第二部 第一の殺人(前日)
「君はわたしの公義を否定し、わたしを非とし、自分を義しとするのか。君は神のような腕を持つと言うのか」
―旧約聖書『ヨブ記』(関根正雄・訳)
1 霊障二日目 (8:00)
「どうやら起きたようだねワトソン君」
有象がベッドから見下ろしていた。
「見知らぬ場所の見知らぬ床でも寝れる君の特技は、のび太に値するよ。否。そんなに毛布をグルグルと巻きつけてうつ伏せで寝る様はのび太以上の技を持っている」
昨日はとても冷えたのだから当然だろう。
「それはどうもありがとう。もう朝か」リュックから合宿用の
「ふむふむ……二日目の予定では皆と食堂で朝食を
栞を何やらふむふむと興味深そうに読んでいる。
有象の云う通りだ。美希はあんな性格だからウッカリ口を滑らせていたのを聴いてしまったが『ウィジャ
オカルト研と一口に云っても皆の趣向は異なるので各々好きな道具や話題を準備していることだろう。
「私が先に食堂に出向いてもいいが……やはり新参者だから君が傍にいる情況にするよ」
おや珍しい。
有象は初対面の人相手でも臆することない態度で接してくるし、淡々とした喋り方からは想像はつかないけれど人当たりも好いのも幼い頃からだ。
「不思議がっているようだね」と心中を察してくる。
「なあに。単に君を含めてだが狂人しか居ないからね。私が話せるのは正論が通じる相手のみに限られる。論破なんて言葉があるが、あれは耳を傾ける能力のある人に向けて発することのできる言霊だよ。お互い論点がズレたままの会話や感情だけで話してくる人間はそもそもお話にすらならないからね。
狂人は君一人だけで手一杯だ。
まあいい。私は昨日の仕掛けを確認してくるからちょっと外へでていくよ。30分もあれば足りるだろうから会合には参加させてもらうとしよう」
仕掛け? 昨晩は一言もそんな会話をしていなかったけどボクが寝てる間に暗躍していたんだろうか。
まあいいや。準備しよう。
2 霊障二日目 (8:40)
思った以上に準備に手間取ってしまった。
案の定、室内には有象を含めて全員揃っている。
食堂の正面の壁には、北欧神話で統一された意匠に似つかわしくない
それは昔に有象が観せてくれた落書きの上位版であった。
「君も気になったようだね」有象は、絵画に
『創世記』第四章―人類初の犯罪は
「カインとアベルの宗教画の構図はカインが奥または上方。
対してアベルが手前もしくは下方に配されてる事が多い。
ルーベンスやヴェッチェリオが解りやすいかな。
何故この配置かといえば視線誘導といって、人間の眼は手前から奥へと無意識に動く原理を利用している。
絵の主題は大体が殺害される瞬間か殺害後の場面だ。
まずは被害者もしくは屍に目を向けさせ、次いで
加害者、犯人を突き止める流れに仕向けてるんだね。
更に付け加えるならば新しい 農耕の
単純に兄弟の産まれの配列とも。これは私個人の考えだけどね」
「今目にしてるのは、その構図ではないじゃないか」
タペストリーの模様はカインが口から顎を右手で隠しその後方で屍となったアベルが織り込まれている。
「そうだね。だが、恐竜絵師チャールズ・ナイトが
描いたから後世のティラノサウルスが彼のイメージに歪められたように必ずしもそれが真実とは限らない。地動説を推奨したアリストテレスの功罪もだ。
君が云う通り、タペストリーは先述した宗教画とは反する。
これは手前にカイン、そして奥にアベルと反転した構図にある。カインの額を見たまえ。弟殺しの刻印が描かれている。
右手で隠しているのは、唇と武器の隠蔽だ。
聖書では詳しく殺害の場面は記されてないのだが
宗教画では右手に
「そして口は災いの元……だから余計な情報を
うっかり喋らないように、弟を殺したその手で
覆っているのか」
「君にしては賢いじゃないか。手の甲を向けるのは閉鎖的な心理の表れでもあるからね。
私は殺ってません。少なくともこの手ではと無意識に主張しているのだよ。
講釈を進める。
