第10話 過去編③:浅影透夜
朝、9時30分。
今日はとタオルとお茶が入ったペットボトルを持っているし、準備は万全だ。
いつもより、靴紐をきつく締めて玄関の扉を開ける。
「あれ、透夜君どこか行くのー?」
今から出かけようとしていた俺に声を掛けたのは、いとこの真衣さんだ。真衣さんは大学生で夏休みになったらしくこの家に来ている。
穏やかな雰囲気とふんわりとした長い髪が特徴で、小さい頃からなにかと俺に気を使ってくれたりと浅影家の親戚の中でも一番優しい人間だ。
詳しくは知らなけど、親戚が集まるお盆まではここに泊まるのだろう。
幸太曰く、浅影家の家は屋敷だと言っていたけど、特徴的なのは大きさとこうして夏になると真衣さんみたいに大勢の親戚が家に来ることだ。
もともと浅影家はこの辺りを牛耳っていた名家らしいし、いまだにその名残というか威厳があるのかもしれないけど、実際この環境はあまり好きではない。
というか、俺的には家の風習だとか家訓だとかを小さい頃からしつけられてきたし、なんといっても祖母と叔父もいるから居心地が悪い。まぁ祖母は優しいのだけれど。
別に浅影家であることに誇りなんて感じていないし、興味がない。今の時代的にも古いだろ。考え方が。
年々、歳を重ねるたびに早く家を出たいと思う気持ちが積もっていく。
「幸太と遊んでくるよ」
「そっかぁー楽しんでね~」
「いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
相変わらず、ゆったりとした口調で優しさがにじみ出ている。
大学生からしたらしたら俺なんか全然子供なんだろうな。
早く大人になりたい。正直、自由気ままに生きている真衣さんに憧れるな。
将来どうなるのだろうか俺は。家のこと、親、学校、仕事……考えるだけでこの先が思いやられるけど、今はしょうがない。そうやって割り切っていくしかないな。
よし、今を楽しもう。……そうしよう。
玄関をくぐると外の熱気が一気に全身に降りかかる。扉を開けた瞬間から熱気は感じていたけど、こんなにも暑いとは。
「あっつ……」
昨日と変わらないくらいの暑さだし、空も夢で見た記憶?なのか本当の記憶なのか分からないけど、同じくらい快晴だ。
今日は倒れないように最大限、気を使って歩こう。他人に迷惑をかけてしまうのはよくないし、また倒れてよく分からない記憶が残るかもしれないしからな……。
それにしても、あの女子高生との記憶は、未だに不可解だ。話した内容もしっかりと覚えている。蝉のこと、飲み物のこと……。思ったより会話はしていないけれど。
もし本当の出来事だったとしてなぜ彼女はあの場所にいたのだろうか。登校時間にしては遅いし、夏休みだとしても制服だったしな。いや、部活の線もあるのか。
正直、存在するかも分からない彼女だけれど、気になってしょうがない。
そうこう考えているうちに、10分くらい歩いただろうか。
そろそろ昨日、幸太と鉢合わせた道だけど今日はさすがにそんな偶然は起きないか。この真夏の田舎道を歩いている人なんているわけないし、人影が見えれば恐らく幸太だろうけど付近にそんな気配はない。
もし昨日、幸太とここで遭遇していなかったら俺は一人で倒れたまま、最悪取り返しのつかないことになっていたかもしれない。そう考えると、本当に感謝しないとな。
夢の記憶で上書きされてしまっていたけれど、幸太と合流してから一緒に向かったことはしっかりと覚えているのに、なぜ起きたときに強く記憶に残っていたのは夢の中でみた光景なのだろうか。普通だったら、夢か現実かなんて起きた瞬間に分かるだろう。
なんだか、考えてもしょうがないことばっかだな……。
そろそろ持ってきたお茶もなくなりそうだし、またあの自販機の所で休憩するか。またと言っても、記憶の中での話だけれど。
しばらく歩いているとバス停が見えてくる。やはり、既視感というかはっきりと覚えている景色だ。
田舎道のバス停と自販機。その隣に置いてある小屋のようになっているベンチ。
段々と歩くスピードが速くなる。
あれは本当に夢だったのか、少し期待しているのかもしれない。存在しない彼女がいる可能性を。
ついにバス停の目の前まで来た。
――記憶と同じだ。
ベンチで誰か座っているけど、死角気味になってよく見えない。
「……まさかな」
正面に行くにつれて、あらわになっていく人の姿。
そうだ。きっと、ここら辺に住む年寄りとかだろう。だっているはずがないじゃないか。夢なんだろ……あれは。
ついに正面に来た時、俺は目を疑った。
「――嘘だろ……」
頭が理解できていない。
記憶の中で強く印象に残っている光景を目の当たりにしているというのに受け入れることができない。
幻覚でも見ているのか俺は……。嘘だ。誰か嘘だと言ってくれ。
「……どうしましたか?」
あぁ、あの声だ。細くて、消えてしまいそうなほど透き通った声。
そして、夢の中で見た姿と何も変わらないはっきりと視界に映っている。
「――あ、えっと……」
言葉が出てこない。何を話せばいいのだろうか。そもそも、目の前の光景を受け入れることに必死で、今は話すことに脳の処理が追い付かない。
もはや暑さのせいなのか分からないが、汗が滝のように流れている。
「……俺と会ったときってありましたっけ?」
必死に考えた挙句、もしもの可能性を考えて出てきた言葉を口に出す。
彼女は、少し首を傾げて考える素振りを見せるとすぐに答えが返ってきた。
「ないはずです……すみません」
「……そうですよね」
――どういうことだ?
