第47話 『仮面の剣士 前編』

 謎のスナイパーの襲撃を退け、目的のドラグマ魔法大学を目指すキラ達。

 ソフィアの工房でも解析できないキラの宝剣の謎を解き明かすだけの設備が、大学には揃っている。

 確実に何かが分かるはずだ。

 馬車の荷台で揺られながら、キラはふと興味が湧いたソフィアの学生時代について尋ねてみた。

「そう言えば、ソフィさんってその魔法大学の学生さんだったんですよね? 当時はどんな感じだったんですか?」

「そうね……今とそう大差ないわ。魔術書を読んで、研究に明け暮れて。同級生からはよく、『ガリ勉』だの『魔法オタク』と言われたものよ」

 自嘲気味にソフィアは答えた。

 昔から彼女は魔法の研究に没頭しており、それ以外のことに興味を示さなかった。

 他の学生が程々に遊ぶなどしてストレスを発散する中、ソフィアは黙々と魔術書を読み込んで過ごしていたと言う。

 成績は優秀だったが、同級生からは付き合いが悪いと言われ、面白味のないつまらない女と思われていたようだった。

 そうやって彼女を笑った魔術師達を置き去りにして、卒業後もソフィアは研究を重ねて20代にして賢者の称号を得るに至る。

 最後に笑ったのは、努力を努力とも思わないソフィアであった。

「その時から、魔法が大好きだったんですね」

「確かに、私にとっては趣味と同じかも知れないわ。魔術書を読破するのも、新しい魔法を研究するのも、全く苦にならないどころか、むしろ楽しくて仕方なかったもの」

 そう言うソフィアの表情は、どこか楽しげだった。

「で、魔法と結婚した結果、行き遅れたってわけか」

 余計な一言を加えるディックを、ソフィアが鋭く睨んだ。

「ぶつわよ」

 見るからに重く、固そうな本の角がディックに向けられる。

 あれで殴られたら、いくら非力な魔術師の筋力と言えどかなり痛そうだ。

「じ、冗談だってそんな怒んなよ!」

 そんなディックを尻目に、ギルバートは地図を広げて現在位置を確かめる。

「ふむ、もう翌日には到着する頃合いじゃな」

 隣から地図を覗き込んだルークもそれに頷く。

「そうですね、もう一息です。キラさん、いよいよですよ」

 失われたキラの記憶を取り戻す手掛かりはもう目の前だ。

 アルバトロスで起こった革命、剣を盗んだ盗賊団との戦い、ギャング団からの命からがらの逃走、教皇領の聖都での魔女狩り事件――多くの障害に阻まれながらも、ルークを始めとした仲間達に支えられてようやくここまで来れた。

