第44話 陛下のお母様
人生なんて、どこでどうなるのか分かったものではないです。
昨日とは全く違う今日が訪れることもあるって、私はちゃんと理解して心構えをしておくべきでした。
陛下と、あんな素敵な時間を共有して、それ以上の事が起こるわけがないって、ごく当たり前の一日を淡々と過ごそうとしていた時でした。
「エレナ。貴女は配置転換だそうよ。ここはいいから、指示されたところへ行って。えーっと、中庭に行けば、そこから指示してくれる担当者がいるそうだから」
いつものように掃除に取り掛かろうとすると、清掃の責任者の方がいらしてそのように伝えられました。
働き始めて二年なので、配置が変わる事もありますねと、一人で納得しながら指定された場所へ行くと、そこには、服装からして王家専属の侍女であるはずの方が待っていました。
「エレナさんね?私は、アネット・ヒル。いつもは国王陛下の母君、キーラ様に仕えています。今日は、キーラ様の指示で貴女の教育係を任されました」
そして、当然のように声をかけられたので、
「よろしくお願いします」
よく理解しないうちに、慌てて頭を下げて挨拶をしました。
家名をお持ちの方が、私の教育をしてくださるだなんて、何が起きたのかと思いました。
「今日から貴女に任される仕事は、キーラ様の身の回りの事になります。時には、公務の補佐も行う事になりますので、しっかり覚えてくださいね。分からない事は、どんなに細かい事でもきちんと確認すること。それが、貴女の成長になります」
説明を聞きながら、思わず聞き返していました。
「こ、公務の補佐ですか!?教養の無い私が、そんな……」
「読み書きはできますよね?フィルマン様より、貴女の学力の程度は確認していますが。それで、問題ないと判断されて、ここに呼ばれています。心配しなくとも、最初から10を求められる事はありませんよ」
優しく微笑まれて、ここにはやはり間違えで呼ばれたわけではない事は分かりました。
それならば、何はともあれ、最初からできない、無理だと言ってばかりはいられません。
任された仕事を出来る様に努力したいと思います。
アネット様の説明を聞きながら、できる仕事に取り掛かりました。
それから数日が過ぎた頃です。
少しずつ少しずつ仕事を覚えながら、できる事を増やしている時でした。
「初めてお会いするわね。エレナさん」
ついに、キーラ様とお会いする時がやってきました。
緊張で震える足を隠しながら、ご挨拶をしました。
キーラ様は、アクセル様と同じ髪の色と瞳をしていて、目を見張るような美しい方でした。
ギフト所持者であり、誰よりも尊ばれる方が私を優しく見つめていて、やはり、身に余る場所にいるのだと、改めて思いました。
「仕事には、慣れたかな?」
「は、はい。アネット様から、丁寧なご指導をしていただき、未熟ながらも務めを果たすことができています」
「そんなに緊張しなくてもいいよ。堅苦しいのは、私も苦手だから」
キーラ様の言葉に、少しだけ肩の力を抜くと、フッと微笑まれていました。
「とって食べはしないよ。ふふっ。アクセルも、心配することはないのに」
キーラ様の視線の先を見ると、遠目に陛下のお姿があり、立ち止まってどうやらこちらを見ているようでした。
キーラ様が軽く手を振ると、少し、急ぎ足で去っていかれました。
「少しずつ、ここにも、仕事にも、私にも慣れてくれたらいいから。よろしくね、エレナ」
「はい。精一杯、お仕えさせていただきます」
「ふふっ。だから、力を抜いていいよ」
こんなやりとりを経て、その日の業務終わりに、光栄な事にキーラ様にお茶に誘われて、こんな事が許されるのかと思いながらも、その場所へ向かうと、もっと驚く方が待っていました。
夕日の差し込むサロンには、陛下がソファーに座って待っていたのです。
また、言葉が出てこずに立ち尽くしていると、
「すまない。私はいつも君を驚かせてしまうようだ」
陛下は困ったように、私を見ていました。
「いえ、あの、キーラ様は」
「母は疲れたからと、私に代役を頼んでさっさと自室に行ってしまわれたんだ。多分、最初からそのつもりだったんだろうね」
「それは、その、つまり……」
「母は、私の希望を叶えたかったのだと思う。君とまた話をしたいという」
「身に余る、光栄です……」
また、夢を見ているのかと思いました。
夢を見ているように実感がなく、促されて座り、勧められるがまま用意されていたお茶を口に運ぶと、ふわりとした優しい味が口に広がり、これは現実のことなんだと感じられました。
「仕事には慣れた?」
陛下に優しい眼差しを向けられると、落ち着かなくなりますが、
「はい。みなさんが、とても親切にしてくださるので」
何を話せばいいのかと考える間も無く、言葉は自然と紡がれていました。
陛下が話しやすい雰囲気を作ってくださっているおかげでもあり、許されるのならと、私自身も聞いてもらいたいことがありました。
楽しくて、信じられないくらい素敵な時間をまた過ごすことができて、話しながらも、陛下を見ていると胸が苦しくて、上手く呼吸ができなくて、こんな想いを抱くことすら愚かなことなのに、
私は、陛下の事を、
いえいえ、それは意識してはいけない感情です。
「エレナ?疲れてしまったかな?」
その気持ちを誤魔化すために俯いてしまった私に、案じるような声がかけられて、
いけないいけないと、顔を上げます。
「いえ、陛下の貴重な時間を一緒に過ごさせていただきありがとうございました。遅くなっては、陛下にご迷惑をおかけしてしまいます」
これ以上は陛下の負担とならないようにと、名残惜しい時に踏ん切りをつけて、お礼だけは丁寧に述べて、早々に下がらせてもらうことにしました。
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