第21話 嵐はコイツだった

 家に帰ったのとほぼ同時に、バケツをひっくり返したような大雨が降り始めた。

 屋内にいるのにまるで外にいるかのように大きな雨音が聞こえて来て、おまけに風が吹き荒れて窓枠が揺れている。


 好奇心に駆られて窓の向こう側の景色を見たのが間違いだった。

 真っ黒な雲間から閃光が走ったのが見えて肩が跳ねる。

 雷が光ったのだ。


「や、やだ……」


 咄嗟にカーテンを引いたところで手遅れだ。

 ゴロゴロと轟く雷の音が恐怖心を煽る。両手で耳を塞いでみても音は聞こえてしまい、おまけにカーテン越しに稲光が見えた。


 いつまで続くのだろうか。

 一晩中こんな天気のままだったらどうしよう。


 後からあとから不安が湧き出てしまう中、不意に扉を叩く音が聞こえてきて心臓が大きく脈を打った。


「ティナ、雷だ! 雷が鳴ってるぞ!」


 聞こえてくるのはサディアスの声。

 なぜかハイテンションのサディアスが、扉をバンバンと叩いて開けろと催促している。


 こっちは恐怖で震えているというのにサディアスは喜んでいるなんて腹立たしい。私が雷が苦手なことくらい知っているくせに茶化しに来るとは、本当にいい性格をしている。悔しいから扉は開けてやらない。


「ティナは雷が苦手だろ? 嵐が過ぎるまで一緒に居るからここを開けろ」

「いらない。帰って」

「ティナ~? ここを開けなさ~い?」

「オネエみたいに言ったって部屋には入れないから!」


 すると、外にいるサディアスの声がピタリと止んだ。いつもはうるさいサディアスが静かになれば、それはそれで不安になる。嵐の前のなんとやら、というやつだ。

 今まさに、窓の外には本物の嵐がいらっしゃるのだけれど。


 外で何かあったのだろうか。


 様子を見に行こうか迷っている矢先、扉の方からひときわ大きな音がして。次いで扉がお辞儀をしてこちらに向かって倒れた。

 扉がなくなってしまった戸口では片足を持ち上げたサディアスの姿が――つまり、サディアスが扉をけ破ってしまったようだ。 


「何してるの馬鹿ーっ!!」

「悪い。こうでもしないとティナの部屋に入れなかったから」

「そんな理由、器物破損の言い訳にならないんだけど――ぎゃっ」


 窓の外で雷が光り、室内が真昼のように明るくなった。その直後、空気を震わせるような轟音がこだまする。

 咄嗟に地面に蹲って、目を閉じ耳を塞ぐ。


 ああ、もう嫌だ。何もかもが散々だ。

 外では雷が鳴っているし、家は壊されるし、嵐はまだまだ居座り続けそうだし。


 怖い。

 雷は本当に苦手だ。殊に夜の雷はいっそう恐ろしく、闇夜に走る稲光を見ると途端に頭の中が真っ白になってしまう。


「大丈夫、俺が護るから安心して眠ればいい。目が覚めた時には嵐が過ぎ去ってるから」


 床に膝を突いて身を縮こまらせている私を、サディアスの両腕が包み込む。

 それはまるで親鳥が雛鳥を守るような仕草に似ていて、抱きしめられて少しだけ安心してしまったのがまた悔しい。


 頭を動かして見上げるとサディアスの金色の瞳と視線が絡み合う。

 この人なら絶対に私を護ってくれるのだと、もうサディアスの護るべき聖女でもないのに直感的にそう思ってしまった自分はどうかしている。


「人の家の扉を破った奴が言う台詞なの?!」

「ティナがすぐに応じてくれればあんなことしなかった」

「ぜーったいに私のせいじゃない! サディアスが悪い!」

「悪かったよ。明日にはすぐに修理するから怒るな」


 罪を認めたけど全く反省の色を見せないサディアス。暇になってきたのか、私の髪を掬い上げて指に巻きつけては弄び始めた。


「夏の魔物退治で遠征した時のことを思い出すな。あの時もひどい嵐で、雷が鳴り止まない夜だった」

「もう忘れて」

「ティナは雷が怖くて翌朝になっても天幕から出てこれなかったよな」

「うるさい」


 私が雷が苦手なのは、うんと小さな子どもの時から。

 孤児院にいた頃、意地悪な子に嵐の夜に締め出されてしまった時に刷り込まれた恐怖心が蘇ってしまうのだ。


 迫り来る雷鳴に、木々を裂く稲光は恐ろしかった。それなのにどんなに助けを求めても誰も来てくれなかった、悲しい記憶。

 私がいた孤児院は子供の数が多くて手が回ってなかったのだから、子どもが一人消えたところで院長が気づけなかったのは仕方がないのだけれど。それでも、誰かに気づいてほしかった。


「ティナ、こういう時はオシャレの力で怖いものなんて忘れてしまえ」

「……へ?」

「ほら、できたぞ」


 サディアスに抱き上げられ鏡台の前に連れて行かれると、そこに映る私の髪にはサディアスが結わえた一輪の花が咲いている。

 それは私が体調を崩した時や落ち込んでいた時に、いつもサディアスが咲かせてくれた花。

 私が笑顔になれるように願いを込めて作っているのだと教えてくれた、大切な花だ。


「あらあら、別嬪さんがいるわぁ。このまま可愛い服に着替えさせようかしら」

「うるさい変態。オネエもどき」

「酷い言いようだな」

「事実でしょ」


 急にオネエを止めたサディアスに戸惑っていたけれど、サディアスの根本は変わらなくて。

 サディアスは世話好きで美的感覚センスにうるさくて、そして私を独りぼっちにさせてくれない。


 そうわかっているからなおさら、いつか訪れる別れが怖い。

 サディアスがいない日常を考えるのが怖くて仕方がないのだ。

 ふと自分の隣に顔を向けてもそこにサディアスが居ないなんて、想像もしたくない。


「……サディアス、いなくならないで」

「ああ、ずっとここにいるから安心しろ」


 違う。今ここに居て欲しいのではなくて、ずっと隣に居て欲しいのだと言っているのに。


「うん。ありがと」


 そう思っていても訂正するなんて許されない私は、笑って誤魔化すことしかできなかった。

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