「ルーク、ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう。皆さんにも、私とても感謝してます」

 改めて感謝の言葉を口にするキラに、ルークは首を横に振った。

「いえ、お礼を言うにはまだ早いですよ。結果が出てみないことには」

 キラの持つ宝剣が強力な魔法剣であることまでは判明している。

 問題は誰の持ち物だったかだ。

 それに剣を奪った悪徳領主が力を解放しようとして、何も起こらなかった現象も気になる。

 魔法大学で剣を鑑定したからと言って、すぐキラの記憶が戻るとも限らない。

 ぬか喜びさせぬよう、ルークはここは敢えて冷静に努めた。

「そうかも知れないけれど、心配は要らないと思うわ。大学には、あのベズボロドフ学長が居るもの」

 ソフィアの口から出た聞き慣れぬ名前に一同は首を傾げたが、ある程度魔法に詳しいルークだけは理解した。

「ベズボロドフ……あの、大賢者セルゲイ・メレンチェヴィチ・ベズボロドフですか?」

「あの、ごめん、誰?」

 話について行けないキラは、思わず疑問を口にする。

「え? あなた、大賢者ベズボロドフを知らないの?」

「すいません、知らないです」

 ソフィアは知っていて当然というような口ぶりだったが、そもそも賢者の名前など魔法に明るい人物でもなければ耳にする機会すらないだろう。

 知らなくとも無理はない。

「ベズボロドフ教授は今の賢者の中の最年長で、最も高い魔力と知識を備えた、名実共に賢者の中のトップよ? 今はドラグマ魔法大学で学長を務めているわ」

「へ、へぇ……何だか凄い人なんですね」

 魔法に詳しくないキラにも、取り敢えず凄いということだけは飲み込めた。

「あ、でも学長さんっていうことは、ソフィさんもその、えーっと、ベズボ……大賢者さんの教え子っていうことになるんですか?」

 記憶喪失を抜きにしても、耳慣れないドラグマ人の名前は覚えづらい。

 キラも途中で噛みそうになり、称号で呼んだ。

「そうなるかしら。ベズボロドフ学長自らが教鞭を執ることは少なかったけれど、色々と学ばせて貰えたわ。とても名誉なことね」

 大賢者と言われてもピンと来なかったキラだが、ソフィアの先生だったと分かると何となくイメージが掴め、興味が湧いてきた。

 ソフィアの学生時代の話の続きから、学長であるセルゲイのことまで色々と質問するキラ。

 そこまではよかったのだが、馬車の荷台の中まで吹き抜ける北風に思わずくしゃみが出た。

「へくちっ!」

 まだ秋とは言え、北国の気温は冷たい。

 可愛らしい控えめなくしゃみをする友人に、メイは追加の毛布をかけてやった。

「はい、これ」

「ありがとう……。メイは寒くないの?」

 一行はほとんどの者が毛布を羽織って寒さを凌いでいたが、メイはいつも通り白い毛皮の服だけで過ごしていた。

「慣れてるから。それにこれ、一応防寒着なの」

 流石は北国育ちの冒険者と言うべきか、寒さへの備えは既に万全だった。

 確かに分厚い毛皮の服と帽子は暖かそうで、この気温にも耐えられそうだ。

「その服、どこで売ってるんだ?」

 安く手に入るなら自分も防寒着を買おうと思い、ディックは尋ねる。

「ん……お父さんの手作り。20歳の誕生日に貰った」

 亡くなった彼女の父は多才な人物だった。

 戦うだけではない冒険者の器用さを改めて知り、キラはふと疑問を口にする。

「きれいな毛皮だよね。何の動物なの?」

「ヒグマだって」

 メイの一言で、森で遭遇した大ヒグマを思い出して背筋を凍らせる一行。

「お前の父ちゃん、アレを倒したのか?!」

 驚いたのはディックばかりではなく、今まで興味なさげに聞き流していたレアもだった。

(ま、マジか……。こいつの親父ってどんだけバケモンだったのよ?!)

