1章35話 小さな幸せをかみしめて

「伊藤さん!」


 伊藤さんの下へと走る。

 座り込んでいる……ということは魔力を使い過ぎたのか。もしくはHPがゼロに……いや、それはないだろう。仮にそうなっていたのならば伊藤さんは既に死んでいるはずだ。グランが伊藤さんを見て不安そうな顔をしていないってことは単純に体調が悪いだけのはず。


「大丈夫……?」

「え、ええ……ちょっと目眩がするだけです」


 目眩がするだけ……とは思えないな。

 唇が死人のように青白い、目が完全に開ききっていない……こんな姿を見てどうして信じられる。ポーションを取り出して伊藤さんに渡す。少し不思議そうな顔をされたけど意図が分かったのか、ゆっくりと蓋を開けて喉へと液体を流し込み始めた。途中で嫌な顔をしたのは味が悪いせいだろうな。


 でも、少しだけ良くなったみたいだ。

 多少ではあるけど唇には赤みが戻ってきたし、目の焦点も自然になってきている。後は……寝れば解決させられるだろう。これだけ見ると本当にファンタジーの世界なんだなって思えてしまう。瓶一つで体調不良を治せるなんて日本だったらかなり重宝されるだろうし。


「楽になったかな」

「……はい、まだ目眩はしますが……かなり良くなりました」

「なら、良かったよ」


 伊藤さんが言うんだ、そうなんだろう。

 まだ心配ではあるけど過剰に対応して嫌われてしまったら意味が無い。とりあえずは階層ボスもクリアしたことだし今日はもう帰ればいいからね。フィラに頼めば何とかはしてくれるだろう。それに俺も……少しだけ休みたい。


「ちょっとごめんね」

「ひゃっ!」


 伊藤さんを背負う。

 すごく可愛い悲鳴だな。ニヤニヤしてしまいそうになる。それに……あまりこういう感情を抱くべきではないと思うけど柔らかくて……その……心地いい気分になってしまうな。まだ変な気持ちが湧かないだけマシだけど……いや、長時間、背負っていたら紳士としての俺がいなくなってしまうことこの上ない。早く帰ろう。


「今日はもう帰ろう。伊藤さんも体調が悪そうだし俺が背負うよ」

「自分で歩けます」

「それで倒れたら意味が無いでしょ。こういう時くらいしか伊藤さんのためになる事が出来ないんだから許してよ」


 無論、それは建前でしかない。

 この心地良さを手放すわけにはいかないからな。それにグランに背負わせるのも嫌だ。ちょっとした勝利の美酒だよ。こうでもしないと強くなる理由なんて見つけられないからね。俺からしたら好きな伊藤さんを守りたいから強くなるだけ。もしも城を出て二人で暮らせるのなら……スローライフを送りたいかな。


 ガチャもあるから結構いいと思う。

 旅をするにしても持ち運びが自由で容量の制限がないアイテム欄があるしね。海沿いで塩を大量に買って街で売り捌くのもありだ。戦闘面は冒険者を雇うのが普通らしいし、もっと言えば信用が出来ないなら解放を条件に奴隷を買うのもいい。つまり、これと言って誰よりも強くなる理由は俺にはないんだよね。……男として強さには憧れはするけどさ。無理に強くなる必要性は感じていない。


 グランに視線を向けてみる。

 伊藤さんにも説明したから何をするのかは理解しているのだろう。軽く首を縦に振って剣を回収していた。ああ、そういえば乱雑な使い方をして放置していたな。険しそうな顔をしているから……少しだけ怒っているかもしれない。そう思ったがすぐにそんな考えを止める。ただただ欠伸をしただけだった。実際、俺が見ていることに気がついたのか、笑い返してきたし。


「早く帰って休もう。俺も少しだけ眠いや」

「それは……すいません」

「え、何で?」


 いきなり謝ってきたからビックリした。

 予想だにしない返答だったから素っ頓狂な声が出てしまったし。うーん、謝られる理由なんてあっただろうか……って、思うのは少しだけ酷か。今回の戦闘で謝る理由があるとすれば一つくらいしかないだろうし。


