第一章-3
ヴァレンタインデーである二月十四日、僕は色々とヘコんでいた。疲れ果てた、と言ってしまうと肉体的に疲労していると語弊があるので、憔悴しきっていたと言った方がそれっぽい気がする。ともかく、まいっていた。一時間に十回はため息を吐いてしまう程にまいっていた。
まぁ、時期が時期なだけに女性問題だろう、と思われるかもしれないが、いや、まぁ、実際はその通りなのだが、自分にはまるで関係の無い所で進んでいた問題で悩まされているというのだから、質が悪い。どうやっても防げなかった事件なのだ。
僕の通っている大学にも、当たり前の様にサークルがある。運動系から文化系、飲み会専用や仲良し会、果ては怪しげな宗教関係まで千差万別で、きっちりと数えると百は超えるだろう。僕もそんなサークルの一つ、『一縷の望み会』というサークルに所属していた。いわゆる仲良し系のサークルで、活動目的はもっぱら仲良く遊びましょうという何でもないものだ。
一縷の望み、という名称だけあって、このサークルに訪れる者は、たいてい騒がしいのが嫌いで、他のサークルは肌に合わなさそうという理由で入る人が多い。友達は欲しいけれど、馬鹿みたいに騒ぎたくない、というちょっぴり大人しいサークルが一縷の望み会の特色でもあった。
そんな活動方針の仲良し会なので、比較的大人しい人間が多い。そして、そんな人間は往々にして趣味が読書やら映画やらアニメやらマンガやらと一人で完結できる物が多く、お互いの好きな物で盛り上がる会でもあった。アニメとマンガは被る事もあるし、大学にも来れば普通に純文学にも興味が出てくるので読書家とも話が合い、映画も嫌いな人間はおらず、ようするに、仲良しこよしで和気藹々と活動していた。
そんなサークルに所属している僕も、御多聞に漏れずマンガ好き。小説も読むし映画も見るし、アニメも見るし、と中途半端なオタクをやっていた。まぁ、特撮は大好きと言えるかな。正義の味方が好きだった。
朝と昼間は講義を受け、夕方からサークルに参加し、適当にダベって帰る。これが日常となった頃には、僕にも友人が出来た。
梧桐座喜連。ごとうざきれ、という苗字から名前まで珍しい奴だった。名前と同じく本人も変わっていて、名は体を表すを地で行く愚か者だ。髪の毛を金色に染めてツンツンに逆立てているので、我がサークルに非常に似合わない。しかも関西弁だし。いや、関西への偏見ではないのだけれど。
そんな梧桐座に、どうしてこのサークルに入ったのか聞いてみると、
「いや、他のサークルってウルサイやん」
という答えが返ってきた。
「ウルサイのはお前の見た目だ」
と、指摘してやると、うそぉ! と驚いていた。気づいてなかったこっちがビックリだよ。いわゆる大学デビューしたかったらしい。
「髪の色を変えたところで人間はそんなに変わらないだろ。悪目立ちするだけで、メリットがないんじゃないか? 染料が勿体無い」
「いやいやいやいや、なんやその考え方。メリットはあるぜ、初対面で舐められない」
「初対面で人を舐める様な奴とは付き合う必要ないだろ」
「うがっ。はぁ~……根本を否定されると何にも言えへんわ。この世の中ゼロかイチやのうて、グレーな部分もあるやろ。日本人が大好きな白でも黒でもない、灰色で曖昧な部分」
「日本人の悪いところでもあるな」
「うわぁ……なんやそのオルタナティブ・ブレイカーっぷりは」
という訳で、僕のあだ名が『根源殺し』にされてしまった。同時に梧桐座の中二病が治っていないどころか、こじれて悪化している事も判明。そんな奴とどういう訳か馬が合ってしまい、サークル内でも特に絡んでいたりした。
まったりとした大学とサークル活動という生活だったのだが、夏休み明けに突然にしてガラリと雰囲気が変わった。僕は実家に帰っていたし、梧桐座も実家に帰っていたらしく、詳しい状況は分からなかった。
とにかく、部室内の空気が変わった、というべきだろうか。大抵、誰かと誰かが話しをしていたり、読書をしていたり、というノンキな空気が流れている。しかし、僕が実家から戻り、訪れた部室では空気が凍っていた。