「あんなに大きな熊じゃないと思う。人間で倒せるくらいの」

 それでも十分恐ろしいのが熊という猛獣である。

 その話に驚きつつ興味を示したのがソフィアだった。

「昔の戦士は、毛皮や牙から猛獣の力を得られると信じていたらしいわ。そういう呪術の記録も残っているもの」

 今となっては眉唾ものと考えられているが、メイの怪力を思えば毛皮からヒグマの力を得ていると見ても不思議はない。

 その動物の力を得た者が、かつて『狂戦士(バーサーカー)』と呼ばれた異能の戦士集団である。

 狂戦士の末裔ではないかと言われるカルロはと言うと、今も黙々と手綱を握り馬車を進めている。

 一方、その隣で派手なくしゃみをする少女が一人。

「ぶぇっくしょーい! ずびび……。は、早く南の方に帰りたい……」

 鼻をすすりながら、何回目か分からない愚痴をレアがこぼす。

「鼻水はちゃんとかめ。もう来年には元服するんだったら、な」

 ため息をつきながら、エドガーがレアの垂れた鼻水を拭いてやる。

 来年で16になり成人を控えた彼女だが、大人のレディを自称する割には細かいところには無頓着である。

「魔法大学に着けば、中は暖かいわ。もう少しの辛抱よ」

 ソフィアもかつてこの地で学んだとは言え、やはりドラグマの寒さは慣れない。

 彼女もまた、早く大学に到着したいと願う一人だった。

 和気藹々とした中、ヤンだけは緊張した面持ちだった。

 何せこれまで『魔女』と蔑んできた魔術師の学び舎に向かおうというのだ。

「……僧侶の僕が、魔法大学で受け入れてもらえますかね?」

 誰に言うでもなく、ぽつりと呟いたヤンの一言に答えたのは意外にもギルバートだった。

「争う気がなければ、向こうも追い出すようなことはせんじゃろう。魔術師ギルドと教会の対立も、徐々に過去の話になって来ておることだしのう」

「だといいんですが……」

 やはり落ち着かない様子のヤン。

 そんな彼を余所に、ギルバートは馬車の行き先を眺めていた。

「そうか、セルゲイ……。そうじゃったのか」

 荷台の一角で人知れずギルバートは納得したように呟いた。


 翌日、一行の馬車は魔法大学の建物へと到着する。

 だがキラ達が目にしたのは、見るも無残に荒らされた、まるで戦場跡のような大学の正門だった。

「どういうこと?! 何があったと言うの……?!」

 かつて自分の学んだ大学の変わり果てた姿に、馬車を降りたソフィアは珍しく血相を変える。

「どうやら、何者かの襲撃を受けたようですね。今は……どうなっているんでしょう」

 ルークは周囲を警戒した。

 立派な両開きの正門は原型を留めない程に破壊され、塀もあちこち崩れている。

 その奥の大学の敷地内からは、所々火が出ているのか煙が上がっていた。

「まるで、合戦後の砦だな」

 エドガーにとっては見慣れた光景だが、ここは別に軍事基地というわけでもない魔術師の大学だ。

「嘘でしょ……?! ここには、大陸有数の魔術師が集まっているのよ? こんな損害を与えるなんて、軍隊でも使わないことには……!」

 外から見ただけでもかなり大規模な攻撃だったことが伺える。

 今は静まり返っているが、一行が大学に到着する直前には激しい戦闘があったに違いない。

「まだ中では戦闘中やも知れん。気をつけて進むぞ」

 ただならぬ事態に、ギルバートは気を引き締めながら先頭に立って歩き出す。

「お、おい待ってくれよぉ! 本当に行くのかぁ?!」

 怖気づいたカルロは、中に入ろうとする一行を止めに入る。

「そうよ! 中にまだ敵の軍隊が居たらどうするのよ?!」

 臆病なレアも内部を調べようとする一行に抗議した。

「怖いんなら、おっさんとチビ助は馬車で待っててもいいんだぜ?」

 ディックにそうあしらわれ、二人は迷った。

「えっ、ど、どうする嬢ちゃん?」

「ボクに振られても……」

 思わず顔を見合わせるカルロとレア。

 護衛の一人でもつけてくれるならまだいいが、二人を残して他の仲間は皆大学内に入っていくと言う。

(逆にヤバくない? ヘタレのおっさんと二人だけとか、もし敵が襲ってきたら詰みじゃん!)

