カルマ、帝王へ挨拶す

 グレースよりレスターへ帰る準備が大よそ整ったとの連絡を受けた。

 ならばケント帝王陛下へご挨拶しなければならぬ。

 内々に王宮へ出仕し、アルタ一人の出迎えを受けて歩く。

 どうしても―――先導するアルタとの距離が離れてしまうな。

 この王宮が、ケイ帝国の主の住居が見納めかと思うと、一つ一つの物から目を離しがたい。


 ケント陛下の私室に案内されたのは何時ぶりだろうか。との感慨も、幼い部屋の主が目に入るまで。

 その表情は……硬い。アルタがどのように伝えたかは分からぬが、用件をご存知ではありそうか。

 下男下女の気配も無く、願っていた通り場には陛下とアルタのみ。信頼がまだ残ってはいたようだ。有難い。ならば。

 片膝をつき、頭を垂れ、

「ケイ帝国大宰相カルマ・トーク。拝謁致します」


「表を上げる事を許す」


「はっ」


「それで、今日は何用であるか」


「本日はお別れを告げに参りました。臣はこれより病気になり、任に堪えぬとして自領に帰ります」


「……真にか。アルタよりそう聞いてはいたが、お主は朕の前でケイ帝国を中興してくれると誓ったではないか。あれは嘘であったのか」


 子供の無知さ故と分かってはいても、信頼を裏切られ傷ついた声音が心を疼かせる。

 ワシもあの時は何としてでもと思っていた。足りなかったのは知恵なのか。それとも……。最早詮無き事と分かっていても、悩ましい。


「嘘ではありませぬが、不可能で御座いました。今では我が身さえ危なく、お守りする所かケント陛下にまで害が及びうる情勢。故に帰らざるを得ぬのです」


「何を言うのですか! そなたはケイの臣下ではありませぬか! 己が死のうとも帝室の為に尽くして当然でありましょう」


 ―――はぁ……。分かっておるのか?

 いや、分かっておるのだろうな。

 その上でこの物言いか。言葉を返す気にもならぬわ愚か者が。


「ケント陛下。このカルマ最後に忠言をしたく思います。心よりの忠言で御座います。その為に、無礼の許しと、我が言をこの三人だけに留めおく。そう硬くお約束頂きたい」


「う、うむ。良かろう。カルマの忠言は何時でも聞く用意があるぞ。平らかに申すが良い」


「決して喋らぬと、帝室のご先祖に誓って約束を」


「そ、そうか。誓おう。我が偉大なる高祖アーク・ケイに誓い決して喋らぬ」


 これで……我が哀れな主に最後の義理を果たせる。

 よく考え己の身とするのは難しかろうが、何もせずに去るよりは。


「されば言上致します。まず貴方様を含め帝室の力は尽きております。臣は貴方様の大宰相としてケイ帝国を再興しようとは致しました。しかし諸侯も官僚も我が命に従う所か逆らい、邪魔をするのみ。ケイ帝国に諸侯を従える力は最早ないと、心胆に感じまして御座います。例え貴方様が長じようとも……何かを変える事は出来ますまい」


「な、何を言うか! 全土の諸侯はケイの臣下なのは変わらぬです! ケント陛下を不安にさせるような妄言、許しませんよ!」


「このアルタも臣の邪魔をした一人。ケント陛下にご助力を頼もうとしても、そのような雑事に帝王を煩わせてはならぬと全て拒否されもうした。本人としては貴方様の名を使って失敗し権威に傷つけぬように。と、忠勤のつもりでしょうが最早どんな配慮も出来かねる程にケイの崩壊は間近で御座います。その時は貴方様のお命さえどうなる事か。

 はっきり申し上げましょう。臣が大宰相として任を続けるのであれば、まずはこのアルタを殺しますぞ。陛下の動向を巡って争うような余裕は御座いませぬ」


「! そ、それは許さぬぞカルマ! アルタは幼き頃より朕を守ってきてくれたのだ! 数少ない信じられる者なのだぞ!」


「しかし、結果的には陛下の害となる者です。ああ、忘れておりました。これよりケント陛下には臣と連名でビビアナ・ウェリアを大宰相とする王命を出して頂きます。故に今後はアルタではなくビビアナの声に耳を傾け、全てにおいて彼女の言う通りにすることをお勧め致します」


