第6話 指先と眼差し

「……ごちそうさまでした」


 敗北の味を噛みしめつつ、すっかり空っぽになってしまった皿に向かって呟く。


 サディアスが作ってくれたミートパイはすごく美味しかった。口に入れた途端、中の肉が口の中でホロホロと崩れて、おまけにパイの生地はサクサクしていてほんのりとバターの香りが効いていた。


 美味しいからこそ、なんだか悔しい。

 サディアスは騎士団にいたから料理ができると言うけれど、野営料理でこんなにも凝ったものは作らない。保存食を食べたり簡単に煮たり焼いたりするくらいなのだ。

 だからきっと、サディアスは器用だから出来たんだと思う。

 

 てっきりサディアスも料理ができないだろうと高を括っていただけに、美味しく味わうと同時に惨めな気持ちになってしまった。


 するとサディアスはいきなり手を伸ばすと、親指で私の口元を拭う。


「ティナ、口にソースがついてるわよ」


 やんわりと口元を拭うサディアスの指は長くて綺麗だけど、剣を握る騎士らしい、固い質感で。

 その指が唇に触れてゆっくりとその輪郭をなぞると、離れていった。唇に未知の感覚が走って、肩が跳ねる。


「……っ」


 今まで口元を拭われることは度々あったけど、唇に触れられることなんて全くなかった。

 頬がかあっと熱くなってしまい、サディアスに見られないよう、慌てて立ち上がって皿を手に持つ。


「皿、洗って返すから待ってて」


 そのまま皿を流し台に運んで水ですすぐ。バクバクと音を立てる心臓を落ち着かせたくて、念入りに洗って意識を汚れに集中させた。


 唇にはまだ、サディアスが触れた感触が残っている。そのせいでサディアスが触れた瞬間を何度も思い出してしまい、一向に頬の熱が冷めなくて。


 まるで、サディアスに片想いしているみたいだ。

 私の初恋は出会いとともに砕かれたはずなのに。


 そんなことを考えてしまい、ブンブンと頭を横に振って頭の外へと考えを逃がす。今日の私はどうかしてしまっている。

 これまではサディアスに抱きしめられてもときめいたりしなかったのに、ただ唇に指が触れただけで心が落ち着かないなんて、自分自身、どうしたらいいのかわからなくて途方に暮れてしまう。


「ティナ〜?」

「うるさい。皿洗い終わるまで話しかけないで」


 聖女をクビになって、サディアスと一緒にいる理由がなくなったから、寂しくなって、それで変に意識しているのかも……しれない。

 十年もの間、サディアスとはどこに行くのも一緒だったから。


 そんなことを考えつつお皿を洗っていると、目の前にふわりと白いものが下りて、頬に柔らかな布が当たる。視線を動かすと、顔の両側が大きなフリルに囲まれてしまっている。


「えっ?! 何?!」

「ふふふ、エプロンをつけてると服が汚れなくていいでしょう?」


 どうやらサディアスにエプロンをつけられてしまったらしい。その証拠に、隣を見れば、シャツに紺色のベストとズボンを合わせたサディアスが立っている。


 サディアスは紺色の服もまたよく似合っていて、視線を奪われてしまう。

 おまけにシャツの釦をひとつ開けていて、チラッと喉元が見えるせいでどうしても視線が誘われて仕方がないのだ。


 護衛騎士として神殿にいるサディアスはいつも神殿の騎士らしい真っ白な騎士服を着て、手には手袋をつけていた。

 だから、こんなにも肌を露出している服装のサディアスが新鮮なのだ。

 それに、聖女として禁欲的な生活をしてきた私にとってはちょっとの肌の露出も免疫が無いせいでドキドキしてしまう。

 

「可愛い。やっぱりティナは白色がよく似合うわねぇ」


 そんな私の気持ちなんてちっとも知らないサディアスは、月のような金色の瞳を細めて微笑むと、背後に回ってエプロンのリボンを結んでしまった。


「ティナ、その場でくるっと回ってみせなさいよ」

「嫌だ。こんなの私の柄じゃないし、早く脱がして」

「ええ~? 聞こえな~い」


 サディアスはそう言うと、ぐっと顔を近づけて覗き込んでくる。

 すると間近に迫る金色の目に映り込む私の顔や、綺麗な角度で上を向く長い睫毛の一本までもが鮮明に見える。


「本当に素敵だわ。ティナは何でも似合うわね」


 そんなことを、女性と見紛うような美人に言われたところで嫌味でしかない。

 キスでもしてしまうんじゃないかと思うくらい近い距離で見ても恐ろしく整っている顔立ちのサディアスに言われても、褒められている気がしないのだ。


「へぇ、そーですか。サディアス様にそう言って頂けると光栄です」

「んまぁっ! 全く信じてなさそうな顔しているわね」


 すると、またもやサディアスはいつもの調子で騒ぎ始めてしまった。


「いいこと? アタシはお世辞なんて言わないんだからね!」


「ティナにはいっぱいオシャレさせたくてしかたがないのよぉ。それなのに神殿では真っ白な礼服しか許されていなかったから、ティナに可愛い服を着せろって神殿長に抗議したこともあるのよぉ?」


「ねぇ、そんなドン引きした顔をしないでよぉ~!」


 そう言って、サディアスは額を私の額にコツンとぶつけた。


「もう聖女じゃないんだから、可愛い服をいっぱい着せて、美味しいものをいっぱい食べさせたいのよ」

「っなんで、そこまでしようとするの?」


 問いかけると、サディアスの金色の瞳がすっと翳る。唇はゆっくりと弧を描き、不穏な微笑みを浮かべている。


「……」

「……サディアス?」


 いつもはうるさいサディアスが黙ったまま見つめてくると妙な感覚がして落ち着かない。

 視線が泳ぎそうになるのを堪えてサディアスを見つめ返すと、サディアスは両手を私の頬に添えて、そのままムニュッと頬の形を変えてくる。


「ティナが生活力ゼロだから放っておけないのよ」

「うるひゃい! 一人で生きていけるもん」

「えぇ~? あんな魔物みたいな料理しか作れないのにぃ? 魔物を作る元聖女なんて噂が流れるの嫌だから料理を教えてあげるわ。おーっほっほっほ」


 サディアスは調子に乗って、私の頬をムニムニと弄ぶ。

 カチンときた私は、サディアスに頭突きを喰らわした。


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