 戦場では逆に強い味方の後ろにくっついて行った方が、生き残る確率が上がることもままある。

 レアにそんな知識は無かったが、半ば野性的勘で戦闘員の中に紛れていた方が危険は少ないと判断した。

「あ、ボクついて行きます。おっさんさようなら」

 手のひらを返し、突入する仲間の後に続くレア。

「待ってくれぇ! や、やっぱ置いてかないでくれよぉ!」

 レアも寝返った今、見るからに危険地帯で一人残されることの恐怖が勝り、嫌々ながらもカルロも一行の後に続く。

「キラさん、私から離れないでください」

「う、うん……」

 キラも固唾を呑み、ルークの後ろにぴたりとついた。

「私もついてる」

 心強いことにメイもキラのすぐ近くで目を光らせる。

 破壊された門をくぐり、荒らされ尽くした敷地内を通って、激戦の爪痕が残る大学の建物内へと足を踏み入れるキラ達。

 建物内も乱闘の痕跡がありありと見て取れ、魔術師のものと思われる死体がいくつも転がっていた。

「おいおい、どうなってんだよこりゃ……?」

 槍を構えながら進むディックは、近くの倒れている魔術師に近付いて生死を確認するも、全て物言わぬ死体だった。

「ひぃぃ! し、死体だって?! やっぱここはマトモじゃないぜ! 呪われてるんだ!」

 右も左も死人だらけの状況に、カルロはすっかり参って腰を抜かしてしまう。

「まずいですって、引き返しましょう!」

 ただならぬ状況にヤンも怖気づく。

 それに続き、レアも引き返す案に同意した。

「今からでも遅くないし、帰ろ? これ絶対ヤバいやつだって……」

 そんな三人を余所に、他の仲間はゆっくりとだが先へ進んでいく。

 こんな場所に置き去りにされる方が却って心細いというもので、三人は縋り付くように仲間の後をついて行った。

「魔法大学にここまでの打撃を与えるなんて、一体どこの国の軍隊なのかしら……」

 ソフィアも杖と魔術書を取り出し臨戦態勢で進む。

 魔法大学と言えば平和そうに聞こえるが、その実大賢者セルゲイを筆頭に大陸有数の魔術師達が集まる国際機関であり、その戦力は一国の軍隊に匹敵するとも言われる。

 それをここまで蹂躙するとなると、相当な戦力でもって攻め込んだに違いないとソフィアは考えていた。

 一番怪しいのはドラグマ帝国の軍隊だが、この魔法大学は北方をドラグマが統一する前から存在しており、統一後も同国の魔法技術発展に大いに貢献してきた。

 それを自ら破壊するメリットはどこにもない。

「ルーク……」

 言い知れぬ不安に苛まれたキラは、思わずルークの服の袖を握り締めていた。

「大丈夫です、私達がついています」

「おーい! 誰か居ないのかー?! 生きてたら返事しろーっ!」

 ディックは声を張り上げるも、答えは返ってこなかった。

 周囲は不気味なまでに静寂に包まれている。

 これに明確に疑問を抱いたのは、無言で警戒に当たっていたユーリだった。

(金品を奪った痕跡はなし。他にも魔術書、魔道具、薬品、価値のありそうな物でも手がつけられていない……)

 大学を襲った謎の軍勢は学校を破壊するだけ破壊して、戦利品を何も盗っていないのだ。

 ユーリの経験上、戦場跡はあらかた略奪されているものだったが、この大学はそういった痕跡が一切見受けられない。

 仮に目的が別にあったとしても、末端の兵士は少しでも財布を重くしようと勝手に略奪を働くものだ。

(生命反応は一切ない……本当に敵は立ち去った後か? いや、それにしては死体も損壊跡も新しすぎる)

 ユーリは慎重に死体を調べて回り、まだ流された血が固まっていないことを確認する。

 つまりあちこちに転がっている死体は、つい先程殺されたばかりのものだ。

 外の敷地と同じく、まだ火が燃えている箇所もちらほらと見受けられる。

 状況的に見れば、恐らく大学の魔術師達が応戦のために炎の呪文を使った跡だろう。

 戦闘から時間が経過しているなら、とっくに火は消えているはずだ。

(ならこの静けさは何だ? これをやった連中は、どこに隠れた?)

 これだけの破壊と殺戮の限りを尽くす集団が、急に忽然と姿を消すなどありえない。

 部隊が大規模になればなる程、撤収にも時間がかかるからだ。

 生き物の気配は全く感じないが、ユーリはずっと鼻につく臭いを感じ取っていた。死臭だ。

 ただ死体が転がっているというだけでは説明がつかない程、ここは死の臭いで満ち溢れている。

 ある種、長く傭兵を続けた中で培われた勘のようなものだった。

 ひりひりと肌を刺すような緊張感がユーリを襲う。

 彼は確信した。敵は確かに居る。

 何らかの方法で身を隠してはいるが、今現在もキラ達をじっと観察している。

「………………」

 ユーリも弓を握る手に無意識に力が入る。

 彼だけでなく全員がただならぬ気配を感じて、緊張した面持ちで奥へと進んで行った。

「おーい! 本当に誰も居ないのかー?!」

 ディックが叫ぶと、一行の進む先で将棋倒しになっている本棚の奥から物音が立つ。

「おっ、生き残りか?!」

 早速確認に向かおうとするディックを、ユーリが引き止めた。

「待て! あれは生物じゃない」

「はぁ? 何でそんなことが分かるんだよ」

 すると最初の物音に連動するかのようにして、キラ達の周囲から次々と何かが這いずるような音が響き渡る。

 四方八方、一行を取り囲むように、謎の物音はまるでリズムを刻むかのように連なる。

「な、何だよ何だよ?! もうどーなってんだよここはよぉ?!」

 これには流石のディックも及び腰になった。

「ぎゃー!! も、もう嫌だぁぁぁ!!」

「我慢してましたけど僕もそろそろ限界ですぅぅぅ!!」

 あまりの恐怖にカルロとヤンは互いに縋り付くようにして泣き出した。

(うわあああ!! 嫌な予感してたんだよぉぉぉ! だから帰ろうって言ったのにぃぃぃ!!)

