~秋、留年をかけたテスト勉強と収穫祭一~
涼しい風が夏の終わりと秋の訪れを告げる。
そんな猛暑の中でも相変わらず、外では蝉がミンミンミンミンけたたましく鳴いている。
ああやって気楽に鳴いて過ごすことが出来れば、こんな悩みを持たなくて済むんだろうなぁ。
……蝉になりたいなぁ。
そんな非現実的な夢に逃げたくなる。
それはなぜかって?
それは………………。
「茜…………。あなた夏休みの課題きちんとやった?」
「…………はい」
「……なら、どうしたらこんなテストの点数になるの?」
ため息交じりに担任の律子先生が呆れたと言わんばかりの物言いで、私のテストを机の上に広げる。
そこには見るに堪えないテストの点数と、ほとんどの問答にバツとペケマークがついた答案用紙の数々。
出席番号二番 三浦茜と番号、名前がでかでかと記入されており、どんなに眼をこすっても名前と私のテストの結果は変わらない。
「……第一回、第二回の定期テストの結果は覚えているわよね?」
「…………はい」
忘れるはずもない。
テスト勉強もろくにせず、どうにかなるだろうと謎の自身をもって受けた第一回、第二回の定期テスト。
その結果は、今目の前に広げられている私の課題テストとそう変わらない。
「これ以上こんな点数を取り続けるようだったら、留年を考えないといけなくなるよ」
「りゅ、留年!?留年って、あの留年!?」
「あなたが留年という言葉の使い方を他に知っているのなら、私はその意味を教えてもらいたいよ!」
私の発言に律子先生は頭を抱えながらため息交じりにそう言うと、机の上に広げられていたテストをまとめて私に手渡した。
「とにかく!一ヶ月後にある中期の定期テストで五教科全部赤点を回避しなさい!これ以上は私でも庇いきれないですからね。ほら、早く帰って復習をして、次回のテストに備えて、今から勉強を始めなさい!」
そう叱責をもらった後、律子先生から追い出されるような形で背中を押され職員室を出ることになった。
職員室を出た途端、夏独特の湿気と熱が周囲を包み込む。
廊下にかけられた温度計が指し示す室内の温度は三十二度。
そして職員室意外この校舎にはクーラーが無い。
…………暑い。
先程までの職員室内とは打って変わって、身体から汗が湧き水のようにあふれ出て止まらない。
暦上は秋なのに、気温の変化が全くと言っていいほど感じられない、そんな9月上旬。
暑さで動くのすらだるいと感じながら、手渡されたテストの結果に肩を落としながら、トボトボと教室の方へと歩みを進めた。
一歩、また一歩と教室へと続く廊下を進むたびに、“きぃきぃ”と床のきしむ音が静かな校内に響き渡る。
いつもは老朽化しているからと気にならなかったその音が、これから始まるであろう暗い高校生活の始まりを告げているような気がして、余計気が滅入る。
そうして教室の前へと戻るころには、すっかり意気消沈してしまっていた。
そんな状態で教室へと戻ってきた私。
教室の開き戸が開いた音で自分の席で残っている男子が一人、読んでいた文庫本から目を離し顔をあげた。
そうして私の顔を見るや否や、
「まーたオール赤点取ったのか?茜」
ドジ踏んだのが分かったのか、蒼汰が私をからかいながら今一番触れられたくないところを聞いてくる。
「仕方ないじゃん!全然わからなかったんだもん!」
「仕方ない、じゃないだろ?律子先生からテストに出るよって言われていたところはそのまま出てた」
「うぐっ」
「それに茜の事だし、夏休み中に花ちゃんに会えなくなるから―って遊びに行って、勉強をしなかった。そうして招いた結果が今回のテストの点数だろ?」
「うぐぐっ」
蒼汰は淡々とした物言いで、私の心に言葉というナイフを痛いところへ投げてくる。
小さい時から蒼汰とは長い間一緒に過ごしているけれど、この正論という言葉の切味はいつも変わらない。
「……それで?どうせ前みたいに補修か再度似たような問題を解いてくるかしなきゃいけないんだろ?わからないところは教えてあげるから、さっさと終わらせよう」
だけど、なんだかんだ言いながら、私に勉強を教えてくれる。
そんな面倒見のいい幼馴染みでもある。
ただ、今回私に課せられたものは、そんな優しいものじゃない。
