『設計士建山』駿河家の依頼 2

あれから数日、駿河家の家は『あの部屋』以外は特に難しい依頼ではなかったので、思いのほかスムーズに進んだ。私なりのアイディアも盛り込んで、言っちゃ悪いがあの暗い家族には勿体ないくらい日差しを取り込める明るくて収納も多い、小さいながらも機能的で暮らしやすい設計となった。


『もしもし、建山設計事務所の建山と申します、先日はありがとうございました、駿河さんでしょうか。』


『あ、どうも建山さん、駿河です。』


『突然のお電話ですみません、ご依頼いただいていた駿河邸の設計が出来上がりましたので一度お見せしたいのですがいかがでしょうか。』


『そうですか、ありがとうございます、では明日の13時頃にでもお伺いしたいのですが建山さんの都合はどうですか』


『そうですね…ええ、大丈夫です、構いませんよ、では明日の13時頃に』


『よろしくお願いいたします、失礼します』


『失礼します』


ゆっくりと受話器を置き、『13時駿河』とカレンダーの6月20日に書き込んだ。『しかし暗い人だなぁ』と呟いた。先ほどの駿河さんのことである。電話に出たのは旦那さんだったが、以前お会いした時は奧さんも暗かった、そしてお子さんも暗かった、いや【黒かった】と言うべきか。


駿河さんとお会いした時に見た黒い子供が気になって、実は仕事の合間や営業での出先で色々調べたり、霊的なモノに詳しい筋を片っ端から当たり、話しを聞いてみたのだが、黒いと言うのが引っかかるらしく、口をそろえて『見たことが無い』と言った。前に自分の中で黒いフードを被っているのだと処理をしたのだが、頭の片隅からあの黒い子供が消える事は無く、ついつい気になって聞いて回ってしまっていた。知ってどうすることもないのだが、気になる事は昔から調べたい、知りたい癖がある建山だった。


6月20日 13時5分


この日もサラサラと言う表現がぴったりの優しい雨が降っていた、肌寒く、事務所はひんやりしていたので少しストーブを付けた。指先が冷える建山にとっては寒さは死活問題なのだった。


『前も雨だったな』


雨男っているけれど、駿河さんはまさに雨男なのかもしれないな。そんな事を思いながら事務所に備え付けているやや大きめの時計を見つめた。とあるリサイクルショップで一目惚れしたその時計、木枠で丸い形をしており、文字盤は白、黒くて細い明朝体で大きめの数字が程よくアンバランスに配置されているのだ、時間を正確に刻むものなのに数字がアンバランスと言う部分が特に気に入っている。秒針のないその時計の長い針が13時10分へカチッと動いた。時計の針が動く瞬間を見れた時はなぜこうもワクワクし、凄く貴重な瞬間を目の当たりにしたかのように心が高揚するのだろうか。その時呼び鈴が鳴り、ワクワクタイムに一瞬で終りを告げた。


ピンポン♪


椅子から8歩ほど歩くと、私は玄関の扉をゆっくりと開けた。


『どうも、あれ、駿河さんお一人ですか?』


『ええ、私一人です』


来たのは旦那さんの【駿河 海人(するがかいと)】さん一人だった。虚ろな目でボーッと立っているようにも見えるその姿は、とても新しく家を建てるぞと言う希望に満ちた欠片すら感じない。


ひんやりとした風が事務所に望んでも居ないのに勝手に入ってきた。


『濡れてしまいます、どうぞ中へ』


骨が2、3本折れて漫画の貧乏キャラクターがさすような傘をこ慣れた手つきで畳むと、玄関の傘立てに差し込んだ駿河。この雨だと言うのにスニーカーで、びちゃびちゃに濡れている、その靴から足を出した瞬間に靴下も濡れていると見て取れたが、靴下お貸ししましょうか?と言うのもおかしい気がして、自称綺麗好きとしてはとても嫌だったが濡れた靴下のままスリッパを履くのをグッと堪えた。