 レアは涙目になりながらも、死にたくないので懐の短剣を抜いて詠唱の準備に入る。

「皆さん、接敵に備えてください! 来ます!」

 ルークの警告の後、やがて”それ”は姿を現した。

「何だこいつら……死体、なのか?!」

 その異形にディックも思わず息を呑む。

 彼の口にした通り、一行を包囲して現れたのは青白い肌の死体だった。

 武装はしているが装備はバラバラで、様々な国の物が入り混じっている。

「ァ……ァギ……」

「グ……ガ……」

 不気味な呻き声を上げながら、瓦礫の中から立ち上がった死体達は緩慢な動きでキラ達に迫る。

「これは、まさか……! 動く死体(リビング・デッド)?!」

 ソフィアには思い当たる節があった。

 死者を人形のように意のままに操る、魔術師ギルドでも封印された禁忌の魔法。

 その名を『死霊術(ネクロマンシー)』と言う。

「リビング・デッドって何だよ?!」

「ようするにゾンビです! 誰かが死体を操っています!」

 今までにない相手に困惑するディックに、やはり死霊術の知識があったルークが答える。

 朽ち果てた武器を手に襲い来るゾンビの軍勢。

 待機中はただの死体であるため、そこら中に死体が転がっているこの状況では囲まれるまで誰も気付かなかった。

 まずユーリが矢を射る。

 放たれた矢は正確にゾンビの頭部を射抜くが、既に死体であるゾンビは頭部を失っても意に介さず前進を続ける。

「チィ……!」

 ユーリは舌打ちしながらも次々と矢を放つが、四肢を射抜いてようやく動きを止められる程度だった。

 レアも吸収の呪文を完成させて力を吸おうとするも、収穫は全く無い。

(げぇっ?! まさか、もう死んでるから?!)

 そう、既に死体であるリビング・デッドから生命力を吸い取ろうとしても、元がゼロなので何も得られないのだ。

 こうなってしまっては、他にレアにできることと言えば味方のスピードを底上げする程度。

 それも吸収の術の空振りで魔力を無駄遣いしてしまったレアでは、一人に一度かけるのが精一杯だ。

 この異常事態において一人だけを強化するとして、誰にかけるべきか。

 レアは悩んでしまい動けなくなった。

「リビング・デッドに噛まれないよう注意して! 奴らの体液は毒物よ!」

 この時代、まだ病原体の概念はないが、汚物や腐敗した死体が毒になることは知られていた。

 戦場では度々簡単に調達できる毒として汚物が使われたり、腐った死体を砦に投げ込んで衛生環境を悪化させたりといった戦法が取られることもあったが、まさに彼らの目の前で蠢くゾンビ達は腐敗した肉の塊であり毒物そのものだった。

 仲間に忠告するソフィアも指向性防壁の詠唱に入るが、囲まれているせいで全方位に展開しなくてはいけない。

 魔力の盾が完成するまでは、他の術を唱えているような余裕もない。

 その間は防御に徹したギルバートやメイ、エドガーが何とかゾンビの侵攻を押し止める。

 ソフィアが指向性防壁を八方に完成させると、ようやく本格的に反撃開始だ。

(アンデッドへの対処法はある程度確立されている……。死体には、火!)

