言葉通りルーファスもまた戦闘状態を解除した。

 こうなると、リゼルも杖をしまう他無い。

 それでも苛立ちは収まらず、リゼルは横目でイレーヌを睨み付ける。


「どうやら、大人しく家に帰るつもりは無さそうね」


「当然でしょう。私は必ずウェスタの巫女になってみせる」


「そう、あなたも同じなのね」


 これまで決して感情を表に出さなかった彼女が見せる悔恨を滲ませた表情に、リゼルは憤りより先に戸惑いを覚える。


「それって──」


 リゼルの問いただす言葉を断ち切るように、イレーヌは踵を返し去っていった。


「何なのよ一体」


 後に残されたのは、リゼルとルーファスとそして彼の側仕えである少女の三人だけだ。


「お怪我はありませんか?」


「ええ、おかげさまで助かったわ。ありがとう」


 リゼルが心からの謝辞を送ると、少女はにっこりと嬉しそうに微笑む。

 先程まで見せていた堂々たる振る舞いから打って変わったあどけない表情に、リゼルも自然と表情が和らいだ。


「ところで、あなたの名前は?」


「あ、申し遅れました。私はミリア・サニーレタス。リザリットでルーファス様の身の回りのお世話をさせて頂いております」


 ミリアと名乗った少女がエプロンドレスの裾を摘まみ恭しくお辞儀をする。その洗練された所作は、まるでお伽噺の登場人物のようだった。

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