彼女が存在するということは、あれは夢の中ではないってことだよな?
それなのに、今対面している彼女は俺のことを認識していない。
目の前にいる彼女は確実と言っていいほど、俺の記憶の中の彼女であることは間違いない。
まったく理解ができない……。
そうなってくると、幸太が言っていた通り俺は倒れている間に夢を見て、それが正夢になったってことなのか?
いや、そんな非現実的なことがあってたまるか……。
分からない。分からないけど、一回冷静になろう。
そうだ。ここまで来たのだから飲み物を買おうじゃないか。
自販機に向かって足を踏み出したときだった。
「あ、そこ気を付けてくださいね」
彼女が俺の足元を見ながら確かにそう言った。
聞き覚えがある。というか俺は夢の中で一回同じことを経験しているじゃないか。
あれが予知夢だったとでもいうのかよ……。
ゆっくりと下を見ると、やはりそこには蝉が身動きせずにひっくり返っていた。
「あ、ありがとうございます」
彼女は、ふふっと微笑んでいる。
きっと今の俺が戸惑いを隠せていないからだと思うけど、彼女にとって俺の事情なんて知るわけもないだろう。
この様子だと彼女は本当に俺と初対面だろうから。
「私も飲み物買いたかったんですけど、そこに蝉がいて買えなかったんです」
あり得ない……。こんなことがあってたまるか。
夢の中で起こったことを詳細に覚えているわけではないけれど、記憶通りに話が進むなんてことは、本来ありえないことだ。
つまり、夢を見ていたのは事実だけれどそれが偶然、正夢になっているということなのだろうか。
天文学的すぎる確率だろ、それは……。
「そうなんですね。俺、どかしますよ」
なんとか平然を取り繕っているけれど、このままでは夢と同じことを繰り返してしまう。
けど、夢で起きたことをなかったことにはしたくないという気持ちもあるのが正直なところではある。
だって、僕にとっては二回目でも彼女にとっては初対面なのだから。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「分かりました」
蝉がすでに死んでしまっていることは分かっている。
一応、足のつま先で小突いてみたけどやはり反応はなかった。
「……死んじゃってるんで大丈夫です。これで買えますよ」
「ありがとうございます」
彼女は立ち上がると、すらっとした白い指で自販機のボタンを押す。
「さっきのお礼ってことで、なにが飲みたいのありますか?」
お金を入れてしまっているのに聞いてくるのは反則だろ。これも夢と同じだし。
「お茶が飲みたいです……」
「はーい」
きっと、俺は一言一句同じことを言ってはいないはずだけど夢の中通りに出来事が進んでいく。
天文学的確率と考えるにはあまりにも現実的ではない。そうなってくると考えられることはこれも夢の中であるかもしれないということ。
いわゆる、明晰夢だ。
明晰夢は普通の夢とは違って、夢の中を自分の意志で状況などを思い通りに変化させられると聞いたことがある。だけど、夢の中で夢だと自覚することができるという話も確か、聞いた気がするんだよな……。
そして、もう一つ。きっと今の俺が冷静ではないだろうから、考え付いた憶測だけれど、それは予知夢を見ているということ。これこそ天文学的確率というかもはや、超能力の類だろうからほぼありえないだろうけど。
あぁ、またもや考えてもしょうがない状況になってしまった。とりあえず、今は彼女との時間をどう過ごすかを考えることに集中しよう。
夢だった場合はまた、目が覚めたときに分かるだろうし。
そうして、俺は考えがまとまってはいないが無理やりまとめたところで重い腰をベンチにおろした。
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