第29話
「月天様、下の里の幻灯楼より手紙が届いております。何やら火急の要件ということです」
上ノ国の執務室で二日後に行われる協議会の資料に目を通していた月天はすぐに顔を上げて極夜から手紙を受け取る。
受け取った手紙に視線を走らせると月天は不敵な笑みを浮かべて今日の夜半に下の里に少し降りてくると告げる。
「幻灯楼で何か問題でも?」
「いや、たいした問題ではないが一応な……今回は一刻ほどで戻る予定だ」
「かしこまりました。隠密より蒼紫殿が下の里に降りているとの報告がありましたので念のため私か白夜が護衛にお付きしてもよろしいでしょうか?」
鬼の一族の中でも白桜の側近である蒼紫は特に呪術に長けた青鬼と言われる妖で、月天には今から百数十年前にかけられた蒼紫の呪いが未だに右肩に生々しく残っている。
月天は少し渋い顔をしつつも構わない、と一言つげで再び資料へと目を落とした。
◇◇◇
時はすすみ、ここは下の里の曼珠の園にあるとある場所。
あたりは真っ暗な闇に包まれ時折り木々の騒めく音と共に生温かい風が肌を撫でる。
花街の灯りから離れたその場には一匹の妖の姿がある。顔を隠すようにほっかむりをして小物も全て漆黒の物で揃えた出立ちは辺りの闇に紛れてその者の気配すら覆い隠す。
「お待たせしたかな?」
そんな黒装束の妖の元に現れたのは月天が化けた姿の宗介だ。
宗介は悪びれた様子もなく自分の目の前に立つ人物に声をかけると、近くにあった長椅子に腰掛ける。
「それで要件は?こう見えてもなかなかに多忙な身でね」
宗介が相手の顔を見ずにいうと黒づくめの妖は恭しく礼をすると宗介の隣に再び遠慮気味に腰掛ける。
「今までの非礼お詫び申し上げます……御当主様」
宗介が黙っていると黒づくめの妖はそのまま言葉を続ける。
「もっと早くに気付くべきでした、今思い返せば貴方からは時々妖狐特有の雰囲気を感じることがあった……。貴方様のような高貴な方がなぜ人の子である観月に執着するのかは知りませんが、今日お呼びたてしましたのは観月を助けて頂きたいと思ったからです」
ただ、だんまりと長椅子に座り目下に広がる花街を見下ろしていた宗介の口が開く。
「私の正体を知ってなおもこのように呼び出すなど流石この花街で一、二を争う小雪花魁と言ったところか。まさか君のような生粋の妖がたかだか人の子一人のためにこんな事をするなんてね」
「もちろん無料でとは言いません。私の持つ全てを代償にしても構いません。観月にかけられている呪印を解いてあの子をただの人の子として生かしてやってほしんです」
「……あの子に亡き妹の面影でも重ねたのかい?
宗介はひどく意地の悪い笑みを浮かべて自分の隣に座る妖の方へちらりと視線をやる。
「さて、何のことやら。私には身内はおりませんので」
「まあ、いいだろう。彼女のことだがそう焦らずとも時がくれば在るべき姿に戻るだけ。君が心配するようなことではない。それよりも俄の登楼で私を喜ばせる方法を考えた方がいいのではないかい?」
宗介はまだ何かいいたそうにこちらを見つめる小雪に背を向けたまま長椅子から立ち上がる。
「あの子にあまり深入りしない方がいい。あの子はお前達とは住む世界が元々違う」
宗介がそう言うとあたりの木々を大きく揺らし突風が吹く。
思わず小雪が頭巾を手で抑え宗介から視線を逸らすと、空を覆っていた雲が晴れ月の光があたりを照らし出す。
気づけばその場には小雪しかおらずその場に残された小雪は天を仰ぎ見てぽつりと呟く。
「深入りしない方がいい……か。そりゃあもう手遅れってもんだよ」
◇◇◇
小雪が幻灯楼の自室に戻ると念のため観月たちが休んでいる部屋の様子をこっそりと伺う。
襖を静かに開けて中を覗き込むとそこにはすでに布団に入ってすやすやと眠りにつく観月たちの姿があった。
早いうちに楓に呪印の補強をしてもらったおかげで観月の状態は落ち着き、小雪が所用で幻灯楼を出るときにはすっかり熱も下がり桜の香りも消えていた。
小雪は疲れてぐっすりと眠っている観月の髪を優しく撫でから部屋を後にする。部屋から自室に戻る最中に廊下で女将に声をかけられる。
「あぁ!小雪ちょうど良かった、あんたに話があってね。少しばかりいいかい?」
女将が上機嫌なところを見るときっと凛と紅が言っていた身請け話に違いない。
小雪はいつもの愛想笑いを浮かべるともちろんでありんす、といい女将の後に続く。
一階にある女将の部屋に入ると小雪が思っていた通り、観月の身請けに関する話を切り出される。
「ユウキ様から観月の身請け話が正式にあってね、あの子は宗介様のお気に入りだから宗介様から正式に返事があるまで待つようにって楼主は言ってるけど、私はユウキ様に任せた方がいいと思うんだよ」
今までもいやにユウキ様にばかり肩入れするとは思っていたが、楼主の決定を無視してまで小雪に話をつけにくるとなるとやはり女将はユウキ様と裏で通じてる可能性がありそうだ。
「そうでありんすか……観月はこの幽世に来てからまだ日も浅いでありんす。身請けは新造出しを終えた後でもいいんじゃありんせんか?」
いくら廓と言えども新造だし前の禿を落籍したという話はあまり聞かない。
大抵は新造だしを終えてから落籍するのが暗黙の決まりなのだ。
女将は小雪に正論を言われて少し苦い顔をするが、引き下がる気はないようだ。
「明後日ユウキ様がまたあんたの座敷に上がるから、その時までに観月にこの話をしておいておくれ。あの子もユウキ様ともう一度会ってお話を伺えば気持ちも変わるかも知れないからね」
女将はそこまでいうと呼び止めて悪かったね、と言って廊下に続く障子を開けて小雪を見送る。
小雪は女将との話を終えて自室に帰って来ると、自分一人の力では観月を守りきれないと判断し気は進まないが小雪と同じくこの曼珠の園でお職花魁を張る曙楼の陽乃穢と月紗楼の静那へと接触を取ろうと準備を始めたのだった。
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