 急所の存在しないゾンビは焼き払うものと教えられていた。

 頭上に展開した無数の魔法陣から火の矢を次々と放つ彼女だが、ヒグマとの戦いで見せたような炎の玉は出さない。

 損壊した建物の中というだけあって、破壊力重視の呪文が使えなかった。

 もし完全に建物が瓦解すれば、その瓦礫の下敷きになるのは自分達だからだ。

 やむを得ず手数で攻勢をかけるソフィアだが、どれだけ焼いてもゾンビは次から次へと湧いて出てくる。

「どーすりゃいいんだよ?! くそっ、この野郎!」

 戦いづらいのは前衛のディック達も同じだった。

 これまで何度も修羅場をくぐり抜けてきた彼らだが、もう既に死んでいる死体との戦闘は初めての経験だったからだ。

 ゾンビは痛みも感じず怯むことがなく、頭や手足をもいでも動ける限り戦い続ける。

 動きが鈍いことを除けば、まさに無敵の兵隊だった。

「皆さん、リビング・デッドは殺そうとしても無駄です! 全身を完全に粉砕してください! それで動きが止まります!」

 かつて本で死霊術への対処法を読んだことがあるルークは、すかさず味方に指示を飛ばす。

 それを聞いたギルバートとメイは、一体ずつ徹底的にゾンビを叩き潰していく。

 ルークの言うように完全に粉砕しなければ、仮に腕一本だけになってもゾンビは動き続けるからだ。

 その点、闘気で硬質化させた拳や、叩き割ることを目的とした斧はアンデッドとの戦闘に有利だった。

 逆に生きている人間の殺傷に向いた弓や剣は、中々ゾンビを撃退することが難しい。

 ルークは魔法でカバーしたが、ユーリは援護に徹しても有効打が与えられない。

「僧侶の坊っちゃんよぉ! 教会の奇跡でどーにかできねぇのかよぉぉぉ?!」

 円陣の中央に庇われるカルロはあまりの恐怖で泣き叫ぶ。

「そんな術、覚えてたらとっくに使ってますよぉぉぉ!!」

 ヤンも同じく、失禁しそうなところを必死で堪えながら震え上がっていた。

「あわわ、あわわわ……!」

 二人が腰を抜かす横で、一応は戦闘員のレアも想定外の敵にどう立ち回っていいか分からず、完全に混乱状態に陥る。

 ゾンビという驚異を前に阿鼻叫喚となる中、キラはじっと目をつぶり、自分の身体を掻き抱くようにして震えを抑え、恐怖に耐えようとしていた。

(大丈夫……大丈夫、私。ルークも、メイも、ソフィさんも、仲間が居てくれる! ここで泣き言を言っちゃ駄目!)

 そんな彼女を守ろうと、ルーク達も必死でゾンビの軍団に立ち向かう。

「くそっ、キリがねーぞ! こいつら、どこから湧いて来やがるんだ?!」

 一体倒すだけでも大変な相手であるゾンビは、いくら粉砕しても無尽蔵に新手が出てきた。

 終わりの見えない戦いにディックも苛立ち始める。

「くっ……! リビング・デッドは、自律行動しません。どこかに操っている術者が居るはずです!」

 ルークの言う通り、ゾンビは既に死んでいるので自力で考えて動くことができない。

 全ては、死霊術師が操って指揮をしている。

「ユーリさん、身を隠しながら術者を探し出すことはできませんか?」

「やってみる」

 ここで思うように活躍できなかったユーリが透明化の術を使って一度パーティから離れ、潜伏する。

(全てを操っていると言うなら、見える範囲に術者が居るはずだ。近くだな)

 姿を消しながらゾンビの間をすり抜け、死霊術師を探すユーリ。

 ゾンビを操る術者も透明になったユーリを認知できないのか、彼は襲われなかった。

 一方、ある程度ゾンビを撃退したルーク達だったが、ここに来て敵の動きに変化が現れる。

(攻撃して来ない? 待機命令を下したのか……)

 術者の真意が読めず、困惑しながらも眼前に並ぶゾンビの群れを警戒するルーク。

 すると、死者の列の奥から一人の人影が歩み出てきた。

 動きはゾンビと違って緩慢ではなく、生きた人間のそれと全く同じだ。

(あれが術者? 仮面をつけた……女?)

 ルークの目の前に姿を現したのは、フード付きのケープと仮面で頭部を覆い隠した謎の剣士だった。

 長身だが体格から女だとすぐ分かる。

「………………」

 仮面の女は無言のまま腰に帯びた片手剣を抜くと、俊敏な動きで一行に斬り込んだ。

 まず先にルークが自分の剣で斬撃を受け止めるが、女のものとは思えないパワーに押されて体勢を崩してしまう。

「ルーク!」

 それを見たギルバートが駆けつけ、続く一太刀を硬質化させた腕で捌くが、あれ程硬かったギルバートの腕にも切り傷が入る。

(こやつ、魔法剣を?!)