「ば、馬鹿な! カルマ、そなた狂ったか! ビビアナはこの王宮へ攻め入った者である! 先帝を、我が一族を殺したかもしれぬ者だ! 朕さえ殺しかねぬ。……朕は認めぬ」


 む。この誤解は解いておかなければワシの意とビビアナにとられような。

 リディアめ……。確かにビビアナの意を逸らすのが大事なのは分かるが。それでも何という屈辱。

 しかし―――あの書を思うと今も身が竦む。

 悔しくとも……致し方あるまい。


「陛下。私見では御座いますが先帝が死んだのは……何かの間違いで御座いましょう。あの時は非常に混乱しておりました。

 ビビアナとザンザ閣下の関係は良好であったと聞いております。ザンザ閣下の血に連なる先帝を殺そうとは致しますまい。

 もし、ビビアナの手の者が殺していてもそれは事故。階段から落ちたと同様である。そうお考えにならなくてはなりません。

 何故ならこのケイでビビアナより強い者が居ないからです。故に貴方様を今もっとも守れる者もビビアナ・ウェリア。かく言う臣もビビアナとマリオに負けて大宰相を辞めるのですから、決してあの者に敵意を抱かれませぬよう」


「であろうともビビアナはならぬ! 朕は良かろうとも、このアルタは必ずや殺される。朕はアルタを死なせとうはない」


 はぁあ……。溜息が、漏れてしまった。余りに愚かしく、哀れな話だ。後世の者は我らを嘲笑おうな。


「アルタ。貴様が世の動きを考えずに帝室の権威を振りかざし守ろうとした結果がこれだ。貴様の大事なケント陛下がお前を守って死のうとしておられる。好き勝手私腹を肥やした挙句がこれか。……この、無能が」


「黙っていれば……そちらこそ好き勝手言ってくれますね。他の十官は知りませんが私は私腹を肥やしてなどしておりません! 大体先祖代々ケイの臣下として繁栄しておきながら、帝室を軽く扱う諸侯が悪いのではありませんか! 今では領主同士で争い世を乱している。その筆頭がビビアナですよ。それを頼れとは貴方こそ気が狂っています」


「そうだ。それが今の世だ。力が無ければ何も出来ぬ。だというのに力が無いお前が無駄に抵抗するから、ワシも陛下も無益に困難を背負い込んだ。

 お前の言葉はワシの耳には全て妄言に聞こえる。余りに世情を知らん。このランドの争いならば生きていけるのだろうが、外で行われている軍での殺しあいにお前の考えが何の役に立つ。同輩を皆殺しにされた事実を思い出せ。

 ケント陛下。今一度申し上げます。ビビアナに協力なさい。そしてこのアルタにも協力させるのです。それが陛下がお命を繋ぎ、こやつを生き延びさせる唯一の手」


「……考えておく。して、お前はどうなる。帰った後ビビアナに何かされたりはせぬのか」


 なんと、この歳で思い当たるとは。やはり賢い。惜しい。……残念だ。

 もう少し帝室に権威があり、この方が大人であれば。

 ワシが最初願った通り中興の祖の右腕として、正史に我が名を遺せたかもしれぬものを。


「ご賢明であらせられます。ワシも自領に帰って直ぐ戦をしなければならぬでしょう。勝ち目はさて……あるのかさえ。

 この戦に少しでも道を作る為、そして陛下の将来が少しでも明るく成るためにビビアナを次の大宰相とする王命をワシと共に出して頂きたい。いえ、出して頂きます」


「―――分かった。ビビアナを次の大宰相に任じよう。アルタ。お主もそれでよいな?」


「御意のままに……」


 アルタ・カッチーニ。このように不服を見せていては死ぬであろうな。

 いや、最も死に近いワシでは批評するのも愚かしいか。


 無念だ……ザンザ閣下と組み、ランドへ来た結果がこのようになろうとは。

 残れば時と共に敵が増え、対処のしようがないのは確かにリディア殿の言う通り。しかし帰ったところで働き始めて一年と経たぬ年若い娘と、やはり若い―――何一つ掴めぬ男が頼り。

 無様だ……酷く。 


 かの者が、ザンザと組むと言った時に呈した疑問を近頃しきりに思い出す。実際それが問題となって何もできずに終わった。

 哀れんでいたように見えたのも思い過ごしではないのか? 庶人が、あの時にどうやって其処まで見通す?

 やはり、人に無しうる事を越えてるように思える。もしもリディア殿が入れ知恵していたのだとしても可能なのか疑わしい。

 

 さて、ワシは何か騙されているのか。それとも人知を超えた幸運、或いは不運に見つけられたのか。


 少なくともこれでリディア殿の言う通り、ビビアナを次の大宰相とする王命は出せる。

 これでもトークが滅ぶなら、その時は文句の一つでも言わせて貰いたい所だ。

 ……その時、その程度の余裕がある事を願うくらいなら、かの男が何者であろうと罰せられもせぬだろう。

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