足掛かり

 堀内を先頭に4人は階段を上る。2階へ辿り着くと部屋数は6つなのが分かった。2001号室と言う事は一番手前、つまり階段側の部屋である可能性が高い。

「……2001だ」

 横の壁を見た堀内はドアに付けられた番号のプレートを見てそう言った。まずノックを何回かして呼び鈴を鳴らしたが当然、反応は無い。

 ドアに耳を押し当てるも、何か物音がしたようには聞こえなかった。少し距離を取って呼び掛ける。

「櫻木さん。碑文谷署の堀内と申します。ちょっとお話を聞かせて頂けませんか」

 1~2分経っても変化は訪れなかった。坂東が手袋をした上でドアノブにそっと手を掛けると、手前にゆっくり動いたのを確認する。念のため、ボールペンを隙間に差し込んでトラップを警戒。相手は自爆テロも辞さない連中だ。用心するに越した事はない。

「…………大丈夫そうだ」

「ゆっくりだぞ、ゆっくり」

 少しずつドアを開けていく。話し声や足音のようなものは聞こえない。玄関先に置かれているであろう芳香剤のにおいが鼻先を掠める。

 ある程度まで開いた所で中の様子を窺った。もしこれで勢いよくドアを引っ張った結果、ワイヤーか何かで細工された爆弾が起爆して、自分たち諸共に周囲が吹き飛ぶなんてのは御免だ。

「何もない。開けるぞ」

 坂東がドアを完全に開け放つ。靴はサンダルが1足。これを下駄箱の上に置いて4人は部屋に踏み込んだ。玄関から見て右手に台所。左の壁にあるドアは恐らくトイレか浴室だろう。その先にあるすりガラスの引き戸まで堀内と坂東は前進。ドアの中は追従する2人の刑事が調べた。

「誰も居ません。特に異常も」

「風呂場はユニットバスでした。石鹸も使い掛けです。最近まで生活してたのは間違いないかと」

 残るはこの引き戸の向こうだけとなった。今の段階でも話し声はせず、気配も感じられない。しかし油断は一切出来ない。玄関の時同様、トラップに警戒しながら引き戸を開けた。

 目の前に広がって行く光景を見た堀内は、頭の中にある記憶を手繰り寄せる。これは正しく――

「……手製爆弾の製造場みたいだな」

 実際に目にした事はなかったが、摘発された過激派のアジトを撮影した物にそっくりだった。署内で行われた講習で貰った資料の中にこれとよく似た物があるのを思い出す。様々な工具類。恐らく導火線か発火装置に使われたであろうケーブル。火薬らしき粉もそこには存在した。

「人数にして4~5人か。何日かここに集まって準備してた訳だ」

 テーブルの上に放置されたペットボトルやカップ麺の空き容器を見た坂東がそう呟く。この事件は用意周到に準備されたものである事が窺えた。

「坂東、本部に櫻木の仕事について問い合わせろ。もしかするとその手の工場に勤務している可能性がある」

「了解」

「2人は済まんが住民に聞き込みを頼む。この時間に居るかは微妙だし近所付き合いなんて昨今はしない事が多いから何とも言えんが、少なくともここが拠点になっていたかどうかだけでも掴める筈だ」

「分かりました」

「はい」

 堀内が指示を飛ばし、坂東は覆面車に戻って本部に櫻木の仕事について問い合わせた。2人の刑事も外に出て1階と2階の各部屋に聞き込みを実施する。残った堀内はペットボトルやカップ麺容器に突っ込まれた箸等を遺留品として回収。過去に該当するデータがあるかは分からないが、DNA検査に回すための物となるだろう。

 階段を勢いよく上る音がした。本部に照会の終わった坂東が部屋に戻って来る。

「分かったぞ。櫻木は関東化薬技研の横浜工場勤務。主に産業用爆薬を作っているメーカーだそうだ」

「って事は自爆については脅しじゃない訳か」

「この感じだとここが見られる所までは想定内って気もするな」

 ここで聞き込みに行っていた2人も戻って来た。結果、この時間に居たのは1人だけだった。夜勤専門の人間でしかも部屋は1階の奥と最も遠いため、ここに4~5人が詰めていたかどうかも分からないそうだ。