「……留年」
「………………は?」
「次の中期テストで、赤点取ったら、留年だって…………」
私のその一言で、たった二人しかいない教室に、うるさい蝉の鳴き声がより一層うるさく感じるほどに静まる。
そして……、
「はああああああああああああ!?」
私の言葉を聞いて、蒼汰は今まで聞いたことがないほどの大声をあげた。
その声は外の蝉の鳴き声にも勝るもので、一瞬、学校に静寂が訪れる。
そしてすぐに、蝉たちが蒼汰の大声に負けるものかとでも言わんばかりの鳴き声で、音を揃えて一斉に鳴き始める。
蒼汰がこんな大声で叫んだところなんて、今まで一度たりともなかったので、思わず驚いて目が丸くなり、両手で持っていた赤点のテストをクシャっと握りしめてしまった。
蒼汰はかなり焦った表情で、手に持っていた文庫本を投げ捨てて私に近づくと、両肩を掴んで思いっきり揺らしながら、
「お前留年って……ど、どうするんだよ!?」
と、私以上に動揺した蒼汰を見て、改めて私の身に起こりえた事態が相当深刻なものであると理解した。
「と、とりあえず、落ち着きなよ、蒼汰」
「落ち着ける奴があるか!学校に俺と茜の二人しかいない高校生の内、その一人が留年になるかもしれないとか、それで、へぇーそうなんだー。で済ませられる奴なんていないだろ!?」
先程から変わらぬ声量で、しかも至近距離で言われるものだから、耳がキンキンとなって仕方がない。
その声量の大きさに、両手で耳を塞ぐ。
その時、手を顔の位置まで持っていったこともあって、しかも場所も悪かったようで、私の悲惨な赤点の点数が丁度蒼汰の視界に入り込んだ。
そして、あまりにも悲惨すぎるテストの点数を見て
「な、何じゃこりゃああああああ!?」
と、二度目の大絶叫を村中に響かせた。
放課後、夕方だというのに夏らしさが抜けず、生ぬるい風が余計に暑さを強調させるので「あついー」と届くはずのない愚痴をこぼしながら蒼汰と共に教室を出て、古びた廊下を少し歩いて、独特の雰囲気を持つ木造の階段に足をかける。
”ぎいいぃ…………”
お腹の奥にまで響く悪魔のような鳴き声が、大きな音をたてて響き渡る。
学校が築百年近くたつ木造建築ということもあって、廊下を歩くときでさえきぃきぃとぞわっとする嫌な音をたてるのに、廊下はそれ以上にぞわっていうか、ぶわっていうか、今の私にはそんなふわっとした言葉でしか表すのが難しい。
そんな階段を下りて使われなくなった机や椅子が埃を被った状態のまま長年放置されている教室、ほとんど物置となりつつある保健室、四つしか置かれていない机の教室を横目に通り過ぎ、夕日が入り口から差し込む玄関口へとたどり着く。
三段しかない下駄箱の一番上の段にある私の白いスニーカーを取り出して、靴を履き替えて蒼汰よりも先に外に出る。
教室の中とは違って、外に出ると少しだけ涼しい風が肌をなでる。
蝉は昼時と同じくらいにミンミンとうるさく鳴いてはいるものの、山は少しずつ茜色に染まり始めていて、空には赤トンボもちらほら飛んでいる。
そんな視界に入る所々の風景が、改めて秋と村の収穫祭が近いことを告げている。
だけど私に訪れたのは冬。
そこに、過ごしやすい秋のような気候があるわけでも無く、夏のように何にかに熱中できる時間があるわけでもなく、春のように新たな予感や出会いがあるわけでもない。
あるのは草も木もない真っ白で先の見えない平野だけ。
「で、本当にどうするんだよ。留年なんて洒落にならないぞ」
そこに再び追い打ちをかけるような吹雪が、私の心をさらに冷たく凍らせていく。
「……今その話はしないで。せっかく忘れかけてたのに……」
「いや、忘れるってお前……」
危機感どうなってんだと言われながら、蒼汰から軽くげんこつをもらう。
「まずはどこが出来ないのか、出来ていない基礎は何かの確認からだろ」
「…………めんどくさぁい」
「それをしなきゃ、留年するのは茜なんだよ!ほら、公民館借りて勉強するぞ」
「いーやーだー!」
「いいから行くぞ!」
蒼汰から強引に腕を掴まれ、引っ張られる形で小さなグラウンドを抜けて古びた校門をくぐり学校の外に出て、コンクリートで雑に慣らされた軽トラック一台がやっと通ることが出来る、田んぼと畑に囲まれたうねうねした坂道を少し速足で蒼汰に引っ張られるままに下っていく。
