千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~

鈴木しゅら

第一章

聖地到着~初戦

1-1 旅の終着点

 滲んだ視界の中、揺らぐ最後の笑顔。力なく開かれたその唇から発せられた、かすかな声。託された剣。約束の言葉。


 目蓋を閉じた――。


 月もなく無数の星だけが浮かぶ夜空。とらわれの罪人が密かに逃げだすように、城を抜け、振り向かないと決めて歩きだす。

 目蓋を閉じた。

 緑豊かな故郷を離れる最後の宿。行先は「世界の中心」。目を丸くする店の主人。

 目蓋を閉じた。

 容赦ない太陽の光が照らす地平線。ただ一本、真っすぐに砂漠を貫く灼熱の回廊。眩い視界に思わず目を細めた。ここから、ただひたすら西を目指して旅を続けるのだ。

 目蓋を閉じた。

 見慣れた空と砂だけの景色。もう当たり前のように馴染んだ、足元から漂う焼けた石が放つ熱と風が運ぶ砂の感触。果てしなく続く巡礼の路。

 目蓋を閉じた。

 頬を濡らす冷たい水の感触。最後の休息所。これで十八組目となる荷運びの雇い人たちに別れを告げ、今はもう視界に捉えたあの場所へ。


 足を止めた途端、不意に吹きつけた風が細かい砂粒を彼女へと叩きつける。思わず顔を背け、その目を閉じた。 

 深く被ったフードのおかげで砂塵に顔が晒されるのは防いだものの、彼女は服やわずかに肌についた砂を払いのける。

「大丈夫ですか?」

 彼女の従者である初老の男が声をかけた。この旅で唯一最初から最後まで同行したその男が心配そうに覗きこむと、彼女はなぜか、目を閉じたままその場に立ち尽くしていた。

 後悔はない。あるはずがなかった。

 目蓋の裏側に、今も焼きついたままのあの笑顔。聴こえる最後の言葉。

 やがて彼女は、ゆっくりとその目を開けた。

 ほっそりとした両の手をフードの縁にかけると、それを背中へと追いやる。柔らかな白金色の髪が、するりと肩から滑り落ちた。

 澄んだあおい瞳が、眼前に迫った旅の終着点をしっかりと見据えている。

「長かったこの旅も終わりですな」

 初老の男が、感慨深く呟いた。

 赤黒く焼けた雲が浮かぶ鮮やかなオレンジ色の空を背に、山のごとくそびえ立つ雄大なシルエット。それは、たやすく距離感を見失ってしまうほどの、圧倒的な巨大さと量感をもって、そこに鎮座していた。

 人々から「聖地」と呼ばれるそれは、いくつもの都市機能をまるごと城壁の中に飲みこんだ比類なき規模の城塞都市で、その独立峰のような形状が作りだす影は、それが影なのだと認識できないほど易々と辺り一帯を覆い尽くし、全てを薄闇の中に飲みこんでしまう。

 真昼の熱気が嘘のように、冷たい風が砂漠を吹き抜けていく。

 巡礼回廊の果て。聖地アルスタルトの姿を前にして、彼女はまだ見ぬ未来に思いを馳せた。

 幾千、幾万の剣が打ち合わされ鳴り響く音が、風の音に混じってここまで届くような気がした。

「――いいえ。ここからです」

 そう答えると、彼女はきびすを返し、後方に停めていた三頭のラクダのもとへと戻っていく。

 初老の従者は、そんな彼女の姿を横目に空を見上げた。

「あの空の様子では、もしかすると雨が来るかもしれませんな。急ぎましょう」

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