第四章-3

 やっぱり自分の部屋というのは落ち着くな。という実感を持ったのは大学へ入学してからだ。一人暮らしをして初めて実感する。それはそれで両親に感謝が足りないと思われるかもしれないが、仕方がない。だって、分からないんだから。

 という訳で、僕は高校を卒業するまで使っていた自分の部屋で、使い慣れたベッドの上で婚姻届を眺めていた。すでにお風呂に入った後で、今はメイムと雪夜が一緒に入っている。すでに仲の良い姉妹みたいで、兄としては嬉しい限りだ。妹がメイムの事を、本当に姉扱いしているのかどうか、甚だ疑問ではあるが。絶対に面白がってるだろ、あいつ。


「まぁ、仲が悪いよりマシか」


 婚姻届は完成した。記入漏れは無い。明日、これを市役所へ提出すれば僕とメイムは正式に結婚できる。

 これで良かったんだろうか。なんて不安感も襲い掛かってくるが……いわゆるマリッジブルーというヤツだと思う。なんか情けないので、そんな気分は吹き飛ばす為に大きく息を吐いた。しばらく使っていなかったせいか、そこらに溜まっていた埃が舞い上がる。それらを、うわ~、なんて見上げていると、コンコン、とドアがノックされた。


「どうぞ~」

「お、おじゃまします……」


 どうやらメイムがお風呂からあがったらしい。遠慮がちに僕の部屋へと入ってきた。で、ドアの隙間から妹がニヤニヤした顔をしているのが見えたのだが……あの馬鹿、何か余計な事をメイムに吹き込んだんじゃないだろうな。


「雪夜の部屋で寝るんじゃなかったのか?」


 メイムが現在着ているのは妹のパジャマだ。ピンク色で可愛らしいのだが、やはりブカブカなので袖と足元は折り畳んでいる。あと、サイズが合ってないので胸元が大胆にも開いていて、少しばかり寒そうだな。女性に対して失礼だけど、痩せ細っているメイムには、まだまだセクシーというには程遠い状態だ。


「えっと、そうなんだけど。雪夜ちゃんが、おやすみの挨拶をしてこいって」


 えへへ~、とメイムが笑う。

 うん、メイムさんはきっと分かってないと思うけど、それって夫婦の営み的なことだよね、色ボケ妹よ。おまえはメイム姉ちゃんをどうしたいんだ、馬鹿妹。法律はオーケーでも、道徳はまだオーケーじゃない世の中だぞ、無知妹よ。いや、無恥妹というべきか。


「どうしたの、空夜さん?」

「ウチの妹が馬鹿でスイマセン」


 僕は土下座した。生まれて初めて土下座した。ベッドの上なので、意味はないのかもしれないけれど、額を布団に付けておいた。君が純粋で安心したと同時に、妹が黒く汚れている真実が分かり、兄は非常に心配です。


「え~、雪夜ちゃん良い人ですよ。楽しい人ですよ~」


 むぅ。あいつは保育士に向いているのかもしれないな。子供と同レベルという事で。


「まぁ、妹はいいや。母さんや父さんは何か言ってたかい?」

「えっとね。お父さんは、これからも大変だろうけど頑張ってね、って」


 無難な言葉だな。でも、それだけ文句も無いって事か。案外、娘が一人増えて嬉しいのかもしれないな。もうどこにも嫁にいかない娘。もう嫁いでしまっている娘。父親としては、安心なのかもしれない。


「で、お母さんは、空夜の好きな豚の生姜焼きの作り方教えてあげる、って言われた」

「なんだそれ?」

「男は心と体と胃袋で捕まえておくもんだ、だってさ」


 かあさーん! 小学生には一個とっても早いものが入ってますよー! ウチの一族は女が馬鹿なのか! おばあちゃんってどうだったっけ!?


「本当は……」

「ん?」

「本当は、すぐに追い出されるかと思ってた。私、まだ子供だし、全然大人じゃないから、結婚なんてダメだって言われると思った。でも、違うんだね。空夜さんの家族って、みんな良い人なんだね。さすがだね、空夜さん」

「違うよ」

「え?」

「もう、メイムの家族だ」


 正確には明日からだけれど。そんな野暮な事は言うまい。


「……うん!」


 メイムは笑った。可愛らしく、子供らしく、とても無邪気な笑顔。どんなに背伸びしたところで、メイムはまだまだ子供なのは間違いない。そんな年齢の子と結婚できるという制度。今は、それに感謝するしかない。彼女を救うたった一つの冴えないやり方だったけれど、これで皆が幸せになれるというのなら、悪くはない。


「それじゃぁ、メイム。おやすみ」

「え~っと……一緒に寝たらダメ?」


 メイムは可愛らしく小首を傾げる。どこで覚えた、そんな可愛らしいオネダリの仕方。


「ダメ。僕達はまだ正式に夫婦じゃありませんですよ」

「は~い。空夜さん、おやすみなさい」


 あれ、意外とあっさりと引くんだな。メイムは頭を下げた後に、バイバイと手をふってから僕の部屋を出て行った。


「雪夜ちゃ~ん。ダメだったよ~」


 妹の入れ知恵か!

 まったく。もう。本当に。


「あぁ……ニヤニヤがとまらねぇ……」


 僕にはロリコンの素質でもあったのだろうか。いや、ロリコンに素質もなにも無いと思うけど。でも、普通に考えて、子供を好きになるっていうのは、妙な事なんじゃないだろうか。


「う~ん……」


 いや、でも遥か大昔はメイムぐらいの年齢で結婚していたし、これが生物として当たり前の事なのかもしれないな。だからこそ、法律で許された訳だし。


「理屈はどうでもいいか。過程はどうあれ、理屈は変わらない。結果は同じだ」


 そう……僕はメイムが愛しくて仕方がない。

 理由や理屈なんて、もうどうでもいい。

 だって、僕とメイムは、明日に夫婦になるんだから。

 誰にも文句は言わせない。

 言う資格も権利も権限も無い。


「変態というなら言えばいい。笑いたければ笑うがいい。お前らは僕を侮蔑し、僕はお前らを侮蔑する。女の子一人救う事のできなかったお前らを侮蔑する」


 僕はこの一生を使ってメイムを救い続ける。

 見てるだけで何も出来なかった、救おうともしなかった奴らとは違う。

 正義の味方には程遠いけれど、僕は少女を救う事が出来た。

 たった一人しか救う事が出来ない人生で、そのたった一人を見つけた。

 そして、可愛い可愛いお嫁さんを手に入れた。


「どう考えてもハッピーエンドだ」


 僕は電気を消す。真っ暗になった部屋でゆっくりと呟いた。


「おやすみメイム」


 明日は僕とメイムの結婚記念日だ!

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