デート
真咲との初めての『店外デート』当日。
待ち合わせの場所は、雑貨屋の最寄り駅。
すなわち、杏奈の会社の最寄り駅。
緊張のせいか、通い馴れた場所であるにもかかわらず、待ち合わせよりだいぶ早く着いてしまい、杏奈は改札近くのコーヒーショップで真咲を待つことにした。
待ち合わせ時間の10分ほど前。
改札前に小走りでやってきた男性の姿を見つけ、杏奈は席を立ちかけたが、その体勢のまま止まった。
真咲のように見えたのだが、なにかが違う。
もう一度腰を下ろし、杏奈はガラス越しにその男性をじっと見た。
顔は、間違いなく、真咲だ。
では、何が違うのか。
(・・・・そっか。)
やっと違和感の理由に気付き、杏奈は苦笑を浮かべながら席を立った。
そして、そのままコーヒーショップを出て、真咲の元へと向かう。
「真咲さん。」
「あれっ?どこから来たんや?」
改札の方を見ていた真咲が、驚いたように振り返る。
ごくありふれた、普通の服を身につけて。
「早めに着いたので、あのコーヒーショップでコーヒーを飲んでいたんです。」
目の前で真咲と対面しながらも、やはり違和感は拭えない。
以前は、理解のできない真咲の服装にかなり引いていた杏奈だったが、いつのまにか馴れてしまい、それが当たり前になってしまっていたらしい。
「なんや、そないなことなら、あのまま来とけば良かったなぁ。」
悔しそうに、真咲が呟く。
「どうかしたのですか?」
「実は、出がけに姉貴とバッタリ会ってもうてなぁ。『あんたその服で行くつもり?!』て、散々ダメ出しされてん。で、戻って着替えて来たんや。ほんまやったら、もっと早うに着いとるはずやったのに・・・・」
「でも、まだ待ち合わせの時間にはなってないですし。」
「早うに着いとったら、もっと早うに杏奈ちゃんに会えとったやん。」
当たり前のようにサラリと真咲は言って、やはり悔しそうな顔を見せる。
(・・・・なんでしょう、なんだかとても、照れ臭い・・・・)
その横で、杏奈は1人、頬を染めていた。
「それで、今日はどこへ?」
「俺のオススメのとこや。ほな、行こか。」
そう言って、真咲は杏奈に右手を差し出す。
(・・・・え?)
意味がわからず、暫しとまどっていた杏奈だったが、おずおずと右手を差し出し、真咲の手を握った。
「よろしくお願いします。」
「はい、よろしゅうに~。」
にっこりと笑って杏奈の手を握り返した真咲だったが。
「って!握手ちゃうわっ!」
呆れ顔で、それでも優しく杏奈の右手を離し、左手を握る。
「えっ!」
驚く杏奈に、真咲はニヤリと笑って言った。
「今日はデートやて、言うたやろ。デートっちゅうたら、手、繋ぐもんや。」
「でっ、ですが・・・・ちょっとっ!」
有無を言わさず、真咲は杏奈の手を引いて歩き出した。
華奢だと思っていた真咲の手は、思いの外大きくて力強く、当たり前のように手を繋いだまま歩いている真咲の姿に、杏奈の恥ずかしさも次第に薄れ始める。
そうして、真咲に連れられて着いた場所は、杏奈の予想外の場所だった。
「ここ、ですか?」
「そや。」
休日のため、ほとんど人の姿は無いが、そこはいわゆるオフィス街へと繋がる駅。
「こっちや。」
馴れた足取りで杏奈の手を引き、真咲が案内した場所にあったのは、地下へと続く小さな雑貨屋への入口だった。
「こんなところに・・・・」
色々な雑貨屋を見てきた杏奈も、来たことの無い店。
地下に続く階段の壁からディスプレイが始まっていて、店内に入る前から既に杏奈の目を楽しませてくれている。
「すてき・・・・」
無意識の内に真咲の手を離し、杏奈は吸い寄せられるように、階段をゆっくりと降り始めた。
そこは、ネコをメインに扱っている雑貨屋のようで、ネコをモチーフとした雑貨が、小さな店の至るところから杏奈を出迎えてくれているようだった。
小さいものから大きいものまで大小取り揃えた招き猫の置物や、スラリとしたネコのシルエットの花瓶。小さな猫がたくさん描かれている傘や可愛らしいアクセサリー類まで。
杏奈がしゃがみこんで細々とした小物に見とれていると、後ろから話し声が聞こえてきた。
「あら、茶倉くん。お久しぶりね。」
「ご無沙汰してます、律子さん。」
あとから聞こえたのは、真咲の声。
(チャクラクン・・・・?)
