魔が差したるは

鏑木契月

第1話 邂逅①

 強く吹きつける風によって桜の花びらが時折頬に触れる。それは優雅さを通り越して春であるのに吹雪の中にいるかのような錯覚を覚えさせる。

 春一番による強風警報の最中に行われた入学式も終わり、晴れ姿を収めようと集結していた撮影待ちの行列もすでにない。『入学式』と書かれた校門前の看板が桜の花びらによってまばらに夕陽を浴びている。

 そんな校門前に、1人校舎を見つめる制服姿。ボブショートの茶髪が激しい風によってふわりとなびいている。


 ──あの日も、こんな強い風吹いてたっけ。


 目を閉じると、目の前の夕暮れの風景は暗転し、曇天の雨模様へと変わっていった。その日は同じような激しい風が吹いていた。それまで晴れて乾いていたアスファルトの上に生乾きの衣類のような匂いを届けにやってきた。

 強風で横殴りに降りかかる雨粒が容赦なく頬を叩く。

 雨は勢いを増していき、周囲のあらゆる雑音を洗い流して行く。それは行き交う車の運転音、周りの野次馬たちの喧騒、どよめき、そして怒号さえも皆等しくかき消していく。

 少女は雨で流されていく世界の中に、ただ立ち尽くしていた。

 その視線の先に少女の姉が横たわっている。その胸には紅黒くなったシャツが元の白さを思い出せないほど染まっていた。雨は血溜まりになったアスファルトの染みを容赦なく降りかかる。それでも胸から流れ落ちる紅は洗い流すまでには至らなかった。

 そしてその横に姉を見下ろす同じ制服の女の姿。

 雨でみすぼらしくなった金髪が腰まで伸びている少女が姉の方を向きながら立ち尽くしているの姿を一目見て、彼女の足元は力をなくし地に伏してしまった。

 倒れる寸前、その金髪少女がこちらに振り向いた気がした。

 少女はその小さい瞳孔でただじっと霞を見つめていた。その目が問いかけるのは怒りなのか後悔だったのか、幼い霞の記憶ではその判別がつくものではなかった。

 そして彼女の視界はまたも暗転する。


 ──あの時の答えが、ようやくわかるんだ。


 有先は先程の入学式で金髪の小さい瞳孔をしたあの時の少女を目撃した。

 少女は10年もの歳月を経て腰まであった長髪はポニーテールで後ろ髪をまとめていたが、相当短くなっていた。

 それでもあの時の少女であるという確信は有咲霞の中に確かにあった。

 この時をずっと待っていた。あの日から止まっていた時間がようやく動き出した心地がした。今日、わたしの目的が叶う日なんだと、有咲霞は確信していた。

 校舎から漏れる光が遮光カーテン越しから見えるシルエットを照らしている。

 あの場所が保健室であることは入学式の前に確認済みであった。

 有咲霞は、保健室へと歩を進める。


 『保健室』と書かれた表札に、かつてこれほどまでに緊張感を持ったことはなかった。

 今、有咲霞はそこにいるはずの目的の人物を前に武者振るいを覚えていた。長年夢見た決着の相手が扉を隔てた向こう側にいるのだから。

 扉にノックをしようと手を伸ばす。


「空いてるよ」


 初めて聞いた声なのに、懐かしさが込み上げてくる。

 そんな戸惑いを押し殺し、扉を開ける霞。窓から差し込む夕陽に一瞬目が眩む。そのうちにだんだんと目が慣れ、目の前の人物を視認できるようになってきた。

 あの時と同じだ、あの時と変わらない目でわたしを見つめている。

 少女の記憶は実体を帯び、確かなものへと変化していった。だからこそ、今目の前にいる人物と決着をつけなければならない。

 有咲はブレザーのポケットに手を突っ込み、目の前の人物に向かって直進していく。

 尋常じゃない様子を感じ取ったのか、目の前の保健医は目を見開く。

 次の瞬間、有先霞はブレザーのポケットから鋭利なものを取り出す。


ーーーナイフ!?


保険医は目を疑い、そして耳を疑った。




「わたしを、殺してくれますか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る