「ショウさんを攻撃してしまったからです」


 まぁ、それしかないよね。

 今回は伊藤さんの魔法のせいで俺も死んでしまったわけだからな。まぁ、俺が死んだのは分かっていないだろうから……自分の手で殺しかけてしまったことを悔やんでいるって感じかな。俺からしたら魔法を撃てただけで御の字なんだけどね。


「ショウさんを助けたくて……そしたら頭が真っ白になってしまったんです。……何かが体から抜けていく気がして……そのままショウさん共々、燃やし始めて」


 うーん、これは少し困ったな。

 要領を得ないというか……感情に任せて泣き出してしまったせいで生半可な言葉では聞いてくれなさそうな気がする。ただ俺は気にしていないって言ったところで「はい、そうですか」とはならないかな。本当に何とも思っていないんだよね。えっと……とりあえずは、そうだ。


「へ……?」

「少しは気分が落ち着いたかな。何だか泣いてばかりで俺の言葉は右から左へ流れているような気がしてさ」


 伊藤さんを下ろして頭を撫でてみる。

 泣き止んだ……とは言い切れない。まだ涙は出ているようだ。それでも見た感じ話は聞いてくれそうな気がする。これがなぁ、彼氏とかなら抱き締めたりとか出来たんだけど……少しだけ、いや、ものすごく残念だ。


「俺は気にしていないよ。現にこうして体はピンピンしているからね。寧ろ嬉しいくらいなんだ。伊藤さんが俺を守るために何かをしてくれたことが」

「嬉しい、ですか……」

「うん、俺を助けたくて何とかしようとしたら魔法が撃てたんでしょ。つまり俺のために何かをしてくれたってことじゃん。可愛い子が俺のためにって何かをしてくれて……それを嬉しく思わない人はいないんじゃないかな。あ、でも、これは俺が死んでいないから言えることだけどね」


 いや、本当は死にましたけど。

 心の中で軽くツッコミを入れて一呼吸だけおいておく。伊藤さんはまだ楽しそうな顔をしてくれない。別に泣いている顔を見るのは新鮮で嫌いじゃないんだけどさ、それでも泣き顔よりも笑顔の方が好きなのは万国共通のはず。どうせなら伊藤さんにはずっと笑っていて欲しいし。


「だったらさ、俺は元気に生きている。あの絶望的な状況で俺達は生き残ったんだ。そして俺が生き残れたのだって伊藤さんが俺ごと魔法で攻撃したからだよ。つまり気にする理由が一つもないんだ。これでも後悔してしまうかな」


 いや、本当は死にましたけど。

 まぁ、死んだことが分からないからこそ吐ける嘘かな。即興で考えついたにしては良い返しだと思うよ。これでも納得してくれないと俺はどうすればいいか分からなくなってしまう。もういっそのこと抱き締めて何も言えなくしてしまおうか。いやいや、それで今まで築いてきた好感度を無に帰すのはちょっとなぁ。俺は紳士、どこぞの馬鹿勇者と一緒にされたくはない。


「少しずつ慣れていけばいいんだ。気にしてしまうのなら次はそうならないように意識さえしてくれれば俺は別にいいかな。俺はただ伊藤さんに幸せになって欲しいんだよ」


 伊藤さんを再度、背負ってまた歩く。

 今回ばかりはグランも階層の出口で待ってくれていたみたいだ。いつもならズケズケと進んでしまうから少しだけ驚いた。まぁ、残られたら残られたでウザくは思うんだけどね。暖かい目というかなんというか……そういう視線を向けてくるのがちょっとだけムカつく。


 その後は伊藤さんを部屋に送った。

 本当に疲れていたみたいでベットに寝かせてすぐに眠りについてしまったよ。一応だけどグランにフィラへの言伝を頼んでおいた。伊藤さんの治療なんだけど……まぁ、本当に一応ね。寝る前の顔色はものすごく良くなっていたから寝れば治るとは思う。


 そのまま部屋に戻る。

 ベットに腰かけてすぐにドッと疲れが押し寄せてきたので、デイリーガチャだけ消費して体を横にした。玉の色だとか中身だとかは見ていない、確認する気さえ湧かなくなるほどの眠気に体を任せて瞳を閉じた。

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