願いを叶える樹

三宅 蘭二朗

モビーディック強襲作戦

グレムリン

 デクスラント公国とシニスタン王国。隣り合った二国間の軋轢は、長いいがみ合いを経てついに戦争へと発展した。歴史をさかのぼれば元々、両国は一つの国であった。袂を分かった兄弟がそれぞれの国を治めることで、国は二つに割れたのだ。結局のところ、この戦争は行き過ぎた兄弟喧嘩だった。


 開戦から五年。疲弊が目に見えるデクスラントでは、長引くだけの戦況に終止符を打つため、ある作戦が実行された。

 シニスタン王国軍最大の飛空艦モビーディック号への強襲作戦である。世界でも指折りの大戦闘飛空艦は最強にして無敵。そしてシニスタン軍の絶対的シンボルだった。これを叩けば確実に相手より優位に立てる。この作戦はデクスラントにとって、戦局の行く末を左右する重要なものだった。

 デクスラントの誇る特殊航空襲撃部隊、通称『グレムリン』の猛者たちは、母艦ローレライの射出室で出撃の時を待っていた。射出室はまるで寒々しい無機質な子宮である。時が来れば、戦士たちはそこから戦いの世界へ産み落とされていくのだ。

 母艦の胎内に響くエンジン音を、戦士たちは思い詰めたような表情で聞いている。もっとも、自分たちの働き如何で戦争の流れが大きく変わるならば、それも無理からぬことだろう。だが、彼らの瞳には勝利を信じる輝きがあった。それは幾度となく敵飛空艦を葬り去って来た経験と自信によって磨かれた精神の輝きだ。


「我々は勝つ! たとえ相手が世界屈指の大戦闘艦だったとしてもだ!」


 右の胸に多くの勲章を隙間なくぶら下げ、そのさまから葡萄グレイプとあだ名される男、特殊航空襲撃部隊隊長カベッサ・アクイラは、兵士たちの勇気を後押しする最後の激を飛ばした。男らしい分厚い唇が逞しく言葉を紡ぐたび、鈴なりの勲章が栄誉を主張するように揺れ輝く。

 偉大な隊長の言葉を胸に刻み、兵士たちが各々の個人用飛行装置カイトにまたがった。使命感に強張った表情がゴーグルとマスクで覆われていく。その中でただ一人、不敵な笑みをさらけ出したままの男がいた。

 フィロ・ラルス。隊長カベッサをして、純粋な戦闘能力で奴に勝る者はいないと言わしめる男である。


「おい、ずいぶん余裕だな。相手はモビーディックだぞ」


 隣の男がマスクを引き上げる前にフィロの方を向いた。フィロは喉奥で笑った。


「なぁ。願いの樹って知ってるか? 当然、知ってるよな。おれもガキの頃によく聞かされた」


 フィロが隣の男に顔を寄せ、わざとらしく声を潜めた。


「実はな、おれはその樹を見つけたことがあるんだ。驚きだろ? 当然願ったね。おれを不死身にしてくれってさ。だからおれは相手が何だろうと死ぬことはない。だから怖いわけはないのさ」


 隣の男はすでに話を聞いていなかった。フィロの話をふざけた妄言と断じていた。フィロは肩をすくめた。

 射出室でけたたましくベルが鳴り響いた。出撃の合図だ。フィロもようやくゴーグルとマスクを装着する。床が斜めに下がり、斜面の先に真っ青な空がのぞいた。大量のカイトがその上を滑り、順々に空へと落とされていく。

 カイトはエンジンにフレームと翼をつけ、人が座れるシートを上に乗せただけの簡単な飛行装置だった。それを座席前にあるハンドルで操り、空を駆け回るのだ。

 そもそも、これは劣勢に立ったデクスラント軍が苦肉の策で生み出したものだった。必要最低限の飛行装置に生身の人間が乗り、擲弾銃を携えて直接飛空艦を襲う。誰からしても常軌を逸した発想で、デクスラント軍の疲弊が目に見えるようだった。

 だが、これが奇襲戦法として驚くほど効果を上げた。予想だにしない行為こそ奇襲攻撃の肝なのだ。空の魔物グレムリンはこうして誕生した。ときに大量の爆薬で艦を吹き飛ばし、ときに艦内へ乗り込んで白兵戦をしかける。グレムリンは数々の飛空艦を沈めていった。まさに空の悪夢。そして、この悪夢はついに大飛空艦モビーディックをも喰らおうとしていた。

 上空から迫ったグレムリンは、あっという間に大飛空艦を包囲した。モビーディックは魔物を追い払うため、搭載された機銃から止めどなく銃弾を吐き出した。しかし、カイトの翼には掠りもしない。いかに優れた戦闘艦でも、飛ぶ鳥を一羽一羽撃ち落とすのは至難である。しかも、グレムリンは降下と同時に、風船と凧が交尾の末に生み出したような形状のデコイを大量にばらまいており、このゲームを更に困難なものにしていた。

 瞬く間に、モビーディックが全身から黒煙を吐き出しはじめた。


「あくびが出るぜ」


 フィロはマスクの中で独り言ちた。世界屈指の大戦闘飛空艦でさえ、グレムリンの前では大きな玩具にすぎない。

 フィロがそう思った矢先、視界の隅で同志のカイトが煙を上げながらきりきりと回転して落ちていった。最初は気の所為かと思った。しかし、二機、三機と、続けざまに仲間のカイトが火を上げて吹き飛ぶのが見えた。


「おい! どうした!」

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