第7話 知識の持ち込みの禁止

「お疲れ様、クレア。楽しめたかな?」


「殿下。はい、とても。そういえば、もう一人の王子殿下は?」


「弟は騎士団に入っているよ。絶対に騎士団長になると言って、王族であることを半ば放棄してる。そのうち会えると思う」


「そうなんですね」


 宴会場のテラスに出て、背中の熱気に当てられた火照った頰を夜風にさらす。


 本当に朝からずっと宴会だ。楽団や踊り子が来たりとどんどん賑やかになっていく。


 私にもよく話しかけられた。私は聞かれたことにしっかりと答えてしまっていたが、果たして宴会の空気を壊していなかっただろうか。


 アグリア殿下は私の肩に上着を掛けてくださった。隣を見ると、微笑んでこちらを見ている。


 私はこの人の事を、知っている気がする。……いや、知っている。


「あの時の……男の子!」


「やっと思い出してくれた?」


 アグリア殿下との出会いは、3年に一度植民地化された属国の使節団がフェイトナム帝国に謁見にくる時だ。


 一切の知識の持ち込みを禁ず。


 属国に対してのフェイトナム帝国の方針は徹底していた。


 上下水道、街道、建築、浴場、そういった物の技術者は新しい土地で植民が苦労しないよう生活基盤を整えるために派遣される。そのまま住み着く事にもなる。


 そして、バラトニア王国の交易。これは、全てフェイトナム帝国の官吏の監視下で行われる。物品の取引を禁じる事は無いが、知識の持ち込みは禁止されている。


 たとえば、海向こうの装飾品の職人がバラトニア王国への移住を希望しても追い返される。養蚕を始める支度が整ったのも、戦争に勝ったからだ。


 技術者も知識。そして、3年前のバラトニア王国の使節団は、バラトニア国王自らと側近、そして息子のアグリア殿下が来たのだ。


 私は17歳で、殿下は18歳。あの時は15歳の男の子だった。すっかり背も伸びて顔立ちの大人びた殿下と、あの時の泣いていた少年がようやく重なる。


「あの時はね、クレアのお陰で本当に助かったんだ。……みんな、分かってる。間者がいるのは知っているから、あくまで表立っては言えないだけで」


 宴会場のテラスならば、確かに間者に聞かれる事なく話ができる。


 あの時、私はこの人に一冊の本を隠し持たせた。服を脱がせて、必要なページを書き写しただけの数枚の紙を体に巻き付けさせて。


 医学書だった。私は王宮にある本はあらかた読み終わっていて……その時、何故バラトニア国王が直に謁見に来たのか……それは、病。


 各地で、感染症とは言えないが似たような病で倒れる人が続出したのだ。


 謁見の内容は、これを解決するために医者を遣わせて欲しいという嘆願。お父様は聞き入れなかったけど。


 王宮の庭で見慣れない赤髪の男の子が泣いていた。男の子というには大きかったけど、声を殺して。


 私以外に王宮に納められた本を正確に把握している人はいない。司書ですら、なんとなく場所は覚えているだろうが、内容までは覚えていない。


 バラトニア王国は山と山に挟まれ、交易の窓口である港を持つ、穀倉地帯。自然が豊かで、海の幸も山の幸も取れる。


 そして、病の話を聞いた。私はその男の子に、急に食事を食べると倒れたり呼吸が苦しくなる人が増えたと聞いた。あとは発疹。呼吸が苦しくなる人はそのまま亡くなる人もいたと。


 そして、その症状に思い当たることがあった。小麦アレルギーだ。


 穀倉地帯は幸い米も小麦も栽培している。バラトニア王国に無いのは、豊かな川。山から海に流れる川は隣国との国境になっていて、細い川では国民に行き渡る程の川魚は取れない。


 幸い海があるが、その年は潮目が悪く不漁で、干し魚も充分に国に行き渡らなかったという。


 魚はアレルギーの抵抗力をあげる。加えて、穀倉地帯だからどうしても食べるものは肉と穀物……そして、米よりも多く取れる麦が出回った。それも、古い麦が。


 多量に同じ食物を食べるとアレルギー症状を起こすことがある。魚で抑えていたものが、一気に発症したものだと考えられた。古い麦の保存方法が悪いとダニが発症している事がある。


 それらの事をなんとなく聞き取って、もしかしたら間違えているかもしれないと思いながら、該当のページを10何枚、その男の子の体にくくりつけた。


 服を脱がせてまでの身体検査はしないし、荷物は検査される。


 私が渡したその紙をきっかけに、アレルギー症状が起こりにくいような対策が取られたという。バラトニア王国では最近では米が主食で、麦は輸出用なのだとか。


「あの時、君が言った言葉を覚えてる? クレア」


「……必死でしたから、服を脱ぎなさい、と言った覚えしか……」


「ふふ、……。君は本当に勇敢だ。そして、……私に言った。泣いても解決しないのよ、笑いたかったら力をつけるの、と」


 そんな偉そうな事を言っていたのか、と今更恥ずかしくなる。私が姉や妹、家族に恥ずかしいものと扱われて、勉強にのめり込んだのも、私がそれで力をつけた気になっていたからだ。


「私が返した言葉も覚えていない?」


「お恥ずかしながら……すみません」


 また背中が丸くなる。アグリア殿下はその背に手を置いて顔を覗き込んできた。


「私が笑えるようになったら、嫁に来て欲しい」


「……」


「君は、笑えるようになって迎えに来てくれたらね、と笑い返してくれた。そして、今がある」


 私、随分えらそうで失礼だわ。本当に淑女教育の敗北だわ。


「迎えにきたよ、クレア。ずっと君を励みに生きてきた。改めて、結婚を申し込みたい」


 殿下は私の手を取って跪く。


「私は笑えるようになった。結婚してくれるかい?」


「……はい」


 それ以外に、どう答えられよう。


 夜風が、宴会の音が、光が、この人の笑った顔を彩っている。


 ……生贄に来て、よかったと、思った。

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