7 わたしを縛る糸 ①
『シェラ、次の仕事だ』
何度目かも分からないその言葉に、俯きながら返事をする。
『はい、お兄様』
言われるがまま連れてこられた先は、いつもの尋問部屋だった。
中には椅子がひとつ置かれていて、そこに傷だらけの男が座っている。両手足は椅子に縛り付けられており、視界を遮るように目隠しがされていた。
シェラが目の前に立つと、男は人の気配を感じ取ったのか顔を上げる。
目隠しのせいで表情は分からないが、恐怖に怯えているように見えた。
『今からあなたに触れますが、痛いことは何も起きませんので、じっとしていてください』
なるべく優しい声音で、安心させるように言う。
男が小さく息を吐き出したのを確認してから、そっと剥き出しの肩に触れた。
そのまま集中すると、急に視界が暗転する。
次に目に映ったものは、荒れた大地の上に横たわる人々の姿だった。どの人も息をしていないのか、ピクリとも動かない。
まただ。
戦争の跡など、見たくはないのに。
これがこの人の頭に、強く焼き付いている光景なのだろう。
捕虜となった者は、大概見たい記憶をすぐに見せてはくれない。その人が最後に見た、もっとも悲惨な光景を見せるのだ。
今にも血のにおいが漂ってきそうな、無残な映像を見ていられるはずもなく、シェラはすぐに男の記憶を遡り始めた。
しばらして目的のものを見つけると、すぐに男から手を離す。
『分かったか?』
『はい……城内の見取り図と、隠し通路、それから兵の配置はなんとか……』
『十分だ。すぐに書き写せ』
他者から覗いた記憶は、しばらく頭の中に映像として残る。消えないうちに、すぐに書き出さなくてはいけない。
渡された筆と紙を手に、視たばかりの記憶を掘り起こした。
最初に浮かんでくるのは、生々しい血のあと。
『っ……』
こんな映像すぐに忘れたいのに、忘れたいものほど、シェラを縛りつける。
『どうかしたか?』
『いえ……なんでも、ありません』
口もとを片手で覆ったシェラの顔を、バルトハイルが覗き込む。
わざとらしく視線を逸らすと、兄は怪訝な表情を浮かべた。
『父の機嫌が悪くなる前に、とっとと終わらせるんだな』
吐き捨てるように言って、部屋を出て行った。
これはまだ、バルトハイルが王に即位する前の記憶。
戦争好きのヴェータ王と兄は、シェラの視る力を利用して勝利を手に入れていた。
今までに何人もの捕虜の記憶を見てきた。
見たくはないものも、たくさん見てきた。
戦争をしなくなってから数年は経つが、今でも夢に見る。
ああ、早く目を覚まさなければ。
こんな夢からは、早く抜け出したい――
そう思うと同時に、まぶたの向こう側に眩しさを感る。
ゆっくりと目を開けると、はじめに視界に飛び込んできたのは知らない天井だった。
ぼんやりと定まらない思考で、ここはどこかと考える。
横になったまま首を傾けて部屋を見渡すと、窓からは暖かそうな陽光が差し込んでいた。きらきらとした眩しい光を眺めていると、思考がはっきりとしてくる。
ようやく思い出した現状に、飛び上がるようにして身体を起こした。
「ルディオ様……?」
ぽつりと呟きをこぼしながら隣を見るも、そこに口にした人物の姿はなく。
広いベッドの上には、シェラ一人だけがぽつんと座っていた。
時計を見上げる。時刻は午前十時すぎ。
思わず頭を抱えた。
これは完全に寝坊ではないか……?
起きる時間は指定されていなかったが、さすがに寝過ぎたと思う。
慌ててベッドから降りようとしたところで、扉をノックする音が部屋に響いた。
「シェラ様、起きてらっしゃいますか?」
扉の向こう側から聞こえてきたのは、自分の護衛を担当してくれることになった、ルーゼの声だ。
「はっはい! すみません、いま起きました!」
謝罪を混ぜながら返答をすると、入室の許可を問われたので快く承諾する。
ルーゼは部屋に入るなり、ベッドの上に座るシェラを見て、綺麗な顔に微笑を滲ませた。
「あら、まあ、随分と素敵な寝癖ですね」
「っ!?」
言われた言葉に、勢いよく自分の頭を両手で押さえた。
恥ずかしさに頬を染めていると、気を利かせたルーゼが手鏡を持ってきてくれる。
「シェラ様の髪は、ふわふわでお綺麗ですね」
「これはたぶん母譲りで、わたくしも気に入っているんです」
シェラの言葉を聞いて、ルーゼは動きを止める。
どうしたのかと目を瞬かせるも、何もなかったかのように言った。
「殿下がそろそろ戻ってきます。午後からはお二人でバルトハイル王との面会をする予定ですので、今のうちに食事と準備をしておきましょう」
「あ、はい。すみません……こんな時間まで寝ていて」
ベッドの上で腰を折って謝ると、ルーゼは苦笑を滲ませる。
「気持ちよさそうに寝ているから、ギリギリまで起こさないように、と殿下が言っていたので、気にされなくてよろしいかと」
寝顔を見られていたのか。
彼が起きたことなど、全く気がつかないくらい熟睡していた。
知らない部屋で、知り合ったばかりの人と同じベッドで寝たと言うのに、これほどよく眠れたのは久しぶりな気がする。
身体のだるさも消えたままだし、ここ最近にしては珍しく清々しい朝の気分だ。
テキパキと用意を始めたルーゼを目で追いながら、着替えを済ませるために、シェラも立ち上がる。
その時、再び扉を叩く音が聞こえた。
ルーゼが確認へと向かう。要件を聞いて戻ってきた彼女の眉間には、深いしわが刻まれていた。
「どうしました?」
不安げに問いかけた言葉に、ルーゼはさらにしわを深くして答えた。
「バルトハイル王がお見えです」
「兄がですか……?」
「はい、シェラ様と話したいようです。殿下にはあなたを外に出さないように言われているのですが、追い返すわけにも行きませんし……」
まさか直接出向いてくるなんて。
あのまま別れたきり一晩戻らなかったのだ。さすがに連れ戻しにきたのだろう。
国の重要機密を知っているシェラを、敵国のもとに置いたままにしておけるわけがない。
「兄はわたくしを指名したのですよね?それならば、わたくしが話を聞きます」
何を言われるかはわからないが、ここはシェラが出向くしかないだろう。
無理やり連れ戻されるような事態にならなければいいのだが……
不安にかられる心を胸のうちに押し込めるように、ぎゅっと手を握り込んだ。
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