第7話 はじまりの朝(SIDE耕平)

 気を抜くとつい、昨夜の余韻を反芻してしまう。


 普段はしっかりしている千波の、甘くなった声。

 折れそうなほど細いのに、女性らしい曲線と、柔らかな温もり。

 耕平と同じシャンプーの匂いの奥から香った彼女自身の香りは、思い出すだけで熱が蘇る。


「俺……初めて恋を知ったガキみたいじゃないか」


 一度大きく深呼吸してから、仕事を再開した。


 耕平の初恋は、小学校の先生だった。

 初めて付き合ったのは高校の同級生。甘酸っぱい、キスをした。

 その子とは三ヶ月ほどで別れ、また別の女の子と付き合ったが、受験勉強に追われていたら自然と終わっていた。

 大学でも数人と付き合ったが、いつもフラれるのは耕平のほう。皆決まって、優し過ぎて飽きたという理由だった。

 見た目からもっとワイルドかと思ったと言われたが、ワイルドってどんなものだと悩みもした。


 就職してからは、作家とサラリーマンの二足のわらじ生活で恋愛に割く時間はなく、祖父の家に越して来てからは出会いがない。


 知り合いの紹介で見合いを二度したが、一人は、もっと普通の職業の人が良いのだという理由で断られ、もう一人は専業主婦希望なのだと、やたら収入のことを聞いてきたことにげんなりして耕平から断った。


 千波は、妙な女性だ。


 達観したようなことを言うが、子どもっぽい面もある。

 抜けたところのある危うい気配があるのに、意外としっかりもしている。

 仄暗さと明るさを併せ持った女性。


 耕平の「うまい」が嬉しかったのだと言ってはにかんだあの表情に、恐らく耕平の心臓は、撃ち抜かれた。



 昼食の時間に書斎から出ると、花柄のエプロンを身に着けた千波が、キッチンに立っている。


「千波」


 意味もなく呼びたくなってしまうのは、耕平が名を呼ぶと、彼女の頬が染まるから。


「動けるようになったのか?」


 背後から手を回し、肉付きの悪い腹を撫でれば、一気に千波の全身が真っ赤に染まった。

 熱を持った耳へと唇を寄せ、甘噛みする。

 肘鉄が襲ってきたが、全く痛くない。


「欲求不満だったの?」

「ここで襲ってやろうか」

「変態!」


 変態と言われて喜ぶなんて、確かに己は変態かもしれないと、耕平は思った。


「千波、かわいい」

「耕平くんはかっこいいのに、目が腐ってる」

「俺、かっこいい?」

「目が腐ってるけどね!」


 これからの毎日が楽しくなる。そんな予感がした。

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