軍則第四条の罪人

南雲 燦

序章


 窓を開け放つと、爽やかな風が頬を撫でた。それは春の薫りを帯びて、朗らかな鳥の囀りを運びこむ。

 このウルバヌス国は広大な海と自然に囲まれ、穏やかな気候と豊かな土地を持ち、栄えている大国である。

 眼下に広がるここ王都リジャーノンは、多くの人や物、文化の中心地。故に、様々な国の人々で賑わい、日々活気で溢れかえっていた。

 男が一人、窓枠に腰掛け外の景色を眺めていた。その部屋からは小さくではあるが、賑やかな街の大通りが見えるのだ。


「王子」


 涼やかな声が男を呼んだ。それは、透き通る水を思わせる、綺麗で芯のある声音。


「主大門にエディラム殿がお見えでございます」


 そんな清涼な声とは裏腹に、少し不機嫌そうな表情を浮かべて立っているのが、男の眼に浮かぶようだった。

「王子」と再度呼ぶ声は、先程よりも明らかに不機嫌だ。

 男はようやっと風景から視線を外し、ゆるりと緩慢な仕草で声の主を捉えた。彼は、細身の体に白と銀でしつらわれた軍服を纏い、予想通りの不興顔で立っている。


「今日も朝から予定が立て込んでるのですから」


 とんとんと左手首を叩く仕草は、時間が迫っているからと急かす素振り。


「そんな皺寄せんなって」


 眉間を指で突きつつ腰を上げ歩き出すと、彼はこれ見よがしな溜息をついてから、男の数歩後ろを付いて行く。

 厚手の深紅の絨毯が敷かれた長い廊下、豪奢で絢爛な内装、そして、立派な庭園。庭園には、花々が咲き誇り、塔や噴水、彫刻が優美な情景を造りだしていた。どれも、この国の富と権力を象徴するものである。

 主大門は南側に位置する、最も大きな城門であり、正門だ。馬車が10台並んでも余裕がある程の広さがある。この門を抜けると、開けた丘に繋がり、大きな石橋を通って城下町へと行くことができる。


「お初にお目にかかります。エディラム三世にございます」


 門に着くと、階段の下で跪き、低頭する者が一人。今年で三十になるエディラム三世は、家督を継ぎ、初めての王子謁見であった。


「頭をあげていい」


 まだ若い、凛とした声が彼の鼓膜を揺らした。


「俺はウルバヌス国第二王子、レイ・フューアンブルー・シュリアスだ。遥々ご苦労。会議は明日からだ」

「承知しました」

「今夜はゆっくり休まれるといい」

「はっ」


 その声につられるように、エディラムは顔を上げ、逆光を受ける王子を見上げた。刹那、その姿は彼の眼に鮮烈なまでに焼き付けられた。

 均整のとれた逞しい体躯。漆黒の髪に、怜悧な顔立ち。その精悍さに思わず溜息が漏れた。白い肌に、少し切れ長で全てを射抜くようなルビー色の瞳は、一層彼を美しく魅せる。

 よく通る低い声は、否が応でも心を揺らし、彼の美しさは人を無条件に呑んでしまう。そんな噂を遥かに凌ぐ、実物の迫力に気圧されてしまう。圧倒的且つ絶対的な雰囲気が己を跪かせるのだ。

 王子の後ろにそっと控える従者もまた、噂通り、際立った外見であった。陶器のように透き通る肌に、中性的な顔立ち。深海を覗くようなブルーの瞳。静かに佇む姿はまるで、精巧に作られた人形のようだ。


「では、また明日に」


 その声に、エディラムはハッと我に返った。気付けば、王子は踵を返した後。


「ジェノヴァ、行くぞ」

「はい」


 ただただ、見上げ、眺める彼等の純白の背中は、気高さと力強さに溢れていた。




 これは国を支える、一人の王子とその従者の物語である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る