「アベル殺害の罪の印ではなく、アベルを我が物に独占したという
有象先生の講説に耳を傾けている場合ではないのを思い出した。
「遅れてすみません」と伝えるが、皆テーブル中央に置かれた盤に夢中で、いいよと生返事が返ってくる。加えて皆の表情は真剣そのもので何処かチグハグな印象を受ける。どうやら『話』を持ちかけたのは有象らしい。何かの質問をウィジャ盤で占っている。
「もう一回しようぜ」登美沢が鼻息荒く盤に指をのせた。
『ウィジャ盤』とは、外国版『こっくりさん』と例えたほうが判り易い。
本来の使い方としては降霊術や心霊術としての呪具
に他ならない。盤上には数字やアルファベットなどの文字が刻まれていてその上をプランシェットと呼ばれる道具をプレイヤー(複数人)で持ち、投げかけた質問に
応えは何回やっても『Y』『E』『S』となった。
それを見て探偵は「どうやら君達の術式に則ってもこの館から出るのが最適解らしいよ。コレが最後の警告だよ」と悪気なく
「有象……」と肩をこづいてみた。心証を悪くするのはボク一人で十分だ。それに正論がいつしも正しい効果を発揮するとは限らない。
「コレが最後の警告だよ。判った……もうこの話はおしまいにしよう」どこか傷ついたような声色を使い盤に目を落とす。このままでは空気が悪いと五反田さんが機転を
人生に根ざしたエピソードも垣間見えた。
「サンタさんは
いい歳してサンタなんてと思うけど、彼にとってサンタはオカルト信奉と同じ土俵に有るらしく『N』『O』の二文字が盤面に浮かんでいるにも関わらず納得してない様だった。根は子供なんだろう。
彼ならオカルトに限らず何でも信じてそうだ。
内心ほくそ笑むボク。
「……そういえば、あそこに飾ってある二体の玉はなんでしょうね」八ヵ谷の後ろ―
他の調度品とは異なり、この二つの球には手入れが頻繁にされているらしく、中世暖炉の天板にのみ埃はなかった。
「なんか昔観た特撮ドラマみたいですね」五反田さんが口火を切る。それを受け雨宮さんが
「……はい。権力闘争のお話でしたよね。怪奇性と神秘性がない混ぜになった作品でした」
どうやら八ヵ谷や登美沢も幼い頃に観ていたらしい。最も記憶は曖昧で、その玉をめぐっての攻防シーンだけ明瞭りと覚えてるみたいで度々その話はオカルトと絡ませてネタになっていたらしい。先程の空気とは違って随分な盛況ぶりだが蚊帳の外にされた美希とボクはどこか面白くない。現に美希は首を傾げている。有象も黙って訊いていた。
雨宮さんが話すには、紅玉と翠玉を二つ同時に揃えた者だけが創世王となる神話のお話みたいだった。人体―臍辺りに二つの球を埋め込む事によって。
じゃあ、オレ翠
「思ったより重いなあ」
「カッコイイ」
などと盛り上がっている。
本来咎めるべきは部長だが、云うだけ無駄と静観の構えを呈していた。
それからは順々に
一切言葉を発せずにモールス信号をテーブルを叩く音で変換してするミニゲーム等は美希が用意してくれた。毎回新しいアイデアを持ち寄るのが合宿での暗黙の了解となってはいる。が、怠け癖のある美希には辛いらしく毎回このゲームを出す。ボク含めて周りも許しているから姫バンバンザイと云った所か。
部長が出してきたダウンジング・マシンには皆が驚いた。ダウンジング・マシン自体に驚いたのではなくなんと感知する出来事があったからだ。持ち出してきた道具をテーブルに拡げたままに、
館内を先陣切ってあるく部長にメンバー全員が続く。
ホールへと降りると先端が微かに震えた。
金塊など微塵も見つからなかったけどもボクには十分な恐怖を植え付けてくれた。
有象がソッと耳打ちしてくれた。有象の説明によれば単純明快なトリック―先述した楔に反応したんだろうと後で教えてくれた。
他一点……有象が教えてくれた事。それは紅玉と翠玉の正体。
「ユミルは実は最初の神じゃないんだ」
「え、北欧神話の世界がユミルの骸でできていると云ったのは君じゃないか」
