天王寺 斬花(2)

 その日からカイコは繰糸術式、すなわち霊力で編んだ糸を操る術の訓練を始めた。

 そして仕組みの複雑さと制御の難しさに、何度も心が折れそうになった。

「はっ……はっ……はっ……はあっ……」

 たった一本操作するだけで相当な集中力が必要になる。月華かあさまはこんなものを何百と同時に? やはり霊力の強さのみならず技量の面でも彼女は自分達の遥か先を歩んでいる。

「カイコ姉様、大丈夫ですか?」

 繰糸術式の修練を行うにしても、いつもの訓練が休みになるわけではない。なのでカイコは合間合間に時間を見つけて練習していた。今も睡眠時間を削り、寝室で訓練を続けていたのである。だが、そのせいで年下の子を心配させてしまった。

「大丈夫よバッタ。起こしてしまった? ごめんね」

 やはりここで練習するのはよそう。残された時間を考えるとどうしても焦ってしまうのだが、だからといって自分のわがままのため彼女達の可能性まで摘みたくはない。

「カイコ姉様は、すごいと思います」

 別の子が、暗闇の中で口を開く。

「誰よりも頑張っているし、霊力が弱くても、それを補うための技をたくさん持っています」

「そうです。母様が初めて糸の術を教えてくれたのだって、カイコ姉様の頑張りを認めてくださったからこそですよ」

「きっと大丈夫」

「姉様は術士になれます」

 元々教室だったこの部屋には大勢の子供達がいる。その全員に励まされ、目頭が熱くなった。

 まったく情けない。けれど同時に誇らしくもある。自分には、少なくとも彼女達に信じてもらえるだけの価値があるのだと。

「……そうね、なれると信じていなければ、なれるものにもなれないもんね」

 養母がよく言っている言葉。霊術は信じることが一番大事。できると信じ込めば、どんな困難も乗り越えられる。

「でも」

 彼女は苦笑しながら、妹達の間違いを一つだけ正す。

「一番の頑張り屋さんは、間違いなく梅花姉様よ。任務で北日本へ行ってしまわれたから皆は知らないでしょうけど、あの人は、私なんか足下にも及ばないほど努力をなさっていたわ」

「梅花姉様のお話、聞きたいです」

「私も」

「あの桜花姉様より強いって本当ですか?」

「ええ、本当」

 自分が今まで頑張って来られたのは彼女の努力を間近で見て来たからでもある。梅花の霊力は、もちろんカイコに比べれば遥かに強い。けれど、それでも昼に戦った杏花より大分弱い。

 なのにあの人は、その杏花や百年に一人の天才と呼ばれる桜花をも凌いで最強の術士にのみ与えられる“梅花”の名を継いだ。だからカイコは最も尊敬する人は誰かと問われたなら即答で梅花姉様だと答える。霊力の強さが術士の実力を測る絶対的なものさしではないことを彼女が示してくれた。おかげで今の自分がある。

「じゃあ、今夜は数ある梅花姉様の伝説の一つを語ってあげるわ。それを聞いたら寝ましょうね」

「はい」

「ありがとうございます」

「ではまず、あれは五年前、私がここへ来たばかりの頃のことだったけれど──」

 妹達に尊敬する姉の逸話を語って聞かせる彼女。楽しい思い出が肩から無駄な力を抜いてくれたのだろう、この夜は久しぶりにぐっすり眠ることができた。




 そして、それから四ヶ月経ち──カイコは再び焦りを覚えていた。いつものように通常の訓練の合間、本来なら休憩に割り当てられる時間を使ってグラウンドで霊力糸の制御訓練を行う。地面に転がした無数のボール。それを走りながら糸を使って拾い上げ、カゴの中に投げ入れる。その繰り返し。

「わあ……」

「すごい……」

 妹達の感嘆の声。彼女は次々にボールを糸だけで拾い、投げて、カゴの中に戻して行く。流石に四ヶ月も訓練を続けていれば数本程度は自在に操れるようになった。

 けれど、それだけだ。習熟すればするほどわからなくなってしまう。

(母様はどうして、この術を私に?)

 養母は最大で数千本を同時に操れるそうだが、自分に同じことはできない。技量の問題だけでなく、そもそも霊力が足りないから。

 たしかに数本だけでも使い道はある。この霊力糸というやつは同じく霊力の込められた攻撃でなければ断つことができない。一本だけでもその強靭さには目を見張るものがあり、小さな障壁と組み合わせてやることでどんな重い物だって吊り上げることができる。

 月華は小柄なので、よくこの糸を使って高い場所にあるものを取ったりしている。戦闘時ともなれば、これで敵を縛って身動きを封じることも得意だ。気付かれないよう足下を這わせて接近させ、離れた位置から奇襲を仕掛けるなんてこともできる。

 だがこの糸、長く伸ばそうとすればするほど数を減らさなければならず、一本に絞ったとしても、カイコの霊力ではせいぜい二〇mの長さが限界。竜を相手に戦う場合けっして安全とは言えない距離。

(移動の補助に使えということだろうか?)

 彼女は霊力の弱さえゆえ、他の皆が覚えている飛翔術も使えない。この糸を使えば二〇mほど先にある物を掴んで、そこまで自分を引き寄せるといった使い方はできるだろう。

 しかし、それでは今までの防御が上手いだけの自分と大差無い。移動速度が向上して立体的な機動も可能になるが、術士を目指す上で欲しているのは火力。記憶災害の怪物、竜を打倒できる攻撃手段。

 必ずある。あの養母が可能性を見出したなら絶対に、この糸を使って竜を倒せる。その方法があるはずなのだ。

(それを考えることまで含めて、私に課された試練なんでしょうね……)

 術士になるには、ある程度の頭の良さも必要。咄嗟の状況で機転を利かせられない術士はすぐに死んでしまう。なにせ相手は自分達より遥かに強大な存在なのだから。養母は自分に、その資質があるかも試している。

(でも、糸でいったいどうしたら……)

 どう考えても自分にできる使い道は、移動の補助か敵の足止めだけ。トドメは他の術士に任せるというのもたしかに有りだろうが、自分自身が弱いままでは、いつか仲間の足手まといになってしまう。

(どうやって……)


 焦る。残り時間は二ヶ月を切った。

 それを過ぎたら、もう──


「姉様、あのっ!」

「……何?」

 刺々しい態度になっていなかっただろうか? 若干つっけんどんな物言いになったことを反省しつつ、話しかけて来た妹に問いかける。

「霊力障壁の使い方で質問があります! 今、お時間よろしいでしょうか!」

「どうして私に……?」

 向こうに術士の姉様達もいる。わざわざ劣等生の自分を頼らなくてもいいだろう。そう思ったけれど、彼女は言った。

「だって障壁の使い方が一番上手なのはカイコ姉様だって、みんなが言っています! 術士の姉様達もですよ!」

「……」

 そう、自分は霊力の不足を補うため研鑽した。特に術士に必須の防御手段である霊力障壁に関しては、それこそ無意識にでも自在に扱えるように──


 その事実を再認識した途端、頭の中で閃きが生まれる。


「まさか……いや、でも……できる……?」

 これまで考えもしなかった発想。最強の術士が使う最強の術。だからもう、発展性など無いと思っていた。


 でも、できる。この考えが正しければ、おそらくできる。

 天王寺 月華が最も得意とする二つの術。

 障壁と糸を組み合わせれば。


「姉様?」

「……ありがとう、スズムシ」

 妹──後に史上最年少で“風花”の名を継いだ少女の肩を掴み、目を覗き込んで感謝する。

「ありがとう! これなら私も、術士になれる!」

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