生還、理解、ただの本能

 俺がどうやって、どうして生きているのか分からない。

 疲労困憊、満身創痍、半分死体も同然の体を引きずって、最初の草原まで逃げ帰ってきた。

 王国なダメだ。見るもの全てが敵である。

 それは俺目線での話。教会の神父、まるで害虫を見るかの目。王国民にとってのスライムとは、その程度の存在なのだ。

 見つければ、即刻駆除。敵も味方もない。

 俺は、川に向かって這い進む。

 しかし、帰れる場所などない。最悪、自然界でサバイバルをすることになる。 

 水を飲んで、虫を食って、どれだけ生き延びられるというのか? 

「……ん?」 

 月が映り込む川の水面と同時に、人影が見える。シルエットからして、女性。

 人間? こん時間に? 

 違った。彼女には、背中に大きな翼が生えていた。額には、角まである。

 ドラゴン。

 それも、極めて人型に近い種族のようだ。

 月明かりに照らされ、誰にも構うことなく、何も身につけることなく、我が物顔で川から水を飲む彼女の姿は、俺には女神のように映った。

 彼女と交配できるオスはどれほどの幸運だろうか、あの形状であれば、ギリギリ、人間でも対象になるのだろうか、と邪な考えが頭に浮かぶ。

 それと同時に妙案も。

 もし彼女が、ドラゴンの種族で、後天的に人に近い体を手に入れたのなら、同じ方法で俺も人型になれるかもしれない。

 それが無理でも、同じ半人間同士、シンパシーを感じて、助けてくれるかもしれない。

 最高で、住処まで提供してくれるかも。

 いや、過度に期待するのはよそう、その結果、教会で死にかけた、もはや、一度死んでいる気さえしてくる。

 問答無用で殺されることはないにしても、下手に、相手を刺激しないように出よう。

「あのっ!」

「ん? なんだ?」

 相手に気づいてもらうため、彼女の目の高さまでジャンプしながら声をかける。

 恐るべき反射神経で、彼女は振り返った。

 それにより、後ろからでは見えなかった、彼女の、人間離れした、胸部の膨らみが明らかになる。

 振り返る速度も、その大きさも、予想できるはずなかった。

 だからこれは、事故なのだ。

「……あ、柔らか……」

 俺は、彼女の胸の谷間に、着地する。

 それは一瞬のことで、俺の不定形の体は、形を変え、胸の間に埋もれていく。

 そのままズルズルと、下腹部の辺りまで滑り落ちていきそうだったが、その前に、彼女の、鉤爪の生え揃った手で鷲掴みにされ、摘み上げられる。

 そして、そのまま握り潰されていった。

 不定形と言っても限界がある。内臓が体の穴という穴から飛び出し、胴体は引きちぎられそうだった。

「お前……いい度胸してるじゃないか、スライムの分際で……」

「ぎゃああああああ! すみません! すみません! こんな体になってまでラックースケベするとは思いませんでした! ちくしょう、これが転生者の宿命なのか……?」

「ラッキースケベ? 転生者? 何訳の分からないことを言っている? 私が言いいたのは、近づき、声を掛けたことだよ」

「え? それだけでダメなんですか……?」

 気づかなかったとは言え、その格好でいる方が悪く無いか? という言葉を直前で飲み込む。喉ないけど。

「当たり前だ。私の種族は空にいることが多いからそこまででもないが……他の種族、特に陸上生物だったらお前、問答無用で惨殺されてたぞ」

「俺? 何かしました?」

 スライムって、人間以外の種族にも殺される運命なの?

「知らないのか? そうか、お前、まだ生まれたてか。それじゃあしょうがないな、教えてやるよ」

 彼女はそう言って手を離すと、スライムが、何故、いかに嫌われているのかを説明してくれた。

 下から見上げるアングル。両腕を、露わになっている胸の下で組んでいる彼女のビジュアルは、とても本能に訴えかけてくる。

 このままではとても話に集中できないので、目を分解して耳に変換する。

 これで、良し。

「お前たちスライムには性別がない。自己分裂で増えることができるからだ。しかしそうすると遺伝子が偏り、絶滅しやすくなる。そこで身につけた能力が『捕食』だ。他の生物を捕食すると同時に遺伝を取り込み、体の一部とすることで多様性を確保したんだ」

「……なるほど、だから他の種族、特に陸にいる種族はその『捕食』を恐れて、スライムを忌み嫌っているんですね。でも、光合成でもしない限り、捕食なんてどの生物でもしてるじゃないですか?」

「それが同じじゃないんだ。言ったろう、スライムには性別がないと、しかし、性欲はあるらしい。けれど、決して満たされない。だからその代わりに、過度な食欲を持つんだ」

「うわぁ……文字通り、見境なく、手当たり次第に『食う』んですね、満たされない欲を満たすために」

「そうだ、食って増えて、食って増えて……しかも代を重ねるごとに、種類が増え、強くなっていく」

「放置したら、この世界スライムだらけになりそうですね。まさか、俺が食物連鎖の頂点にいたなんて……」

「だから放置しなかった。モンスターたちは共同でスライムを狩り、人間にも優先して駆除するように働きかけた、特に、特殊能力を持つスライムとかな」

「真っ先に狩られるのには、そんな理由があったのか! そして、本来生存力が高いはずの変異種が少ないのも、優先的に狩られたから?」

「それだけじゃない。人間はスライムたちに取引を持ちかけた。このまま絶滅したくなければ、住処の中だけで生活しろ。他の生物を食うな。分裂し生まれた子はレベル上げのために人間に差し出せ。と」

「人間のために生まれ、殺される。本当に……道具じゃないか……」

「ああ、お前たちの現状、いや、惨状には、流石の私も少し同情するよ、見逃してやる。なんなら、住処まで送ってやろうか?」

「いえ、場所を教えて頂くだけで結構です。ありがとうございました」

「まあ強く生きろよ。私らモンスターが、本能に逆らって生きるなんてどうかしてるよな、お互いに、それじゃ」

 俺が再び目を開けると、徒歩で去って行く彼女の後ろ姿が見えた。

「あの……飛ばないんですか?」

「『お前らは強すぎるから、王国の近くで飛ぶの禁止』って、私たち竜人族に課せられた枷があるの」

「……破ったらどうなるんですか?」

「んー? 知らんけど、勇者パーティーに住処を蹂躙されるんじゃない? 便乗して、他の生物からもリンチに遭うかも」

 彼女は冗談を言ったみたいにカラッと笑い。今度は走り去って行った。

 一瞬で視界から消える。

 冗談ではないようだ、今の話も、今までの話も。

「強すぎるのも考えものだな……こんなに、肩身が狭くなるなんて」

 そう言いながら、俺は川に飛び込んだ。

 泳げるのか? 呼吸はできるのか? そんなことを検討する余裕はまるで無かった。

 飲む、飲む、飲む。苔も砂利も見境なく、手当たり次第、いや、口当たり次第に『捕食』する。

「ぶはあ! はあ……はあ」

 陸に上がる。不恰好なまでに、体が膨れ上がっている。今のままでは、跳ねることさえままならない。

 なのに、全く満たされない。

 これが……スライムの持つ『本能』なのか。

 彼女の言葉を思い出す。

「ダメだ……早く、早く住処に行かないと」

 俺は体から水分を吐き出しながら、教えられた方角に進んで行く。

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