そっと振り返ると、1人の女性と真咲が、親しげな感じで話をしていた。
ここは、他人を装っていた方がいいのだろうか。
そんなことを考えていた杏奈に、真咲から声がかかった。
「杏奈ちゃん、ちょっとええか?」
「はっ、はいっ!」
慌てて立ち上がり真咲の元へ行くと、真咲は杏奈の背にそっと手を添え、隣に立つ女性の前に軽く押し出す。
「律子さん、この人が彼女です。」
(真咲さんっ?!)
驚く杏奈の耳に、女性の小さな呟きが届く。
「そう、あなたが・・・・」
(え・・・・?)
怪訝に思いながらも、杏奈は女性に軽く頭を下げる。
「初めまして。間宮と申します。」
女性は杏奈を見つめたまま、ふわりと微笑んだ。
「ご丁寧にありがとう。私はここの店主をしております、律子です。」
年齢不詳の、少し前に流行った『美魔女』という表現がしっくりくる、というのが律子の印象だ。
同性の杏奈から見ても魅力的な微笑みを杏奈から真咲へと移し、律子は言った。
「以前、茶倉くんはここで働いてくれていたのよ。雑貨屋を開きたいから、勉強させてくれ、と言ってね。」
「せやねん。律子さんは、俺の師匠なんや。」
律子の言葉に、真咲が照れくさそうに笑う。
「最初はどうなることかと思ったけど。」
ふふふ、と口元に手を添えて笑い、律子は杏奈に小さな声で告げる。
「接客も商品の扱い方も、全くなってなくてねぇ。」
「そうなんですか?」
杏奈には、意外だった。
少なくとも、今の真咲からは想像ができない。
「でもね、どうしても自分で雑貨屋を開きたいっていう熱意だけは、ものすごく強くて。」
何故かしらね?と、意味ありげに律子がチラリと真咲を見ると。
「あかんで律子さん、ストップ!」
慌てたように、真咲が律子と杏奈の間に体を割り込ませ、
「今日は彼女とデートやねん。律子さんとこには挨拶に寄っただけやし。そろそろ行くわ。」
早口で言うと、真咲は杏奈の手を取って店を出ようと歩き出した。
「真咲さんっ、待ってください!」
杏奈は慌てて真咲を引き留め、手にしていたものを律子に差し出す。
「律子さん、これをください。」
「あら。」
杏奈が差し出したのは、黒ネコを思わせる、ネコ耳の付いたパスケース。
一目見るなり思わず手にとってしまい、そのまま持ってしまっていたもの。
しっかりとした革製の作りだが、小さなネコ耳と三本ヒゲの刺繍が、革製品の堅いイメージを和らげ、可愛らしい印象を与えている。
入社以来ずっと使い続けていたパスケースがだいぶくたびれてきていたため、そろそろ新しいものが欲しいと思っていたところだった。
「さすがね。」
小さく呟きパスケースを受けとると、律子は店の奥へと入っていった。
そしてほどなく、包みを手に戻ってくる。
「はい、どうぞ。」
「あの、お代は・・・・」
尋ねる杏奈の脇から、真咲が黙って律子に紙幣を手渡す。
「確かに。ありがとうございます。」
「えっ?真咲さん?」
「ほな、行くで。」
戸惑う杏奈を置いて、真咲は店を出て行ってしまった。
(えっ・・・・)
「ふふふっ。」
笑い声に振り返ると、優しい微笑を浮かべて、律子が杏奈を見ていた。
「いいのよ。これは、茶倉くんに出させてあげて。彼も喜んでいると思うわ。」
(・・・・喜ぶ?何故、真咲さんが?)