具体的には何も分からない。でも、確実にギスギスとした空気が流れている。おいそれと発言できる雰囲気ではないので、聞く事もできない。さすがの梧桐座もそれぐらいの空気は読めるらしく、僕は目で合図を促した。短いながらの付き合いだが、どうやら伝わったらしい。部室から抜け出し、二人で大きなため息を吐いた。そして、無言で歩いていき、大学の中庭に設置してあるベンチにどっかりと腰を落とした。
「何があったんだ?」
「さぁ……わからへん。あれちゃう、ほら可愛い女の子おったやん。あの子絡みで先輩らが殴りあいの喧嘩したとか」
そういってゲラゲラと梧桐座が笑ったが、結果的にはこれが正解だった。僕も梧桐座も大学生活という、初めての一人暮らしやサークル活動に精一杯だった為に彼女が欲しいとかそういうのにまで気が向いていなかった。興味がない、とまでは言わないが、まぁ、好きな女の子がいる訳でもなかったので。
後に傍観者であった部長に聞いた話だが、一縷の望み会の新入部員である女の子が、それはそれは可愛いと先輩達の間で盛り上がったそうだ。その子は他の部員と同じくマンガやアニメが大好きで、趣味はコスプレなんていう、いるのかそんな奴って感じの僕達みたいなヌルいオタクにはパーフェクトな女の子だったらしい。
なるほど確かに先輩達が燃え上がる理由も納得できるというものだ。僕だってその趣味を聞いたら一度はコスプレ姿を見てみたいと思う。いや、そういうのってネットの写真でしか見た事がないし、そういうイベントに参加もした事がないので。まぁ、なんでその子の事を詳しく知らなかったのかっていうと、すでに先輩の方々が囲んでいたからだ。件の女の子は僕達より先に入部していたらしく、僕と梧桐座は近づく隙も無かった。というか、はっきりと言ってしまうと僕は先輩だと思ってたくらいだ。垢抜けた感じで余裕みたいなものがあったし、大学慣れしている感じ。
とまぁ、そんな女の子がいたので、夏休みに思い出作りや高感度アップに奔走していた先輩方だったみたいだが、そこに何とOBまで参戦してきたらしい。こんなのんびりまったりサークルにいたんだOBが! っていう驚きはさておいて、とにかくその女の子を中心としたドロドロの争いが始まったらしい。
お互いがお互いを牽制しあい、更に現役とOBとの争いが勃発したり。二十歳以上のメンバーで行われるはずの飲み会にもその子が呼ばれたり。果ては殴りあいになり、喧嘩慣れしていない先輩が指の骨を折ったり、エトセトラえとせとら。
そんな濃い内容が夏休みという期間内で展開されたらしい。怖いもの見たさで近くで見ていたかった気もするが、巻き込まれてなくて良かったっていうのが本音だ。まぁ、この時点で巻き込まれていないというだけの話なんだけどね。
そんな訳で微妙な空気のまま秋が過ぎ、クリスマスが近づいてくる。その頃には先輩の何人かが告白したり先走ったりして、玉砕したそうだ。そうなってしまうと、サークルに参加しずらいらしく、何人かが辞めていった。また同じ一年の連中も凍った空気に耐え切れず辞めていった。僕と梧桐座は相変わらずのほほんとやっていたけれど。
そしてクリスマスだ。一年で一番ファンタジーな日を共に過ごしたいと、先輩方は次々に女の子に挑戦したらしい。結果は惨敗。その中の一人が理由を聞いたそうだ。それは良くある断り文句だった。
曰く、他に好きな人がいますから。
なんだか中学生みたいだな、と思ったけど。まぁ、そこが魅力の一つなんだろうな、とも思う。可愛い女の子が可愛らしくお断りする。それだけで絵になるというか、素敵な風景というか。まるで小説かマンガのワンシーンみたいな、そんな感じ。
そして始まる魔女狩りならぬ彼氏狩り。いや、好きな人狩りか。サークル内だけでなく、女の子と同じ学部の男まで捜査の手が及んだらしい。恐るべき先輩達の行動力。まぁ、女の子の周りだけほんわか空間を漂わせる事に成功している辺り、凄いよな~とも思う。なにせ、この時点で女の子が何一つ気づいてないんだから。もしかしたら、気づかないフリをしていただけかもしれないけれど。
「あんな子が好きなんやから、相当なイケメンとちゃうんか?」
「だろうな。彼氏がいない美少女なんてものは絶滅危惧種だ。厳重に保管したがる先輩方の気持ちも分からんでもない」
「保管には思えんけどな。今にも下半身から襲い掛かりそうやで。あの子、付き合い始めたら即効妊娠して大学やめるんちゃうか?」