「天地創造神ではあるけどね。宇宙創造神ではない。最初の神は炎の精神体と、氷の精神体なんだよ」
―それじゃあ―「アレがそうなのか」
「そうだよ。ただ熱を込めてドラマの話を彼らがするものだし、別段真実を伝える必要にかられなかったからね。ただあの場所に置いてあることには納得できないけどね」と意味深なセリフを彼は吐いた。
食堂へ戻ると八ヵ谷が
「ない!?」と慌ててていた。
テーブルの上に散在してるのは栞や食料品。飲料水にウィジャ盤。
八ヵ谷が持ってきたゼナー・カードがなくなっていた。五反田さんのカメラほどに大切なカードであるらしく、しばらく一同を睨めまわしていたが、
皆心あたりがなかった。
―神隠し―。
幽霊。館の膨張。
ウィジャ盤のお告げにダウジング・マシンの
反応と相次ぐ霊障の続きなのだろうか。
五反田さんは、登美沢を疑っているみたいで
じーっと見つめている。
午前の部は納得していない八ヵ谷を残して終わった。
3 霊障二日目 (15:25)
各自昼食を摂り午後の部は鑑賞会となった。
美希が八ヵ谷のズボンに珈琲を引っかける事故があった。カード紛失に加えてこれは危ない。
流石に美希に対しても怒るかと思ったが
「大丈夫大丈夫。珈琲も冷めてたし着替えは持ってきてるから」穏やかな口調でフォローしている。
入館して24時間以上が過ぎた。
五反田さんは昨晩以降も撮影を続けてくれたらしい。映像が長いので各々中座する場面もあった。
全員洗面に立った事を把握していたのかボクが戻ってきた所で有象が切り出した。
館が膨張をしていると判明した時点で有象はアクションを起こしていた。自分たちの前で踵を返し外へと出たのは館の周りにグルリと円を描いてきたこと。館はスッポリと有象の描いた完全円に収まった。なんと電話線の件は描く作業中での
有象の発見を要約して以下にまとめる。
●館の膨張には規則性がある。
●カメラ内のノイズは、ホールの楔に繋がれた鎖の音。
●円からはみ出た館の面積とノイズの音には相関性があり、割り出し可能である。
●ただ膨張するだけではなく有機体(生物)を除いた館周辺のオブジェクトを取り込む性質がある。人間の出入りが可能なのはそれに拠る。
●膨張するのは有機体意外の室内の調度品等も大きくなる。
「君たちの神秘性のベールを最低限削ぐとこうなる」と云い添える。言外に含みを持たせたそのセリフには、もしかして有象は館が
『何故膨張しているのか』
突き止めてしまったのではないかと感じた。本棚に並べられていたエクレアイデス(ユークリッドとも昨今では呼ばれている)『幾何学原論』を参考に解を得たと自信満々である。
その膨張速度と面積は毎時○○/○○だという。
奇しくもその数字はこの館の大きさを地球面積にまで倍にすると73.2 km/s/Mpcとなる。『ハッブル定数』と唱えられる宇宙の膨張率に酷似するというのだ。書記担当の雨宮さんが持っている大学ノートを有象は手に取り、簡単な館内と、館外―周辺の図を描く。
その上に
次は2:00頃に西階段の近くに井戸が取り込まれる―次いで―と、次々に予測を立てた。
よく判らない話を訊かされて、今日は解散となった。
八ヵ谷がボクを見ながらも美希に軽口をたたく。
「オレは部屋に鍵掛けないからいつでも入ってきてもいいよ」
大胆なお誘い。
「オレもオレも〜」と登美沢も参加してくる。
けれど美希はそんな二人に取り合わず
「眠くなっちゃったから止めときま〜す」
なんてサラリと
帰り際に一応美希に声をかけることにした。
「美希。八ヵ谷と登美沢には用心した方がいい。
絶対部屋のドアを開けちゃ駄目だぞ。アイツら何考えてるか判ったもんじゃない」との忠告に対し
「わかった。あの二人は特に危ないもんね。でもそれ云ったら……一番初対面の有象さんに〜部長さんでしょ〜五反田さんに〜もうキリがないよ」
美希はおどけて答えた。
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