 ギルバートがよく見ると、仮面の女が手にした剣の刀身にはびっしりと魔術文字が刻まれていた。

 魔力を付呪(エンチャント)された魔法剣の一種だ。

 その間にも身体を立て直したルークが左手で印を刻んで風刃を放つが、剣士はあざ笑うかのようにひらりとそれをかわして見せる。

「この野郎っ!!」

 続いてディックが槍を構えて突進するが、仮面の女はそれをも容易くかわすと、勢い余って前のめりになったディックに鋭い蹴りを見舞った。

「ぐへぇっ?!」

 ただの蹴りとは思えない強い衝撃がディックを襲い、ボロボロになった壁面に彼の身体を叩きつける。

 ディックの身も心配だが、今は目の前の術者を倒さなくては。

 ルークはそう考え、呪文が駄目ならと剣で斬り込む。

 相手はルークの太刀筋を完全に読んでいたのか軽くいなすように受け流すと、空いている左手で宙に魔術文字を刻み、光弾の術を放った。

 何とか間一髪で直撃は避け、残りは相手と同じく魔力を帯びている魔法剣で弾いたルークだったが、仮面の女の行使した術に驚愕を隠せないでいた。

(間違いない! 私と同じ流派……『梟の型(オウル)』だ!)

 最初は片手剣を使い左手を空ける『蟷螂(マンティス)』かと思ったが、相手はルークと同じ魔法剣士だった。

 しかも剣術の型だけでなく、左手で宙に印を刻んで呪文を短縮する技法、そして描き出す魔術文字が、彼の習ったものと完全に一致する。

 一口に魔法と言っても、流派によって使用する魔術言語は様々だ。

 発祥の時代や地域によって大きなバラつきがある。

 つまり目の前の女は、ルークと同じ国で魔法と剣術を習ったということに他ならない。

 思わず絶句するルークを余所に、ギルバートはすかさず反撃を開始する。

 だがその尽くが先読みでもしたかのように避けられ、かすりもしなかった。

 そして敵はルークに対してそうしたように左手で印を刻むと呪文を発動させ、光弾をギルバート目掛けて撃ち込む。

「させないわ!」

 相手も魔術師だと分かったソフィアが魔力障壁の展開を間に合わせるが、いとも簡単に貫通され、何とか直撃は許さなかったものの全ては防ぎきれなかった。

(な、何なのこの破壊力……?! 魔力も尋常でないものを感じる……!)

 ソフィアも賢者の中では戦闘向きではなくどちらかと言えば研究者、学者としての側面が強かった。

 だがそれも賢者の中で比べればの話。

 魔術師の最高峰である賢者であれば、例え苦手分野だったとしても戦闘の魔法も並の魔術師以上に使いこなせるものだ。

 そのソフィアが展開した障壁を、仮面の女の光弾はいとも容易く突き破った。

 この時点で並大抵の相手ではないことをソフィアは理解した。

 ちょうどその頃、本隊から離れて術者を探していたユーリも仮面の女の出現に気付いた。

 あのルーク達が苦戦していることも様子を見て把握する。

 幸い、敵はユーリを見失って今どの位置に居るか把握していない。

 今が好機だと、ユーリは女剣士目掛けて矢を番える。

 狙いを頭部に定め、次の動きを読んで偏差射撃を行う。

 放たれた矢は吸い込まれるように仮面の女の頭部へ一直線に飛んだが、何と認知外からの完全な奇襲だったにも関わらず、相手は矢を軽く剣で弾き落とした。

 そして女が矢を射ったユーリの側を振り向く。

 これはもはや、ある種の勘だった。

 研ぎ澄まされた傭兵としての勘が、ここに残るのは危険だと告げるが早いか、ユーリは足場にしていた倒れた本棚から飛び降りていた。

 直後、それまでユーリが立っていた場所に光弾が撃ち込まれ、本棚が粉砕される。

(くそっ、何てデタラメな敵だ!)

 足を止めず逃げ回るユーリの後に、女が左手から次々と放った光弾が着弾する。

 何とか太い柱を遮蔽物として身を隠したユーリだったが、これで彼の存在は完全に敵の知るところとなる。

(一筋縄ではいかないか……)

 ひとつどころにじっとしていては、やがていいマトになってしまう。

 ユーリは柱に隠れていられる僅かな時間の間に、腰のポケットから取り出した注射薬をガントレットの隙間から左腕に打ち込み、使い切った魔力を補充するとすぐに透明化して移動を開始する。

 例え最初の奇襲が失敗したとしても、再び潜伏して敵がこちらを見失えば何度でもチャンスはある。

 それに本隊とは別行動の遊撃隊として狙撃手が居るということが、何よりもあの剣士にプレッシャーを与えて動きに制限をかけるはずだ。

 ユーリは姿を消しながら次の狙撃ポジションを探し、辛抱強くチャンスを待った。

 対する仮面の女は見えない狙撃手が戦場に潜伏していることなど何とも思っていない様子で、次々とルーク達に攻撃を浴びせ続ける。

「ぬぅ……っ!」

 ソフィアの指向性防壁も破られ、光弾がギルバートを直撃する。

 普段ならさしたる傷にもならないところだが、今回ばかりは違った。

 仮面の女の呪文をもろに食らったギルバートは深手を負い、瓦礫の上に膝をつく。

 蹴飛ばされた衝撃からようやく立ち直ったディックが再び槍で突撃するも、相手は剣で槍の突きを受け流し、バランスを崩したところ目掛けて袈裟斬りに一太刀を振るう。

「ぐっ、がはっ……!」

 ギルバートに続き、剣をもろに受けたディックも倒れてしまった。

 その間にもソフィアが後方から魔法の矢で攻撃を行うが、何と女剣士は障壁の呪文ではなく、光弾の術をぶつけて相殺する形でそれを防いでいた。

「気をつけろ、こいつは手強いぞ!」

 エドガーがルークと女剣士の間に大盾で割って入り、剣による一撃を弾き返す。

 すかさず槍で突き返すエドガーだったが、それもひらりとかわされ、木製の柄を剣で切り落とされてしまう。

「まだまだぁ!」

 ならばと大盾の裏に仕込んだショートソードを抜き、女に斬りかかるエドガー。

 メイも急いで駆けつけようとするが、ルークはそれを手で制した。

「メイさんはキラさんの側に居てください! この敵は私達で相手をします!」

 キラ達非戦闘員の護衛を一人はつけておきたかったのと、ルークにも同じ流派の魔法剣士としての意地があった。

(確実に相手の方が格上だが……ここで怯むくらいならば、今剣を手にしてなどいない!)

 戦う覚悟ならとうに決めている。

 そして今はキラと共に生き延びる約束がある。

 何としてもここでキラを守り抜き、かつ自分自身も生還しなくてはならない。

 ユーリが狙撃のチャンスを狙っていることは、ルークも何となく把握していた。

 そのためにも、エドガーと二人でこの女剣士の注意を引き付けなくてはいけなかった。

 だがエドガーの盾はただの鉄製。

 確かに頑丈だが、魔力を帯びた魔法剣を前にしてはいささか分が悪い。

 大盾に次々と傷が入り、エドガー自身も女とは思えない力で徐々に押し返される。

 ルークはエドガーの斜め後ろから風の刃を放ち、相手がそれを避ける動きを読んで側面へと回り込む。

 だが仮面の女は逆にそれを読んでおり、右手の剣で受け止めつつ左手から光弾をエドガー目掛けて放った。

「く、くそっ……!」

 連射された光弾を防ぎ切れず、深手を負ったエドガー。

 守りの堅い彼もここに来て脱落となった。

 仲間が倒れ、今はルークと仮面の女、同じ流派の魔法剣士が一対一で対峙する。

(動きに隙がない……。それに、こちらの動きを完全に読まれている。さて、どうしたものか)

 お互い一歩も譲らず、剣と魔法の応報が続く。

 魔法剣同士が激しくぶつかり合ったかと思えば、その合間に空いた左手で印を刻み、素早く魔法を撃ち込む。

 ルークも相手のやり方を真似して、威力不足ではあるが風刃を光弾目掛けて当てることで相殺し、潰しきれなかった分を剣で捌く。

 一見するとほぼ互角のような戦いだが、終始仮面の女が主導権を握り圧倒していた。

 そのことは常にギリギリで致命打を避けているルーク本人がよく分かっていた。

 ルークは常に綱渡りで、少しでもミスをすればそれがそのまま致命傷に繋がるが、女剣士はルークの攻撃をものともせず、余裕を持ち続けている。

(くっ……! 倒すことは無理でも、せめて退かせることができれば!)

 激しい攻防の中、圧されながらもルークは勝ち筋を見出そうとする。

 だがその焦りがまずかったか、ルークは剣を振る際に踏み込み過ぎ、反撃への対処が遅れてしまう。

「しまっ……!」

 ルークの魔法剣は巧みに絡め取られ、弾き飛ばされた。

 ルーク自身も体勢を崩しその場に倒れ込む。

 仮面の女は剣を失ったルークを見下ろし、剣の切っ先を喉元へ向ける。

 いよいよ、ルークは後がなくなった。


To be continued

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