『寒かったでしょう、6月入ってからなんだかずっと寒いですよね』


『ええ』


『暖かい珈琲をどうぞ』


『ありがとうございます、いただきます』


手が冷たかったのだろう、直ぐに駿河はマグカップを両手で包み込むように握りしめた。少し暖まるとズズっと音を立てて珈琲をすすり『ふぁ~』と声を漏らした。美味しそうに飲んでくれると入れた甲斐があると言うものである。


『しかしもう20日だと言うのにこの寒さ、今年の夏は暑くなるんですかね』


『…よ』


うつ向きながらぼそぼそと口を開いた駿河の言葉が聞き取れず、聞き返した。


『え?なんて?』


少し黙ってから顔を上げ、目を見開いて駿河がこう言い放った。


『夏なんかどうでもいいんですよ!設計は!出来たから来いって言ったでしょ!早くしてください!』


『すみません、落ち着いて下さい、今お見せしますので』


その場を取り繕ったが、気分は物凄く悪かった。気を利かせて世間話から本題にと思っていたのだが、正直こんなに怒られる筋合いはない。だが、暗すぎる駿河さんしか知らないので、恐さを感じたのも事実だった。何かを焦っている様子にも感じたが、どうあれお客様であるわけで、ここで契約破棄となってしまっては設計代しか請求できない、この気分の悪さはその程度では解消されない程だったのだ。珈琲だって安物ではない、その汚い靴下でスリッパ履いているのもムカつく、だがグッと堪えた。


『どうでしょう、ご依頼は全て取り込んでありまして…私のアイディアでこの壁に収納を作りまして、使用しない時はここの扉を…』


『いいですね、進めてください。』


『あ、え?』


『問題ありませんので施工に入って下さい。』


『わかりました、では地鎮祭などの・・・』


『結構です、地鎮祭はやらないで下さい』


『ですがあれは工事の安全を願うものでもありますので・・・日本の伝統でもありますし、土地の神様を…』


『なら工事の方だけでやって下さい、かかったお金はお支払いしますから』


『わかりました、ではスケジュールだけ完成しましたらお知らせしますね』


『FAXでお願いできますか、番号は…』


『わかりました、でも全く連絡せずにこちらで勝手にと言う訳にも行きませんし、壁紙や素材やそういったものを選んでいただく工程もございますので、その…』


『いえ、余程の事が無い限りお任せしますので、極力連絡はしないでいただいて結構ですから、出来上がったものに文句を言わなければそちらさんも問題ないでしょう?そういう書類を一筆書けば事は簡単なはずです。』


『わかりました、なるべくそうできるよう努めますね』


『わがまま言ってすみませんね、お願いします。』


『はい、わかりました』


『あと…先ほどは感情的になってしまってすみませんでした』


『いえ、私も要点だけお話すれば良かったのですよ、こちらこそ申し訳ありませんでした、気が付きませんで。』


駿河が帰った後、直ぐにスリッパを見ると、ぐちゃぐちゃと言うよりはグッチョグチョだった、人差し指と親指でつまむようにスリッパを持ち上げると、嫌な臭いが建山の鼻をツン!と刺した。腐った納豆の臭いがした、正確に言うなれば、納豆は発酵食品なのでもともと腐っていると言っても過言ではないわけで、それを腐ったと敢えて付け加えると言う事は腐ったものを腐らせたともとれる、ダブルパンチ表現。言い方を変えれば『頭痛が痛い』と言っているようなものだ、頭痛は『痛』と最初に言っているにもかかわらず、間髪入れずに痛いと言っている、これは余程痛いと言う印象を受ける。だから腐った納豆と言う表現はかなり臭悪に満ちているのだろう。


つまんだままスリッパをゴミ袋へ入れて息を止めて縛った。


『ぷはっ!』


それにしても一体駿河さんの豹変ぶりはなんだったのだろう、イライラしていたにも程がある、ムカムカした気持ちが邪魔をして作業に入れなかった建山は、ため息をつきながら椅子に腰かけ、温くなった珈琲を飲むと、煙草を1本深く吸った。吐き出した煙を見ながらポツリと呟いた。


『あの人、大丈夫なんだろうか…』


ふと思い立ったように携帯電話を取り出し電話をかけた。


『もしもし?あ、おやじ?オレ、斗偉志(といし)だけど』


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