月の乙女は運命に抗い、理を創り直す!

wumin

『復讐は何も生まんぞ』

「ひゅ、ひゅぅ……」


 風がふきすさぶような息が耳へとこびりつく。足元では肉塊がうごめいていた。ふるえ、すがりつくように。

 だが憎しみを宿す青い目がそれをにらみつけ、踏みにじる。

 ぐちゃっ、という音をひびかせ、ねっとりした液体が石の床を伝っていく。


「汚ぇなぁ!」


 鉄がさびたみたいな生臭さが鼻腔を突いた。

 というのに、口元をゆるませ、笑いさえ浮かべている。


「どうしたってんだよ、魔女さまともあろうお方がぁ!?」


 くくっと、いやもう少し下品ではあったが、一人の青年がのどを鳴らす。実に楽しそうに。

 苦しそうにもだえる肉塊を前に、心躍らせて。

 けれど、その眼は少しも笑ってなどいなかったが。


「俺たちにした時のように、またあの魔法を使ってみろよ? それともできねえのか?」


 あざけり、煽り立てていく。だが、答えはなかった。


「まぁ、言えねえか……」


 なぜって、舌を切り取ってやったのだから。

 耳もそぎ落としたし、胸も抜き取って、口の中を灼き、皮もはいだ。


「でもよぉ……」


 なのに、彼は大きくため息をつく。ついで呟きをもらす。


「俺の十二年分の苦しみは、こんなもんじゃなかったんだぜ?」


 と。


「だから、お前は死ぬよりつらい苦しみを味わえ! その後で俺に殺されるべきなんだ!」


 碧眼がまがまがしく光る。たずさえていた槍を強く握り、そう吐き捨てて。

 そしてこれまでのことを思い出していった。

 彼の運命を決めた、あの夜のことを。

 自分と肉塊を照らす赤い月を望みながら。




 ――まだ少年だった頃の冬に見た空が浮かんでくる。赤い月が輝き、星が闇を駆けていく。


『きれーだね、おにーちゃん』


 あどけない声――妹のオリガがはしゃぐ。目をつむり、両手を組んで。


『お星さまにね、お願いしてたの』


 彼女ははにかみながら告げた。


『いつまでもおにーちゃんと一緒にいられますよーに、って!』


 つたない口調、だけど素直にうれしい。

 が――そのせつな、世界は白一色に染まった。

 どれくらい、たっただろう。ほんの二、三秒だったかもしれない。けれど時間がとても長く感じられる。

 遅れて轟音ごうおんが耳をつんざく。

 気づくと地面に転がっていた。

 体中が痛む。ひどく熱い。手足の感覚すらなかった。何が起きたのか?


(そうだ、オーリャ――)


 妹は――なぜだろう、胸騒ぎが治まらない。


『オー……リャ』


 なのに体が動かせず、それどころか息さえままならなかった。

 それでも、行かねばならない。オリガを探すのだ、と身をよじり、地面を這っていく。

 焼けた土に肌を焼かれ、刺さった瓦礫に苛まれながら。


『え、あ……』


 やっとの思いで人影を見つけ、彼は言葉を失った。火に包まれ、うごめく子どもの姿を目に焼きつけ。

 目に映る景色が、幻であってほしいと願う。だがそれは、まぎれもない現実……


 ――オーリャであるはずがない!


 そう自分へと言い聞かせる。

 わずかな希望にすがって。

 しかし……

 意識を取り戻した後、知ってしまったのだ。

 炭と化したオリガの姿を!! ――




「はぁぁ……」


 疲れたような息をついて、彼はいまだうごめく肉塊をにらむ。


「それにしても――」


 なぜ死なないのか、と首をかしげざるをえない。

 考えうる、全てをやったはずだ、と。


(さすが魔女、といったところか……)


 実にしぶとく、理解を超えている。

 最初は、巨人族ですら一さじでコロリと逝く毒薬を飲ませた。それも十二人分も。ピンピンしていたが。

 だから持っていた槍で、めちゃくちゃに殴りつけた、というのに!

 ケロリと、平然としているのだ。

 なので穂先で滅多刺しにして、内臓を掻き出し、火であぶって――なのに!

 腹立たしくなるほどの生への執着、に思えた。息をし、脈打ち、うごめく。まるで不死者のごとく!


(どうしたら……)


 が、いかなる存在も永遠の命を持たない。

 言い換えれば、誰もがいつかは必ず死ぬのだ。

 なら?

 仮に肉塊が不死者だとしても、どこかに急所がある。

 たとえば、脳みそであり、あるいは心臓……

 青い双眸そうぼうが光り、彼は槍を上段にかまえた。


「――」


 強く息を吐くと、全身をまとう闘気が穂先へと伝っていく。

 とそのせつな!

 何の予備動作もなく、槍が突き出された。回転しながら肉塊の、頭だった部分を砕き、脳漿を散らす。


(これなら……)


 さすがの魔女も――淡い期待を抱き、しかし忌々しそうに顔をしかめる。

 なぜなら、それでもまだ生きていたのだから。


(そんな……)


 ありえない、苦虫をつぶしたように撒き散らされた肉片をにらむ。

 不快な鉄のさびた生臭さが鼻を突き抜けていく。


(いや、待て! おちつけ……まだ手はあるんだ)


 そう自分へと言い聞かせ、再び槍をにぎる。

 と、師の言葉が脳裏をよぎった。


 ――復讐は、何も生まんぞ。


 淡い金髪をなびかせ、翡翠ひすいを思わせる瞳が語りかけてくる。


 ――人を呪わば穴二つ。それでもお前は行くのか?


 まるでこうなるのをあらかじめ知っていたかのように。


 ――今なら、まだ引き返せるぞ? どうする?


 剣と魔法、そのいずれの才能もなかった自分へと、戦い方を教えてくれた。

 だからこそ重い言葉といえるだろう。

 だけど――


(すみません、師匠……)


 それでも!


(オーリャを殺したやつが、罰も受けず生きていていいとは思えねえ!)


 勧善懲悪は正義のはずだ。

 でなければ、悪人が得する不正義がまかり通ってしまう。

 そして自分の死は軽い。これは真理といえた。

 でも大切な者のそれは非常に重いのだ。

 彼にとっての、妹のように。

 だから、彼はもう一度闘気を槍へとまとわせ、


「――!!!」


 心臓へと穂先を撃ちこんだ。

 いやな感触が手へと伝う。聞き障りな音がひびき、ねっとりとした液体が周囲へこびりつく。


「…………」


 長い沈黙をへて、ようやくうごめきがとまったことに気づいた。

 つまり、魔女は息絶えたのだ。


「は……」


 体中の力が抜けていくのを感じ、彼はへたりこむ。

 復讐をなしとげた、その事実を噛みしめて。

 全ては終わったのだ、と。


「オーリャ……」


 仇は討った。魔女を殺すことだけを目的としてきた人生をも。何もかも捨てて、今の自分には何もない。

 だけど、彼は満足げに口元をゆるめる。

 だからだろう。

 それは心の隙を生む。

 彼は、あることを忘れていた・・・・・

 思い至らなかったのかもしれない。

 今わの際の魔女に触れた者には、その魔力が乗り移るということを。


「っ!?」


 そして、異変を察した時には、すでに遅かった。


「な――!?」


 焼けるような痛みが襲ってくる。骨が砕け、肉が裂け、体がくずれていく。

 何が起きたのか?

 が突然のことに冷静な判断を欠いていた。


「ぐっ!?」


 吐血し、うずくまる。もはや立ってはいられない。

 思い出した直後、彼の身体は破裂し、肉片をまき散らしていった。

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