「生々しいな」
そんな下世話な話で梧桐座とケラケラと笑ったクリスマスが過ぎ、冬休みが過ぎる。実家に帰っていた僕は、大学に戻ると部室を訪れた。
また雰囲気が変わっていた。
以前の凍る様な雰囲気ではない。いや、根本は同じだった。誰もが誰かを牽制する様なそんな雰囲気なのだが、それにプラスされた事がある。
先輩達の視線だった。なぜか、それが僕に向いている。正直、僕は女の子を巡る争いに一切として参加していない。すでに活動は女の子を中心としたものに変貌していたので、遊びや休日の集まりなんかには僕と梧桐座は参加しなくなっていた。すっかりと部室を講義と講義の間や昼休みの休憩場所として利用する、まぁ便利な場所があるという事でサークルに残っていたに過ぎない。
そんな僕は早々に争奪戦に不参加表明を態度で示していた為、睨まれる事は一切としてなかった。なのに、この視線。なんだなんだ、どうなってんだ、と僕がうろたえていると梧桐座が目で訴えかけた。外に出ろ、と。
「僕、なにか仕出かしたっけ?」
いつものベンチに座り、僕は曇天を見上げながら梧桐座に向けて呟いた。
「いいや、何にもしてへんで。ただお前の顔がほんちょっとイケメンだっただけや」
梧桐座も曇天を見ながら言った。
その言葉に、僕は嫌な予感を覚える。
「あの子が好きな奴って、お前の事らしいで。いやぁ、モテる男は辛いなぁ。全然あやかりとぅないわ」
最悪だった。
道理で視線が痛い訳だった。
というか、なんだその馬鹿みたいな理由で敵意を剥き出しに出来る、頭の足りていない連中は。愚かだろう、馬鹿だろう、マヌケだろう、未熟だろう、情けないだろう。
「たかだか好きな女に好きな男がいた程度で、男に敵意を向けるなんて馬鹿じゃないのか。だから振り向いてもらえないんだよ。男らしさから遥かに遠い。愚の骨頂。いや、むしろ滑稽だろう」
「言うな言うな。お前は真実をえぐり過ぎる。殴られても知らへんぞ」
梧桐座が苦笑しながら僕の口をふさぐフリをしてくる。もちろん、僕の口から漏れ出す悪意は防げなかった。
こんな時に酒を飲むんだろうな、なんて思いながら僕は大きくため息を吐く。冬の寒空の下、僕の息が白くなってすぐに消えた。
「便利な場所だったけど、辞めるか」
「そうやのぅ。冬と夏は寒さと暑さに耐えるしかないか」
「別にお前まで辞める必要はないぞ」
「なに言うてんねん! 一人であんな所におれるか!」
そうツッコミを入れて、梧桐座はケラケラと笑った。
という訳で、僕と梧桐座はこの日を境にしてサークルを辞めた。どうして彼女が僕を好きになったのか、その理由は定かではない。ほんのちょっとしか会話してないし、僕の顔は言う程イケメンじゃない。むしろ、イケメンだったら苦労はしてない。イケメンなんて滅びればいい、とまでは言わないけれど、絶滅危惧種でもいいと思う。うん。
それからサークルはどうなったのか知らない。まぁ、僕がいなくなったので、彼女も辞めたんじゃないか、とか色々と想像は出来るが、ほぼ接点を無くしてしまった僕達に情報を得る手段が無かった。僕は変わりなく平和な日常を過ごしていたし、梧桐座も相変わらず軽快に関西弁を喋っていた。
そして、運命のヴァレンタインデーが訪れる。こう書くと、まるで一世一代の大イベントでも起こったかの様だが……まぁ、大イベントが起こってしまったのだけれど、僕は完璧に油断していた。
大学の二号館へと向かうレンガ敷きの道で後ろから呼び止められた。振り返れば、あの子がいた。鞄の中から小さな箱を取り出すと、僕に手渡してきた。
「あ、あの、ずっと好きでした!」
大学の敷地内、と言えども人々が行き交う公共の場。そんな所で突然の告白劇が展開されれば、ギャラリーが集まり、ニヤニヤとするのは仕方の無い事だろう。僕だったら物珍しさに見学しながら、ドラマみたいな展開を期待するかもしれないな。
しかし、現実は最悪の状況だった。偶然にもサークルの先輩がいたらしい。ご丁寧に女の子にベタ惚れしていた先輩で、告白する勇気もなく、ズルズルと残っていた先輩だ。
「ぶわああああああ!」
その声に、僕は驚いてギャラリーを見る。その中から先輩が走りこんできている。拳を握り締めているその姿に、僕は思わず顔を覆ってしまった。
殴られる!