「ウチから鑑識を呼ぼう。間に合うか分からんが指紋の採取も必要だ」

「悪いけど他に個人を特定する物がないか調べてくれ。ちょっと車に戻る」

 2人の刑事にここを任せ、堀内と坂東は覆面車へ戻った。無線機を持ち上げた堀内が碑文谷署に応援と鑑識の出動を要請する。この時、2人は課長から続報を受け取った。

「もう1人の身元が判明した。岡田匠悟おかだしょうご、年齢31歳、赤羽在住。赤羽署の捜査員が踏み込んだ結果、何らかの電子部品を製造した痕跡を発見したそうだ。岡田の職業は都内の電子部品メーカー勤務。上司から顔写真が似ているとの情報がある上。今日は無断欠勤で連絡が取れていない」

「殆ど正解じゃないですかそれ。こっちも部屋の中で爆弾を作った痕跡があります」

「本庁には一報を入れておく。向こうから誰か来るか何とも言えんが、とにかく現場の保全を頼むぞ」

「了解、このまま待機します」

 こうして八雲と赤羽で見つかった情報は警視庁17階の大会議室に設置された特別対策本部から帝京地下鉄本社の現地対策本部、運転指令センターの方にも流れた。続いて千葉県警の主導で西船橋駅構内の監視カメラが収めた映像と中野駅で撮影された動画及び画像データから他の実行犯を特定する事にも成功。ある程度まで鮮明になった各種データが警視庁の本部と本社、運転指令センターに届く。


帝京地下鉄 本社ビル

 社長室の隣にある会議室。ここが重役たちの待機場所となっていた。隣の社長室では小松警部率いる特殊犯と強行犯の合同チームが詰めている。交渉役である三嶋もここで事件の相関図をメモしたものと睨み合っていた。

 そんな所に動画と画像データが到着。捜査員たちは早速そのデータに齧り付き、全員で血眼になって見つめた。更にそれを隣に居る重役たちへも見せる。何か反応があるか少し期待するも、全員一様に反応が薄い。となると彼らには容疑者たちに面識がないのだろう。

「これで個人的怨嗟の線は殆ど消えたな。標的は重役個人個人ではなく帝京地下鉄そのものだ」

 小松警部がそう言った。これに関してはここに居る全員が賛同。一応、重役たちが自らの顔を何かしらのメディアに露出しているかも確認はしていた。結果は全員シロ。前社長は雑誌インタビューの際に顔写真が掲載されたが、昨今はテロ対策等の件もあってそう言ったものは全て載せない方針らしい。

「いえ、念のため防犯カメラの映像を確認しましょう。もしそこに彼らが映っていなければですが、1つプランを思い付きました」

 三嶋の発言で視線が集中する。全員が期待の眼差しを向けるも、三嶋は臆せずに保険を掛けた。

「褒められたものではないので悪しからず。今は確認を急いで下さい」

「よし、ここは2~3人でいい。他は全員で警備室に向かって防犯カメラの映像をチェックしろ。あまり時間はないぞ」

 小松警部、三嶋と他3名を残し、他の者は1階の守衛室に向かった。取り残されたこの空間では小松は三嶋に近付き、小声で話し掛けた。

「どういうプランだ」

「重役の方々にもう1度裏を取る必要がありますが、もしかしたら身代わりを立てられるかも知れません。ただそれには、金本に身代わりの顔を見せても個人が特定出来ないと言う条件があります」

「……つまり、金本すら重役たちの顔を知らないって条件付きか」

「はい。メディアに露出していないのなら可能性はあると思います。そのために防犯カメラの映像をチェックする必要があります。まぁ、ここ以外で遭遇して顔を知られていたら全ておじゃんですけども」

「何とも決断に困るな。これだけの事件を起こす連中だ。その辺も用意周到にしてそうだが」

「ですがこれが使えれば、人質が解放出来て全車両に身代わりを2人ずつぐらい乗り込ませる事も可能かと。身代わりはそれなりに人選しなければいけません。少なくとも武術に長け、そう言ったオーラを発しない者が好ましいと思われます」

