第7話

多くの自由度を含んだ問題は、解き明かすには難しい。


だけど、たとえそれがどんな問題であったとしても、そこに「問い」があるならば、解かなければならない。


「過去には遡れても、未来には行くことが出来ない。だけどね、未来から過去にくることが出来るのなら、どうして僕は僕を助けに『今』に来ないんだろう。僕がとても悩み苦しんでいることを、未来の僕は知っているはずなのに。


僕はその未来がやってくるまで、それでも『今』を進めないといけないんだ。だからこうして、君に会いに来た。この先にどんな未来が待っているのか、僕は知らない。だけどこうしないと、僕は先に進めない」


「ねぇ、私はそれは、きっといいことなんじゃないかと思うの」


彼女の手が、僕の頬を挟んだ。


「私が今しゃべってるのは、博士自身なの? それとも『別人』のようなもの?」


「僕は博士であって博士じゃない。思考パターンと経験を共有しているだけの存在だ」


「あなたが経験したことは、博士も経験する?」


「そうだね」


「返事に困るような質問をされた時は?」


「博士は僕たち5体を作って、食事に出かけた。『昨日』の夜はぐっすり眠って、今朝からの作業に追われている。僕たちが博士の判断を仰ぐ必要のある問題は、リアルタイムで博士の『今』に送られる。


博士は今、僕たちから次々に送られてくる問題に指示を与え続けている。僕たちはその返答を『今』に受け取って対応する。僕たちが仕事を終えて戻るのは、その作業が全て終了し、博士の昼食が終わった午後からの時間だ」


「じゃあ今、こうしてあなたに話しかけていることは、本当のあなたにも届くのね」


僕はうなずく。


彼女は大きく息を吐いてから、もう一度吸い込んだ。


「博士が『今』のあなたを助けに来ないってことは、きっと上手くいったからよ。あなたがこうやって積み上げていることが、成功し実を結んだと知っているから助けに来ないんだって思わない?」


「失敗したのかもしれない」


「未来から来たのに未来に不安があるだなんて、面白い」


彼女の額が僕の前額に接触した。


「ね、きっと彼女はあなたを愛していたと思うの」


「どうしてそんなことが言えるの? 君は彼女であって彼女じゃないのに」


「分かる。分かるよ」


こんな時には、どうすればいいんだろう。


博士からの返事もない。


「君は彼女のことを知らない」


「うん」


「知らないものは分からない」


「じゃあもっと、彼女のことを教えて」


「未来のことは、過去の人間には教えられない。博士は特別な許可をもらった研究者だから、こんなことが許されているだけだ。この仕事が終わったら、君の記憶も消さなければいけない」


僕はもう帰らなくてはならない。


サンプルの回収率は98%を超えている。もう十分だ。


「それがルールなんだ」


「そう、それは残念ね」


僕にはその「残念」の意味がよく分からない。


与えられた事実に対する、正解が一つではない問題と、それに対する反応を瞬時には判断できない。


「大丈夫よ。私の記憶は消されても、あなたを愛する仕組みはこのDNAに刻まれて、未来まで運ばれる。だって、あなたが今ここにいることそれ自体が、証明なんだから」


「君からもらったこのデータで、僕は君を作るよ。そうして、大好きな君を取り戻す。ありがとう」


「さようなら。愛しい人。またあなたに会える日を楽しみにしているわ」


彼女の頬に触れる。


髪をかき上げ、そっと側頭部を両手で挟む。


僕は彼女の記憶を消す。


さようなら、愛しい人。

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