そう覚悟を決めて、ギュっと目を閉じた時に女の子の悲鳴が聞こえた。目を開き、前を見る。先輩は、僕ではなく、女の子を殴っていた。
「は?」
大騒ぎになる中、僕は確かにそう呟いた。
なにやってんだこの人、と。
僕は喧騒の中でポツンと立ち尽くす事しか出来なかった。尚も殴り続けようとする先輩と、顔を殴られ、鼻血を出しながら倒れている女の子。そんな二人を引き離そうと集まる学生達。告白劇は一瞬にして愛憎劇へと姿を変えた。
いやいや、愛憎劇にもなってないよ。これじゃぁただのストーカー犯罪みたいじゃないか。せめて先輩が僕を殴ってくれればそれなりに意味あるカッコ良さそうな事になったのにな。そう訳の分からない事を考えながら、尚も暴れる先輩に呆れかえった。女の子の顔はガンガンに腫れてるし、凄い騒ぎになってきたので警備員さんも来るし。
で、気が付けば大学の何やら偉い人が話し合う様な場所に連れて行かれ、そこで一連の話をして、ようやく開放された。帰る頃にはすっかりと有名人になってしまったらしく、知り合いなんかは苦笑しながら声をかけてくれたりしたのだが……僕を睨む目がまだ存在した事に軽く嫌気がさした。
そんなこんなで、僕は結構なダメージを受けていた。精神的に。そもそも喧嘩なんてものは小学生時代にやった掴み合い程度のもので、本気で人間が殴られている姿なんて見た事がなかった。というか、その記念すべき第一回目が女性の……しかも、かなり可愛いタイプの女の子っていうんだから、質が悪い。僕は一生、女性には手を上げられないだろうなぁ~。
とか何とか思いながらため息を吐く。記録更新中。ため息を一回吐くと、寿命が一年縮むそうだが、その計算でいくと僕はもう死ぬかもしれない。死神が迎えに来てもおかしくはないぞ。死因は何だろう? 突然死とかは止めて欲しいな。
現在、僕がいるのは小さな公園だ。大学近くには小学校や幼稚園もある。そういう関係からか、僕の住んでるアパートの近くにも公園があった。薄暗い夕方で、子供なんかは居ない。むしろ、この少子化で人口減少著しい日本において、公園で遊ぶ子供の姿なんかは希少だ。遊具は寂れているし、錆が浮いている。きっと数年間は誰にも遊んでもらっていないのだろう。遊具にしては、それは幸せなのか不幸なのかは分からないけど。
ベンチに座りながらヌルくなってしまったカフェオレを飲む。甘ったるいのが心地いい。何一つ気分が晴れないまま、空に向かって息を吐く。白くなっていく息を無駄に楽しんでいると、奇妙な物が見えた。
すっかりと薄暗くなってしまった公園内には、街頭は存在せず、人の顔なんかは判別できない。それでも誰か人がいるかぐらいは分かる。そんな公園内を横切る様に、何かが動いていた。なんだ、と目を凝らしてみる。
「……うわ」
髪の毛だった。移動しているのは、髪の毛の塊だった。長い髪の毛が公園内を横切って行く。思わず、カフェオレの缶をベンチにおいて逃げる準備をする。オカルト現象に遭うのは初めてだった。金縛りにも遭った事がないのに、いきなりハードモード過ぎないか人生よ! とか思いながら戦々恐々と髪の毛を見ていると、そいつは僕に気づく事なく公園を出て行った。
「…………ふぅ」
先程とは別の意味でため息を吐いてしまった。ともかく、寿命が減ってしまった。もしかして、死神の類か? 迎えが近いので確認にきたとか何とか。あぁ、ダメだ。思考が馬鹿になってる。
幽霊か妖怪かUMAか、何者だったのかを考えていると、ポケットの携帯電話が震えた。取り出してみると、ディスプレイに梧桐座の文字。
「はい、もしもし?」
『よう。生きとるか~?』
ノンキな梧桐座の声に、僕は苦笑した。
「いや、さっき殺されかけたかもしれん」
『あぁ~、先輩でも襲ってきたんか?』
「先輩じゃなくて、死神」
『は?』
素っ頓狂な梧桐座の声に、僕は再び苦笑するのだった。
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