杏奈の頭の上を飛び交う?マークが見えていたのか。
律子はこう続けた。
「これはね、茶倉くんがこの店で最後に仕入れたものなのよ。『彼女が喜びそうだから』って。」
是非またいらしてね、と律子に見送られて店を出た杏奈だったが、謎は深まるばかりだった。
階段を登ったところで、真咲は杏奈を待っていた。
「真咲さん、これ・・・・ありがとうございます。」
律子の言葉は杏奈にはまるで理解できなかったが、ここは真咲の好意に甘えた方がいいということだろうと、解釈した。
だが。
「いや・・・・でも、まさか杏奈ちゃんがほんまにそれを選んでくれる日が来るとは・・・・」
何やら感慨深げな表情を浮かべ、真咲は杏奈が手にした包みを見つめている。
律子の言った通りだ。
(・・・・一体、どういうことなの・・・・?それに・・・・)
尋ねようと口を開きかけた杏奈に気付いたのか、包みから視線を逸らし、真咲はその場で大きく伸びをした。
「なんや、腹減ってきたな。そろそろランチでもせえへん?」
(秘密、ということですか。でもこれだけは・・・・)
一旦口を閉じた杏奈に安心したのか、真咲はそのままランチの話を続ける。
「実はな、一緒に行って欲しい店、あんねん。」
「チャクラクン。」
杏奈はもう一つ気になっていたこと、律子が口にしていた真咲の呼び名を口にした。
「・・・・んっ?」
伸びをした体勢のまま、驚いたように真咲は杏奈を見る。
「どないしたん、急に。」
「律子さんが、あなたのことをそう呼んでいたので。」
「ああ・・・・。」
一瞬苦笑を浮かべた後、真咲は姿勢を正して杏奈の正面に立った。
「茶倉真咲と申します。茶はお茶の茶、倉は倉敷の倉、真は真面目の真で、咲は花が咲くの咲や。」
どうぞよろしゅうに、と。
真咲は少しおどけて頭を下げる。
杏奈も真似をして、今更ながらに自己紹介。
「間宮杏奈と申します。間宮は間に宮で、杏奈はあんずの杏に奈良の奈です。」
そして、2人同時に吹き出す。
「なんやねん、これ。俺、こないに緊張感の無い自己紹介、初めてや。」
「私もです。」
「でも、今までずっとしてへんもんなぁ、お互いに。」
「そうですね。」
とりあえずランチや、と言って、真咲は笑いながら杏奈に右手を差し出した。
少し迷い、杏奈も右手を差し出す。
「せやな、自己紹介もしたことやし・・・・って!もうええっちゅうねん!」
しっかり握手をした後、真咲は不満顔で杏奈の右手を離し、左手を握る。
店ではなかなか見ない真咲の表情に、杏奈は笑いながら真咲を見た。
つられるように、真咲も笑顔に戻る。
「ほんま、杏奈ちゃんとおると、おもろいことばっかりや。」
「私のせいですか?!」
「他に誰がおるん?」
「チャクラクン。」
「・・・・それ、気に入ったんやろ?」
「はい。響きが可愛らしいので。」
なんなら、今後は真咲のことを『チャクラクン』と呼びたい、と思いをこめて、満面の笑みで答えた杏奈だったが。
「あかん。」
真咲は即座に却下する。
「え・・・・」
「あかんちゅうたら、あかん!」
子供のように口を尖らせ、真咲は言った。
「やっと名前で呼んで貰えるようになったっちゅうのに、何で苗字呼びやねん。」
「・・・・可愛いと思ったのですが・・・・」
「可愛いんは、杏奈ちゃんだけで充分や。」
真咲は度々、杏奈が照れてしまうような事を、当たり前のようにサラリと言う。
絶句し、暫し無言のままの杏奈に気づく様子もなく、真咲は上機嫌でこれから向かう店の説明を始めた。
「すぐそこのワッフル屋さんなんや。ランチは焼きたてのワッフルがおかわりし放題なんやで!ずっと気になっとったんやけど、お客さんは女の子ばっかりやし、男1人で入るんはなんや恥ずかしいてなぁ・・・・」
(先ほどの言葉の方が、よっぽど恥ずかしいと思うのですけど・・・・)
心の中で呟き、杏奈はまだ熱をもつ頬を、空いている右手でそっとおさえた。
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