速足で下ったこともあってすぐに坂を下り終えると、蒼汰は真っ先に村役場の方へと足を向けた。
そうしてすぐに村役場にたどり着き中に入ると「すみませーん」と声をかける。
蒼汰のその声に「少しお待ちくださーい」と若く明るい女性の返事が返ってきてすぐに友則と書かれたネームプレートを首から下げた女性が顔を出す。
「あら、蒼汰と茜じゃない。どうしたの?……手なんか繋いじゃってさ」
少しからかいながら友姉は、私の腕をつかんでいる蒼汰へと視線を送る。
言葉にされて思い出したのか、慌てて蒼汰は私を掴んでいた腕を離すと、
「……別に、何でも………………。それよりも、公民館の鍵はありますか?」
少し上擦った声で返事を返す。
その反応をケラケラと楽しんだ後に、「少し待っててねぇ」と私たちに言葉を残して、鍵があるか確認をしに奥の方へ戻っていった。
そしてすぐに戻ってくると、友姉は少し申し訳なさそうな顔つきで戻ってきた。
「ごめんねー。多分村長が公民館の鍵を持って行ってるみたい」
「そうですか。明日はどうですか?」
「明日は借りる人がいないから、時間さえ伝えてくれればキープしとくよ。ところで……何で蒼汰は茜の腕を掴んでたのかなぁー」
「何でもないです!」
友姉の言葉に、蒼汰が顔を真っ赤にしながら早口で言葉を返す。
日焼けしている肌の上からでもわかるほど蒼汰の顔は真っ赤になっていたので、またおちょくられてるなーと思いながら、私は二人のやり取りを眺めていた。
友姉は私たちが幼いころに一緒に遊んでくれたお姉さんの一人で、蒼汰はいつも友姉にからかわれてはいつも顔を真っ赤にしている。
きっと昔から蒼汰は友姉の事が好きなんだろう。
わかりやすいなぁ!私の幼馴染は!
「はぁー、いや、蒼汰。あんた相変わらず小さい頃から変わらないねぇ。でもそこが可愛いところなんだけどねぇ」
「……可愛いとか、言わないでください……」
「あー、照れてるー」
「照れてないです!」
あははは、と昔から見せる屈託のない笑顔で友姉はいつものように蒼汰をおちょくっていた。
そうしている間にふと何かを思い出したかのか、友姉は私の方に視線を向けた。
「そう言えば律子から聞いたんだけど……茜、留年するかもって本当の話なの?」
ピシャアアアと、友姉から落雷のような指摘を受ける。
突然話を振られたもので、しかも何度も記憶の奥底の方に放り投げていたこともあってか、頭から言葉が出てこない。
私が友姉への返事の言葉を詰まらせていると、友姉が何かに気が付いたような顔をして蒼汰を見た。
「……あぁ、なるほどねぇ。茜が留年の危機にあるから、公民館で蒼汰が勉強を教えるって事なのか」
友姉は自分の言葉に自分で納得した後「蒼汰は相変わらずストレートに伝えたいことが言えないぶきっちょさんだよねぇ」と言うと、
「明日は学校の下校時間に合わせて鍵をキープしておくから、二人とも今日は帰りな。ここにいても茜のテストの点数が上がるわけじゃないしね」
そう言って、にししと友姉は笑いながら簡単に鍵の貸し借りの手続きを済ませてくれた後、友姉に別れを告げて外に出る。
「……とりあえず、今日は帰ろうか。このままここにいても何もすることないし」
「そうだね、うん」
友姉と話したことで二人ともに謎の脱力感に見舞われる。
そのまま二人してため息をつきながら帰路につき、自宅近くで蒼汰と別れ自宅にたどり着くと、私は玄関の扉を開いた。
「おかえり、茜。……ところで、母さんに話さなくちゃいけない大切なお話があるんじゃないかしら?」
玄関の扉をくぐった先では、鬼の形相をした母さんが仁王立ちで私が帰ってきたのを出迎えてくれた。
これから起こる事、これからやらなければいけない事、これから耐えなければいけない事。
夏休み明けに大きな問題が積み重なり、夏休みの行動を今更後悔しながら、母さんにリビングで説教を受ける。
こうして、毎年のように収穫祭を楽しむ秋が始まるのではなく、今年は勉強を頑張る秋が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます