第29話 『傭兵と少年兵』

 ギャングから逃れ、度重なる追撃をかわしつつ、安全な教皇領を目指して北へ突き進むキラ達。

 そんな一行の前に、新たな敵が立ち塞がる。

 だが今回の敵は今までと違い、大人ではなく10歳前後と見られる子供の集団だった。

「な、何だぁ? ガキじゃねーか!」

 困惑するディックだが、そんな彼の隙を見抜いた少年の一人が、ディック目掛けて槍を振り下ろす。

 間一髪のところでメイが斧で槍の穂先を切り落としたが、相手は構わずナイフを抜いて突っ込んでくる。

 メイは敢えて斧は使わず、足払いで転倒させると左手でナイフを取り上げ無力化した。

 誰も彼も体格に不釣り合いな大人用の武具で武装しており、練度はさほど高くないことが伺える。

 防具に至ってはサイズの合う鎧がないため、ただの小汚い布の服だけだ。

 だが子供相手ということで、ディックだけでなく全員がやり辛さを感じていた。

「殺すな、生け捕りにしろ」

 意外なことに、そう言ったのはユーリだった。

 彼は正確な狙撃で少年達の持っている武器だけを弾き飛ばし、無力化した子供を捕らえるよう前衛に指示を出す。

 その手際を見ていたルークは、少年の腕を縄で縛りつつ考えていた。

(やはり、彼程の弓の腕があれば殺さずに無力化することも可能だ。今まで、できるがやらなかっただけだ……)

 今回はどういう風の吹き回しか知らないが、これまでは敵と見れば即殺すというのがユーリの戦闘スタイルだった。

 やろうと思えば手加減できたが、敢えてそれをしなかった。

 ルークも理屈は分かっている。

 敵を取り逃がせば、その敵は仲間に情報を持ち帰り、対策を練った上で復讐にやってくる。

 だからこそ敵は殺せる時に殺し、少しでも数を減らしておく。

 戦争では当たり前の思考だ。

 昨夜新たに加わったレアもまた、自分よりも幼い敵に抵抗を感じていた。

(うっわ、マジか! ボクより年下じゃんかこいつら。ホントに吸う? 吸っちゃう?)

 後方から儀礼用の短剣で標的を指し示し、生命力を吸い取るレア。

 だが、この術は相手によって効果が左右される。

 相手が元々持っている以上の生命力は吸えないからだ。

 少年の衰弱を現すかのように、レアが術を使っても奪えた力はほんの僅かだった。

 なけなしの体力を吸収された少年は脱力したように倒れ込み、それをエドガーやギルバートが捕縛していく。

「くそっ! 駄目だ、逃げるぞ!」

「で、でも……」

 練度の差から分かり切っていたことだが、少年側が形勢不利に立たされ、本来であればいたずらに被害を出す前に撤退すべき場面となる。

 だが彼らは何故か退くことを躊躇い、それで余計に動きが後手に回り次々と武装を取り上げられてしまう。

 結局、いよいよ無理だと分かって何人かは逃げ出したが、ほとんどが一行によって捕らえられた。

 その数はおよそ十数名に及ぶ。

 縄で縛られた少年達は、これからどんな仕打ちが待っているのかと不安そうにしながらも、精一杯の抵抗としてキラ達を睨みつけた。

「何なんだよ、このガキ共……?」

 これまでとは明らかに違う、異様な敵にディックは不気味さすら感じていた。

「……少年兵だ」

 そんなディックに、捕らえた少年達を見回しながらユーリが答える。

「しょーねんへー?」

「孤児や、奴隷商から買った子供に戦闘訓練を施して、自分の代わりに戦わせる。賊の中にはそういう奴がいる」

 これもまた、長く続いた戦乱の弊害のひとつだった。

 戦火は親子を引き離し、独り行く宛のなくなった子供は、奴隷商人の格好の餌食となる。

 そうして”商品”となった子供達の成れの果てが、大人の代わりに兵隊をさせられる少年兵だった。

 寄る辺を失った子供など、今の世の中には掃いて捨てるほど居る。

 それをいいことに、賊は少年兵を使い捨ての手駒として扱うのだ。

「そんな、酷い……!」

 ユーリの説明に、キラも思わず声が出た。

 自分よりもずっと年下の子供が、大きさの合わない武器を持たされて戦いの道具として扱われる。

 キラにとっては信じ難いと同時に、許せない行為だった。

「さて、これからどうする? 目的地は目前じゃが……」

 ギルバートの言う通り、教皇領との国境はもう目と鼻の先。

 少年兵を送ってくる賊が居るとしても、その追撃を振り切って越境してしまえば、一応パーティの安全は確保できる。

 だがギルバートは、捕らえた少年兵達を見ながら考え込む様子のユーリを気にかけていた。

 彼がどうするのか見守っていると、ユーリは少年兵の一人に歩み寄り、しゃがんで目線を下げると一言尋ねた。

「お前達のアジトはどこだ?」

「…………」

 そう聞かれて、素直に答える相手はまずいないだろう。

 この少年兵も、口をつぐんで沈黙を保った。

 いつもなら質問の前に一発顔を殴りつけるところだが、それどころかユーリは尋問すらしない。

 大人の捕虜相手であれば、容赦なく爪を剥がしたり指の骨を折ったりと、口を割らせるべく拷問にかけるところだ。

「自由は欲しくないか? ボスが死ねば、お前達は解放される」

 いつも通り、抑揚のない感情が感じられない声だったが、ユーリなりに説得を試みているようだった。

 少年兵の驚異を解決してから先に進もうとしているのだと察した一行は、見守るだけでなく各々小さな捕虜達にアジトの場所を尋ねて回るが、返ってくるのは沈黙ばかりである。

「何とか言えよ! 時間が勿体ないだろうが!」

 短気なディックは思わず手を上げそうになるが、ユーリが振り上げた拳を掴み止めた。

「やめろ」

 尋問ではなく説得しようとしたり、暴力を止めたりと、今日のユーリはこれまでとはまるで別人のようだった。

「ほんと、どうしちまったんだよ、あんた」

 振り上げた手は引っ込めたものの、あまりの変貌ぶりにディックはまじまじとフードの奥のユーリの顔を覗き込む。

 その時、縛られた少年兵の一人が口を開いた。

「……あんた、『一匹狼(ローン・ウルフ)』なんだろ?」

 少年兵の中でも、僅差ではあるが年長と思しき子供だった。

 年齢はレアに近く、他の少年兵のリーダー格ではないかと思われる。

 ユーリはうなずきながら、その子供に近付いて立膝をつく。

「噂は聞いてる。どんな奴でも”消して”くれるんだよな? あいつ……俺達のボスでも」

「お、おい!」

 他の少年兵は彼を止めようと声を上げるが、年長の少年は首を横に振った。

「こんなチャンス、もうないかも知れない」

 年長の少年からすれば、賭けだった。

 だがもし『ローン・ウルフ』が噂通りの暗殺者なら、本当に自分達を解放してくれるかも知れないと、一縷の望みをかけての言葉だった。

「そうだ。指定された人間をこの世から”消す”のが俺の仕事だ」

「今回みたいに失敗すると、俺達はしばらく飯抜きにされて、殴られる。死ぬまで殴られた奴だって大勢居た。あいつが生きてる限り、俺達に自由はないんだ」

 少年の言葉を、ユーリは黙って聞いていた。

「金は……後で何とかする。あんたの助手や雑用でも、何だってやる。頼む、あいつを殺ってくれ!」

「報酬はいい。俺達に弓を引いた時点で、始末することは決めていた」

「本当に、いいのか……?」

 半信半疑で聞き返す少年に、ユーリは再度尋ねる。

「お前達のボスは、どこに居る?」

 今度は沈黙せず、年長の少年ははっきりと答えた。

「ここから東に行ったところにある、古い砦だ。仲間を……解放してくれ」

 沈痛な面持ちで懇願する少年に、ユーリはうなずくと腰を上げた。

 ユーリを筆頭に、ギルバートとディックが砦へ殴り込む班に別けられる。

 残りのメンバーはキラやヤンと言った非戦闘員と共に、捕虜にした少年兵と一緒に残ることになった。


 リーダー格の少年の言った通り、しばらく東へ向かうと砦が見えてきた。

 外側には少年兵数人が警備に当たっている。

「ここで間違いない」

 三人は砦近くの茂みの中に身を潜めて様子をうかがっていた。

「んじゃ、いっちょド派手に乗り込むか!」

 正面突破しようとするディックを、ユーリが制止した。

「待て。俺が先に侵入する。5分待ってから突入しろ」

 何か考えがあるのだろうと察したギルバートは、ディックを引き止めつつうなずいた。

「くれぐれも、少年兵は殺すな」

 最後にそう念を押すと、ユーリは茂みの中を伝って回り込むように移動していく。

 壁が一部崩れた側面まで到達すると、ユーリは右手の指で左腕のガントレットをなぞる。

 すると腕甲に白い魔術文字が浮かび上がると同時に、ユーリの身体は透明になって消えた。

 その状態で少年兵の警備を掻い潜ると、崩れた壁をよじ登って砦内部へと潜入する。

 外側は物々しい警備だが、砦内部はそれ程でもなかった。

 周囲を見渡して発見される恐れがないと分かると、ユーリはもう一度ガントレットをなぞって透明化を解除し、慎重に建物の奥へと進んでいく。

 しばらく進むと、男の怒鳴り声が耳に入る。

 それが少年兵のボスだと確信したユーリは、その怒号を辿って行った。

 行き着いた場所は、砦中央のエントランスと思われる広い空間だった。

 ユーリは吹き抜けの二階におり、遮蔽物に身を隠しながら一階の様子をうかがう。

「たった数人の旅人を襲うこともできねぇのかお前らは!!」

 ボスと思しき男は、逃げ帰ってきた少年兵達を殴りつけている最中だった。

 もう既に散々殴られてぐったりと倒れ込んでいるにも関わらず、激しく叱責しながら髪を掴み上げて、更に顔を殴る。

 他の少年兵達は遠巻きにそれを見つめるばかりで、止めに入らない。

 否、入れないのだ。

 彼らはボスによって暴力と恐怖で支配され、歯向かうことは許されない。

 ユーリは念を押して周囲を確認するが、ボス以外に大人は見当たらない。

 男の他は子供ばかりだ。

「もうちょっと”教育”しねぇと分からないみてぇだな、この無駄飯食いが!」

 この賊も必死だった。

 上部組織であるギャング団から珍しく仕事が貰えたまではいいが、任務を失敗すればどんな目に遭うか分かったものではないからだ。

 もししくじれば、殴り倒されるのは目の前の少年ではなく、自分自身だ。

 意識朦朧とした少年に見せしめとばかりに拳を叩き付けようとした男だが、ユーリの一声で動きが止まる。

「無様だな」

「な、何だお前?!」

 振り向いた男の目の前で、ユーリは二階から飛び降りて床に着地した。

 本来であれば、高所を取り相手が気付いていない状態ならば狙撃で片を付けるところだが、ユーリは敢えて姿を現して正面からの戦いを挑んだ。

「さては、この無能共をつけてきやがったな? いいぜ、俺直々に始末してやる!」

 暴行していた子供から手を離し、ボスが腰の剣を抜くと同時に、ユーリも抜剣して構える。

 ユーリは右手に握る片手剣を下段に構え、切っ先は斜め下に向けた。

 カウンターを重視した守りの型『甲虫(ビートル)』特有の構えだ。

 対する盗賊は片手剣を両手持ちするが、構えは大上段。

 こちらは猛攻の型として知られる『餓狼(ウルフバイト)』だった。

『ウルフバイト』は二大基礎流派の『獅子』と『犀』をベースに、攻撃の技のみを抜き出して融合させた剣術である。

 特徴は言わずもがな、猛攻撃を仕掛けて殺られる前に殺る、という戦法だ。

 ボスは力任せの振り下ろしを行うが、下段からすくい上げるようなユーリの太刀筋にいなされてしまう。

 ひたすら打ち込むばかりの『餓狼』にとって、守りの型である『甲虫』はまさに天敵。

 しかしユーリは切り返して仕留めるチャンスを何度も見逃し、代わりに挑発を行う。

「どうした、その程度か? 無駄飯食いはどっちだろうな?」

「この野郎……!」

 頭に血が上ったボスは、安い挑発に乗せられて大振りな振り下ろしや突きを次々と繰り出す。

 ただでさえにわか仕込みの『餓狼』は振りが雑で動きを読まれやすいと言われるのに、更に激昂して力任せになっては隙だらけもいいところだった。

 対するユーリは狙えるタイミングでもカウンターは行わず、受け流すことに専念して立ち回る。

 彼は接近戦は不得意としていたが、だからこそ守りの型を選んだ。

『ビートル』は主に工兵などが習得しており、防御重視の消極的な動きは他流派から『臆病者の型』などと揶揄される。

 だが実戦経験のある兵士なら、時に追い詰めた工兵に手痛い反撃を食らったこともあり、別名『窮鼠の型』と呼ばれ恐れられていた。

 その窮鼠の牙はまだ猫に食らいつかず、ユーリは最小限の動きで様子をうかがう。

 一方、激しく剣を振り回す盗賊は既に息が上がってきており、太刀筋にも勢いが無くなってきた。

 ユーリは相手の体力切れを狙っていたのだ。

 頃合いと見たユーリは、剣を握る右手の人差し指を伸ばして左腕のガントレットをなぞる。

 腕甲部分に黄色い魔術文字が浮かび上がり、相手に向けて伸ばした左手から電撃が放たれる。

 感電して痺れたところを、片足に切先で斬りつけて体勢を崩させた。

「がぁっ……! こ、この……!」

 痛みで膝をつきながらも剣で反撃しようとするボスだが、ユーリは絡め取るようにして剣を弾き飛ばす。

 これで男は完全に無力になった。

 するとユーリは、トドメを刺さずにすくい上げるようなローキックで男を蹴り飛ばす。

 苦悶のうめき声をあげて地面を転がる男。

 ユーリは更に容赦なく、男を蹴りつけ、踏み、徹底的に痛めつけた。

 徐々にボスは抵抗する体力を奪われていく。

 顔はアザだらけになり、歯が折れて口と鼻からは血が吹き出す。

 ボロ雑巾のようになったボスの顔を踏みつけながら、ユーリは一部始終を見守っていた少年兵達に語りかけた。

「これがお前達を縛っていた男の正体だ。別に強いわけでもない、ただの雑魚に過ぎない」

 ユーリが敢えて姿を見せて接近戦を挑み、ボスを嬲ったのは、彼なりに少年達の呪縛を解こうと考えてのことだった。

 ボスは暴力と恐怖で子供を支配している。

 少年兵からすれば、男は決して逆らえない絶対的な存在だ。

 それを目の前で徹底的に打ちのめし、単なる人間であることを示す。

 これがユーリの狙いだ。

 そもそも、本当に自分が強いなら自力で旅人を襲えばいいし、大人を従わせられる人望があるなら大人同士で盗賊団を組めばいい。

 少年兵を使う賊というのは、そのどちらも出来ない落ちこぼれなのだ。

 自分が弱いからこそ、より弱い者を暴力で服従させる。

 だが一度その弱さが露見すれば、弱者を押さえつけていた恐怖という重石は揺らぐ。

「ま、待て……。もうお前らに手は出さない……だから、見逃してくれ……」

 顔を踏みつけられながら、ボスは必死に命乞いをする。

 だがユーリはそんな男を冷ややかに一瞥すると、『もう用はない』と言わんばかりに喉元に剣を突き刺した。

 遠巻きに眺めていた少年兵達が衝撃を受けたような表情を浮かべる中、ユーリの後に正面から突入したギルバートとディックが到着する。

「おーい! 助けに来たぞ……って、何だこのお通夜みたいなムード?」

 ここに来るまで抵抗する少年兵を殺さないよう、気を使いながら武器を取り上げて縄で縛ってきたが、このエントランスに居る少年達は戦おうという気配がなかった。

「ちょうどいい。終わったところだ」

 そう言うとユーリは男の首に突き刺した剣を振り抜き、首を斬り落とす。

 そして髪を掴んで持ち上げると、少年達に向かって見せつけるように掲げた。

「もうお前達は自由だ」

 ユーリは帰り道、同じ光景を捕縛された少年兵に見せて回った。

 もう支配者は存在しない、この世から消えたのだと、示して行ったのだ。

 元々子供達に戦う理由などない。

 ただ暴力で従わされ、戦いを強要されたから仕方なく武器を取っていただけだ。

 そのボスが死んだ今、先行きの不安を感じつつも、同時にもう戦わなくていいという安堵感が少年達の間に流れていた。

「敵は倒したが、この子供達をどうするつもりじゃ?」

 ギルバートの問いに、ユーリは即答する。

「教皇領に入れば教会があるはずだ。そこまで連れて行く」

「なるほど、孤児院か」

 教会は親を失った孤児を受け入れているケースも多い。

 教皇領が目と鼻の先な今、最も頼れるのは教会だろう。

 説き伏せた少年兵の縄を解くと、彼らを引き連れて三人は残りの仲間の待つ場所まで戻る。

 無事に帰ってきたユーリと、その後に続く仲間達を見て、年長の少年兵は初めて年相応の明るい顔を見せた。

「『ローン・ウルフ』……! やってくれたんだな、あいつを!」

「ああ」

 答えながら、ユーリは最初に捕らえた少年兵も縄を解いて解放する。

「なあ、『ローン・ウルフ』、俺達どうやって報酬を払えばいい? 殺しならある程度できるけど……」

「とりあえず、俺についてこい」

 ユーリは多くは語らず、一言そう言った。

 最後の驚異を取り払った一行は、そのまま呆気ない程にすんなりと教皇領へ入った。

 ユーリはぞろぞろと数十人の少年達を引き連れ、彼らの分の食糧はユーリが狩りを行って賄った。

 教皇領に入って半日も経たないうちに、最初の町があった。

 この地を守る教皇軍の保護下に置かれた治安の良い町で、キラ達はようやくほっと一息ついた。

 差し迫った危機からは逃れたが、彼らの脳裏に響いていたのは勝利のファンファーレではない。

 仲間を見捨てて逃げ延びたという、罪悪感と疲労感だった。

 リカルド、フランツ、ディンゴ、そしてエリックとエレン――失った命は重い。

 キラ達は大きな代償を払い、ようやくここまでたどり着いたのだった。


 町の中心部には、ユーリの目論見通り大きな教会が建っていた。

 ユーリはギルバートに少年を教会に連れて行くよう頼むと、自分は別行動を取った。

 キラ達が大所帯で教会を訪れると、そこに居た老齢のシスターは一瞬驚いたが、ギルバートから事情を聞いて即答で元少年兵を受け入れることを決める。

「まあ、それはそれは……。恵まれない子供達を助けて、ここまで案内してくれるなんて。きっとあなた達に神のご加護があるでしょう」

 人のいい笑みを浮かべるシスターに、ディックは少し困ったような反応を見せた。

「うーん……俺達、特に何もやってないんだけどな。大体はあいつが……」

「そう言えばユーリさん、どこへ行ったんでしょう? ソフィさんも一緒に大通りへ向かいましたよね?」

 首をかしげるキラに、ルークが説明する。

「ソフィアさんは銀行でお金を下ろしてくると言っていました。ユーリさんも一緒だとすれば……」

 その時、教会の正門を開けて噂のユーリとソフィアが合流した。

「おー、来た来た。あいつがガキ共を連れて来た張本人だぜ、シスター」

 遅れてやってきたユーリを見て、不安そうにしていた子供達も声を上げる。

「『ローン・ウルフ』……!」

 ユーリにしては珍しく少年の肩を優しく叩くと、そのまま教会のシスターの前まで進み出る。

 そしてついさっき銀行から下ろしてきた金貨の詰まった袋をシスターに手渡した。

「当面の養育費に当ててくれ」

 貴族であるソフィアも銀行に大量の預金があるが、ユーリもまた貴族程ではないにしろ、これまでの汚れ仕事で荒稼ぎした金を銀行に貯金していた。

「寄付として、ありがたく頂戴します。あなたの行いで、多くの子供達が救われました。今、教会の祝福を……」

 シスターはユーリに向かって指先で教会のシンボルの聖印を刻もうとするが、彼は首を横に振って断った。

「そういうのはいい」

 代わりに少年達の前に歩み寄ると、かがみながら語りかける。

「大人になるまで、ここで暮らせ。もう殴られる心配も、戦わされることもない」

 すると先頭に立っていた年長の少年は、憧れにも近い視線を向けながら言った。

「俺、『ローン・ウルフ』みたいな大人になるよ! もっと、もっと強く……!」

「もう戦うことはよせ。普通に暮らして、俺のようにはなるな」

 それだけ言い残すと、ユーリは踵を返して教会を立ち去った。

 残りのメンバーもつられるようにして建物を出て行き、最後にヤンがシスターと互いに指で聖印を結んで別れの挨拶をして、一行は教会を後にする。

「今回、随分と優しかったじゃねーか。ほんと、どういう風の吹き回しだったんだ?」

「…………」

 ディックにからかわれるも、ユーリは教会を出てからずっと無言のままだった。

「灰色頭巾のおっさん、確かに無愛想だけど、いつもは違うの?」

 新入りのレアは、ユーリの冷酷さをよく知らない。

 そんな彼女に、ディックは身振り手振りでかなり誇張しながら、普段なら敵を生かして返さないことや、躊躇いなく尋問を行い用済みになったら始末することを伝えた。

「でも本当に、どうしたんでしょう?」

 その後ろを歩くキラも、思わず疑問を口にする。

 彼女から見たユーリは、一切の情け容赦なく敵を殺して回る、まるで冷血な殺人マシーンのような男だった。

 それが突然、少年兵を殺さずに救おうとした。

 それこそ汚れ仕事で貯めた預金を崩して寄付してまで。

「……もしかしたら、彼もかつて少年兵だったのかも知れないわ」

 キラの問いに、ソフィアがぽつりと呟く。

「何か知ってるんですか、ソフィさん?」

「そうね、あなた達なら話しても大丈夫でしょう」

 ソフィアはそう言うと、ユーリを初めて会った日のことを語り始めた。

 それは今からおよそ10年程前、ソフィアがドラグマの魔法大学を卒業し、フォレス共和国で工房を開いた頃のことだった。

 当時はまだ賢者の称号も得ておらず、無名の新米魔術師が開いた小さな工房ということで、客は全く訪れなかった。

 閑古鳥が鳴くまま半月が過ぎようとした夜、ソフィアは店を閉めて工房の奥で研究に勤しんでいた。

 すると閉店中にも関わらず、工房のドアをノックする音が聞こえてくる。

 ソフィアは不審に思いながらもドアを開けると、ボロボロのフード付きマントを羽織った少年が立っていた。

 フードで顔を隠しているが、覗き込むとまだ10代半ば頃に見える。

 それが、10年前のユーリだった。

 切羽詰まった様子のユーリを、ソフィアはひとまず話だけでも聞こうと店の応接間に通した。

 とりあえず温かい茶を淹れてやると、よほど喉が乾いていたのかあっという間に飲み干してしまう。

 しばらく黙っていた彼だが、懐から一本の注射器を取り出し、ソフィアに見せた。

『これと同じ薬を調合してくれ』

 それが、ユーリからの唐突な依頼だった。

 注射器の中には半透明の青白い液体が入っており、見るからに怪しいと見たソフィアは最初返答を渋っていた。

 だがユーリは『これがないと俺は死ぬ』と言った。

 一瞬麻薬中毒者かと疑った彼女だが、注射器の液体からは魔力が感じられる。

 麻薬ではなく、魔法薬の類だと分かったソフィアは、事情が飲み込めないながらも、これも魔術師の専門分野だと依頼を請けることに決めた。

 ユーリは『後日報酬を持ってくる』と言って、風のように工房を去っていった。

 残されたソフィアは、謎の薬液を注射器から取り出し、成分を調べることから始めた。

 一通り調べて分かったことは、これは一度に大量の魔力を人体に流し込むための魔法薬だということだった。

「ん? 待てよ、それってつまり、かなり便利な道具なんじゃねぇか?」

 話の腰を折り、いつの間にか混ざっていたディックが口を開く。

「いいえ、そんな生易しい薬ではないわ。あんな量の魔力を、注射で血管に注入したりしたら……良くて失神、悪ければショック死するでしょうね」

 魔力を補給するための魔法薬はあるにはあるが、基本的に口から飲む経口薬で、薬に含まれる魔力の量も人体への負担を考えて抑えられている。

 だがあの注射薬は、そんな使用者への気遣いなど全く感じられない内容だった。

「ショック死ぃ?! そんなヤバい薬キメてんのかよ……。やっぱヤク中なんじゃ」

「中毒性はないと思うわ。でなければ、中身が分かった時点で調合なんてしないわよ。で、話の続きだけれど……」

 数日後、ユーリは薬を受け取りに再び工房へやって来た。

 その頃には注射薬の複製品も完成しており、成分を知るソフィアは本当に渡していいものか悩みつつも、ユーリに薬を渡した。

 ユーリはどこで調達してきたのか、小汚い格好のまま銀貨の詰まった袋を報酬として差し出した。

『また来る』

 そう言い残すと、ユーリはソフィアの質問には答えないまま工房を立ち去った。

 これがソフィアの工房の最初の客だった。

 それ以来、ユーリは定期的に薬を買いに工房を訪れるようになり、かれこれ10年近い付き合いになる。

『一匹狼(ローン・ウルフ)』という傭兵の異名が知られるようになったのは、それから間もなくのことだった。

「ユーリはあの若さで、傭兵業で生計を立てていたようね」

「いや、待てよ? 10年前に10代半ばってことは、あいつまだ20代なのか? 30は行ってると思ってたぜ……」

 想像よりもユーリが若かったことに、ディックは驚いていた。

「……なるほど、10代で既に戦い方を知っており、傭兵として仕事をしていた。つまり、彼も少年兵だった可能性がある、と」

 ソフィアの話を聞いたルークは、そう解釈した。

「その通りよ。詳しいことは聞けないままだけれど……。多分、あの子供達を見て過去の自分を重ねたのかも知れないわ」

 その仮説を聞いて、一行は納得したようにうなずいた。

 あの少年兵達を救ったのは、かつての自分を救うためでもあったのかも知れない。

 また、ユーリは別れ際に『自分のようになるな』と言い残した。

 あれもソフィアの考えが当たっていたとすれば、大人になっても争いの世界から抜け出せない自分の後継者を作りたくなかったから、と受け取れる。

「私、ずっと非情な人だと思って来ましたけど、何か事情があるのかも知れないですね……」

 以前キラは『仲間を恐いと思ったことはない』とカルロに語っていたが、ユーリだけは例外だった。

 何故ああも容赦なく人の命を奪えるのか、何故あそこまで冷徹になれるのか、キラには理解できなかった。

 だがもし子供時代に兵隊として酷い扱いを受けてきたのなら、ああいう育ち方をしてしまっても仕方ないのかも知れない、とキラは思い始めていた。

 まだ憶測でしかないが想像以上に重い過去に、一行に重苦しい空気が流れるが、それを払拭すべくソフィアは気持ちを切り替えて口を開く。

「さあ、ようやく安全地帯まで来れたことだし、今日は早く宿を取って休みましょう。銀行でお金も下ろしてきたから、馬車を調達して、そうすれば魔法大学まではもうすぐよ」

「そうじゃな。皆疲れておる。まずは休養が必要じゃろう」

 ギャングの追撃から逃れるため、教皇領に入るまで強行軍で無理をして道を進んできた。

 教皇領に辿り着いた今、ここまでギャングの影響力は及ばないだろう。

 今までの分、ゆっくり休めるというものだ。

 一行はソフィアの財力のおかげもあって町でも少しいい宿の部屋を取り、今度こそ何の心配もなく爆睡した。


 仲間達が寝静まる中、ユーリは一人夜のラウンジで物思いにふけっていた。

(もし……誰かが俺達をあいつらから解放してくれたなら、違う現在があったのかも知れないな)

 過去を思い出さずにはいられないユーリだったが、考えれば考える程に思考は頭の中で絡まり、釣り糸のお祭りのようにこんがらがっていく。

(今更考えるだけ無駄か。結局、解放者など居なかった。死んだ仲間は帰って来ないし、俺はずっと、このままだ)

 纏まらない思索を頭を振って中断し、立ち上がろうとしたユーリ。

 そこでふと、ラウンジの隅で膝を抱えて窓の外を眺めていたレアを発見する。

 彼女は一度は疲れて寝たものの、途中で目が覚めて寝付けなくなり、月明かりから隠れるようにうずくまっていた。

(皆、ほんっとドの付くお人好しばっかりだったな……。全員死んじゃったけど)

 盗賊の追手から逃げる間は必死で考える余裕もなかったが、いざ安全な場所まで来て落ち着くと、死んだかつての仲間のことが頭をよぎる。

(ボク、仲間がやられるのを見て怖くなって逃げ出したのよね……。どうせボク一人居ても居なくても全滅確定だろうけど。無駄死にだろうけど)

 レアは自分でも認める程に臆病だった。

 仲間の死を見て怒るよりも、自分も殺されるという恐怖が先立ち、逃げてしまった。

 そのことを負い目に感じていたものの、もう死んだ仲間には二度と会うことは叶わない。

(善人ばかりだったし、今頃は天国に居るんだろうなぁ。ボクは……仲間を見捨てたボクは、死んでも同じところには行けないよね……)

 深いため息をつくレアに、どう話しかけたものかと考えつつ、ユーリは口を開く。

「眠れないのか?」

「……うん」

 そう答えるレアは涙声だった。

 迂闊に喋るとそのまま泣き出しそうだったので、それ以上レアは言葉を発しなかった。

「仲間が死んだのが辛いか」

 抑揚のない声で尋ねるユーリに、レアは無言で頷く。

「俺もかつて、仲間を失った。家族同然の仲間を、全てな」

 ユーリ自身、今夜に限ってこうも饒舌になるとは思っておらず、自分で驚いていた。

 それと同時に、レアもまた冷血漢のように言われていたユーリが、感情は読み取れないまでも恐らく慰めてくれようとしていることを意外に感じていた。

(まあ、不器用そうなのは見てて知ってたけど。結構ボクと近いところあるのかな?)

 緑色の右目と、黄色の左目が端に涙を浮かべつつユーリを見上げる。

「今でもたまに考える。仲間と一緒に死ねた方が、よほど楽だったろうとな……」

 傭兵として、同じ陣営に雇われた味方の死など見飽きる程見てきた。

 だがそれとは別に、かつて彼にも家族と呼べるような気心の知れた仲間が居た。

 今はもう居ない。

「仲間の死を受け入れるにも、時間が必要だ。今はゆっくり休むといい」

 言うだけ言って話を切り上げると、ユーリは階段を登って自分の部屋へと戻っていった。

 彼なりに、レアには一人で仲間の死を悼む時間が必要だと考えたからだ。

 その後姿を見送ったレアは、彼にかけられた言葉を脳裏で反すうしていた。

(『死を受け入れるにも時間が必要』か……。確かに、すぐには気持ちの整理がつきそうにないわ)

 ユーリの言葉で改めて、以前の仲間を大切に思っていたことを自覚したレアは、死んで行った”お人好し”達に思いを馳せる。

(リーダーがお人好しなせいで苦労もしたけど、ボクはそのおかげで助けられたのよね……。下手したら、あの少年兵みたいな扱い受けてたかも知れないんだし)

 結局、みなし子だったところを救われた恩は返せないまま、皆先に旅立ってしまった。

(こんなことなら、皆ともっと話しとくんだった。優しくしとけばよかった。ボクって何でいつもこう……)

 我慢していたものの、堪えきれず嗚咽が漏れる。

 唯一の救いは、この場に誰も居ないことだった。

 こういう時、一人でそっとしておいてくれるユーリの対応はありがたかった。

 過去に仲間を失ったユーリと、今現在仲間との死別に向き合うレア。

 胸に言い表せない感情を抱えつつ、夜は過ぎていく。


To be continued

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