「簡単に言うじゃないか」

「はい。一応、こういうのは毎度忍ばせていますので」

 三嶋はいつも懐に入れていた辞表を忘れたものの、その書式データが入ったUSBは持ち歩いていた。これを思い出して後輩に印刷を頼んだのだ。事件解決のために必要であると念を押し、口外を禁じてまで用意したものだ。三つ折りにした物を懐から取り出す。

「…………そこまでの覚悟があるのか」

「これで身を引いても構わないと思っています。賭けになりますが、協力して頂けると幸いです」

「単に辞めたいって訳じゃないんだろうな」

 言葉にも表情にも一切出さなかったがドキッとした。この世界を飛び出した自分に生きる術があるのか分からないが、違う生き方なんてものは常に頭の片隅にある。

 最もそれがパラダイスである保証なんて何所にもありはしない。蓋を開けるまでは何も分からないのだ。

「だったら呼び出されてもここに来ませんし本庁に行ってこれを成川課長に出してます。ここに居るのは自分の職務に対して責任を持っているからです」

 考えれば幾らでも出る方便だった。そう言うのが評価されやすい組織だからこそ厄介なのもある。やる気がない所を見せれば最悪、殴られたっておかしくはない。

「分かった。映像の確認が終わり次第、重役たちにもう1度聞いて念押しする。課長への提案は」

「自分がします」

 さてどう転ぶ事やら。言い出しといてなんだが上手くいくとは思っていなかった。仮にこの計画が動き出したとして、金本にどうやって信じさせるのか。一芝居打つ前にこちらから接近して取り入るのも有りだ。

 しかしその場合、自分の立場がおかしな事になる。どっちの味方なのかと向こうも思うだろう。であれば更に突っ込んだ何かが必要だ。

「警部、もう1つプランを思い付きました」

「どういうのだ」

「仮に条件が揃ったとしても、向こうに受け入れられるとは限りません。一線を越えた何かが必要になります。そこでですが――」

 もう1つのプランを、丁寧に、誤解を与えないように説明した。さすがの小松警部も口が半開きのまま固まり、ソファに座り込んで2~3分ばかり頭を抱えてしまった。復活まで暫くの時間が掛かる。

「……確かに金本だけをピンポイントで検挙しようと思ったら有効な手段かもしれん。ちょっと前に連絡があったが、主犯格以外は全員射殺ってのも上層部で選択肢の1つになってるらしい。だがいいのか。最悪、木端微塵になるんだぞ」

「その時は仕方ありません。民間人が50名ばかりでも犠牲になれば我々に対する非難の声が高まります。6両全てと駅の一部が吹っ飛んだとしても、身代わりになった警察官が約15名居たと言う事実の方が世間は納得するでしょう。その選択肢を選んだ上層部が針の筵にされる可能性も高いですが、別に声を上げた連中が何か決断した訳でもないですからね。事件解決に尽力したって証拠は残ります」

「お前のそういう物の考え方は官僚向きだな。だが出世の博打にしちゃ危険すぎる。俺個人としては反対だが、連中に納得させる力は確かにあるな」

 三嶋の考え出したもう1つのプラン。それは金本に取り入るため、自らが所属する組織を裏切る事だった。無論、事件を解決に導くための嘘なのは当然だ。

 身代わりの重役たちは手土産である。相手の標的が企業としての帝京地下鉄そのものであるならば、重役たち個人も帝京地下鉄そのものだと言う考えから生み出したプランだった。

 どう納得させるかは三嶋に委ねられるが、実は既に楔を打ち込んであった。自分も東西線を使っている人間であり、この会社の在り方に疑問を感じていると電話越しで話しているのだ。相手と自分が一部でも共通した考えを持っているのは距離を詰める切欠になる。


 そして同時に「木端微塵になって楽になれるならそれでもいい」との考えも、三嶋の中には存在した。

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帝京地下鉄東西線乗っ取り事件 onyx @onyx002

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