第34話 仕事納めの夜に1

 年末の挨拶回りを終え会社に戻ると、すでに社員の数はまばらだった。

 仕事納めの今日は例年通り部所内のみんなで飲み会に行ったのだろう。

 ややパワハラ気味の課長がいるので参加したくない俺は、わざとゆっくりあいさつ回りに行き、みんなが既に帰った頃を見計らってこうして社に戻ってきた。


「お疲れ様です」

「あれ、古泉さんまだいたんだ? みんなと飲みに行ったんじゃないの?」

「仕事が忙しかったんで断りました」

「へぇ。古泉さんが行かないとなるとあいつら寂しがるんじゃない?」


 古泉さんは愛想もいいし、可愛らしい顔立ちだから男性社員からの人気も高い。

 ついでにパワハラ課長も古泉さんにはやたら甘い。


「私もいま仕事が終わったんで二人で飲みに行きませんか?」

「俺と二人で?」

「迷惑ですか?」

「いや、迷惑なんかじゃないけど」

「じゃあ行きましょう! すぐ支度しますから」


 古泉さんはそそくさとデスクに行き、帰る支度を始める。

 机の上はきちんと片付いている。

 いま仕事が終わったという感じではなかった。



 仕事納めの会社が多いらしく、近くの店はどこも満席だった。

 俺たちは少し離れたところにあるイタリアンバルの店に向かった。


「それじゃ一年お疲れ様でした」

「お疲れ様です」


 白ワインを注いだグラスを合わせると、チンッと小気味よい音を立てた。


「一年なんて早いなぁ。あっという間だったよ」

「子どもの頃は一年って長かったですもんね」

「そうだねー」


 頷きながら玲愛にとって一年はどれくらいの長さなのだろうと、ふと思った。


「……今年は色々ありましたもんね」

「ん? あ、ああ、離婚とか?」


 気遣うように言ってきたので敢えてなんでもないことのように返す。


「茅野さん、色々とお疲れなんじゃないですか?」

「いいや。全然。毎日気楽に過ごさせてもらってるよ」


 実際舞衣と暮らしていた頃よりもいまの方がずっと気楽で楽しい。

 結婚していた頃は喧嘩も多かったし、喧嘩していなくてもどこか気まずい空気が漂っている日も多かった。


 それに比べれば玲愛と暮らしているいまの方がよっぽど笑顔溢れる楽しい毎日だ。

 しかし古泉さんは俺が強がってると思ったのか、表情を曇らせながら口許だけで微笑んでいた。


「さ、再婚とかなされないんですか?」

「まさか。別れたばっかりだよ? 相手もいないし、それに」

「それに?」


 古泉さんはやや前のめりになり俺の目を見る。


「恋愛とか結婚とか、もうそういうのはいいかなって」

「えっ……」

「なんかそういうのが俺には向いてない気がして。少なくともしばらくは考えられそうもないよ」

「茅野さん、まだ二十代ですよ!? そんな風に考えるのは早すぎると思います」

「お、おう……そうかな?」


 あまりの勢いにちょっと驚いた。

 一杯目なのにもう酔っぱらってしまったのだろうか?


「俺のことより古泉さんは? 彼氏と結婚しようかとか、そんな空気になってないの?」

「彼氏なんていません」


 古泉さんはプイッと顔を背けてグラスをあおる。

 二人で飲みに来たのは始めてだけど、意外と酒癖が悪いのだろうか?


「へー、そうなんだ。モテそうなのに。ってこういうのってセクハラか。ごめんごめん」

「恋人はいなくても好きな人はいます」

「お、そうなんだ」

「優しくて、かっこよくて、仕事も真面目で、でも生き方が不器用で、見ていてちょっとやきもきしちゃうこともあるんですけど」

「良さそうな人だね。うまくいくといいねー」

「まあ致命的に鈍感なところがネックなんですけど」


 古泉さんは深いため息を漏らしてゆるゆると首を振る。


「いや鈍感な振りして意外と鋭いのかもよ。案外古泉さんの気持ちにも気付いてるんじゃない?」

「……いいえ。絶対に鈍感です」


 古泉さんはグラスに残っていたワインをぐいっと飲み干しておかわりをオーダーした。




「らいたい茅野さんは優しすぎるんれすよ! そんな浮気嫁、慰謝料ぶんどってやればいいのに!」

「はいはい。そうだね。古泉さんちょっと飲み過ぎじゃないかな? ははは……」

「あらしが茅野さんのお嫁さんならぜったい浮気なんかしません! 誓います!」

「そっか。ありがとう」


 酔いが回った古泉さんは普段の礼儀正しく控え目な性格が嘘のように豹変していた。

 こういう絡む系の酔っぱらいと接するときは否定してはいけない。

 適当に相づちを打って合わせていないと爆発しかねないからだ。


「本当れすよ! 毎日お料理を作って、茅野さんの帰りを待って、夜は毎晩可愛がってもらうんですから! んふふ……」


 突然ニヤニヤ笑い出して腕をぺちっと叩いてくる。

 これってセクハラじゃないの?


「子どもは三人は欲しいれすよね?」

「そうれすね」

「はじめは女の子でしょ、それから男の子、次は女の子かなぁ……」

「そうだねー」

「あっ!?」

「なに? どうしたの?」

「子どもが生まれたあとはどうやって夜、夫婦でなかよしするんでしょう? 子どもが寝てから?」

「さあ? そういうのは減るんじゃない?」

「えー!? そんなの駄目れす! いつまでも可愛がってください!」


 古泉さんは俺の腕を掴んで揺らしてくる。

 っていうか腕がおっぱいに当たってるんですけど?


 ちらっと時計を見ると午後九時半。

 玲愛、心配してるかな?

 仕事納めだから飲みに付き合わされて遅くなるかもしれないとは伝えていたけど、少し不安だ。




 ────────────────────



 酔っぱらって暴走する古泉さん。

 茅野さんは無事にやり過ごせるのでしょうか?


 今回は古泉さんメモ

 古泉さんは大学を出て一度は大企業に勤めたものの、陰湿ないじめや激しい争いの社風に馴染まず一年ちょっとで退社。

 しばらく心の静養をしたのちに茅野さんの勤める会社に入社しました。

 戸惑いながら働く古泉さんに優しく指導したのが茅野さんでした。

 古泉さんが会社や仕事に馴染んだ頃、茅野さんは元嫁と知り合い、わずか半年で結婚しました。

 自分の気持ちが憧れなのか尊敬なのか、それとも恋なのか、それも分からないままでした。



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